02:選考

文字数 6,557文字

 そして迎えた本入部当日。
 音楽室に今年度の吹奏楽部員が集まった。
 一年生は教壇に体育座りで身を縮めている。この人数でこの教壇の中に収まるように座らなければいけないって、結構キツいよね。
 舞莉は頭を動かす。誰が入部したんだろう。
「ねぇねぇ。」
 舞莉の左肩が誰かに叩かれた。
「名前なんていうの。」
 左を向くと、隣に座っているミディアムくらいの髪の長さの人が舞莉を見ていた。
「私は羽後舞莉。」
「私は上野(うえの)茶羽(さわ)。舞莉ちゃん、よろしくね。」
「こ、こちらこそ。」
 茶羽は舞莉のジャージの刺繍を見ている。
「羽に後って書いて『ひばる』って読むんだ! 珍しいね。」
「そうだね。漢字だけ見ても絶対に読めないと思う。『上野』だったら絶対に読んでもらえるのに。」
「上野は読んでもらえるけど、名前はすぐには読んでもらえないよ。茶羽ってお茶の茶に羽って書くんだけど、読む人は一瞬『ちゃば』とか思ってるはず。」
 そう言って、茶羽は笑った。自虐でも『ちゃば』はないだろと、舞莉も笑った。
 見ず知らずの人に話しかけるなんて、私にはそんなのない。社交的な人だな。
 ぼっちの舞莉にとって、他人に話しかけられるのは一体何日ぶりだろうか。いや、最後に話しかけられたのは小学校の卒業式だから、一ヶ月ぶりくらいだ。
 そんなレベルで人と話してないのか、私。
 すると、例のトロンボーンの先輩が手を叩いた。あの動物園のようにうるさかった音楽室が一瞬で静かになった。
「これから歓迎会を始めます。黙想。」
 この学校では、朝の会や帰りの会の始めに黙想が取り入れられている。確か、朝の会は「今日一日どのように過ごすか考える時間」で、帰りの会は「今日一日どのように過ごしたか振り返る時間」とか言っていた気がする。
 そんなことを考えていたら「やめ。」の声が聞こえた。
「それでは部長・副部長の紹介です。」
 長めのポニーテールに黒いメガネをした、いかにも賢そうな人が一歩前に出た。
「部長の上野(うえの)亜結(あゆ)です。トロンボーンパートのパートリーダーです。よろしくお願いします。」
 上野……あれ、聞き覚えが……。そうだ、私の隣に座っている人。もしかしてお姉ちゃんだったりして。
「副部長の弓削(ゆげ)夢羅(くらら)です。フルートパートリーダーです。よろしくお願いします。」
 弓削先輩もポニーテールで黒メガネをしているが、割と小柄な方だろう。それより、こんなにフルートが似合う人はなかなかいないだろう。
「同じく副部長の松本(まつもと)塁斗(るいと)です。トランペットのパートリーダーです。よろしくお願いします。」
 吹奏楽部に数人しかいない男子のうちの一人である。ピアノに寄りかかりながら言ったせいか、ぶっきらぼうに聞こえた。
「次は二・三年生に自己紹介してもらいます。えっと、学年と名前と今年の抱負を言ってください。」
 上野先輩の言葉にブーイングが上がる。
「上野たち抱負言ってないじゃん。ずるいよ。」
 膝の上にサックスを乗せた一番前に座っている先輩が、上野先輩を指さす。
「分かった、分かった。お手本として私たちが抱負言うから。」
 上野先輩はその先輩をなだめると、少し考えてから抱負を言う。
「私の今年の抱負は、部長としてみんなを引っ張っていくのと、東日本に行くことです。」
 東日本って何だ? コンクールのことか? 入部したばかりだからあまりよく分からない。
 部長と副部長に続いて他の部員たちも自己紹介をする。三年生は全員「東日本大会に行く」という目標を立てていた。本心から思っているのか、流されて言っているのかは分からないが。
「すみません、遅くなりました。」
 みんな一斉に声の方を向いた。白髪でスラッとしたおじいちゃん先生だ。
「上野さん、どこまで進めましたか。」
「今、二・三年生の自己紹介が終わって、これから一年生にやってもらおうとしたところです。」
「分かりました。続けてください。」
 先生はピアノ椅子に座り、足を組んだ。
「次は一年生に自己紹介をしてもらいます。一年生は名前と何か一言、例えば抱負とか入りたいパートとか、そういうのを言ってください。」
 松本先輩が上野先輩に耳打ちをする。微かに「誰からやるんだよ。」と聞こえた。
「じゃあ、一年生から見て右から。一番前の人から順番に横に言って行ってください。」
 よかった、反対側だ。だいたい真ん中くらいだから、前に言っていたやつをパクればいいか。
 そして、舞莉の番が来た。
 人前で発表するの、まぁ発表じゃないけど、ホントに苦手だなぁ。心臓の音がはっきり分かる。唾を飲んで立ち上がった。
「羽後舞莉です。クラリネットを希望しています。練習を頑張って先輩方と早く一緒に演奏したいです。よろしくお願いします。」
 おぉ。と声が上がる。他の人より一言多く言ったからだ。
 ふう、何とか自分で考えたことも入れたし大丈夫だよね。
 しかし、次の茶羽の番で、その考えは脆くも崩れ落ちた。
 
「私は顧問の森本(もりもと)清朗(せいろう)です。今年から南中に赴任しました。よろしくお願いします。」
 先生は「さて。」と手を叩く。
「今年は二十六人の一年生が入部しました。一年生も合わせて七十四人の仲間とこれから過ごします。みんなで協力し、互いに上達していきましょう。」
 すかさず、先輩たちが返事をする。
「高橋先生、お願いします。」
 上野先輩が促すと、高橋先生は「あっ。」と少し驚いた様子で一歩前に出る。
「副顧問の高橋(たかはし)亜彩美(あさみ)です。美術部の副顧問と兼任しているのであまり顔は出せないと思います。たまに子どもを連れて来ようかと思っているので、その時はよろしくお願いします。」
 高橋先生が『子ども』と言ったとたんに、先輩たちの頬が緩んだ。何せ、ここの吹奏楽部は九割が女子部員だからだ。小さい子が好きな人も多いだろう。
「あと、外部指導の荒城(あらき)政男(まさお)先生もいらっしゃいます。土日にいらっしゃると思います。」
 森本先生が付け加えて、上野先輩に振る。
「それでは、三年生は楽器体験の準備、二年生は個人練、一年生は楽器体験の準備が終わるまで待っていてください。」
 例のごとく「はいっ!」の声が響いた。
 
 舞莉たち1年生は三・四人のグループを組まされ、十五分ごとに各パートを周り、楽器体験をした。今週の土曜日の『パート決め』、通称『オーディション』まではずっと続くらしい。
 
 
 入部から三日後、舞莉のグループは入部後三回目のクラリネットを体験している。クラリネットの時はいつも調理室で体験する。
「あれ、今日 真帆いないの?」
 三宅先輩が、偶然調理室にいた明石先輩に声をかける。
「えっと、塾があるみたいで。」
「また塾? しょうがないかぁ。今日、3年で部活出てるの私とますかだけだよ。人足りないから、妙ちゃん、一年生に教えてあげてくれる?」
「えっ! 私ですか? 分かりました。」
「じゃあ、あそこの舞莉ちゃんよろしく。あの子よくできるから、あまり教えなくても大丈夫かも。」
 と、微笑する。
 明石先輩が対面で座り際に「舞ちゃん、そんなに上手いの?」と聞いてきた。
「さぁ? ……分かりません。」
 上手いかどうか聞かれても、よく分からない。
 ……当たり前だ。
 楽器経験は、幼稚園の時にベルリラという鉄琴のような鍵盤打楽器、小学校の時に鍵盤ハーモニカとソプラノリコーダー、昨年クラスで発表した時にやった小太鼓 (スネアドラム)くらいしかない。クラリネットの経験は皆無である。
 マッピにリードとリガチャーをつけてもらい、下唇を少し巻いてマッピを咥える。息を吹き込む。
 一発で音が鳴った。
「えっと、クラ吹くの何回目なの?」
「多分五回目くらいです。仮入部と合わせて。」
「そんなにやってるんだ!二年はいつも個人練だから、全然一年のこと分からなくてさ。」
 マッピにバレルをつけてもらう。それを吹く。
「すごい、早いね!」
 そして、また音階の練習だ。前回はドからラとドから低いソまでは出たが、今回はどうだろう。
「まずはドからやってみようか。」
 さすがの五回目なので、もう覚えている。勝手に指で押さえた。
「そうそう、吹いてみて。」
 一発で音を出してみせる。
「じゃあ、次、レ、ミ、ファ。」
 先輩が言った後に追いかけるようにして音を出す。
「ソ。」
 ソってどう押さえるんだっけ。
「えっと、全部離して。」
 そうだった。
「ラ。」
 ラは上のキィを押さえるから……。
「そうそうそう。すごいなぁ、ラまで出るんだ!じゃあシもやってみようか。」
 でもこれが難しいんだよね、と明石先輩。
「ここと、ここと、ああ、小指はここで、そうそう。」
 いきなり指で押さえるのが複雑になった。
「これで吹いてみて。」
 そう言われたので、息を吹き込んだ。
 耳を貫くような、尖った音が出た。リコーダーの穴がしっかり塞げていない時に鳴る音と似ている。
「ここが塞げてないよ。」
 そう言われて直しても、あの音は出てしまう。
「まあ、難しいよね。私なんか、クラ吹き始めて一ヶ月でやっとシが出たんだもん。」
 指の位置を修正しながら何度か挑戦する。
「あっ、今ちょっと音出たよ!」
「本当ですか!」
 つい嬉しくなって、もう一回吹いてみる。
 スゥー、ピッ、スー、ピィ
「えっ、すごいすごい!」
 と、明石先輩が興奮気味に手を叩いた直後。
「もう時間だから終わりにしてー。」
 三宅先輩の声が聞こえた。
 マッピとリードを調理室の水道で洗って、三宅先輩に渡した。
「ジャスミン先輩、舞ちゃんすごいですね。」
「でしょ? 飲み込み早いよね。」
「シがもうすぐで出せそうなんですよ。」
 調理室の去り際に、先輩たちの会話が耳に飛んできたのだった。
 
 一年生たちを五時に帰した先輩たちは、あと残りの一時間でパート練習をしていた。
 クラリネットパートの練習場所である調理室では、二・三年生の八人が一つの机を囲んでいる。机の上には一枚の紙。それには名前と、音量・音色・出だしの三項目が◎、〇、△の三段階で表されている。
「この子欲しいよね。」
「誰ですか、ああ、舞莉ちゃんですね。」
「まずは舞莉ちゃんだよね。センスあると思うなぁ。」
「次は……。」
 
 
 パート決め前日。最後の楽器体験が終わり、一年生が帰ろうとしているところだった。
「舞ちゃん!」
 振り返ると、クラリネットの先輩が手を振っている。
「舞莉ちゃんだよね? よかったぁ、やっぱそうだよね!」
 舞莉が頷くと、先輩が胸を撫で下ろす。
 ジャージの刺繍を見ると「三宅」と書いてある。
「明日オーディションだけど、何のパート希望してる?」
「クラリネットにしようと思います。」
「ほんとに! 確かにクラっぽい感じだよね。」
 舞莉は返答に困り、そうですか、と苦笑する。
「舞莉ちゃん、頑張ってね!」
 舞莉は、はい、と返事をしてお辞儀した。
 
 
 パート決め当日。
 上野先輩から紙が渡された。希望の楽器を書くらしい。第四希望まで書く欄があり、マイ楽器 (学校の楽器ではない、自分が所有している楽器のこと)かどうかを選ぶ項目もある。
 そっか、小学校とかそれ以前からやってる人もいるのか。あんまり聞かないけど。
 都会では、小学校から吹奏楽部があるところもあり、中学生顔負けの演奏をするところもある。ここは田舎なのでそんな学校はなかった。
 第一希望はもちろんクラリネット。
 あと三つ、どうしよう。
 サックスとフルートはまぁまぁいけるかな。どちらかと言えばサックスかな。
 第二希望はサックス。でもサックス人気らしいし、無理かもしれないなぁ。
 第三希望はフルート。
 第四希望は……。困ったなぁ。金管楽器は全般無理そうだなぁ。
 去年小太鼓やったし、パーカッションでいいかな。
 第四希望はパーカッション。
 マイ楽器はどれも持ってないから、なし、っと。
 顧問の森本先生に渡した。
 
 いよいよオーディションが始まった。一年生は相変わらず、教壇の上で体育座りをして待機だ。
 フルートのオーディションが終わった。
「次はクラリネットを第一希望にしている人、前にお願いします。」
 結構いる。自分を含めて六人だ。
 山下先輩がクラリネットを持って準備室から出て来た。
「先輩が指を押さえてあげてください。」
 と、外部指導の荒城先生が言った。
 えっ、自分でするんじゃないの!? それじゃあみんな出来ちゃうんじゃない?
 指で穴を塞ぐのが難しいのに、それを先輩がやったら……。
 山下先輩も少し戸惑っている。荒城先生に返事をして、マッピを逆向きに付け直した。
 端の人から順にオーディションが始まった。
「次は羽後さん、お願いします。」
 山下先輩と至近距離で対面になる。
 マッピを咥える。
「いいよ。」
 先輩がうながす。
 不安が入り交じるこの状況で、オーディションなんて最悪にも程がある。でも、やるしかない。
 舞莉は息を吹き込んだ。
 出だしは少し弱くなってしまった。
 すると、荒城先生に質問された。
「緊張してますか。」
 不安はあるが、緊張はしていない。
 この質問の意図はなんだろう。
 本番で緊張しちゃいけないのかな。緊張で上手く吹けないっていうのはダメなのかな。
 正直に答えた。
「緊張はしてません。」
「わかりました。」
 それしか返って来なかった。
 
 第二、第三希望の楽器のオーディションを受けている人もいたが、フルートの時にもサックスの時にも第一希望の人が優先で、それ以降の人は呼ばれもしなかった。
 
「パーカッションを希望している人、前にお願いします。希望者全員です。」
 パーカッションに限っては、希望している人全員に声がかかった。舞莉は再び前に出る。
 端の人にバチ (スティック)が渡され、その人の前に小太鼓 (スネアドラム)が置かれ、一つの机も置かれた。
「テンポ七十二で。」
 荒城先生の指示に、パーカッションの先輩がメトロノームの重りをずらして、机に置いた。
 カチ、カチ、カチ……
「メトの音と同じタイミングで叩いてみて。」
 なるほど、こういうオーディションなのか。
 テンポは一人ずつ変えるらしい。あの人は速かったりあの人は遅かったり……確かにリズム感が必要だ。
 ついに舞莉の番が来た。
「テンポ百二十で。」
 カチ、カチ、カチ、カチ……
 バチを持って、小太鼓の前に立つ。
 ずれないようにメトロノームの音に耳をすませた。
「はい、大丈夫です。」
 叩いていた時間はわずか十秒程だった。
 終わった。オーディションが。これで決まるんだ。妙先輩のあとを追うんだ。
 
「一年生は廊下にお願いします。」
 森本先生が指示を飛ばした。舞莉たちはゾロゾロと音楽室をあとにする。
 
 十分後。
「一年生、中にどうぞ。」
 決まったのか、ついに……!
 例によって舞莉たちは教壇の上で体育座り。先輩全員が目の前にいる。
「一年生のパートが決まりました。木管から順に発表します。」
 森本先生は、人数の割に狭い音楽室の隅にいる。その手には紙がある。
「まずはフルートです。」
 三人の名前が呼ばれ、その三人は立ち上がって、フルートの先輩が固まっているところに行った。
「次にクラリネットです。」
 一人ずつ呼ばれていく。五人呼ばれたところで、
「以上です。」
 と言った。
 え。
 嘘でしょ。
 クラリネットじゃないの!?
 次のサックスの時も呼ばれず。
 金管楽器の時も呼ばれず。
 まさか、いや、マジかよ。
 他の人は既に呼ばれて、それぞれのパートの方へ行ってしまった。
 残されたこの四人って。
「残りの人たちがパーカッションです。」
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登場人物紹介


○羽後 舞莉(ひばる まいり)

主人公。1年生。クラリネットを吹きたくて吹奏楽部に入ったが、パーカッションパートになる。

先輩からいじめられ、サックスパート(バリトンサックス)に移動した。


○カッション

舞莉に音楽の楽しさを知ってもらうため、パートナーになった。舞莉のスティックに宿る音楽の精霊。

○バリトン(第二楽章〜)

カッションに頼まれ、舞莉にバリトンサックスを教えることになった。

舞莉のストラップに宿る音楽の精霊。

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