03:一ヶ月
文字数 9,391文字
舞莉は立ち上がって、他の三人を改めて見る。
全員同じ小学校出身の人。
そう、この南中学校は、舞莉たち南小学校出身の人と、お隣の桜小学校出身の人がいるのだ。
大山 隼人 、竹下 菜々美 、平田 亜子 。なるほど、この三人か。うわ。
「これからパート練にするので、一年生との自己紹介も兼ねてお願いします。」
森本先生の指示の直後に、他のパートの人たちが移動し始めた。
パーカッションパートは移動する必要がない。ここがパート練習の場所だからだ。
「みんな真ん中に集まって。」
そう言ってその先輩は教壇の上の椅子に座った。一人だけ上にいるので、恐らくリーダーなのであろう。
「じゃ、先輩から自己紹介。誰からやる?」
「高良からでいいでしょ。パーリーだし。」
三年生の女の先輩がその人を指さす。
「わかった。パートリーダーの高良 祐介 です。よろしく。」
やっぱりそうだった。この人がパートリーダーか。
「三年の高橋 亜香音 です。」
「同じく三年の桑原 清和 です。」
パーカッションパートの三年生は三人。腰パン気味のパートリーダーの高良先輩、ふくよかで優しそうな高橋先輩、小柄で黒いメガネをしている桑原先輩の三人だ。
「次は二年よろしく。」
高良先輩が促す。
「二年の細川 志代 です。よろしくお願いします。」
「二年の大島 和樹 です。」
二年生は二人。ハキハキ話す明るい人柄そうな細川先輩、ぽっちゃりで少し緊張してそうな大島先輩の二人だ。
一年生も自己紹介をし、全員の名前が分かったところで、高良先輩がパートのメンバーに尋ねる。
「自己紹介終わっちゃったけど、何やる? アップ教える?」
先輩たちはうなずくと、準備室に入っていった。
「一年生、自分の分の机運んでくれる?」
高橋先輩が手招きをしている。
先輩たちは机ではなく、別の物を持ってきた。
「いずれはみんな買うと思うんだけど。一人一台、基礎打ちの練習台ね。」
黒い円い木の板に、もう一回り小さな円いゴムのパッド。それがスタンドの上に付いていて、持ち運びできるようだ。
「あとはこのスティックも。一人一人自分に合うやつが違うから、なるべく早く買って合うやつで練習したいところだね。」
よく分からない単語が飛び交い、舞莉は困惑している。ただえさえ人や物の名前を覚えるのが苦手なのに。
まぁ、そのうち慣れるだろう。
舞莉たちは机を半円に並べ、先輩たちは一年生の間に入った。
「楽器体験の時みたいに、このパテを丸めて潰してくれる?」
桑原先輩から手の平サイズの黒いケースを受け取る。
蓋を取ると、中にはオレンジ色の粘土のようなものが入っていた。ただ、粘土と違って粘り気があり、独特の臭いがする。
軽く丸めて机に置き、上から潰す。このパテを使って基礎打ちの練習をするのだ。
スティックを渡されると、まずはスティックの持ち方から教わることになった。
「仮入部とか楽器体験でやったと思うけど、スティックの下の三分の一くらいを持って。」
高良先輩が自分のスティックでお手本を見せる。舞莉たちもスティックを見ながら真似をした。
端ではなく、少し真ん中よりの方を持つ。
「それで、親指と人差し指でつまむように持って、他の指は添えるだけ。」
そうそう、と高良先輩はうなずく。
「最初の方は小指が立ちやすいから、気をつけて。」
言われて、舞莉はサッと小指をしまう。小指立ってた……。
次は手首のほぐし方を教わる。これをしないと、上手く叩けなかったり手首を痛めてしまったりするらしい。
「スティックを二本、両手で下から掴んで、こうやってぐるっと回す。」
えっ、どういうこと?
他の一年生も混乱しているようだ。舞莉は左隣の桑原先輩に尋ね、ゆっくりお手本を見せてもらう。
なるほど、スティックの端っこを内側に倒して、ぐるっと。ああ、腕の筋肉が伸びて痛い。
舞莉は体が硬いので、途中までしか伸ばすことができなかった。
「どう、痛い?」
右隣の細川先輩が話しかけてきた。
「結構痛いです。」
「これ以上は?」
「……キツイです。」
「だんだん慣れると思うから大丈夫。」
細川先輩は微笑む。
「あとはスティックの真ん中を片手で掴んで、横にブンブン振ったり。風の音が出るくらい振っていいよ。」
そこで高橋先輩がつけ加える。
「これやる時は、周りに人とか楽器がないか確認してね。」
「何気にすごい重要なこと言うね。」
と、桑原先輩がツッコんだ。
確かに、あの勢いで振り回して人とか楽器にぶつけたら......。
「舞莉ちゃんもやってみて。」
「......はいっ!」
細川先輩から腕をつつかれて我に返る。
「羽後さん、もっとやっていいよ。ほら、音するでしょ。ブンブンって。」
高良先輩から指摘され、舞莉はなるほど、とうなずく。
「次は楽器体験の時もやった、基礎打ちのパターンをおさらいしようか。テンポ六十で。」
メトロノームが時計の秒針と同じ速さで動いた。
「先輩たちがお手本見せるから見ててね。」
右、右、右、右、右左、右左、右左、右左。
「始めの右四回は四分で、その後の右左は八分で。よし、みんなでやってみるか。」
舞莉は頭の中で、『右、右、右、右、右左、右左、右左、右左』と唱えながら叩く。
ふと、小指が立っていることに気づき、慌てて しまう。どうやらバレなかったようだ。
「今のを俺らは『一番』って言ってるんだけど、『一番』って言われたらこれをやってね。」
その次に、『一番』の逆パターンの『二番』を習った。
左、左、左、左、左右、左右、左右、左右とやるらしい。
舞莉も含めて飲み込みが良く、すぐにできるようになった。
「みんなできたから、一番と二番続けてやってみようか。」
うん、そんなに難しくないかも。
しかし、一番から二番に移るときに、左手がもつれてズレてしまった。一番の終わりと二番の始めが両方とも左なので、連続して叩かなければならないからだ。
「できてた人もいたけど、一番と二番の繋ぎがズレやすいから気をつけて。」
あと、と高良先輩は続ける。
「大島、二年のくせにズレてんじゃねぇぞ。」
パートが決まってから始めての部活が終わった。
「舞莉ちゃん!」
山下先輩に呼び止められる。
「舞莉ちゃん、クラじゃなくてパート全員びっくりしてるよ! 何になったんだっけ?」
「パーカッションです。」
「パーカスかー、舞莉ちゃん何でクラになれなかったんだろう。」
舞莉が首をひねると、「真帆ー!」と誰かが山下先輩を呼んでいた。
「呼ばれちゃったからじゃあね! 舞莉ちゃん、頑張ってね!」
早口でまくし立てられて行ってしまった。
「また黙って帰ってきて。それで、楽器決まった?」
家に帰ると、母は夕食の支度をしていた。
「……パーカッション。クラリネットじゃなかった。」
「パーカッション?」
母は中高運動部だったため、音楽の知識は義務教育レベルだ。
「打楽器だよ。太鼓とか木琴とか鉄琴。」
「なるほど。オーディションはどういう風にやったの?」
「それがさぁ。」
舞莉はオーディションの経緯を説明した。
「自分でやらないの? 舞莉、それが難しいって言ってたよね。」
「うん、例えばリコーダーも穴がちゃんと押さえられないと変な音鳴るでしょ? 小学生の始めたてはそれが難しかったし。」
「そうだよね。」
「それを先輩がやっちゃうんだよ。おかしくない?」
「うん、それができるかどうかも実力の内だもんね。」
母はタオルで手を拭くと茶碗を取った。
「まぁ、クラリネットには縁がなかったのよ。決まったものだし、もう割り切るしかないわね。」
「そうなんだけど……。」
「はい、手洗ってきてご飯よそって。ご飯できたから。」
舞莉は渋々キッチンを後にした。
今日のオーディションでおかしかったところは、クラリネットだけではなかった。もう一つはそもそもオーディションをする意義が問われるものだった。
それは、オーディションを受けていない人がクラリネットやサックスパートになっていることだった。サックスは一番人気、クラリネットもそれに引けを取らない程の人気だった。それにも関わらず、オーディションを欠席した人がそれらのパートになっているのだ。
舞莉は布団を頭まで被って考え込んでいた。
荒城先生の質問、あれは緊張している、で答えた方がよかったのかなぁ。純粋に今の気持ちを聞きたかったのかもしれない。緊張していないのにあの音じゃあダメだって思われたかも。
て言うか。
何でオーディションを受けた人が落とされて、受けてもいない奴が落とされないんだ……。
そのことについては全く答えが出ることはなく、迷宮入りしたのであった。
でも、なったからにはもう変えられない。どう足掻いても。頑張らないとな。
次の日のパート練習の時間。少し休憩をとると言って、舞莉たちは準備室にいた。
一年生同士で話していると、高良先輩が声をかけてきた。
「あっ、そうだ。みんなさ、パーカス第何希望だったの?」
すると、菜々美が「第一希望です。」と答えた。
大山も「俺も第一希望です。」と続ける。
「平田さんは?」
「私は第二希望です。」
えっ、みんな第一か第二希望……。
「羽後さんは?」
「……第四希望です。」
「あっ……そう。」
高良先輩の表情が一瞬変わったのを、舞莉は見逃さなかった。
正直に答えただけなんだけどなぁ。
場の空気が悪くなったのは誰でもわかった。しかし、高良先輩が一瞬見せたあの表情、蔑んでいるような顔は舞莉にしかわからなかった。
次の週からは、先輩たちはコンクール曲の練習で一年生とは別々に練習するようになった。
そこで新たな練習場所になったのが集会室だった。
元々は第二音楽室だったらしく、黒板に五線が書かれていたり、壁が防音仕様になっていたり、アップライトピアノがあったり、一段高い教壇があったりと、今でも名残を残している。
集会室の準備室にはバスドラムやドラムセットも置いてあるが、まだ使わせてはくれないようだ。一年生はしばらく基礎打ちの練習が続く。
「どうする? 一番からやる?」
基礎打ちやって、としか指示されていないので、何からすれば良いか迷っていた。
長机に四人が横に並ぶ。
「まず六十からやるか。」
「そうだね。」
舞莉は性格柄、リーダーのようなことはしないので、菜々美や大山に任せている。
「一、二、」
菜々美がメトロノームを見てカウントを出す。
このカウントの仕方は複数人が出だしのタイミングを合わせる時に使うものである。一・二は誰か先導する人が言って、三は心の中で数え、四でスティックを両方振り上げる。
実はこのテンポ六十、舞莉にとっては遅すぎて苦手としている。しかし、速くても遅くてもパーカッションは特にズレてはいけないので、練習しない訳にはいかないのだ。
何回か繰り返しているうちに段々とズレてきてしまった。
「羽後、ズレてる。」
大山に注意される。
「舞莉、ちゃんと合わせて。」
菜々美にも言われてしまった。
「うん。」
とりあえず返事はしておくが、そもそもこの二人も合っているかはわからないので、何だか腑に落ちない。
「高良先輩が言ってたけど、六十ができないとテンポ上げて練習しちゃいけないんだって。みんなが合うまではずっと六十だって。」
えっ、遠回しに私に圧かけてない?
焦れば焦るほど、舞莉のミスが目立つようになった。
この後もテンポ六十で練習は続いたが、さすがにみんな飽きてしまったようだ。
舞莉への注意も段々苛立ちを乗せるようになった。
「もう、羽後だけで六十やれよ。俺らは六十三でやるから。」
舞莉そっちのけで、メトロノームの重りを一目盛下げた。
ちょっと、と反論したかったが、そもそもできなくて迷惑をかけているのは自分である。言いかけた言葉を飲み込んだ。
仕方なく昨日届いたばかりの電子メトロノームを取り出して、練習を始めた。ここでも舞莉は『ぼっち』だった。
基礎打ちの練習も並行しつつ、ついにあの練習が始まった。『返事』の練習だ。
吹奏楽部ならどの学校でもする、返事の練習である。全パートの一年生が誰しも経験する。
はっきりとお腹を使って返事をすることで、楽器を吹く時にはっきりと音が出るようになるそうだ。
……パーカッションには関係ない気はしなくもない。
上野先輩と弓削先輩が教えてくれるようだ。
「みんな一つの円になって。」
既に椅子や楽器を出した後だったので、それらを避けながら何とか円を作る。
メトロノームは百二十に設定されている。
「メトに合わせて『はいっ! はいっ!』って返事をして。最初はみんなでやるよ。」
カチ、カチ、カチ……
「一、二」
上野先輩がカウントを出す。
「はいっ、はいっ、はいっ、はいっ……」
三十回くらい返事したところで、「やめ。」の合図が入った。一旦メトロノームを止める。
「もっとお腹使って。歯切れよく『はいっ!』って言ってください。」
と、弓削先輩。しかし、この後は何も言わない。
沈黙が続く。
待ちかねて先輩がボソッと言う。
「……返事。」
「はいっ!」
一年生は反射的に返事をした。
「~してくださいって言ったらすぐ返事してください。」
「はいっ!」
弓削先輩、怒らせると怖そう……。
「次は1人ずつ順番に返事をするよ。私、夢羅 ……って右回りで言ってってください。」
「はいっ!」
メトロノームを動かす。
「一、二」
再び上野先輩がカウントを出した。
「はいっ! はいっ! はいっ、はいっ!」
舞莉は返事する人を目で追い、タイミングを掴む。
舞莉の番が来た。
「はいっ!」
危うく声が裏返りそうになった。普段人と話さない舞莉が大声を出すことは、運動不足の人がいきなりマラソンをすることと同じようなものだ。
返事リレーが一周終わった。
「声が小さい人がいるのでもう一回やります。小さかった人はそこで止めて注意します。」
「はいっ!」
やばいって、それはやばい。
この後やり直しが十回も続いて、先輩たちがため息をついたのは言わんでもなかった。
「一週間経ったから、みんながどれくらいできるようになってるかテストするよ。」
まず六十から、と高良先輩。
舞莉には四文字の言葉が浮かぶ。『公開処刑』。六十もできないなんて、と思われたら……。
「一番から四番まで通します。」
「はい!」
舞莉の不安など容赦なしにメトロノームを動かす。
「一、二」
何としてでも合わせないと……。
緊迫した空気には、スティックで叩く音しか聞こえない。
あっ……。
スティックを振り下ろすタイミングがズレてしまった。
音でバレる。
四番まで通した後、高良先輩から講評が入る。
「大山くんと菜々美ちゃんはだいたいできてたね。亜子ちゃんはちょっとズレちゃってたかな?」
そして、舞莉を見た。
「羽後さん、もっと合わせて。」
舞莉だけ、声色が違う。低くて、ぶっきらぼうな言い方。
「はい。」
「大島!」
いきなり高良先輩が怒鳴り声を上げる。
大島先輩は身を震わせる。
「二年にもなってまだ合わせられないなんて、恥ずかしくないの?」
「......恥ずかしいです。」
「一年が入ってきたから、少しは恥ずかしくないようにすると思ったのに、ちっとも変わってねぇじゃん。これから改善がないと思ったら、一年の前でも怒るからな!」
下を向いて、高良先輩と目を合わせないようにしている大島先輩。
「おい、返事も出来ねぇのか?」
「......はい、すみません。」
か細い声で返事をした。
練習が終わり、片づけの時間になった。この後の反省会までには片づけ終わっていないといけない。だいたい五分しかない。
でも、何をどこに片づければ……。
キョロキョロしていると、
「棒立ちしてないでちゃんとやって!」
シンバルを持った細川先輩が舞莉に怒鳴る。
「えっ、でも……。」
細川先輩の背中に虚しく問いかける。
片づけの仕方教えてもらってないのに、どうしたら……。
とりあえず、タンバリンと学校用のスティックを手に取って、準備室に入った。棚に置いてある、ピンクのカゴに入れる。
確かここだったよな……。
「邪魔、どいて。」
高良先輩がスネアドラムをスタンドごと運んできた。
「は、はい!」
スネアってそこにしまうんだ。
棚の下の空間にパズルのごとくしまい込む。
「そこに突っ立って何やってんの?」
横目で睨むと、音楽室に入ってしまった。
何をすればいいのか分からないのに。
歯を食いしばり、肩を震わせる。痛めた左手首のサポーターを撫でた。
「舞ちゃん……?」
明石先輩がクラリネットをしまいながらつぶやいた。
そんな調子が続き、パート決めから一ヶ月経つ頃にはパーカッションパートでハブられる存在になっていた。自分のスティックを買ったのが一番遅く、やる気がないと思われたのかもしれない。
パート練習の時は必ず大島先輩と一緒に注意される。楽器を使わせてくれるようにはなったが、許可を取らないと使わせてくれない。許可を取ろうにも、いつも先輩が陣取っているので声をかけづらい。
仕方なく、基礎打ちの練習をするしかなかった。
その頃、亜子とトロンボーンの高橋 司 がパートを入れ替わった。亜子がトロンボーン、司がパーカッションとなった。
舞莉としては、苦手な人が一人いなくなってくれて嬉しかったのだった。大山と司の男子同士で仲良くしてくれるはずだから、少しは大山からの視線も減るだろうと思った。
始めこそ司は遅れを取ったものの、あっという間に舞莉に追いつかれてしまった。先輩に取り入るのも上手く、楽器も存分に使っているので、実質抜かれているのかもしれない。
司が入って少し馴染んだある日のこと。例の片づけの時間である。
先輩たちはコンクール曲の練習をしているので、舞莉たち一年生はそれが終わるまで、準備室から音楽室に入るドア付近に待機している。最近はそういう日が多い。
「「「ありがとうございました!」」」
ドアの向こうから先輩たちの挨拶が聞こえた。
「よし、入るぞ。」
大山がドアノブをひねる。地獄の時間の始まりでもある。
明日の朝練で使わない楽器や道具をしまうので、教えてもらわなくても少し把握できていた。しかし、曖昧なものは聞かなければならない。
もはや「棒立ちするな」と細川先輩に言われることもなくなった。完全無視だ。
今日は4Toms (大きさや音の高さが違う太鼓が二つずつ連結している楽器)を片づけている人がいないので、舞莉はそれに近寄る。
一瞬早く、高良先輩がそれに手をかけた。また片づけるものがなくなってしまった。
「えっと、高良先輩、何を片づければいいですか?」
周りを見ても、片づけるものは先輩たちか同級生の3人の手にある。舞莉では片づけるべきものが見つからない。
「そんなの自分で分かるでしょ? 自分で考えれば。」
「分からないので聞いたんですけど……。」
高良先輩の背中に虚しく問いかける。
またダメだった。他の同級生は指示をもらっているのに、私だけ、ない。昨日ドラムをちょっとぶつけただけで、ドラム使用禁止になったし、触ることさえ許してもらえなくなったし……。
顧問の森本先生に相談しても、返ってきた答えは「もっと積極的に質問して指示を出してもらう」だった。質問したら門前払いなのに。
パート練習があれば、舞莉と大島先輩だけ怒鳴られて二人でやり直しさせられる。
集会室練習なら、他の一年生に楽器を占領され、譲ってほしいと頼めば「先輩に許可取った?」と言われてしまう。許可を取ろうにも先輩が無視するので、結局できない。一年生の冷ややかな目も耐え難いものだった。
片づけの時は、毎日の練習で使う楽器が固定化したためか、片づける人も固定化して舞莉がする余地はない。かと言ってぼうっとしているわけにもいかない。
バスドラムなどの一人では片づけられない楽器は、舞莉も何とか片づけに入らせてもらえた。しかし、それを準備室に運んでいる時、入口にぶつけてしまった。
運悪く、高良先輩も細川先輩も見てしまっていた。
「ぶつけといて何にもないの?楽器に謝って。」
と、細川先輩。
「……ご、ごめんなさい。」
「あーあ、チューニング変わっちゃってる。もう楽器触らないでほしいんだけど。」
ビーター(バスドラムを叩く道具)で高良先輩は音を確かめている。
「何回ぶつけてんの?反省とかはないの?」
そう聞いておきながら、高良先輩は舞莉に答える隙も与えなかった。
「使えないなら、明日から部活来ないで。上達しないし、楽器はぶつけまくるし落とすし、反省しないでまたやるし。」
細川先輩も高良先輩に続けて言った。
「そう。パーカスにいらないから。」
視界が霞む。歯を食いしばり、顔を見られまいと下を向く。
確かに、他の人より楽器をぶつけたり落としたりしたのは多いかもしれない。自分でも細心の注意を払っている。楽器の扱いに慣れていないせいでもあるのに……。
「そこ棒立ちしないで」
「使えないな」
「遅い! 早く動いて」
「邪魔」
「そんなの自分で分かるでしょ」
「使えないなら明日から部活来ないで」
「パーカスにいらないから」
二人から言われたことが頭から離れない。
パーカスに入ってから一ヶ月と少し。毎日のように言われ続け、いや、暴言を浴び続けた。寝不足が慢性化し、朝食は食パン一枚を吐きそうになりながら口にねじ込み、朝練に遅刻しないよう、走って学校に行く。常に胃痛がして、一日一回は顔をしかめる程の痛みに襲われる。
部活から帰ってきても、寝ても取れない疲れが蓄積しているので、夕食で座ってしまうともう立てない。
舞莉はベッドに腰掛けていた。月明かりは入ってこない。立ち上がって窓に手を添えた。
昨日は夕立があったが、今日は満天の星空。月は見えないが、その代わり星がいつもより綺麗に見えた。目の悪い舞莉でも分かるくらいに。
「えっ……涙……?」
いつの間にか流れた涙を拭う。キリキリとみぞおちの辺りが痛む。
「そっか。これが欲しかったんだ、私。」
拭ったはずなのに、涙が滴り落ちる。
「ココロが、泣いてる。」
後ろから聞きなれない、男らしき声がした。
全員同じ小学校出身の人。
そう、この南中学校は、舞莉たち南小学校出身の人と、お隣の桜小学校出身の人がいるのだ。
「これからパート練にするので、一年生との自己紹介も兼ねてお願いします。」
森本先生の指示の直後に、他のパートの人たちが移動し始めた。
パーカッションパートは移動する必要がない。ここがパート練習の場所だからだ。
「みんな真ん中に集まって。」
そう言ってその先輩は教壇の上の椅子に座った。一人だけ上にいるので、恐らくリーダーなのであろう。
「じゃ、先輩から自己紹介。誰からやる?」
「高良からでいいでしょ。パーリーだし。」
三年生の女の先輩がその人を指さす。
「わかった。パートリーダーの
やっぱりそうだった。この人がパートリーダーか。
「三年の
「同じく三年の
パーカッションパートの三年生は三人。腰パン気味のパートリーダーの高良先輩、ふくよかで優しそうな高橋先輩、小柄で黒いメガネをしている桑原先輩の三人だ。
「次は二年よろしく。」
高良先輩が促す。
「二年の
「二年の
二年生は二人。ハキハキ話す明るい人柄そうな細川先輩、ぽっちゃりで少し緊張してそうな大島先輩の二人だ。
一年生も自己紹介をし、全員の名前が分かったところで、高良先輩がパートのメンバーに尋ねる。
「自己紹介終わっちゃったけど、何やる? アップ教える?」
先輩たちはうなずくと、準備室に入っていった。
「一年生、自分の分の机運んでくれる?」
高橋先輩が手招きをしている。
先輩たちは机ではなく、別の物を持ってきた。
「いずれはみんな買うと思うんだけど。一人一台、基礎打ちの練習台ね。」
黒い円い木の板に、もう一回り小さな円いゴムのパッド。それがスタンドの上に付いていて、持ち運びできるようだ。
「あとはこのスティックも。一人一人自分に合うやつが違うから、なるべく早く買って合うやつで練習したいところだね。」
よく分からない単語が飛び交い、舞莉は困惑している。ただえさえ人や物の名前を覚えるのが苦手なのに。
まぁ、そのうち慣れるだろう。
舞莉たちは机を半円に並べ、先輩たちは一年生の間に入った。
「楽器体験の時みたいに、このパテを丸めて潰してくれる?」
桑原先輩から手の平サイズの黒いケースを受け取る。
蓋を取ると、中にはオレンジ色の粘土のようなものが入っていた。ただ、粘土と違って粘り気があり、独特の臭いがする。
軽く丸めて机に置き、上から潰す。このパテを使って基礎打ちの練習をするのだ。
スティックを渡されると、まずはスティックの持ち方から教わることになった。
「仮入部とか楽器体験でやったと思うけど、スティックの下の三分の一くらいを持って。」
高良先輩が自分のスティックでお手本を見せる。舞莉たちもスティックを見ながら真似をした。
端ではなく、少し真ん中よりの方を持つ。
「それで、親指と人差し指でつまむように持って、他の指は添えるだけ。」
そうそう、と高良先輩はうなずく。
「最初の方は小指が立ちやすいから、気をつけて。」
言われて、舞莉はサッと小指をしまう。小指立ってた……。
次は手首のほぐし方を教わる。これをしないと、上手く叩けなかったり手首を痛めてしまったりするらしい。
「スティックを二本、両手で下から掴んで、こうやってぐるっと回す。」
えっ、どういうこと?
他の一年生も混乱しているようだ。舞莉は左隣の桑原先輩に尋ね、ゆっくりお手本を見せてもらう。
なるほど、スティックの端っこを内側に倒して、ぐるっと。ああ、腕の筋肉が伸びて痛い。
舞莉は体が硬いので、途中までしか伸ばすことができなかった。
「どう、痛い?」
右隣の細川先輩が話しかけてきた。
「結構痛いです。」
「これ以上は?」
「……キツイです。」
「だんだん慣れると思うから大丈夫。」
細川先輩は微笑む。
「あとはスティックの真ん中を片手で掴んで、横にブンブン振ったり。風の音が出るくらい振っていいよ。」
そこで高橋先輩がつけ加える。
「これやる時は、周りに人とか楽器がないか確認してね。」
「何気にすごい重要なこと言うね。」
と、桑原先輩がツッコんだ。
確かに、あの勢いで振り回して人とか楽器にぶつけたら......。
「舞莉ちゃんもやってみて。」
「......はいっ!」
細川先輩から腕をつつかれて我に返る。
「羽後さん、もっとやっていいよ。ほら、音するでしょ。ブンブンって。」
高良先輩から指摘され、舞莉はなるほど、とうなずく。
「次は楽器体験の時もやった、基礎打ちのパターンをおさらいしようか。テンポ六十で。」
メトロノームが時計の秒針と同じ速さで動いた。
「先輩たちがお手本見せるから見ててね。」
右、右、右、右、右左、右左、右左、右左。
「始めの右四回は四分で、その後の右左は八分で。よし、みんなでやってみるか。」
舞莉は頭の中で、『右、右、右、右、右左、右左、右左、右左』と唱えながら叩く。
ふと、小指が立っていることに気づき、慌てて しまう。どうやらバレなかったようだ。
「今のを俺らは『一番』って言ってるんだけど、『一番』って言われたらこれをやってね。」
その次に、『一番』の逆パターンの『二番』を習った。
左、左、左、左、左右、左右、左右、左右とやるらしい。
舞莉も含めて飲み込みが良く、すぐにできるようになった。
「みんなできたから、一番と二番続けてやってみようか。」
うん、そんなに難しくないかも。
しかし、一番から二番に移るときに、左手がもつれてズレてしまった。一番の終わりと二番の始めが両方とも左なので、連続して叩かなければならないからだ。
「できてた人もいたけど、一番と二番の繋ぎがズレやすいから気をつけて。」
あと、と高良先輩は続ける。
「大島、二年のくせにズレてんじゃねぇぞ。」
パートが決まってから始めての部活が終わった。
「舞莉ちゃん!」
山下先輩に呼び止められる。
「舞莉ちゃん、クラじゃなくてパート全員びっくりしてるよ! 何になったんだっけ?」
「パーカッションです。」
「パーカスかー、舞莉ちゃん何でクラになれなかったんだろう。」
舞莉が首をひねると、「真帆ー!」と誰かが山下先輩を呼んでいた。
「呼ばれちゃったからじゃあね! 舞莉ちゃん、頑張ってね!」
早口でまくし立てられて行ってしまった。
「また黙って帰ってきて。それで、楽器決まった?」
家に帰ると、母は夕食の支度をしていた。
「……パーカッション。クラリネットじゃなかった。」
「パーカッション?」
母は中高運動部だったため、音楽の知識は義務教育レベルだ。
「打楽器だよ。太鼓とか木琴とか鉄琴。」
「なるほど。オーディションはどういう風にやったの?」
「それがさぁ。」
舞莉はオーディションの経緯を説明した。
「自分でやらないの? 舞莉、それが難しいって言ってたよね。」
「うん、例えばリコーダーも穴がちゃんと押さえられないと変な音鳴るでしょ? 小学生の始めたてはそれが難しかったし。」
「そうだよね。」
「それを先輩がやっちゃうんだよ。おかしくない?」
「うん、それができるかどうかも実力の内だもんね。」
母はタオルで手を拭くと茶碗を取った。
「まぁ、クラリネットには縁がなかったのよ。決まったものだし、もう割り切るしかないわね。」
「そうなんだけど……。」
「はい、手洗ってきてご飯よそって。ご飯できたから。」
舞莉は渋々キッチンを後にした。
今日のオーディションでおかしかったところは、クラリネットだけではなかった。もう一つはそもそもオーディションをする意義が問われるものだった。
それは、オーディションを受けていない人がクラリネットやサックスパートになっていることだった。サックスは一番人気、クラリネットもそれに引けを取らない程の人気だった。それにも関わらず、オーディションを欠席した人がそれらのパートになっているのだ。
舞莉は布団を頭まで被って考え込んでいた。
荒城先生の質問、あれは緊張している、で答えた方がよかったのかなぁ。純粋に今の気持ちを聞きたかったのかもしれない。緊張していないのにあの音じゃあダメだって思われたかも。
て言うか。
何でオーディションを受けた人が落とされて、受けてもいない奴が落とされないんだ……。
そのことについては全く答えが出ることはなく、迷宮入りしたのであった。
でも、なったからにはもう変えられない。どう足掻いても。頑張らないとな。
次の日のパート練習の時間。少し休憩をとると言って、舞莉たちは準備室にいた。
一年生同士で話していると、高良先輩が声をかけてきた。
「あっ、そうだ。みんなさ、パーカス第何希望だったの?」
すると、菜々美が「第一希望です。」と答えた。
大山も「俺も第一希望です。」と続ける。
「平田さんは?」
「私は第二希望です。」
えっ、みんな第一か第二希望……。
「羽後さんは?」
「……第四希望です。」
「あっ……そう。」
高良先輩の表情が一瞬変わったのを、舞莉は見逃さなかった。
正直に答えただけなんだけどなぁ。
場の空気が悪くなったのは誰でもわかった。しかし、高良先輩が一瞬見せたあの表情、蔑んでいるような顔は舞莉にしかわからなかった。
次の週からは、先輩たちはコンクール曲の練習で一年生とは別々に練習するようになった。
そこで新たな練習場所になったのが集会室だった。
元々は第二音楽室だったらしく、黒板に五線が書かれていたり、壁が防音仕様になっていたり、アップライトピアノがあったり、一段高い教壇があったりと、今でも名残を残している。
集会室の準備室にはバスドラムやドラムセットも置いてあるが、まだ使わせてはくれないようだ。一年生はしばらく基礎打ちの練習が続く。
「どうする? 一番からやる?」
基礎打ちやって、としか指示されていないので、何からすれば良いか迷っていた。
長机に四人が横に並ぶ。
「まず六十からやるか。」
「そうだね。」
舞莉は性格柄、リーダーのようなことはしないので、菜々美や大山に任せている。
「一、二、」
菜々美がメトロノームを見てカウントを出す。
このカウントの仕方は複数人が出だしのタイミングを合わせる時に使うものである。一・二は誰か先導する人が言って、三は心の中で数え、四でスティックを両方振り上げる。
実はこのテンポ六十、舞莉にとっては遅すぎて苦手としている。しかし、速くても遅くてもパーカッションは特にズレてはいけないので、練習しない訳にはいかないのだ。
何回か繰り返しているうちに段々とズレてきてしまった。
「羽後、ズレてる。」
大山に注意される。
「舞莉、ちゃんと合わせて。」
菜々美にも言われてしまった。
「うん。」
とりあえず返事はしておくが、そもそもこの二人も合っているかはわからないので、何だか腑に落ちない。
「高良先輩が言ってたけど、六十ができないとテンポ上げて練習しちゃいけないんだって。みんなが合うまではずっと六十だって。」
えっ、遠回しに私に圧かけてない?
焦れば焦るほど、舞莉のミスが目立つようになった。
この後もテンポ六十で練習は続いたが、さすがにみんな飽きてしまったようだ。
舞莉への注意も段々苛立ちを乗せるようになった。
「もう、羽後だけで六十やれよ。俺らは六十三でやるから。」
舞莉そっちのけで、メトロノームの重りを一目盛下げた。
ちょっと、と反論したかったが、そもそもできなくて迷惑をかけているのは自分である。言いかけた言葉を飲み込んだ。
仕方なく昨日届いたばかりの電子メトロノームを取り出して、練習を始めた。ここでも舞莉は『ぼっち』だった。
基礎打ちの練習も並行しつつ、ついにあの練習が始まった。『返事』の練習だ。
吹奏楽部ならどの学校でもする、返事の練習である。全パートの一年生が誰しも経験する。
はっきりとお腹を使って返事をすることで、楽器を吹く時にはっきりと音が出るようになるそうだ。
……パーカッションには関係ない気はしなくもない。
上野先輩と弓削先輩が教えてくれるようだ。
「みんな一つの円になって。」
既に椅子や楽器を出した後だったので、それらを避けながら何とか円を作る。
メトロノームは百二十に設定されている。
「メトに合わせて『はいっ! はいっ!』って返事をして。最初はみんなでやるよ。」
カチ、カチ、カチ……
「一、二」
上野先輩がカウントを出す。
「はいっ、はいっ、はいっ、はいっ……」
三十回くらい返事したところで、「やめ。」の合図が入った。一旦メトロノームを止める。
「もっとお腹使って。歯切れよく『はいっ!』って言ってください。」
と、弓削先輩。しかし、この後は何も言わない。
沈黙が続く。
待ちかねて先輩がボソッと言う。
「……返事。」
「はいっ!」
一年生は反射的に返事をした。
「~してくださいって言ったらすぐ返事してください。」
「はいっ!」
弓削先輩、怒らせると怖そう……。
「次は1人ずつ順番に返事をするよ。私、
「はいっ!」
メトロノームを動かす。
「一、二」
再び上野先輩がカウントを出した。
「はいっ! はいっ! はいっ、はいっ!」
舞莉は返事する人を目で追い、タイミングを掴む。
舞莉の番が来た。
「はいっ!」
危うく声が裏返りそうになった。普段人と話さない舞莉が大声を出すことは、運動不足の人がいきなりマラソンをすることと同じようなものだ。
返事リレーが一周終わった。
「声が小さい人がいるのでもう一回やります。小さかった人はそこで止めて注意します。」
「はいっ!」
やばいって、それはやばい。
この後やり直しが十回も続いて、先輩たちがため息をついたのは言わんでもなかった。
「一週間経ったから、みんながどれくらいできるようになってるかテストするよ。」
まず六十から、と高良先輩。
舞莉には四文字の言葉が浮かぶ。『公開処刑』。六十もできないなんて、と思われたら……。
「一番から四番まで通します。」
「はい!」
舞莉の不安など容赦なしにメトロノームを動かす。
「一、二」
何としてでも合わせないと……。
緊迫した空気には、スティックで叩く音しか聞こえない。
あっ……。
スティックを振り下ろすタイミングがズレてしまった。
音でバレる。
四番まで通した後、高良先輩から講評が入る。
「大山くんと菜々美ちゃんはだいたいできてたね。亜子ちゃんはちょっとズレちゃってたかな?」
そして、舞莉を見た。
「羽後さん、もっと合わせて。」
舞莉だけ、声色が違う。低くて、ぶっきらぼうな言い方。
「はい。」
「大島!」
いきなり高良先輩が怒鳴り声を上げる。
大島先輩は身を震わせる。
「二年にもなってまだ合わせられないなんて、恥ずかしくないの?」
「......恥ずかしいです。」
「一年が入ってきたから、少しは恥ずかしくないようにすると思ったのに、ちっとも変わってねぇじゃん。これから改善がないと思ったら、一年の前でも怒るからな!」
下を向いて、高良先輩と目を合わせないようにしている大島先輩。
「おい、返事も出来ねぇのか?」
「......はい、すみません。」
か細い声で返事をした。
練習が終わり、片づけの時間になった。この後の反省会までには片づけ終わっていないといけない。だいたい五分しかない。
でも、何をどこに片づければ……。
キョロキョロしていると、
「棒立ちしてないでちゃんとやって!」
シンバルを持った細川先輩が舞莉に怒鳴る。
「えっ、でも……。」
細川先輩の背中に虚しく問いかける。
片づけの仕方教えてもらってないのに、どうしたら……。
とりあえず、タンバリンと学校用のスティックを手に取って、準備室に入った。棚に置いてある、ピンクのカゴに入れる。
確かここだったよな……。
「邪魔、どいて。」
高良先輩がスネアドラムをスタンドごと運んできた。
「は、はい!」
スネアってそこにしまうんだ。
棚の下の空間にパズルのごとくしまい込む。
「そこに突っ立って何やってんの?」
横目で睨むと、音楽室に入ってしまった。
何をすればいいのか分からないのに。
歯を食いしばり、肩を震わせる。痛めた左手首のサポーターを撫でた。
「舞ちゃん……?」
明石先輩がクラリネットをしまいながらつぶやいた。
そんな調子が続き、パート決めから一ヶ月経つ頃にはパーカッションパートでハブられる存在になっていた。自分のスティックを買ったのが一番遅く、やる気がないと思われたのかもしれない。
パート練習の時は必ず大島先輩と一緒に注意される。楽器を使わせてくれるようにはなったが、許可を取らないと使わせてくれない。許可を取ろうにも、いつも先輩が陣取っているので声をかけづらい。
仕方なく、基礎打ちの練習をするしかなかった。
その頃、亜子とトロンボーンの
舞莉としては、苦手な人が一人いなくなってくれて嬉しかったのだった。大山と司の男子同士で仲良くしてくれるはずだから、少しは大山からの視線も減るだろうと思った。
始めこそ司は遅れを取ったものの、あっという間に舞莉に追いつかれてしまった。先輩に取り入るのも上手く、楽器も存分に使っているので、実質抜かれているのかもしれない。
司が入って少し馴染んだある日のこと。例の片づけの時間である。
先輩たちはコンクール曲の練習をしているので、舞莉たち一年生はそれが終わるまで、準備室から音楽室に入るドア付近に待機している。最近はそういう日が多い。
「「「ありがとうございました!」」」
ドアの向こうから先輩たちの挨拶が聞こえた。
「よし、入るぞ。」
大山がドアノブをひねる。地獄の時間の始まりでもある。
明日の朝練で使わない楽器や道具をしまうので、教えてもらわなくても少し把握できていた。しかし、曖昧なものは聞かなければならない。
もはや「棒立ちするな」と細川先輩に言われることもなくなった。完全無視だ。
今日は
一瞬早く、高良先輩がそれに手をかけた。また片づけるものがなくなってしまった。
「えっと、高良先輩、何を片づければいいですか?」
周りを見ても、片づけるものは先輩たちか同級生の3人の手にある。舞莉では片づけるべきものが見つからない。
「そんなの自分で分かるでしょ? 自分で考えれば。」
「分からないので聞いたんですけど……。」
高良先輩の背中に虚しく問いかける。
またダメだった。他の同級生は指示をもらっているのに、私だけ、ない。昨日ドラムをちょっとぶつけただけで、ドラム使用禁止になったし、触ることさえ許してもらえなくなったし……。
顧問の森本先生に相談しても、返ってきた答えは「もっと積極的に質問して指示を出してもらう」だった。質問したら門前払いなのに。
パート練習があれば、舞莉と大島先輩だけ怒鳴られて二人でやり直しさせられる。
集会室練習なら、他の一年生に楽器を占領され、譲ってほしいと頼めば「先輩に許可取った?」と言われてしまう。許可を取ろうにも先輩が無視するので、結局できない。一年生の冷ややかな目も耐え難いものだった。
片づけの時は、毎日の練習で使う楽器が固定化したためか、片づける人も固定化して舞莉がする余地はない。かと言ってぼうっとしているわけにもいかない。
バスドラムなどの一人では片づけられない楽器は、舞莉も何とか片づけに入らせてもらえた。しかし、それを準備室に運んでいる時、入口にぶつけてしまった。
運悪く、高良先輩も細川先輩も見てしまっていた。
「ぶつけといて何にもないの?楽器に謝って。」
と、細川先輩。
「……ご、ごめんなさい。」
「あーあ、チューニング変わっちゃってる。もう楽器触らないでほしいんだけど。」
ビーター(バスドラムを叩く道具)で高良先輩は音を確かめている。
「何回ぶつけてんの?反省とかはないの?」
そう聞いておきながら、高良先輩は舞莉に答える隙も与えなかった。
「使えないなら、明日から部活来ないで。上達しないし、楽器はぶつけまくるし落とすし、反省しないでまたやるし。」
細川先輩も高良先輩に続けて言った。
「そう。パーカスにいらないから。」
視界が霞む。歯を食いしばり、顔を見られまいと下を向く。
確かに、他の人より楽器をぶつけたり落としたりしたのは多いかもしれない。自分でも細心の注意を払っている。楽器の扱いに慣れていないせいでもあるのに……。
「そこ棒立ちしないで」
「使えないな」
「遅い! 早く動いて」
「邪魔」
「そんなの自分で分かるでしょ」
「使えないなら明日から部活来ないで」
「パーカスにいらないから」
二人から言われたことが頭から離れない。
パーカスに入ってから一ヶ月と少し。毎日のように言われ続け、いや、暴言を浴び続けた。寝不足が慢性化し、朝食は食パン一枚を吐きそうになりながら口にねじ込み、朝練に遅刻しないよう、走って学校に行く。常に胃痛がして、一日一回は顔をしかめる程の痛みに襲われる。
部活から帰ってきても、寝ても取れない疲れが蓄積しているので、夕食で座ってしまうともう立てない。
舞莉はベッドに腰掛けていた。月明かりは入ってこない。立ち上がって窓に手を添えた。
昨日は夕立があったが、今日は満天の星空。月は見えないが、その代わり星がいつもより綺麗に見えた。目の悪い舞莉でも分かるくらいに。
「えっ……涙……?」
いつの間にか流れた涙を拭う。キリキリとみぞおちの辺りが痛む。
「そっか。これが欲しかったんだ、私。」
拭ったはずなのに、涙が滴り落ちる。
「ココロが、泣いてる。」
後ろから聞きなれない、男らしき声がした。