腹が膨らまねばうつつとて夢と同等である・一

文字数 2,563文字

「おはようらいあなんでるん。うしおが夢に出てきたるん。なんでるん」

 朝、眉間に皺を寄せ不機嫌そのものの顔で私の寝室にやって来たるる。音を立てぬように襖を開き、私が目覚めているのを確認した直後の開口一番がそれである。

 内容がなんであろうともなんと愛らしい声であろうか。あちらこちらに丸まり跳ねた髪や片側だけ捲られた袖は勿論、何よりもその存在が愛らしい。

「おはよう、るる。おいで」

「るぅん」

 手招けば襖をピタリと閉め、小走りで私の枕元の横に移動したるる。布団を捲ろうとしたが、やんわりと手で押さえられてしまった。

「るるる。るるはここでいいるん。二度寝するんにもお腹減るん。朝御飯作りに行くん」

 朝御飯足すうしおの夢を見ないように、だろうな。

「寝ずともよいからそれまで温まっておいで」

「らいあが冷えるん」

「私は温かいから問題ない。この子がおるからな」

 そう、るるの座った側でない方の私の真横に、てんが眠っているのだ。軽く握った両手を顔の両脇に挙げ、ぶるぅひょぉー、と鼻を鳴らしている。なんともかわいらしい。そしてかなり温かい。

 昨夜、うしおと学塔街楽子当主が消えた後。「おじいさまがなんてことを。誠に、誠に申し訳ありません」とてんは声を震わせてこう言った。

「我が弱き身ではおじいさまの、いえ、彼の者の後は追えません。ですが、うしお様の御身、必ずや学塔街楽子一同が見付け出し無事御帰宅願えるように尽力致します。それまで、てんの身を保証の為の人質として差し出します故」

 私はひどく驚いた。齢十程の子が自らを差し出した事、その思考の速さにも。

 実は、私はうしおの身をあまり案じていなかった。明らかに学塔街楽子当主の気に入りに入っていた事と、うしお自身の力とうしおの性分とを掛けた故の結論からである。るる、せい以外の皆も同意見であった。
それに加え、学塔街楽子当主の所業を孫のてんと絡める事もしていない。時代故かは分からぬが、個々人の物事はあくまで個々人の物事であると考える者が多く、私もその一人である。顔を見るからに、るるとせいを含む皆も等しくそうであるようだった。
 その事からてんに帰宅を促したが、てんは頑として為らぬと言い張った。私はてんの意を受け入れたが、てんを人質とする事は断った。その後、てんの命めいで学塔街楽子当主の護衛達は学塔街へ伝令に発った。

 今ここに、学塔街から来た者はてん一人しかいない。

 うしおが去った後、るるとせいがかなり動揺していた。皆で宥めていると暫くして他の面々の落ち着きに混ざれたので、就寝する事となった。
 初め、てんは一人で休むとした。しかし、るるが「らいあに治療してほしいるん」と頼んだところ、てんは「ではいっしょにおねむしましょう」と言う。なんでも、「てんの髪に触れていてくだされ」だそうだ。
 ちくばとしゅゆは知らぬ者ゆえ否と言ったものの、「では、安心なされるように傷付けぬとの力封《りょくふう》血判書を書きます故」とてんが指先を噛み切ろうとした。ちくばとしゅゆはそれを止め、替わりに私に幾重もの防護陣を張ることで諾とした。
 てんから悪意の気がまったくなく、私自身は「掛け布団を増やそうか」等と考えていたくらいであったのも、二人に伝わったのかもしれない。
るるはまさと、せいはしゅゆとたてこうと同室、きーとちくばも別々の部屋へ泊まっていった。
 しじょうだけは帰宅し、帰り道に各区長へ連絡を入れておくと言っていた。正直体力の限界だったので助かった。
 恐らく、今日は各区長達に説明をすることとなる。場合によっては苦戦を強いられるだろう。

 その前にるるの温もりに少しでも触れておきたかった。いろいろと足りない私に、数多の力を与えてくれる愛しい子に。

「子ぅは体温高い聞くん」

「そうだよ。お前もだ、るる。おいで。私を温めておくれ」

「るぅーん」

 るるがするりと私の腕に潜り込んで来た。掛けた布団を整えながらふわふわの髪を撫でる。昨夜、うしおが消えてから揺らいでいた瞳が気掛かりだったが、夢で不機嫌になれる程に回復してくれたようだ。

「らいあの隣に寝ればよかったるん。夢でるるは部屋に居たるんけどな、うしおがひょっこり来て『おれはだいじょーぶだぜー。なんか快適なとこにいるぅー。でもさー、食べもん無いのよー。持ってこれっか分かんないけど用意しといてほしいなー?おねがーい』なんて首傾げながら言ってたるん。ウィンクされたのは見なかったことにしておくるん」

「私の夢では私は森に居た。うしおが数歩離れた木立の間からひょっこり出て来て同じ事を言っていた」

「そっか、何処で寝ても同じだったるんね」

「そのようだな」

「るん。ならいいるん。昨日心配した自分を癒す事に専念するん。いろんなものやったらめったら作るん」

「お優しいことにてんの夢にもいらしてくださりまして。てんも何かお手伝いしとうございまする」

 おや、これはまたかわいらしい声が。

「てん、起きたか。おはよう」

「おはようるん、てん」

 鼻から先だけを布団から出し、てんが瞬きながら見守っていた。声を掛ける機会を窺っていたやもしれない。

「おはようござります。てんなのです。らいあさま、お加減如何でございましょう」

「よい。体が軽いのが分かる。……しまった。昨夜問うべきであった。君に負担は?」

 昨日の私を叱らねばならん。自身のみを優先し他の身を案ぜぬ等、もってのほかであるのに。

「のうごさいます。なんせ、髪の自浄作用を活かしただけですので」

「そうか。それの事も気になるが、今はそれよりも、てん。昨日会ったばかりの頃のように、話し方は気軽になさい。お前と仲良うしたい」

「てんもじゃー。あぱはー、あっぱらぱっぱー、てんもなのじゃー。よろしゅー、よろしゅーなのじゃー」

 拒まれるかと思いきや、あっさりとてんはあぱあぱはと笑った。……笑っているのだよな?昨夜も思ったが、初めて見聞きする笑い方だったので。てんの様子からして笑っていると察知した為、そう受け取っているのだが。

「宜しく」

「よっろしっくるーん。るーん、お腹減って来たるん」

「では、顔を洗いに行こうか」

「るーん」

「らいあちゃま」

 掛け布団を剥がし起き上がった私達。そこへてんの固い声。

「どうした」

「らいあちゃま、なんか庭におるのじゃ」
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