第7話

文字数 4,232文字




 放課後、結奈が自主室に向かうと、すでに広がいて空を眺めていた。
 結奈は一度深呼吸して、勢いよくドアを開ける。

「お待たせ、広くん。遅くなってごめんね」
「大丈夫、待ってないよ」
「そ、そうかな……(うわぁ、なにこのやりとり! デートみたい! もしかしてこれってデート?)」
「勉強会って俺、言ったよね? とりあえず教科書出そうか」
「あ、うん! えっと……鞄……」
「……手には、何も持ってないよね?」

 必死に手のひらを見つめる結奈だが、その中には何も握られていなかった。
 制服のポケットの中を探すが、そんな場所に鞄が入っているわけがない。

「き、教室に……忘れてきたみたいです」
「…………ふっ」

 広が口元に手を当ててくすくす笑う。
 結奈は恥ずかしくなり、制服のポケットに手を入れて俯いた。

「ご、ごめ……すぐにとってくるから」
「いいよ、気にしないで。もともとそのつもりだったから」
「そのつもり?」
「まさか鞄ごと忘れるとは思わなかったけど。教室に戻ったら机の中もちゃんと確認してね?」
「机の中? どうして?」
「教科書、忘れてるかもしれないから」
「えっと……うん……ん?」

 ふっと微笑む広の纏う空気が、少し雰囲気を変えた。

「それより、ポケットの中、なにか入ってるの?」

 広に指摘され、結奈は目線を落とした。
 スカートのポケットに、ちょっとした膨らみ。
 そこまで目立ってはいなかったのに……と疑問に思いながらも、結奈はポケットからピンク色の巾着袋を取り出す。
 象形文字の様な絵柄が、赤い糸で刺繍を施されている小さな袋。

「これね、飴袋」
「飴袋?」
「小さい時にお母さんがくれたの。困ったことがあったらその中に飴を入れて食べなさいって。お守りみたいなものかな」
「へぇー」
「き、緊張したり落ち込んだりした時によく食べててね……今、食べてもいいですか?」
「緊張してるの?」
「えっと……(広くんと二人ってだけでもドキドキするのに、鞄ごと忘れるとか恥ずかしすぎてヤバイ! 糖分食べないとやっていけない! 砂糖大事!)」
「面倒くさいから、心の声は聞こえないことにしておくね?」
「ありがとう! 広くん優しい!」
「……緊張というより、混乱でおかしくなってるね。いいよ、飴食べて」
「じゃあ、お言葉に甘えて」

 結奈が飴袋に指を入れると、中からは包装紙に包まれた赤色の飴が出てきた。
 じっとそれを見つめたあと、広へ差し出す。

「私だけ食べるのも悪いから、広くんもどうぞ」
「……いらない」
「え?」
「俺はいいよ、結奈ちゃんが食べて」
「広くん、飴嫌いだっけ?」
「そういうわけじゃないけど。最近は食べないようにしてる」
「……ダイエットですか?」
「……そろそろ面倒くさいんだけど、怒っていいかな?」
「ごめんなさいっ!」

 わたわたと、結奈は袋を開けて赤い飴を取り出した。
 口の中に入れるまでじっと広に見つめられ、恥ずかしいと思いながら。

「……落ち着いた?」
「え? あ、はい」
「じゃあ、鞄取りに行ったら?」
「そうだった。ごめん広くん、すぐ戻るから」
「ゆっくりでいいよ」
「そんなわけには……」
「ゆっくりで、いいよ?」

 ニコッと笑顔の裏に、憤怒の気配。
 結奈は背筋をピンと伸ばし、大袈裟にドアを開けて自主室を出て行った。

「気をつけて」

 忙しく自主室を出て行く結奈を、広は片手を振って見送る。

「気をつけて……か」

 廊下を走る音が徐々に遠くなり、それが完全に消えたところで、広はため息を吐いた。

「頑張れって言葉は、どっちに言うべきかな」

 ポケットに手を入れると固い感触が指に触れ、スライド式のケースを指でなぞった。
 カチッと、ケースの開く音に、広は目を閉じた。

「茶番だな」





 結奈が教室のドアを開けると、残っている生徒は一人しか居なかった。
 廊下にも、二人組の生徒が歩いているだけ。

「いつもこんなに人少ないっけ?」

 戸惑いを覚えながらも、結奈は教室に入る。
 前方の席に一人、座っているのは艶やかな黒髪が綺麗な女子生徒。
 美人そうだけど暗くて顔がよく見えない子。
 結奈の中でそれぐらいしか印象の残っていないクラスメイト。
 声をかけるのも変だと思い、結奈は机の中を確認する。

「あれ? 英語の教科書残ってる……授業終わってすぐ、カバンの中に入れたのに」
「当主様の計らいよ」

 声が聞こえると同時、教室の扉が閉まった。
 振り返った結奈の目に映ったのは、先ほどの黒髪の女子生徒。
 顔に微かな笑みを浮かべながら、ドアの前に立っていた。どうやら彼女が、教室の扉を閉めたらしい。

「あなたがここに戻ってくるように、仕向けておいたの」
「あ、えーっと……」
北村(きたむら)美優(みゆう)です」

 女子生徒は丁寧に名乗り、軽く頭を下げた。
 名乗ってくれて助かったと結奈は思った。クラスメイトの名前どころか、顔すらまともに覚えていない。
 ましてや彼女のような、無口で窓際にいる子なんて。

「えっと、市原結奈です」

 同じようにお辞儀をする結奈だが、美優は「知ってる」とピシャリと言い放った。
 目線がぶつかって、結奈は息を飲んだ。
 彼女の顔がとても綺麗だったから。少し細めだけれど黒が綺麗な瞳の色、陶器のような白い肌。

「北村さんって、綺麗だね……」

 結奈の言葉に美優は首を傾げたあと、嘲笑を浮かべた。

「当たり前でしょ、当主様と同じ血が流れてるんだから」
「当主様?」
「あなたたち神木もよく似てるわよ。頭の悪そうなふわふわ髪に、知性の無さそうな色素の薄い瞳」

 くすくすと、美優が笑う。
 馬鹿にされているのかな? と思った結奈だが、それよりも彼女の言葉の一つが気になった。

「神木はお兄ちゃん……従兄の名前で、私の苗字は市原だよ?」
「なに言ってるの? 神木一族でしょ? あぁ、そうよね。神木は解散してあなた、何も知らないのよね?」
「……ごめん、北村さんがなに言ってるかわからない」
「ふふっ、愚かよね、本当に。ねぇ、あなた、緋真先輩が好きなのよね?」
「え? うん……えっ、待って! 普通に返事しちゃった! どうしてそんなこと聞くの? (なんでバレたの? 私ってそんなにわかりやすい……いや、この子も広くんのこと好きでライバルだから?)」
「広くん? ……あなた、彼のことそう呼んでるの?」
「え? そうだけど……えっ! なんでわかったの? 私、声に出してないのに、(なにこの子、私の心を読んだ……超能力者⁉︎)」
「漏れてるのよ、心の声が!」
「心の声⁉︎ なに、なんのこと? (え、怖……)」
「面倒くさいから聞こえない事にしておくわ! そうじゃなくて、広くんって……そんな呼び方……同じ高校に通ってる私ですら、良くて緋真先輩なのに……なんで神木のあなたが、特別な呼び方で……」

 ぶつぶつと独り言を呟いていた美優だが、やがて決心したように顔を上げた。

「許可はもらってるの! お膳立てもしてくれた! 戦ってきてもいいって、当主様が……初めて、私のために!」

 叫ぶように声を震わせる美優が、ポケットの中から消しゴムを取り出した。
 マジックで相合い傘が書かれた消しゴム。その文字を塗りつぶすように、青色の模様と血のような赤が描かれていた。
 それを見た結奈が、ぱっと顔を背ける。

「そ、それ、相合い傘のおまじないだよね? すっごい昔に流行ったっていう、あの!」
「本で読んだのよっ!」
「本って子ども向けのやつだよね? 今時の小学生でもそんなのやらないよっ! それより、それって人に見せちゃいけないんだよ。今すぐ隠して! 両想いになれなくなるから!」
「知ってるわよ、そんなこと! 知ってる……! こんなことしてもどうせ……消しゴムを使い切っても私は、当主様と両想いになんかなれない!」

 ぶわっと、室内に風が吹いた。
 窓は開いていなかったはずと外に目を向ける結奈だが、やはり部屋は密封されていた。
 正面に向き直ると、美優の姿がなくなっていた。

「……さなぎ?」

 美優のいた場所にあったのは、黒い糸でできた蛹のような形の物体。
 大人一人が入れそうな。

「もしかして北村さん、中にいる? えっ?」

 慌てて駆け寄るが、手が触れる直前、また風が吹いた。
 咄嗟に目を閉じた結奈。
 再び開いた瞳に映ったのは、翼竜だった。

「……なにこの姿。予想外」

 壊れたスピーカーのように若干のノイズが入った音で喋る美優の声。
 さなぎの殻を破って現れたのは、ゴツゴツした硬そうな皮膚に鋭い爪と嘴を持つ翼竜。
 呆然とその姿を見ていた結奈が、ぽそりと呟く。

「恐竜……お兄ちゃんの部屋の図鑑で見たことある……」
「プテラノドンね」

 美優は翼を大きく羽ばたかせ、風を起こした。
 風圧によって、結奈とその周辺にあった机や椅子が一瞬で吹き飛ぶ。がしゃんと大きな音を立てて机と椅子がドアにぶつかるが、ガラスは割れなかった。
 結奈はドアにぶつかったものの、腕を擦りむいた程度で大きな怪我はなかった。

「思ったより力が大きいわ。殺すのは反則だからほどほどにしないと」

 自身の翼を見ながら翼竜と化した美優が呟く。
 パタパタと小さく翼を羽ばたかせ、力加減を調整し始めた。

「……なにこれ」

 擦りむいた腕を押さえ、結奈は呆然と翼竜の様子を見つめていた。
 うまく頭が回らない。
 今のこの状況はなんだろう?
 なぜクラスメイトが翼竜になったのか、なぜ自分は襲われているのか。

 なぜ、この騒ぎに誰も来ないのか……

 そしてふと、足元に飴玉が落ちていることに気がついた。
 黄色いレモン味の飴玉が一つ。
 とっさに飴玉を拾い、包装紙を破いて中身を取り出す。

「なにやってるの?」

 しかし飴を手に取った瞬間、美優が風を起こし黄色い飴玉は結奈の手から離れてしまった。
 カツンと音がして、飴玉が床に転がる。

「飴? なに考えてるの、この状況で」
「私のお守りだから」
「お守り?」
「緊張した時とか、困ってる時に食べなさいって言われて育って……私いま、困ってるから」
「……どれだけ平和ボケしてるの。バカみたい」

 美優が翼を振るい、結奈の指先にぶつかった。
 小さな切り傷から血が流れる。

「……困ったな、なにこれ」

 バタバタと大きな翼を動かし、美優は次の攻撃の準備をしている。
 結奈は血を拭うことも忘れ、スカートのポケットに手を入れた。

「ちゃんとお守り持ってるのに……全然、解決しない」

 ギュッと飴袋を握りしめて縮こまる結奈。
 容赦なく、美優が翼を振るう。

 その直前で、竜巻のような風が起こって美優の身体が弾け飛んだ。
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登場人物紹介

○神木《かみき》 織斗《しきと》


神木の当主、高校2年生。

術師家系の本家長男として生まれたが、『普通の生活を送ってほしい』という両親の遺言により、何も知らずに生活していた。

頭が悪いわけではないが勉強をしないので成績は悪い。

○神木《かみき》 咲《さき》


織斗の双子の妹。

神木家を離れて育ったため、織斗は咲の存在を知らなかった。

田舎育ちなため身体能力は人並み以上だが、人間社会で暮らしていくための常識はほとんどない。

術印はリストバンド、水の能力を持つ。

●緋真《ひさな》 広《ひろ》


織斗の十年来の幼なじみで親友。

京都に本家を構える名家の跡取り長男だが、小学校入学と同時に東京分家へと追い出された。

容姿端麗成績優秀運動神経抜群で、織斗曰く人間が欲する殆どの才を持っている、

当たり前に不平等に、神様に二物も三物も与えられた人間。

●桐谷《きりゅう》 あやめ


緋真のナンバーズで広の従妹、中学一年生。

術印はかんざし、能力は水系。

父親は広の叔父(緋真本家の次男)だが、孕ったことを知らなかったため、あやめは緋真家とは無縁の場所で母と二人で暮らしていた。

○市原《いちはら》 結奈《ゆな》


神木のナンバーズで織斗の従妹、高校一年生。

能力は召喚系、ブラックというコウモリ型人間を召喚して戦う。

術印は飴袋、中にある飴の色で術の効果が変わる。

心の声が漏れているが、本人は気が付いていない。

●緋真《ひさな》 啓次《けいじ》


広の実弟、高校一年生。

生まれつき身体が弱く入院生活を送っていたが、交通事故にあって瀕死の状態になる。

死の直前でケイジに身体を貸す事を条件に、命を繋いで魂はしばらく眠る事になった。

◎ケイジ

織斗たちの前世時代から来たと話す、魂だけの存在だった男。

啓次の身体を借りて現世に留まることができ、緋真啓次として過ごす。

○中村《なかむら》 凛《りん》


神木家のナンバーズ、中二。

能力は電気系。

機械が好きで、常にパソコン三台を鞄に入れて持ち歩いている不思議少女。

●五十嵐《いがらし》 后《コウ》


緋真家のナンバーズ、中二。

能力は電気系。

凛と同じく機械が好きで、緋真家の電波担当。

○姫未《ひめみ》


神木の従者を名乗る手のひらサイズの和装少女。

見た目は十六歳程度。

織斗の戦闘をサポートするために常に側にいる。

◎時雨《しぐれ》


緋真の従者を名乗る少年。

見た目は十四歳程度。

姫未ほどのやる気はなく、ほとんどの時間を不在にしている。

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