物を得るときは仕舞いまでを、箱に入る時には出る時の事まで考えよ・三

文字数 2,969文字

 『あれだな』

 『あれあれ。走ってて分かりにくかったけどちっせぇな。子ども用湯飲みか?』

 零輪地区の猫に囲また中央。ブルブル震えているのは、手足の生えた湯飲みだ。中身が入っていたら周囲はびしゃびしゃだろうな。

 『ん?ありゃ付喪神の始まりか?かしらの仲間じゃね?』

 うらきちがわたしの横に来た。お前砂まみれじゃないか。何処で寝転がって来たんだ。

 『ふん。わたしとは重ねた年月が違うわ。それに私は『物』から成った訳ではない』

 『肉体はかしらのが若いっしょ。死んじゃった子猫に入ったんでしょ?』

 『死んではおらん。死にかけておった。生きたいとしつこく申すから仕方なく入って肉体といのちを繋げてやった。いのちのほとんどがわたしだからな、言動や思考はわたしに任せておる。一番子猫が現れるのは味覚だな。あやつが食べたい物が今のわたしの好みだ』

 『へえー』

 『どうでもいいのに聞くな』

 『いや、なんかゴキゲンだなーと思って』

 『ああ、なにやらおもしろい人間が十八土炉に居ると聞いた。話しかけられたらしいな』

 『あー、あの細長いやつ?あいつなかなか筋良いな。俺がかしらの一番の部下だって真っ先に気付きやがった。話してる感じだと、あの人間もかしらと同じで見た目詐欺なんじゃねぇか?十八土炉猫からは好意的に見られてっぜ。さりげなく住みやすくなってんだと。まあ零輪のが俺は性に合うけど』

 見た目詐欺とはなんだ。元のわたしだって内外ともにぴちぴちだわ。

 『お前がわたしの一番の部下とは知らなんだ』

 『かしらってば照れちゃってぇー』『ほれ、行くぞ』

 『かしら照れてかわいいうおっ!?爪! 爪出てるって!』

 『意識してだ』

 『やだもぉー照れ屋さぁーん』

 『噛むぞ』

 わたしが進むにつれて猫達は道を開けてゆく。どいつもこいつも満足そうである。気晴らしになったのならそれもまたひとつの幸いか。

 『お前だな?我が家で好きにしおったのは。うしおを箱に閉じ込めてなんとするつもりだったのだ?』

 震えが大きくなっただけで無言。

 『おいテメエ! かしらが聞いてんのに何黙ってんだ!』

 うらきちが凄むも無言。
 猫達が威嚇し始めた。辺りに満ちるは高低入り交じる唸り声と殺気。

 『ああそうか、待て、お前達』

 一斉に止む威嚇。お前達、『えーなんで止めるのー?これからおもしろくなりそうなのにー』的な恨めしい目線は止めよ。うらきち、お前は顔面の砂だけでも落とせ。砂でくしゃみが出ているではないか。そして汁の飛び散るくしゃみから逃げる猫が続出しているではないか。わたしも逃げよう。……これ、追ってくるでない!

 『これは赤子だ。まだ話せないのだろう』

 うらきちの頭部に尻尾をゴンも落として伸のしながらわたしの解釈を伝える。『あーなるほどぉー』と頷く猫達の輪の中から毛のふわふわな猫が一匹、しゃなりと一歩踏み出した。

 『おかしら、赤子でしたらこのワタシ、ベビーシッターみりぃにお任せくださいな』

 『おお、みりぃか。お前には世話になったな』

 『覚えていてくださり光栄でございます』

 みりぃはわたしの肉体が幼い頃に世話になった。始めみりぃは気になっているが人間と共にいるので手を出す領分でないとしていたようで、気配は感じさせつつも踏み込んで来なかった。

 ある日、世話に慣れていないうしおが極度の疲労で寝込んだ。間の悪い事にきーもらいあもちくばも居なかった。るるが住んでいない頃の事だ。
 わたしは困った。わたしは良いがこの肉体が困っていた。
 何時もの時間にみりぃがやって来て部屋を覗いた。わたしと目が合った。わたしは『肉体を助けてくれんか』と頼んだ。
 みりぃは離れていった。『猫も人間もそんなものか』とわたしは起こしていた身を倒した。

 それからほんの僅かな時間の後、みりぃは猫を数十匹連れて飛び込んできた。増援を呼んでいたのだ。わたしの体を舐めるもの、乳をくれるもの、部屋を整えるもの、うしおに布団をかけるもの、人間にうしおの異変を報せに走るもの。部屋が猫で満ちた。
 いや、いくらなんでも多いだろう。何をしたら良いのか分からず部屋の角で固まってる猫が数多居るぞ。
 やって来た人間は猫の多さに驚いたのち、みりぃに向かって『そこの子猫は君たちに任せてよいのかな?』と尋ねた。みりぃは『任せて!』と答えた。

 それ以来、みりぃ達はわたしの乳母となった。この肉体と肉体の主のいのちとわたしのいのちとが安定するまで、みりぃ達の中から数匹が常にわたしの側にいた。わたしの大切な、有り難い存在達だ。

 『気負わず頼むぞ、みりぃ。他のものはみりぃを守れ』

 『はい、おかしら』『『『『『『はぁーい!』』』』』』

 みりぃはふわりしゃなりと湯飲みに近付いていった。あと二歩といったところでしっぽをゆらんふわんと揺蕩わせ、湯飲みの周りで弧を描いて優雅に歩く。

 湯飲みの震えが減って来た。

 みりぃのしっぽはふわんふわんと止まらない。湯飲みに触れるか?というところで戻ってしまう。

 湯飲みの震えが止まった。

 するとみりぃのしっぽの先が湯飲みに掠れた。湯飲みはゆらゆら揺れた。
 今度はしっぽの胴が湯飲みを撫でた。湯飲みはもっとゆらゆら揺れた。
 その後は早かった。みりぃがしっぽを湯飲みに絡ませては離しを数度すると、湯飲みは自分からみりぃの元へやって来た。今は地面に座ったみりぃに身を寄せている。

 『湯飲みちゃん、ワタシの言葉分かる?』

 ゆらゆら揺れる湯飲み。

 『答えてくれてありがとね。湯飲みちゃんはどうして走ってたの?走りたかったの?……怖かったの?』

 ゆらゆら。
 怖かったらしい。

 『今は大丈夫?』ゆらゆら。

 『もう走らない?』

 揺れない。
 走る目的があるらしい。

 『木箱に戻りたくないから?』

 ゆらゆら。

 『そうなのね。あのね、実はあなたの替わりに木箱に入ってしまった子が居るの』

 湯飲みがビクッ! と大きく跳ねた。

 『知らなかったの?』

 ゆらゆらゆらゆら。
 嘘の気配はない。意図してではなかったのか。

 『みりぃ、そやつに悪さをせんか聞いてくれ』

 『はい、おかしら。ねぇ、湯飲みちゃん、あなた、いたずらしたり嫌なことしたりしようとしてる?』

 ゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆら。
 激しく揺れた。みりぃのしっぽの支えがなければ倒れていたかもしれない。
 そしてやはり、嘘の気配はない。

 『ならよい。この村に今更増えても変わりはない。お前からは悪意は感じん。放置でよかろう』

「待って、ひめめ」

 慣れた声に振り返ると、らいあ、るる、しゅゆが車から降りるところだった。

 るる、お前が運転免許を得ている事は知っている。お前がらいあとその友人達の中で一番安全運転な事も。使う度に車貸し屋から車を借りている事も知っているのだぞ。しかし今日の訳は知らないのだ。何故その車種を選んだ?『なんだありゃ?あいつら仕事始めたのか?』

 うらきちが首を傾げるのも無理はない。
 るる達が乗っていた車は。

「牽引自動車しか借りれなかったるん。車体が大きくて道幅に困ったから高空《こうくう》道路ひさびさに使ったるん。なかなか楽しかったるん」

 それは何よりだ。るるよ。その車貸し屋に普通車を増やすよう進言してあげよ。あるいはそういう時はだな、別の車貸し屋にするのも手だぞ?
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