第33話
文字数 2,695文字
備え付けの椅子に座る咲の視線は、ベッドの上で眠っている広。
そっと頬に手を触れるが、動きはない。
「……ごめんね」
ポツリと呟き、指先を目元に持っていく。とその時、背後でドアの開く音がした。
「お邪魔しまーす! ごめん、時間かかっちゃった!」
仰々しくドアを閉め、結奈が病室に駆け込んでくる。
制服姿のまま、いつも連れている召喚獣の姿はない。
「咲ちゃん、大丈夫?」
「あ、うん……傷はそんなに深くなくて、目が覚めたら大丈夫だろうって……」
「あ、広くんじゃなくて咲ちゃんのほう」
「私?」
「広くんの状態は緋真のグループ通信でわかってるから。普通に寝てるね、よかった」
結奈は広の顔を覗き込み、咲の隣に座った。
通学鞄に詰め込んでいたおにぎりとサンドイッチを咲に突き出す。
「どっちがいい?」
「え? ……え?」
「ご飯まだ食べてないよね?」
「食べてないけど……」
唖然と、結奈の手元を見つめる咲。
痺れを切らした結奈が、おにぎりを咲の手に押し付けた。
「お腹空いてるとさぁー、ブラックの声が聞こえなくなるんだよねー、私」
サンドイッチの袋を開け、頬張る結奈。
呆気にとられている咲は、目を丸くしたまま結奈を見つめていた。
「術力と空腹って関係あるのかな?」
「……体力の残量は、関係あると思うけど」
「いつも広くんと一緒にいる子、あやめちゃんだっけ?」
「あ、え? あやめちゃん?」
「あの子から連絡あってね。私の番号知ってることにびっくりだったけどね、どうやって調べたのって、そんなことどうでもいいか。とにかくあの子から、当主様と咲さんをよろしくお願いしますって任されたの」
「あやめちゃんが?」
「私の電話番号を緋真の通信グループに組み込んでくれたの。緋真で何か動きがあれば、私にも連絡がくる」
「あぁ、それで、状況を……」
「病院の玄関やこのフロアにも、広くん似のイケメンお兄さん達が見張りで立ってたんだけどね、あの子のおかげで通してもらえたんだー。ちょっと時間かかったけど」
結奈が見せつけるスマホの画面、[当主様の様子見をお願いします。病室は……]とあやめからのメッセージだった。
「すごいね、あの子。いろんな権限持ってんだね」
「……あやめちゃんは?」
「当主様が動けない今、自分がかたをつけてくるって」
「かたをつける?」
「広くんを刺したの、緋真の子なんでしょ? 普通の家臣が処理するのは難しいみたいで、当主の血がなくても力を使えるナンバーズ全員で犯人の子の行方を追ってるみたい。三時間経ったけど、まだ全然動きないね」
「三時間? もうそんなに経ったの?」
「……咲ちゃん、これからどうする?」
サンドイッチを平らげた結奈が、咲に向き直る。
「お兄ちゃんは姫未ちゃんと一緒に犯人探してる。私はブラックと交信できるから、何かあればすぐに駆けつけれる」
「私は……広が刺されたとき、びっくりして動けなくて」
膝の上で絡めた両手の指を、咲はぎゅっと強く握る。
「何もできなくて……私、義父が医者だから医学に関する知識はある、怪我の対応なら出来ると思ったんだけど……あの時は何も、役立たずで……」
「うーん、それって普通じゃない? そこでサッと治療出来たら、それこそプロのお医者さんだと思う」
「何も出来なくて……」
「救急車に付き添って一緒に病院来たんでしょ?」
「それが、よく覚えてなくて……広が手を離さなかったからそのまま一緒に乗ったのは、覚えてる」
「手を離さなかった?」
「意識はなかったけど、繋いだ手が離れなくて。そのままでいいから乗れって言われて……」
「がんばったね、咲ちゃん」
「え?」
「手のひらって、ダイレクトに温もりが伝わってくるでしょ?」
差し出された結奈の手を、咲が握り返す。
お互いの体温が、手のひらを伝わって来た。
「わっ、咲ちゃんの手ひんやりしてるね、気持ちいい」
「結奈ちゃんは温かいね」
「全然違うね」
「うん、全然違うね」
目が合うと照れ臭くなり、どちらからともなく手を離す。
「小さい頃ね、熱が出て寝込むとお兄ちゃんが手を握りにきてくれたの」
「織斗くんが?」
「お兄ちゃん体温高から、繋いだ手が熱くてあつくて! その上、『結奈の手、いま俺より熱いな。すげー熱あるな』って枕元でぶつぶつ……嬉しかったなぁ」
指を唇に触れながら、結奈が微笑む。
「風邪ひいてる時って不安になるでしょ? このまま私、死んじゃうのかなって。だからお兄ちゃんの手がすごく嬉しかった。ここにいるよ、自分以外の誰かが隣にいて、ちゃんと繋がってるよって、伝えてくれてるみたいで。広くんも同じこと感じてたんじゃないかな? だから離さないで、って咲ちゃんの手を握りしめてた」
「私は、全然……」
「さっきも言ったけど、私がここに来たのは咲ちゃんが心配だったからだよー」
「私を心配?」
「一緒にいたのに何も出来なかった、って落ち込んでるんじゃないかと思って。当たりだったねー」
ケラケラ笑う結奈の横で、咲は顔を伏せた。
「結奈ちゃんは優しいっていうか、よく気が回るね」
「天真爛漫な従兄がいたからねー。我が道をいくお兄ちゃんの後を追っ掛けたらいつの間にか、迷惑を被った人たちへのフォローは私の仕事になってた」
「……すごいね、結奈ちゃんは。明るいし、誰とでも友達になれるし、友達の数も多いし」
「咲ちゃんはこれからでしょ? 十五年分の幸せを、これから取り戻す。人と触れ合って来なかったなら、色んなことに戸惑って当然だよ。失敗してそれを積み重ねて、自分の立ち位置を決めていくものだと思うよ」
「自分の立ち位置……」
「ちなみに私は召喚系のマスターなので、安全なとこにいろって言われてる。戦場に出なくていいのラッキーて思ってる事は秘密ね?」
「え、あ、……うん」
「さてそれで、咲ちゃんはどうする? 咲ちゃん強いからお兄ちゃんの応援行った方がいいかなと思ってたけど、さっきの話聞いて考え変わっちゃった。広くんの側にいたいなら、私と一緒にここにいて待ってよっか」
「…………いく」
小さな声で呟いた咲が、おにぎりのフィルムを破った。
頬張ると何故か涙が出てきて、それを拭いながら喉に米を流し込んでいく。
その様子を見た結奈が、鞄の奥底に手を入れた。
「なにかあればブラックに言って。離れてても通信できるから。それと、これ」
結奈が差し出したのは、咲が神木に来たときにつけていた獣の仮面と、戦闘時に身につけているリストバンド。
「咲ちゃん、自分の身体で戦う方が好きって言ってたもんね……頑張って」
リストバンドを腕にはめ、仮面を受け取った咲が小さく頷いた。