07:初舞台

文字数 8,543文字

「なぁ、羽後、羽後ってピアノ弾けるか?」
 休みボケで危うく寝坊しかけた舞莉は、息が上がったまま司の質問を受けていた。前髪が汗で貼りついている。
「えっ、ピアノ!?
「これさ、パーカスの中で弾ける人いないかって、もりもってぃーから聞かれたんだけど。」
 司が持っていたのは、ブラスシンフォニーコンクールの課題曲、『ムーンライト・セレナーデ』のピアノの楽譜だった。
「ちょっとだけね。趣味程度なら。」
「お、マジか! 先輩も竹下も俺も弾けないから助かった!」
 舞莉は楽譜を受け取る。
「最初はいけそうだけど、えっ、途中から難しそう。」
 楽譜を凝視しながら、定位置にスクールバッグを置いた。
「最初の和音、右手が低いシから高いド!」
 一分前の返答を悔やむ舞莉。
 そう、舞莉は致命的な小指の短さで、ピアノのオクターブが届かないのである。いや、全体的に指が短い。
「終わった……。」
 舞莉は、引き受けたものは断れないものだと勘づき、肩にLLサイズのティンパニ (四十キロ超)を乗せられたように感じた。

「そっか。大山、いなくなったんだな。」
 お盆前は数日置きに来ていた大山だったが、どうやら退部届を出して辞めたらしい。
『先輩のメト事件から全然来てなかったもんね。他にもトラブル起こしてたみたいだし。』
 基礎打ちをしながらなので、カッションの声はスティックから聞こえてくる。ロングトーンの間、パーカッションパートはずっと基礎打ちをしているのだ。
「舞莉、これで相手は大島先輩だけになったな。」
『でも、大島先輩だって、西部支部でバスドラやってたからなぁ。』
 ロングトーンが終わるとすぐに、細川先輩が集会室の中に入ってきた。
「あの、沢池萃のバスドラなんだけど。」
 次の瞬間、細川先輩の口から出たのは……。
「はーくんが辞めちゃったから、和樹やって、ってたかぴー先輩が。」
 舞莉の鼓動が激しくなった。
「西部支部でもやったし、できるよね?」
「ま、まぁな。」
 大島先輩がうなずく。
「あ、あの、私は?」
 舞莉は細川先輩に尋ねるものの、細川先輩は「じゃあねー。」と言って踵を返した。
「舞莉、『高良先輩が』って言ってたよな。ちょっと、俺言ってくる!」
『待って!』
 宿り主のスティックから離れ、人間姿になったカッションに、舞莉は叫ぶ。
『この間の亜子に責められた時みたいに、脅すつもりでしょ。脅してまで私にバスドラを譲らせるなんて……。』
 舞莉はカッションに背を向け、スティックを握る。
「あんなに練習したのに、オーディションもしないで決めるなんて理不尽じゃねぇかよ!」
『分かってる。でも、私がバスドラになっても、大島先輩は何やるの?それは先輩としてやりにくいんじゃないの?』
「……。」
 基礎打ちのパテがある机に、舞莉は片手を置いた。
『私は先輩にやってもらいたい。先輩にとっては、やっと来た高良先輩がいないステージなんだよ。西部支部でやったバスドラだって、くわ先輩の補助的なものだったから。』
「……お人好しすぎるんだよ、お前は。」
 そう言って、カッションはスティックに宿り直した。
 
 一週間後、ムーンライト・セレナーデの初めての合奏をした。
 一週間でピアノを猛練習した舞莉は、素人ながら、八割は弾けるようになっていた。
 ……もちろん、セグレートにも行ったのだが。
 オクターブのところは左手で補った。楽譜通りの音の高さで弾いていれば、問題ないという。
 ムーンライト・セレナーデの合奏は好調に進んだが、沢地萃の合奏はのろいというような早さではない。
 半日かけても八小節ほどしか進まないのだ。一週間経ってもそんな調子で、あまり感情を表に出さない森本先生でさえ、イライラしているようだった。
 そんな中、舞莉たちパーカッションパートは暇でしかない。割とできているのだろう。注意されるのは管楽器の人たちだけである。
「つまんねえ。」
 カッションが窓の桟に座ってあくびをした。


 夏休みが終わる頃に、やっと舞莉の楽器担当が決まった。
 ムーンライト・セレナーデは、ピアノ。
 沢地萃は、ウィンドチャイムとトライアングルだけだ。
 舞莉は、バスドラムとヴィブラフォンが書いてある楽譜しかもっていない。それに加え、ウィンドチャイムとトライアングルは1stや3rdの楽譜に分担して書かれているため、その2つの楽器のために楽譜を刷り直すのも手間だった。
 よって舞莉は、桑原先輩に教わって、タイミングやリズムを暗記――すなわち暗譜をする羽目となった。

「せっかくパーカスのソリがある曲なのに、私だけおまけだよ。太鼓系やシンバル系は目立つのに。カッションを引き止めておいてなんだけど。」
 練習し直しになった舞莉は、セグレートで愚痴をこぼす。
「カットして七分半くらいの中で、舞莉の出番は二分もないなんてな……。盛り上がるところで、全然出番がないってのはないぜ……。」
 カッションは座りこんで頭を抱えた。
「音楽の精霊失格だ……。」
「そんなことないよ。」
 舞莉もカッションの隣に座る。
「私は沢地萃の演奏に加われるだけでいいよ。それだけでも楽しいし。」
 カッションは舞莉の言葉を否定するように首を振る。
「こんなんじゃダメなんだ。音楽の楽しさはこんなもんじゃない。」
 いつも明るいカッションが、ここまで落ちこむのは初めてである。
 自分のために悩んでくれるのは嬉しい舞莉だったが、カッションに頼ってばかりだったことを反省した。
「俺は、お前みたいな境遇の人間を助けるために来たんだ。俺が来ても何も変わりやしない。舞莉がつらい状況なのは変わってないんだ。」
「すぐに結果は出るはずないよ。相手が厄介すぎるもん。私自身も頑張るから。」
 舞莉はカッションの手を握り、カッションの目を見てそう告げた。

 九月十日、西関東大会の日がやってきた。
 会場は、山梨県のコラニー文化ホール(山梨県立県民文化ホール)なので、今回はさすがにバス移動である。
「そういえば私、山梨行ったことなかった。お隣なのに。」
 バスの中は耳を塞ぐほどうるさいので、舞莉がボソッと喋ってもバレない。
 Cメンは、昨日から泊まりである。演奏は午後だが、大事をとって泊まりにしたのであろう。高速道路が渋滞して、演奏に間に合わないなんてことは、あってはならない。
 到着すると、Cメンと合流した。
「ついに山梨まで来ちゃったよー!」
 高橋先輩が興奮気味である。
「よし、じゃあ他の学校のやつ聞きに行くか。」
 高良先輩の指示で、パーカッションパートは二階席の後ろの方に座った。ここは三階席がないらしい。
「これは……一階席の後ろの方がよかったか。」
「えっ、移動するの?」
「いいよ、しなくて。みんなを動かすのはめんどい。」
 高橋先輩は「あっそ。」と言って前を向いた。
「もしかしたら、今まで振り回されたことがあんのかもしれないな。」
 カッションがやり取りを見て、苦笑いをした。
『うん。私もそう思った。』
 隣に細川先輩がいるので顔には出せないが、舞莉も心の中で苦笑した。
 三校の演奏を聞いて、パーカッションパートは何故かホールを出た。
「あんまり他の学校のやつ聞きたくねぇ。」
「あー、分かる。上手い学校の演奏聞くと、ここに勝たなくちゃなって思うよね。」
「うん、プレッシャー感じる。」
 二階にあるソファーに座り、三年生が口々に言った。
「あっ、そうだ。これみんなに。」
 桑原先輩がスクールバッグの中から、いくつかの小さな封筒を取り出した。
「手紙書いてきたんだ。もしかしたら、って思って。演奏前だから言っちゃいけないけど。」
 舞莉は、猫のシールが貼ってある、ミント色の封筒を受け取った。
「先輩、読んでいいですか。」
 菜々美の質問に、桑原先輩はうなずいて了承した。
 舞莉もシールを剥がして封筒を開けた。

 しずかでいつも練習をまじめにやっている羽後ちゃんへ
 最初羽後ちゃんがパーカスにきてくれてくれたときに、しずかな子だなあって思ったよ。けっこうお上品だなあ〜って。ブラスシンフォニーもピアノがんばってね! 応えんしているよ。これからいろいろ大変なことがあるかもしれないけれど、それをパーカス全員でのりこえていくんだよ。がんばってね!
 くわより

 桑原先輩の、少し不器用な性格がこの文面にも現れている。
 ……言い回しがおかしなところは飲みこむとして。
 舞莉にとっては、上辺だけの文章でも嬉しいのである。
「ありがとう……ございます。」
 まさか手紙をくれるとは思っていなかった舞莉は、お礼の言葉が動揺してうまく言えなかった。
「大変なことか。これからもっと大変なことが起こらないといいけどな。」
 舞莉の膝に座る、三頭身のカッションがつぶやいた。

「二十三番、埼玉県代表、沢戸市立南中学校。天野正道 作曲『沢池萃』。指揮、荒城政男。」
 三十人のCメンが、こちらを向いてピシッと背筋を伸ばして座っている。
 アナウンスが終わり、荒城先生が礼をし、後ろを向く。

 演奏が終わり、いつものようにホールを出て、先輩たちを待っていた。
『そうだよね。先輩たちは埼玉の代表だもんね。吹奏楽王国の中から勝ち上がってきたんだよね。』
 学校名の前に『埼玉県代表』の言葉がついただけで、ここまで重みがあるのか、と思った舞莉。独り言のつもりで言ったのが、カッションに届いていたようだ。
「来年、また西関東(ここ)に来られるか分かんねぇし。来られたとしても、会場はここじゃないかもな。」
『じゃあ、ちゃんと見ておこう。』
 先輩たちが写真の背景としているところは一面ガラスで、木漏れ日が差しこんでいる。
 天井には大きなシャンデリア。その真下には銅像があり、それを囲むようにソファーが置いてある。
 十分目に焼きつけたところで、写真撮影が終わった。
「これから自由時間だって。閉会式前の休憩でみんなと集まるらしい。」
 高良先輩が森本先生からの伝言を、舞莉たちに伝える。
「高良、またさっきの場所で、演奏が終わるまで待つ?」
「そうだな。」

 ソファーに座っているだけで、特に会話はされなかった。いや、先輩たちはスピーカーから流れる、他校の演奏を聞いていたのだろう。
 すると、ある学校が沢池萃を演奏するアナウンスが聞こえた。
「えっ、沢池萃だって!」
「マジで?」
「うん、今言ってた。」
 眠気を覚ますような話である。地区大会で他校と曲が被ることはよくあるが、西関東大会で被るのは珍しい。
「よし、よく聞いてよー。」
 高橋先輩が立ち上がって、スピーカーの真下に移動した。舞莉も耳を傾けてみた。
 カットしているところが、先輩たちより少ない。先輩たちのカットされた『沢池萃』しか聞いてこなかったので、舞莉の知らないフレーズが聞こえてくる。
「……うちらの方が上手いよね。」
「確かに。」
「これ、演奏時間大丈夫か?」
 Bの部の演奏時間は八分以内で、それを一秒でも過ぎるとタイムオーバーで失格になってしまう。
「これは勝った。」
 高良先輩はドヤ顔をして、ソファーに座り直した。

 休憩に入り、南中は二階席の前の方に固まって座っている。
「ここまで来たなら、東日本行きたいよね!」
「それな! しかも、東日本行ったらシード権もらえるんでしょ?」
「来年、地区大 免除、だったよね。」
 カッションとしか話す相手がいない舞莉は、先輩同士の会話を盗み聞きしている。
 長年、舞莉はこの方法で情報収集をしてきた。
『そういう制度もあるんだね。なるほど。』
 一人でうなずいている舞莉だった。

「大変長らくお待たせいたしました。ただいまより、第二十二回西関東吹奏楽コンクール、中学校Bの部、閉会式を始めます。」
 開始予定時刻より十分過ぎて、ようやく閉会式が始まった。
 今日は西関東吹奏楽連盟の会長が話をした。
「それでは、審査結果及び表彰に移ります。」
 県大会と同じように、各学校の代表生徒がステージに出てきた。
 最初の学校から、何と金賞を受賞した。
「初っ端から金か!」
 高良先輩が小さく叫んだのが聞こえる。
 南中学校の前までに、金賞を取ったのは七校。
「ちょっと、多くない?」
 前にいる先輩が、金賞の学校を数えて困惑している。
 上野先輩が出てきた。
「沢戸市立南中学校。」
 舞莉も固唾を呑んだ。
「ゴールド金賞!」
 先輩たちの顔が一気に晴れる。
「「「きゃーっ!」」」
 これで、東日本大会への道が少し開けた。
 この後、南中学校も含めて四連続で金賞を取った。金賞の学校は三十校中十一校。これらの学校全てが、東日本大会に行ける訳ではない。
「次に、十月九日に行われます、第十六回東日本学校吹奏楽大会への推薦団体の発表です。」
 ここで、呼ばれなくてはならないのだ。今年は西関東から選ばれし六校が、東日本大会に出場できるらしい。
「金賞の中から、半分くらいしか選ばれないのか……。」
 流石のカッションにも、狭き門だと分かったのであろう。
 南中学校の前までに、四校の名前が呼ばれる。
 金賞の学校は残り四校。推薦枠は残り二つ。確率は二分の一だ。
「二十三番、沢戸市立南中学校。」
 呼ばれた。
 東日本大会への切符を掴んだ瞬間だった。

 学校に戻り、短めの反省会が始まった。
「みなさん。何と、西関東大会第一位でした。」
 森本先生の言葉に、部員一同凍りつく。
「えっ、一金!?
 アルトサックスのソロを吹いた先輩が声を上げる。
「おめでとうございます。」
 音楽室は拍手で包まれた。
「ですが、ここで気を緩めてはいけません。東日本はどんな結果であれ、最後の演奏です。悔いの残らない演奏にしましょう。」
「「「はいっ!」」」
 時刻は既に夜の九時をまわっている。
 疲れを感じさせない、はっきりとした返事が学校の外まで響いた。


 舞莉たちは、来月末にある校内の合唱コンクール、通称『水明祭』で演奏する曲の練習にも取りかかっていた。
 東日本大会が終わった後なので、三年生が引退している時期だ。よって、司会者も世代交代である。
 今のこの時期から、新体制で動いていく準備が着々と進んでいる。
 それに並行して、ブラスシンフォニーの二曲も練習しなければいけないので、FメンもCメンに引けを取らないほどの多忙さを極めていた。


「ムーンライト、Gの前まででよかった……。」
 ムーンライト・セレナーデだが、課題曲では珍しく、大幅なカットや他の楽器での代用が効く編曲なのだ。
 そこで南中学校は、最初から四分ほどまで演奏し、残りは丸ごとカットすることにした。
 舞莉が苦手なところは四分から後だったので、ホッとしているのである。
「午後から沢池萃の合奏だって。」
 次期部長候補に上がっている先輩が、集会室のドアから顔を出して言った。


 そして十月二日、一年生の初舞台である、ブラスシンフォニーコンクールの予選大会の日がやってきた。
 今日は舞莉も黒服に黒ズボン、黒の靴下に黒のローファーを履いている。スクールバッグには、コンクール用の楽譜を入れる黒いファイルと、出番がないはずのスティックも入っている。
 真夏や残暑には暑かったであろう黒服も、十月に入ってちょうどよくなっている。
 いつもは二つに縛っている髪が、今日は一つに結ばれている。まだ、ポニーテールにするには長さが足りない。
 会場である、東京の文京シビックホールに着くと、パーカッションパートだけ別行動を始めた。
「楽器の搬入行くよー!」
 舞莉にとって、学校の外で楽器を移動させるのは初めてだった。
 細川先輩についていくようにして、搬入口へと向かう。楽器を下ろすと、舞台裏にそれらをまとめて置き、そこで楽器やスタンドを組み立てた。
 司はティンパニ、菜々美はフォートム、大島先輩はバスドラムのチューニングを始める。トラックの運搬で、少なからずチューニングがズレてしまうのだ。
「ねぇ、菜々美ちゃん。もりもってぃーの話だと、演奏までここで待つってことでしょ?」
「そうですね。前の学校が演奏している時に、管の人たちが来るんですよね。」
「うんうん。ありがと。」
 細川先輩は何かと心配性なところがあるので、この会話がなされるのは二回目である。

 ブラスシンフォニーコンクールは、夏のコンクールでA部門に出ている学校もいるので、森本先生から「この学校は聞いておいた方がいい」と言われたところが二校あった。
「ああ、やっぱり上手いなぁ。」
 そういう細川先輩だが、吹奏楽一年目の舞莉にはさっぱりだ。舞台裏にいるので、客席で聞いている感覚とは違うのである。
 そこに、管楽器の人たちが二列に並んで来た。
「こんな学校の後に演奏するなんて、舞莉たちの下手具合が際立っちまうな。」
 スティックは楽器置き場のスクールバッグの中だが、舞台裏に来る前に、カッションは舞莉の肩の上に乗り移っている。
『演奏前からやめてよ。』
「緊張で指が動かなくなっても知らねぇぞ。」
 なんだ。そういうことだったのか。
 客席から拍手が聞こえ、舞莉はティンパニに手をかけた。

 舞莉が移動しやすいよう、ピアノはパーカッション側に置いてもらった。が、なぜかピアノの椅子は客席側に置いてあり、舞莉は聴衆者に背を向けてピアノを弾く配置になっている。
 椅子の位置を確認しながら、ピアノの中を覗いた。
『うわ……すごいきれい。』
 学校のホコリが被っている、全然手入れがされていないピアノとは、まるで違った。ホールのピアノを弾くことはもうないだろうと、舞莉は目に焼きつけておいた。
「次の演奏は、埼玉県沢戸市立南中学校のみなさんです。」
 管楽器の人たちが全員座ると、アナウンスが始まった。事前に頼まれて書いた、学校紹介の文が読み上げられる。
「私たちの学校は、合唱が盛んであいさつがよくできる学校です。南中学校吹奏楽部は、『心で奏でる』をモットーに掲げ、毎日楽しく活動しています。今回初めてブラスシンフォニーコンクールに参加することになりました。この大きなステージで演奏できることを楽しみに頑張って練習を重ねています。当日は、ステージでの演奏を思いっきり楽しもうと思います。」
 舞莉は、『毎日楽しく……って、笑うしかない。』と心の中で思っていた。
「自由曲は『沢池萃』です。指揮者は森本清朗。では、埼玉県沢戸市立南中学校による演奏です。お願いいたします。」
 舞台の下手側から森本先生が登場し、指揮台の横で、客席側に礼をした。
 最初から十二小節のソロを吹く、クラリネットの先輩が立ち上がる。
 森本先生の合図で一斉に楽器を構え、舞莉は鍵盤の上に手を置いた。
 舞莉は、ムーンライト・セレナーデをノーミスで弾ききった。しかし、最後の一音のトランペットが盛大に音を外してしまった。締まりがよくないまま、課題曲は終わってしまった。
 舞莉は、出番が終わった楽譜のファイルを小物台に置き、ウィンドチャイムのところに移動した。
 舞莉にとっては暇である、沢池萃が始まった。
 途中のユーフォニアムのソロは、コンクールと同じくトロンボーンのソロに、チューバのソロは一音吹いてカットした。
 『一音入魂』とばかりに、舞莉はウィンドチャイムの鳴らし方や、トライアングルの音色を研究していた。音楽室や集会室では響かないトライアングルも、ホールではよく響いてくれる。
 最後のウィンドチャイムを鳴らし、余韻を持たせてしっかり音を切った。
『私一人じゃ、カットの位置とかタイミングを把握するだけで精一杯だった。ありがとう、カッション。』

 全十一校の演奏が終わり、三十分の休憩を挟んで、審査発表の時間になった。この中から二校が、本選大会に進める。
「まずは、第二位からの発表です。」
 選ばれたのは、南中学校の前に演奏した学校。先月の西関東大会で、南中学校と同じく、東日本大会への出場が決まっている学校だ。
「それでは、第一位の発表です。」
 第一位は、南中学校の二つ前に演奏した学校だった。夏のコンクールではAの部に出ている上、全日本の常連校である。今年も全日本に出るらしい。
『やっぱり。もりもってぃーが言ってた通り、あの二校だったね。』
「別格だったな。多分、三年生も出てる。」
『えっ! コンクールあるのに?』
「強い学校は、年間で何十公演もしてるらしいぞ。南中(なんちゅう)みたいに、ずっとコンクール曲をやってる訳じゃない。」
『そうなんだ……恐ろしい。』
 カッションからの情報で、舞莉は納得した。
 そんなところに勝てる訳がない、と。

 東京地区からは、そんな強豪二校が本選に勝ち上がった。
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登場人物紹介


○羽後 舞莉(ひばる まいり)

主人公。1年生。クラリネットを吹きたくて吹奏楽部に入ったが、パーカッションパートになる。

先輩からいじめられ、サックスパート(バリトンサックス)に移動した。


○カッション

舞莉に音楽の楽しさを知ってもらうため、パートナーになった。舞莉のスティックに宿る音楽の精霊。

○バリトン(第二楽章〜)

カッションに頼まれ、舞莉にバリトンサックスを教えることになった。

舞莉のストラップに宿る音楽の精霊。

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