地の底へ落ちるまで(六)

文字数 2,545文字



 しかしマサオミ様は斬られなかった。
 イサハヤ殿が刀を振りかぶったまま、片膝を地面についたからだ。

 イサハヤ殿の左胸には、鎧を貫いた一本の矢が突き刺さっていた。

「連隊長ぉぉお!?

 トモハルが裏返った声を発し、イサハヤ殿の元へ急いだ。
 マサオミ様が起き上がって後方へ退くと同時に、イサハヤ殿は前方へ倒れた。

「連隊長、連隊長!」

 トモハルの必死の呼び掛けに、イサハヤ殿は応えなかった。

「おまえさんが……討ったのか?」

 マサオミ様が、弓を構えた姿勢で固まった俺に声を掛けた。

(俺が……討った?)

 確かに矢をイサハヤ殿に放ったのは俺だった。
 だが実感が湧かなかった。狙っていた訳ではない。上官の危機に、反射的に身体が動いただけなのだ。
 イサハヤ殿が起き上がってこないことを確認したマサオミ様は、俺の肩をポンポンと軽く叩いた後、号令を出した。

州央(スオウ)の将は倒れた! 桜里(オウリ)は全軍撤退せよ! 司令部方向へ駆け抜け、直ちに森の外まで出ろ!」

 まだ炎は見えないが、嫌な臭いが充満しつつあった。煙を吸い込んだら動けなくなる。
 桜里(オウリ)の兵はすぐに行動した。負傷兵に手を貸しながら、森の奥へと駆け出した。
 州央(スオウ)の兵は呆然としていた。将を討たれ、背後の味方に火を放たれたのだ。どうすれば良いのか、何処へ逃げれば良いのか判らないのだろう。
 彼らに多少の憐れみを感じたが、俺はセイヤの元へ走った。

獅子座(シシザ)は俺が運ぶ!」

 半ばセイヤから奪い取る形で、マサオミ様がマホ様を背負い直していた。

「絶対に助けてやる! ふんばれよ、獅子座(シシザ)!!

 マサオミ様は力強く駆けた。俺とセイヤも後に続こうとしたのだが……、

「イイヤァァアー!!

 気合を込めた雄たけびが横から上がった。
 視線を移すと、俺に向けて突進してくるトモハルが見えた。
 マズイ。
 足の速いトモハルにすぐ距離を詰められたので、俺には矢をつがえる時間が無かった。
 俺は咄嗟に斜め後方へ飛びすさった。そこへトモハルの刀が水平に振られた。イサハヤ殿と同じ剣技だ。

 音は無かった。代わりに紅い小花が宙に舞った。

 地面に倒れ込んでから、小花が俺の血飛沫(ちしぶき)だと知った。
 左腹が熱い。トモハルの刀を避け切られなかったのだ。

「おまえがっ、おまえが連隊長をぉ~!!

 血走った目でトモハルは俺を見下ろした。顔に唾を吐き掛けられたが、痛みで俺は縮こまるしかなかった。

「連隊長の仇だ……」

 トモハルが刀を振りかぶり、俺にトドメを刺そうとした。

「地獄へ落ちろ!」

 しかしトモハルは一瞬目を見開いた後、持っていた刀をその場に落とした。
 よろよろと前へ数歩進んだ後、トモハルは土下座の姿勢で倒れ込んだ。
 彼の背中には小刀が突き刺さっていた。

「エナミ!」

 トモハルを刺した人物が俺の名を呼び、俺の元へ駆け寄った。

「…………セイヤ」

 俺の瞳によく知る幼馴染みの顔が映った。
 セイヤは手持ちの矢を全て俺に預けていた。所持していたのはツルを切ったり、木の実を割ったりする生活用の小刀一本。それでトモハルを止めたのだ。何ともセイヤらしい。

「腹……!」

 俺の傷口を見たセイヤが青ざめた。マホ様よりは浅いだろうが、それでも縫合手術が必要な傷だ。
 セイヤは無理に明るい声を出した。

「大丈夫だ、この程度の傷、ちょちょいと縫えばすぐ治るさ! おまえも軍医の元へ運んでやるからな!」

 軍医か……。軍医は数が少ないからなぁ。
 手が足りないから、負傷兵は全員が手当てを受けられる訳ではない。優先的に処置を施されるのは高官達だ。
 俺は位も後ろ盾も無い新兵だから、手術の順番はかなり後になるだろう。
 待っている間にきっと俺は……。
 死をうっすらと覚悟した俺は、掠れ声でセイヤに伝えた。

「……俺に構わず逃げろ。ここはじきに火の海となる。グズグズしていたら、おまえまで一緒に御陀仏だぞ」

 苦労して運んでもらったところで、手術を受けられない俺はどうせ死ぬ。
 それならば確実にセイヤだけでも生かさないと。

「嫌だ!」
「いいから俺の言うことを……」
「聞けるか馬鹿!!

 セイヤの聞き分けの無さは予想していたが、マサオミ様までもが足を止めてこちらを見ていた。
 大将が何をしているんですか。マホ様だって居るのに。

「マサオミ様もどうか……、早く行って下さい。俺のせいで犠牲を増やしたくない……」

 どんどん煙と臭いが濃くなっていく。
 焦る俺の視界の隅で、トモハルがユラリと立ち上がった。

(あいつ、まだ生きている!)

 俺を背負おうとするセイヤを突き飛ばそうとしたが、腕に力が入らなかった。
 せめて俺は、できる限りの大声で叫んだ。

「セイヤ、後ろ! 逃げろ!!

 セイヤは振り返り、すぐ側で刀を構えるトモハルに気づいた。
 今ならまだ避けられる。セイヤ一人なら。
 だのにセイヤは有ろう事か、倒れている俺を抱き締めるように身体を丸めた。

(馬鹿野郎!)

 セイヤは俺を守る肉の盾になったのだ。
 離れろ、頼む、逃げてくれ。
 もはや声にならなかった。視界もぼやけていた。
 俺の身体から命の()が消えようとしていた。

「やめろ!」

 マサオミ様の声が遠くで聞こえた。
 そして。

 ドンッ。

 セイヤの身体越しに衝撃が届いた。
 セイヤがトモハルに斬られたのだ。
 絶望感が身体を走り抜けて、手足が重くなった。

 ごめん、セイヤ。ごめん……。
 何も見えない中で、何度も幼馴染みに謝った。

 父親と一緒に各地を転々と移動する生活。
 ずっと故郷が欲しかった。母親が待つ温かい家が欲しかった。気の合う友達が欲しかった。
 セイヤ達が暮らす村に定住すると、父さんが決めた時はとても嬉しかった。
 ようやく人並みの幸せを味わえると思ったんだ。
 実際、楽しかった。セイヤと友達になって、彼の弟妹達に懐かれて、兄弟を持った気分になれた。
 父さんが死んだ時も、彼らが一緒に居てくれたから立ち直られた。

 でも、今こんな苦しい想いをするのなら……。
 ずっと独りで居た方が良かったのかもしれない。

 ごめんな、セイヤ。俺はおまえ達家族から幸せをもらったのに、何一つ返せなかったよ。
 ごめん……。
 ………………………………。

 不安になる浮遊感。その先に待っていたのは孤独感。
 やがて俺の意識は、ゆっくりと闇に沈んでいった。
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