第拾壱話 説得

文字数 4,666文字

 一階に移動し、二人に呼びかけた。
「椿さん、伊勢さん、終わったから一緒に来て欲しい」

「え? もう終わったの?」
「はい」
 二人から、それぞれの返事。

「うん。少し手伝って欲しい」
「分かりました」
 伊勢さんだけ返事をする。

 二人を連れて再び202号室へ移動しチャイムを鳴らす。

「は、はい。少し待ってください」
 奥さんから、小さくはあったけど返事があった。
 しばらくして玄関が開くと伊勢さんが対応してくれた。

「夜分、突然に失礼いたします。大きな音や悲鳴が聞こえたものですから……」
「あ! なんでもないのよ。大丈夫だからお帰りになって」
 早々に扉を閉めようとする。

「旦那さんが、大人しくなったのは一時的ですよ」
 俺が言うと、手が止まった。
「何で分かるの?」
 恐る恐る聞いてきた。

「信じられないのも無理はありませんが俺が今、大人しくさせたんです」
 嘘をついても仕方がないので正直に話しをした。
「あ、あの! 沙友里(さゆり)さん、向かいの椿です。失礼ですが家に入れて頂けませんか?」

「あ! 未来ちゃん! ……そっか、未来ちゃんの友達だったんだね。うん。入って」
 椿さんのお陰で中に入ることができた。

 奥さんについていきリビングダイニングに入ると、そこには呆然と立ち尽くしている旦那さんがいた。
 俺たちが入ってきたことで、朦朧(もうろう)状態から正気に戻った。

「あぁ! あぁぁ! また、やってしまった……」
 力なく崩れ膝立ち状態になる。
(ひろし)さん! よかった! 正気に戻ったのね!!」
 奥さんが嬉しそうに旦那さんに駆け寄る。

「沙友里、ごめん。俺、また君を殴ろうとしてしまった……ごめん」
 旦那さんが泣き出し、奥さんが抱き支える。
「いいの! 正気に戻ってくれただけで!」

 二人が落ち着くまで黙って見守ることにした。
 しばらくして、旦那さんも俺たちに気づき、
「あ? 君たちは? 沙友里、彼女たちは?」
 そう奥さんに聞いていた。

 俺が、前に出て返事をする。
熱田(あつた)正義(まさき)と言います。クラスメイトの相談を受けて、勝手ながら伺いました」

 立脇夫妻も、説明を欲している様子。
 奥さんが気を使ってくれた。
「気が付かなくてごめんなさい。今、飲み物だしますね。ソファに座って」

「それでは失礼します」
 三人でソファに座り、立脇夫妻が向かいの床に座る。
 部屋を見回すと、所々壁紙が破れていたり、壁が凹んでいた。

 俺から説明し始めた。
「先ほど奥さんには話しましたが、旦那さんが暴れるのを俺が止めました」

「どうやって?」
 博さんの質問は至極当然だ。

「これは信じて頂くしかありませんが、博さんとお呼びしても良いでしょうか?」
 博さんが、黙って頷く。

「博さんは、お酒を呑むと普段抑えている暴力衝動が面に出てきます。でもそれは博さん自身にも原因はありますが、助長させる存在がいたので、その者を一旦蹴散らしたんです」
「助長させる存在?」

「はい。それは世に言う悪霊というものです」
 地獄霊というより理解しやすいだろう。
「え? そんなまやかしを信じろというのかい?」
 椿さんも「えっ!」と思わず声を出し、俺を見る。

「だから信じて頂くしかありません。と最初に申し上げました」
 言葉を選びながら話をするように注意して慎重に説明する。
「うーーーん。でも三人とも夢見るお花畑の人には見えないね」
 社会的常識を守っているためか、少しは聞く耳を持ってくれたようだ。

「博さん。失礼ながら最近、ご失業されたとお聞きしておりますが、本当でしょうか?」
「……本当だ……あまりに酷い扱いを受け続けていたので、会社を辞めたんだ」

「そうですか……学生の俺には、再就職について力にはなれませんので申し訳ないです」
「いや、いいんだ……しばらく生活できる貯金はあるから、少しはもつ」
 悔しそうな表情をしている。きっと大変な目にあったのだろうと予想がついた。
 しかし、これはこれだ。

「少し安心しました。実は俺には変わった力があり、悪霊が視え、そして戦えます」
「!? なんだって?」

「俺は先ほど、博さんに憑りついていた悪霊……地獄霊と戦い、地獄に戻しました」
 (いぶか)し気な表情をしながらも、博さんは会話を続けてくれた。
「ちょっと信じられないが……ただ、急に……何故か自分を抑えることができるようになったから、そういうこと……なのかな」
 自分の実感が、俺のいうことの真実性を裏付けているようだ。

「そうです。これからが大切な話です。よく映画や漫画ですと撃退したら円満解決になりますが、そうはいきません」
「撃退しただけではダメなのかい?」

「はい。あの地獄霊は言っていました。博さんは心の中では暴力的で行動にでないだけだと。そして、お酒を吞むとブレーキが外れると」
『!!』
 博さんの身体が、ビクッとした。

「自分は誤魔化せません。心当たりがあるようですね」
「会社で酷い扱いを受け、殴り倒してやろうかと毎日思っては我慢してきた。家に帰ると嫌なことを忘れたくてお酒でストレス発散していたのは事実だ」

「お酒を呑むと、物や奥さんに当たるって訳ですね」
「…………自分が抑えられなくなるんだ。ときには意識がなくなる……気が付いたら、沙友里に青(あざ)が出来ていたり、部屋の壁が……あぁ……」
 そういって博さんは部屋の凹んだ場所を見る。

 そこに、沙友里さんが割って入ってきた。
「でもね。普段と正気に戻ったときの博さんは、とっても優しいの! 泣きながら謝ってくれるのよ」

「でも、それを繰り返しているんですよね? 特にこの三日間は連続で」
『!!』
「でも、それは仕方がないじゃない? 生活のために必死に耐え、頑張ってくれたのよ。少しくらい私が我慢してあげないと、この人が可哀そう」
『奥さん、優しい人なんだな。こんな怖い目にあっても旦那さんを(かば)うんだ』
 俺は、正直関心した。
 だが、心を鬼にしなくてはならない。

「それは分かりますよ。沙友里さん、お優しいですね。でも敢えていいますが、何の解決にもなりません」
「どうしろと……いうのかい?」
 博さんも沙友里さんも同じ表情をしている。
 椿さんは、必死に冷静を保とうとしているのが分かる。

「まず、今後は一切のお酒を断ってください」
「え? 一切? 量は減らすから、ビール一缶くらいなら良いだろ?」

「ダメです! 博さん、理性を失い、悪霊に突き動かされる引き金はお酒なんですよ」
「でも、君が退治してくれたのだろ?」

「撃退はしました。しましたが、一時的に博さんから離れただけなんです」
「よく話が分からないんだが?」

「つまり、博さんと悪霊の考え方が同じなんです。博さんのお酒好きで暴力的な心が地獄に蜘蛛の糸を垂れ下げているんです」
「蜘蛛の糸?」

「はい。地獄は苦しいのです。だから逃れようとします。そんなときに同じ考え方の地上の人からの蜘蛛の糸を見つけると、辿ってきて憑りつくのです」
「俺は一応、心霊だとか多少信じてはいるが、本当に悪霊はいるのかい?」

「ご自身で体験されているでしょう? 理性が効かなくなるときに、助長されているような気がしませんか?」
『!!』
「た……確かに我を忘れるとは、ああいうことか……とは思う」

「そうです。だから博さんが、心の在り方を変えないと、また奴は博さんに憑りつきます」
「なんだって!?」

「博さん。自分をコントロールしたいですよね? 沙友里さんを殴りたくないですよね? 迷惑かけたくないですよね?」
「そりゃ、勿論! 当たり前じゃないか」

「ならば今日から、心を静め、自分の内を見つめ直し、振り返って、今までの自分の考え、行動の誤りを反省してください」
「反省?」

「そうです。本当に心の底から反省できると涙が出てきます。悪霊に再び憑りつかれなくする手段は、この一つしかありません。そして、自分自身の反省は誰にも助けてもらえません。自分自身との戦いです」
「……何となく言わんとすることは分かった。やってみるよ」
 決断したというより仕方なくという感じの返事だった。

「はい。真剣に取り組んでください。冷静になって第三者の視点になって振り返ってみてください」
 あまり強要できないため、この一言で終えることにした。



「それでは大変失礼ですが、家にあるお酒をすべて没収しますので出してください」
「え? 少量ならいいんじゃないか? 本当に少しにするから」

「ダメです! 博さん! 今からそんな考えでは解決しませんよ。沙友里さんのためにも我慢してください」
「……わかった。全部出すから持っていってくれ」

 博さんと沙友里さんが家の中にあるすべてのお酒を出し、袋にいれた。
「これで全部です」
 沙友里さんが答える。

 すると伊勢さんが、
「調理酒も出してください。あれには塩が入っていますので、お酒欲しさに呑んでしまうと身体、腎臓に悪いです」

「え? そこまで必要なの? お魚料理のときに臭みをとったりと料理には必要なのよ?」
「旦那様が、心を入れ替えるまで我慢してください。調理酒は、通常のお酒より身体に危険です!!」
 伊勢さんが、強い調子で沙友里さんに伝える。

「わ、わかったわ」
 沙友里さんは、やっと納得して調理酒も袋に入れてくれた。

「それでは夜も遅いですので、これで失礼します。博さん、自分自身との戦いです。頑張ってください」
「頑張ってやってみるよ」
 名残惜しそうに、玄関から見送ってくれた。
 202号室の扉が閉まる。



 一旦、椿さんの自宅に三人とも戻った。
 椿さんのご両親と中二の弟さんもリビングに集まる。

 最初、俺が訪ねてきたときのおじさんのビックリしたこと!
『色々、しつこく聞かれたな……そりゃ、そうだよな』
 今は、娘の彼氏でないと分かり安心してはいるが……

「大変申し訳ないですが、このお酒の処分をお願いできますか?」
 俺は、ご両親にお願いした。

「それは構わないが、本当に捨ててしまっていいのかい?」
「はい。捨ててください」
 とだけ答えた。

「伊勢さん」
「はい」

「悪いけど、後の説明は任せていいかな?」
「はい、勿論です。お疲れ様でした」
「ありがとう」

 椿家の皆さんに向かって告げる。
「それでは夜も遅いですので、俺はこれで失礼します。色々、お聞きしたいことはあると思いますが、伊勢さんが引き受けてくれたので任せます」

 玄関を出ると、伊勢さんと椿さんも出てきた。
 椿さんが、
「お疲れ様。私、まだ全然分かってないけど助けてもらったとは理解してる。ありがとう」
 そう言ってくれた。

「うん、椿さんもね。ビックリしたでしょ」
「正直ね……でも、全部、熱田くんがしたのに伊勢さんが説明できるの?」

「大丈夫。伊勢さんは全部知ってるから」
「へ……へぇー、そうなんだ。そういえばテスト明けのお出掛け、伊勢さんから聞いたけど、二人はいつの間に仲良くなったの?」
 いきなり切り込んできた……

「それは、また後日話すよ」
 そう返事すると伊勢さんが言ってくれた。
「私から話しておきますので、いいですよ」
「伊勢さん、ありがと。じゃ甘えるよ。よろしく」
「はい」
 伊勢さんと少し見つめ合った。

「でも、正直さ。博さん、ダメそうだね……話していても言葉が博さんに染みていない気がした。スカっと空振りしているような感覚だった」
「私も、そう感じました」
 伊勢さんも同じ感想だったようだ。

「また、来ることになりそうだね」
「え?」
 驚く椿さん。

「今日のところは、どうしようもない。願わくば俺の感覚が違っているといいな。じゃ、帰るね。おやすみ。見送りはいいから、家に入ってね」
 俺は歩きだし、手でバイバイをした。
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