01:入部

文字数 4,709文字

 ぶかぶかの制服を身にまとった舞莉は、入学式を終えて教室にいた。制服の袖のボタンと机がこすれて、カチャカチャと鳴るのがまだ慣れない。隣の人は外国人、いえ、苗字は漢字なのでハーフの女の子。
 すると、さっき紹介された担任が入ってきた。新採用の先生である。
「あまり時間がないのですが、軽く自己紹介します。名前は田辺(たなべ)淳史(あつし)と言います。今年から先生になったばかりで慣れない面もあると思います。ですが、お互い『一年生』です。助け合いながら中学校生活を送りましょう。よろしくお願いします。」
 小学校の時は、一度も新採用の先生が担任にはなっていなかったので、不安もあるが、先生としてどのようになっていくかと思っていた。
 ……完全に上から目線である。

 今までのことで気づいたかもしれないが、舞莉の思考は、同級生より大概年上な発想をする。良く言えば大人な発想ができるといえるが、悪く言えば ばば臭いといえるだろう。同級生には「よく分からない人」や「不思議ちゃん」とも思われているらしい。
 まず舞莉にはほとんどの人が寄らなく、流行りに鈍感な舞莉はすぐに話題からついていけなくなる。そんなこんなで友だちがいないのだ。

 当の本人は、どうすれば寄ってきてくれるのか、未だに見いだせずにいる。

 
 今日から舞莉が待ち望んでいた、仮入部が始まる。廊下に掲示してある仮入部勧誘のポスターに、初日はミニコンサートと書いてあった。
 またこの間の演奏が聴ける!
 周りがどの部を見学しようか迷っている中、舞莉は真っ先にB校舎四階の音楽室に向かった。
「ここが……音楽室。」
 音楽の授業がまだ始まっていない上、学校探検の時には時間がなくて中まで見られなかったので、こんなに中をじっくり見たのは初めてだ。
 中に入ったのはいいものの、この後どうすればいいのか分からない。
「一年だよね。じゃああっちの椅子に奥から詰めて座って。」
 大きな楽器を抱えた先輩が向こうを指さした。あの楽器は確かチューバだったような。
 会釈をして舞莉がそっちに目をやると、箱椅子がずらりとならんでいる。既に二人が座っていた。舞莉が座った席は運よくクラリネットパートのそばになった。
 五分も経たないうちに満席となり、立ち見をする人も出てきた。
「それでは、ミニコンサートを始めます。リクエスト演奏なので、その紙の中から吹いてほしい曲を言ってください。」
 手元の紙には、手書きで曲名が二十曲ほど書いてある。舞莉が知らない曲の方が多い印象だ。
「『R.Y.U.S.E.I.』やってください。」
 どこからか声が飛んできた。
 この曲は知っている、私でも。例のダンスが流行った曲だ。
「『R.Y.U.S.E.I.』やります。」
 トロンボーンパート辺りから指示が聞こえ、先輩全員は「はいっ」とキレのある返事を返す。
 譜面台の上にあるファイルのページを先輩たちがめくる。男の先輩が三人、隣の準備室へと消えた。
 舞莉はそれよりも、トランペットやトロンボーンの後ろにいる、キーボードに手を置いている人の方が気になった。
 ドラムの人がバチを叩く。先輩は楽器を構える。もう三回叩くと(この曲はアウフタクトから始まるので)演奏が始まった。
 最初の効果音。あのキーボードの音だ。しかし、他の楽器が入ってくると聞こえなくなってしまった。その後は気になっているクラリネットの音を聞いていた。
 サビの手前で、準備室から男の先輩たちが出てきて踊り始めた。ああ、やっぱり。
 その後、四曲演奏すると、『ユーロビート・ディズニー・メドレー』を吹いてくれた。久しぶりに聞いたせいか、または目の前で見ているせいかもしれないが、迫力にまたも驚いてしまった。
 私もこんな風になりたい。

 
 仮入部二日目。ポスターによると、今日から仮入部が終わるまで楽器体験ができるらしい。
 舞莉はもはや当たり前のように音楽室にいた。
「何の楽器吹けるのかな。クラリネット吹いてみたい。」[289871119/1587731260.jpg]
 机の上の四本のクラリネット。舞莉には、それらしか見えていない。
 舞莉の見えていない領域には、ドアから見て 前の方に木管楽器、中央にホルン、後ろの方にトランペットとトロンボーン、右の方にユーフォニアムとチューバ、左の方にパーカッション、という具合で体験スペースが設けられている。
「そこの五人、フルートに行ってくれる?」
 舞莉の近くにいた人も含め、先輩に手招きされて連れていかれた。
 写真とか、遠目の実物なら見たことがあったけれど、近くで見るとこんなに細かいパーツがあるんだな、と舞莉は思った。
 まずは頭部管という、息を当てる部分だけで音を出す練習をした。先輩がお手本を見せ、舞莉たちはそれを真似する。
 音が出る構造としては、ペットボトルの口に息を吹きかけるとボォーっと音が鳴るのと同じ仕組みだ。
 頭部管で音が出せた舞莉は先輩に全てを組み立ててもらい、それを構える。ここで気づいた。
 ……指を押さえるところが指の数より明らかに多い。どこを押さえるんだ?
「ここと、そうそう、あー、こっちを押さえて。」
 先輩に指示されるがままに押さえて、これが「ド」の音らしい。
 しばらくして、トロンボーンの人が手を叩いた。
「回してください。」
 「ド」と「レ」の音を出しただけで、もう次の楽器のところに行かなければいけなくなった。
「ありがとうございました。」
 教えてくれた先輩に一応、お礼を言っておく。
「はいはーい、次は隣のクラのところね。」
 クラとはクラリネットの略称である……えっ、クラリネット!?
 ついにあの、クラリネットが吹けるんだ……!

 さっきのフルートパートは一人一人に先輩がついてくれていたが、クラリネットパートは先輩一人で教えるらしい。
「パートリーダーの山下(やました)真帆(まほ)です。」
 と言って、ジャージの名前の刺繍を指さした。
「じゃあ、この『マウスピース』、略して『マッピ』って言うんだけど、これで吹いてみようか。」[289871119/1587731242.jpg]
 フェイスタオルの上に五つころがっているのがマウスピースと言うらしい。
「これは『リード』と言って、マッピにつけて吹くと、これが振動して音が鳴るんだ。で、これを留めるのが『リガチャー』。」
 木の薄い板のようなリード[289871119/1587775797.jpg]、金色の輪っかにネジがついているリガチャー[289871119/1587731250.jpg]。フルートよりパーツが多そうだ。
「あっ、マッピにつける前にリード舐めてもらおうか。」
 な、舐める!?
 舞莉たちにリードが手渡される。山下先輩は自分のリードで手本を見せる。
「ほら、こんな感じで。」
 舞莉たちは目配せをして先輩の真似をする。もちろん味がする訳でもないが、これはどういう意味でするのだろう。
 三十秒ほど経って先輩が、「もういいよ。リード私にちょうだい。」と言ってきたので、端の人から順にリードを渡していった。先輩はそれをマッピにつけ、リガチャーを上から通してネジで固定する。
「よし、音出してみようか。こうやって下唇を巻いて、そのままマッピを咥えて。そしたら息を入れて。」
 ピーッ
 こんな音がするのか、意外と高い音。
「みんなもやってみようか!」
 先輩に促され、またも目配せをした。下唇を巻いて、咥えて、息を入れる。
 スゥー
 ……出ない。もう1回!
 スゥー
 あれ、ほんとに音出るのか、これ。
 他の人を見ても、みんな音が出ていない。舞莉と同じように息が漏れる音がするだけだ。
 どうしよう。これで音が出なければクラリネットは吹けない。私の憧れが……。
 こんな状態が五分くらい続く。舞莉は一回だけまぐれであの音が鳴りかけたが、それきりだ。
「真帆、一年どう? 音出せた?」
 準備室から三年生が出てきて、山下先輩に尋ねる。
「それが……、一回前の一年も、この子たちもできなくて。どうしたらいい?」
 山下先輩は目を伏せる。
「うーん……。一回みんなやってみて。」
 マッピを咥えて息を入れても、やはりあの音は鳴らない。その先輩は何か閃いたようだった。
「みんな息の量が足りないよ、真帆。これじゃあ弱すぎる。」
 その先輩は舞莉たちに向き直って言った。
「みんな、もっと息を入れて! リコーダーと違って、たくさん息を入れないと鳴らないんだよ。」
 もっと必要なのか……。それなら。
 スゥー、ピィッ
「あっ、もう一回もう一回!」
 山下先輩が私を見て小さく拍手をする。
 ス、ピーッ、ピーッ
「出た出た! よかったぁ。」
 山下先輩は胸を撫で下ろす。
「ジャスミン、ありがとう! 助かった……。」
「どういたしまして。じゃあね、真帆。頑張ってねー!」
 そう言って、また準備室へと消えていった。
「次はバレルつけて吹いて……」
「回してください。」
 山下先輩の言葉に食い込むように、トロンボーンの先輩の声が響いた。
 えっ、もう終わり? もう十五分経っちゃった?
「あー、終わっちゃったか。」
 山下先輩は音楽室の後ろの壁にある時計を見て、ため息混じりに呟く。リガチャーのネジを緩めてリードを外すと、マッピとともに舞莉に渡した。
「これ、向こうの水道で洗ってきて。リードの薄いところは触らないでね。」
 先輩の目の先には入口近くにある2つの洗面台がある。既に誰かが何かを洗っている。
「あっ、はい。」
 舞莉は、洗い終わって先輩のところへ戻ると、リードとマッピを返した。
「ありがとね。またよかったら仮入部来てね。」
「はい、教えてくれてありがとうございました。」
 舞莉が軽くお辞儀をすると、先輩はリードを拭いていた手を止めた。少し間が空いてから、
「じゃあね、次はそこのホルンに行ってね。あのカタツムリみたいなやつ。」
 と指をさす。
 舞莉は返事をし、口を真一文字に結んだ。

 結局、舞莉は五日間の仮入部を音楽室で過ごした。体験できる全ての楽器を回り、フルートとクラリネットは二回目も体験できた。
 二回目のクラリネット体験ではすぐにマッピから音が出て、それからは、ド、レ、ミの音が出せるようになった。


 仮入部最終日の終了後、校内放送で「仮入部が終了しました。一年生は速やかに下校しましょう。」と流れた直後のことだった。
「あれ、仮入部、毎日吹部に来てるよね?」
 廊下の端に並べてあったリュックサックを背負っていると、二年生の先輩が舞莉に話しかけた。その先輩は近所に住む、明石(あかし)(たえ)先輩だ。小さい頃から一緒に遊んでいたせいか『先輩』と呼ぶのに抵抗がある。敬語で話すのも。
 帰る気マンマンですっかりオフモードだった舞莉に不意打ちが来た。
「はい、吹奏楽部にしか目がないので。」
「ていうことは、舞ちゃん、吹部に入るの?」
「そうですね、入部届はもう書いたのであとは提出するだけです。」
「もう入部届書いたの?嬉しいなぁ!何の楽器やりたいの?」
「クラリネットです。」
「えっ、ほんとに!?
 この反応で言うまでもなく、明石先輩はクラリネットパートなのだ。
「来週の本入部、楽しみにしてるね!」
「はい! では、さようなら。」
 先輩に手を振られ会釈すると、階段を降りていった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介


○羽後 舞莉(ひばる まいり)

主人公。1年生。クラリネットを吹きたくて吹奏楽部に入ったが、パーカッションパートになる。

先輩からいじめられ、サックスパート(バリトンサックス)に移動した。


○カッション

舞莉に音楽の楽しさを知ってもらうため、パートナーになった。舞莉のスティックに宿る音楽の精霊。

○バリトン(第二楽章〜)

カッションに頼まれ、舞莉にバリトンサックスを教えることになった。

舞莉のストラップに宿る音楽の精霊。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み