第3話
文字数 3,801文字
十分ほど経った頃、織斗は同じ場所をグルグルと回っている事に気がついた。
足を止め、目についた公園の中に逃げ込む。
「……ここ、家の目の前じゃねーか」
そこは織斗の自宅から数十メートル程しか離れていない、小さな公園だった。
織斗は汗をぬぐいながら公園の入り口を見つめる。
ゆらっと入ってくる女の影。
呼吸をするのがやっとの織斗とは対照的に、無表情で静かに歩く女。
「……無理、もう走れない」
ベンチにもたれかかる織斗。
歩み寄る女性の手元で、カッターナイフの刃が光った。
「なんだよ、自分だけ武器持って……武器?」
ズボンのポケットに手を入れると、固い感触が指に触れた。
「……まさか、まさかまさか」
震える手でケースを開け、トランプを一枚取り出す。
「封印の反対……解印!」
言葉にすると同時、しゅんと白い光が織斗の前に飛び出す。
「信じられない! 最低!」
眼前を駆け抜ける緋色の衣。
手のひらサイズの和装少女が、織斗の肩に乗った。
「なんなのあんた、何様なの? あぁ、そっか! この世界の神様でしたね!」
「なに怒ってんだよ? つーか今それどころじゃない! ヤバい状況だから!」
織斗の視線につられ、和装少女が正面を向く。
ちょうど、女性がカッターナイフを振り下ろしているところだった。
「わっ、馬鹿馬鹿ばかっ! 避けて!」
「うるっせーよ、耳元で叫ぶな! つーかお前が邪魔なの!」
「あんたがモタモタしてるからでしょ! ていうか術は?」
「えっと、なんだっけ……ハートの水、数字は……」
「水はスペードよ! スペードの8!」
「スペード8、スペード8……かいいん!」
ケースから取り出したトランプを、織斗が女性に向かって投げつける。
その瞬間、滝のような勢いでトランプから水が噴き出た。
「水……水!」
「見ればわかるわよ! ていうかあんた、術の使い方ちゃんと覚えないわよね、当主でしょ?」
「だから、トウシュってなに……」
肩に乗る和装少女を睨んだ織斗だが、すぐにその視線を女性へと戻した。
ガポガポガポと、水の中で息を吐く音。
トランプから吹き出した水が女性の頭部を包み、彼女の呼吸を奪っていたのだ。
首を掻きむしる喪服の女性が、織斗を睨む。
しかし目線はすぐに外れ、女性は苦しそうにもがいて地面に膝をつく。
「なにこれ、なにこれ! やばくないか?」
「大丈夫よ、落ち着いて」
動揺する織斗の頬を、和装少女が指で小突く。
「この程度の攻撃ならすぐに消えるから」
「消えるって、でも!」
「ごちゃごちゃ言わないで、黙って見てなさい。神木の当主でしょ?」
「だから、そのトウシュってのが意味わかんねーの!」
「私も、あんたの言ってることの意味がわからない」
「こっちのセリフだよ! つーか堂々巡りだな、俺ら!」
「わかるそれ、現代だとループって言うのよね?」
「知らねーよ! それより……」
「それより見て、ほら」
和装少女が指さした先には、頭部を水に包まれている女性の姿。
しかし先ほどより水量が少なくなっている。
「水の攻撃が消えてる……さっきの炎と一緒か」
「トランプのカードね、数字が小さければ小さいほど、攻撃力が低くなるの」
「じゃあ、数字が大きければ……」
「攻撃力が高くなる。あんたまだ慣れてないみたいだから、大きい数字を扱うのはまだ無理だろうけど」
「えっと、じゃあ次は、13のカードを……」
「私の話聞いてた? 大きい数字はまだ扱えないから、まずは小さいのから」
「小さいの……」
「じゃあ次は土を使ってみよー! ダイヤ出して、ダイヤの5!」
「……ノリノリになってんじゃねーか」
織斗がケースに手をかけると当時、水の拘束から逃れた女性が立ち上がった。
カッターナイフを振り回し、織斗に襲いかかる。
「じゃあ、頑張って!」
瞬時に織斗の肩から逃げ出す和装少女。
逃げるのかよ! とは思ったが、それどころではない。織斗はトランプを掲げ、先ほどと同じ言葉を口にした。
「解印!」
次に飛び出してきたのは岩石の粒。
弾けるように飛び出した小石が顔にぶつかり、女は後ろにのけぞる。
だがすぐに、女が腕を振り上げた。
織斗は慌ててトランプケースからカードを数枚取り出して投げつける。
「解印、解イン、かいいんかいいん!」
「あっ、一気に出しちゃダメ! カードを使えば使うほど術力消耗しちゃうから!」
「早く言えよ! う……なんだか動悸が」
「そっちじゃない、術力って言ってるでしょ! ゲームでいうMPよ! ケースの中の残り枚数が術力の残量!」
和装少女に言われ、織斗はトランプケースの中身を見た。
先ほどより中身が減っている。
攻撃に使ったカードは、その場で消えて、体力が持続していれば自動でケースの中に補充されるという。
「次、クラブ……解印」
織斗の言葉に連動して、クラブのカードから木の蔓が出てきた。3のナンバーを使って、一メートル長さの蔓。
カードの性能を確かめる様に攻撃を続ける織斗だが、何度ぶつけても女が倒れることはなかった。
地面に膝をつくが、すぐにまた立ち上がって襲いかかってくる。
「なぁ! これ、キリがなくないか⁉︎」
張り上げた織斗の声に、和装少女はポンっと手のひらを両手の前で合わせた。
「ごめーん、忘れてた! ある程度になったら封印しなきゃいけないの」
「封印?」
「あんたが持ってるトランプの中に閉じ込めるの」
「閉じ込めるって……」
攻撃を続けながら、織斗はチラリと女性を見た。
人間とは思えない容貌、だけどほんの数十分前までは普通の人間だった。
祖母を亡くしたと語った、喪服の女性。
「その子、もう人間には戻れないからね」
織斗の考えを読んで否定するかのように、少女が言った。
「力の弱い術師はね、こうやって身体を変形することでしか力を使えないの。でもそれをやってしまえば、もう元の姿に戻ることはできない」
「術師? 力が弱い?」
「ああ、もう! 説明するの面倒くさい! とりあえずジョーカー出して!」
「ジョーカーって! えっと……」
「気をつけてよ? もう二度と私を封印しないで!」
「わかってる! つーかおまえ、やっぱ封印されて……ちょっと待て、封印するってことは、あいつをトランプの中に閉じ込めるのか?」
「その通り!」
「でも人間だろ、あいつ」
「あんた、さっき私を……まぁいいわ。それより、もう封印するしかないの。このままだとこの子死ぬわよ?」
和装少女が指をさす、女性の体は皮膚がポロポロと剥がれ落ち、髪も抜けていた。
ヒューと苦しそうに息を吐いてなお、織斗に襲いかかろうと腕を振り上げる。
「……死ぬのか?」
「力が弱まってる。術力はほとんど残ってないし、体力が尽きたらおしまいね。封印すれば、そこで浄化されるけど」
「浄化……」
振り下ろされた腕を、織斗はいとも簡単に受け止めた。
時間が経つほどに女性の動きは鈍くなっていた。
「封印することが、こいつを助けることに繋がるってことだよな?」
「トランプの中は現世と切り離されるから、一定期間過ごせば浄化はされるわね。まぁ、助けるというか、言い方の問題もあるけど」
「……死んじゃダメだろ、こんな意味わかんねーことで」
女性が反対の腕を振り上げる。
しかし織斗が後退したことにより、腕は空を切り地面に崩れ落ちた。
『ヴゥッ……』
苦しそうに呻く、女性だったもの。
「遺言預かってるって、こいつ言ったんだ」
「え、なに? 遺言?」
「よくわかんねーけど、神木のなんちゃらに、復讐してくれって……婆さんに頼まれたって。たった一人の家族だった人に、死の直前に……」
女性の攻撃を防ぎながら、織斗は唇を噛む。
両親がいない、親戚もあまりいない織斗は、祖父に育てられた。
彼女の境遇と自分のそれを重ね、トランプケースに手をかける。
「復讐とか……過去の後悔ばかりに目向けてんじゃねーよ。生きることは難しいことじゃない、そんな世界のはずなのに」
ケースを開くと、カードが一枚出てきた。
織斗はそれを、女性に向かって掲げる。
「封印」
言葉にすると同時、ジョーカーから淡い真っ白な光が飛び出した。
光は女性の身体を包み込み、やがて徐々に小さくなって、シュッと一筋の道となりジョーカーの中へと吸い込まれていった
キラキラと、光の粒子だけが宙に舞う。
戦っていた女性の姿はもうない。
その時、公園の入り口に人影が現れた。
封印術の残像もあって織斗からは微かにしか見えなかったが、その人物は織斗が卒業した中学校の制服を来た女子生徒だった。
腰まで伸びる艶やかなストレートの黒髪、漆黒の瞳の色。
女子中学生は目を伏せ、やがて公園を後にして織斗たちの前から姿を消した。
「向こうの一族の子ね」
織斗の肩に舞い戻ってきた、和装少女が呟く。
「向こうの一族?」
「あんたたち神木と同じように術力を血に宿し、子孫に代々伝えてきたもう一つの一族」
「……わけわかんねー! やっぱりわかんねー!」
どさっと、織斗は仰向けに地面に倒れ込む。
随分時間が経っていた、夕焼けが空を赤く染めていた。
「ちょっと、寝ないでよ?」
目を閉じる織斗の顔を覗き込み、和装少女が忠告する。
「こんなとこで寝るわけないだろ」
そうは言いつつ瞼が重い。
「ねえ、ちょっと!」
少女の声が遠くなる。
まぁ、いいか、寝てしまおう。
頑張ったんだから、少しくらい……
そう思って、織斗は意識を手放した。