案内人と管理人(三)
文字数 2,370文字
「ありがとう、じゃあ」
立ち去ろうとした俺は、今度は背後から男に抱き締められた。
「おいっ、何だ!?」
「こっちの台詞だ。どうして俺を置いて行くんだよ!?」
え、どうしてってそれは……、同じ軍に所属していたとはいえ、あんたは知らない人だから。
セイヤを捜すという大きな目的が有る俺には、赤の他人に関わっている暇なんて無かった。
「悪い、大切な用が有るんだよ」
「悪いと思うんなら一緒に居てくれよ!」
「すまない、急ぎの用なんだ」
謝りながら俺は、身体を締め付ける男の腕を外しに掛かった。
袖口から覗く男の肌は白く、筋肉量は少ないのに手の平にタコができていた。日常的に工具を握る人間の手だ。
「……あんた、職人さんか?」
「見習いの靴職人だよ! 街に出てやっと大店で雇ってもらえたのに、徴兵されて努力も夢も全てパーだ!!」
「…………」
「もう嫌なんだよ。軍に入っても周りはみんな知らない奴ばかりで。剣を握ったことなんてないのに、戦えって、敵に立ち向かえって、小隊長も先輩も無茶言うんだよ。怖くて、痛くて、でも誰も助けてくれなくて!」
俺は男を少し憐れんだ。幼馴染みと同じ隊に居られた俺は、きっと恵まれていたのだ。
「頑張ったのに、それなのに地獄へ落ちるって何だよ! 俺は望んで戦った訳じゃねーよ。それでも罪になるのかよ!?」
「落ち着け」
「落ち着けるかよ! キミだって俺を独りにするんだろ!?」
「しない。悪かった、一緒に行動しよう」
「え……」
俺を拘束していた男の腕から力が抜けた。今なら簡単に抜け出せるが、俺はもう男を赤の他人とは思っていなかった。
国家権力によって人生を捻じ曲げられた弱者。俺と同じだ。
「一緒に……居てくれるのか?」
俺は男に向き直り、頷いた。
「ああ。ただし俺には急ぎの用が有る。キビキビ行動してもらうからな」
「わ、わかった。頑張るよ!」
男の瞳に希望の火が宿った。
「で、キミは何をするつもりなんだ?」
「幼馴染みを捜す。彼も参戦していて、俺のすぐ後に斬られた」
「そうか。その人もここに落ちている可能性が高いんだな?」
「ああ」
「でも、どうやって捜す? 案内人と名乗る黒い鳥から聞いたけど、ここには恐ろしい管理人が居るんだろ? 幼馴染みくんはきっと姿を隠して行動しているよ」
その通りだ。闇雲に捜しても見つけるのは困難だろう。
「だから鳥を追う。奴の向かう先には落ちた魂が居る。あんたのことも、鳥が飛び立った方向に走ったから見つけたんだ」
「なるほど」
男は感心したように頷いた。
「じゃあ次は、あっちの方向へ行っ……」
男は言い掛けて止めた。
「どうした?」
「いや、あれ、鳥じゃないか?」
俺は男が差す指の先を見た。
遙か上空、翼を付けた何者かが滑空していた。逆光でよく見えないが、ソレはこちらへ向かってきているようだ。
ソレを見た瞬間、俺の背筋に雷が走る感覚に襲われた。
「何だ、鳥の方から来てくれたよ。ラッキーだな」
男は楽観的に言ったが、俺の意見は違っていた。
「おい……、下がった方がいい」
「え?」
狩りに出た時、まだ遠くから獣の姿を見ただけで、全身が総毛立つ経験が何度か有った。
それは決して勝てない相手。本能がそう教えてくれるのだと生前の父親は言っていた。
もしそんな相手に出会ったら、戦わずに逃げろとも。
「おいあんた、グズグズするな。丘の方まで逃げるんだ!」
俺は思わず叫んでいた。それでもキョトンとした表情で佇む男の腕を掴み、強引に一つの丘の下まで引っ張っていった。
足の遅い男は、俺に引き摺 られるように走った。
「な、何だ、どうしたんだ!?」
「静かに! 土壁を盾にして身を潜めるんだ。じっとしてろ!」
俺のただならない態度に、男は緊急事態だと察して押し黙った。
無いはずの心臓がバクバクと脈打っていた。かかないはずの汗が大量に流れた。
ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。
俺の五感がフル動員され、脳は警鐘を鳴らしていた。
向こうへ行け。向こうへ行け。向こうへ行け。
祈るしかできなかった。
俺達は今、対峙してはいけない敵に遭遇したのだ。
ドガゴゴッ!!
轟音が響くと同時に、俺達が隠れていた三メートル級の丘上部が崩れた。
土の塊が俺と男の頭に降り注いだ。
「うわっ!?」
悲鳴を上げた男の手を引き、すぐに隣の丘まで走った。
ガガガガッ!!
辿り着いた先の丘も、やはり轟音と共に崩された。俺はまたもや走り出した。
「何だ、何が起きてるんだ!?」
男は俺の手を振りほどき、降ってくる土塊を両手で払った。
馬鹿野郎が。走ることのみに集中すれば良かったのだ。
余計な動作を挟んだ男は、足をもつれさせ転倒した。
「おい、急げ!」
俺は男を急かしたが、男はなかなか立ち上がれなかった。足首を捻ってしまったようだ。
そして、ああ、男のすぐ後ろには奴が迫っていた。
奴の羽音を聞き、振り返った男が間抜けな感想を漏らした。
「え……え? 女の人……?」
確かに女だ。女ではあるが、普通の女ではない。
髪を引っ詰めて後ろに束ねて、仮面をつけた女。その背には漆黒の翼を生やしていた。
更に女は、長い刃を持つ大鎌を構えていた。
「ま、まさか……、管理人……!?」
鈍い男も流石に理解したようだ。この世界で絶対に出会ってはいけない相手。それが今、目の前に居るのだ。
恐ろしいのはその大鎌。男には見えていなかったようだが、狩人の俺の目は捉えていた。
小さな丘を粉砕したのは、女が振るった鎌の威力だった。
「た、助けて……」
掠 れた声で懇願しながら、男がこちらに手を伸ばしてきた。
俺はその手を取る代わりに、管理人へ矢を放った。無謀な挑戦だが、何故だか身体が動いてしまったのだ。
カンッ。
管理人は鎌の刃で容易く矢を弾いた。
俺は続く矢を放ったが結果は同じだった。完全に軌道を読まれていた。
立ち去ろうとした俺は、今度は背後から男に抱き締められた。
「おいっ、何だ!?」
「こっちの台詞だ。どうして俺を置いて行くんだよ!?」
え、どうしてってそれは……、同じ軍に所属していたとはいえ、あんたは知らない人だから。
セイヤを捜すという大きな目的が有る俺には、赤の他人に関わっている暇なんて無かった。
「悪い、大切な用が有るんだよ」
「悪いと思うんなら一緒に居てくれよ!」
「すまない、急ぎの用なんだ」
謝りながら俺は、身体を締め付ける男の腕を外しに掛かった。
袖口から覗く男の肌は白く、筋肉量は少ないのに手の平にタコができていた。日常的に工具を握る人間の手だ。
「……あんた、職人さんか?」
「見習いの靴職人だよ! 街に出てやっと大店で雇ってもらえたのに、徴兵されて努力も夢も全てパーだ!!」
「…………」
「もう嫌なんだよ。軍に入っても周りはみんな知らない奴ばかりで。剣を握ったことなんてないのに、戦えって、敵に立ち向かえって、小隊長も先輩も無茶言うんだよ。怖くて、痛くて、でも誰も助けてくれなくて!」
俺は男を少し憐れんだ。幼馴染みと同じ隊に居られた俺は、きっと恵まれていたのだ。
「頑張ったのに、それなのに地獄へ落ちるって何だよ! 俺は望んで戦った訳じゃねーよ。それでも罪になるのかよ!?」
「落ち着け」
「落ち着けるかよ! キミだって俺を独りにするんだろ!?」
「しない。悪かった、一緒に行動しよう」
「え……」
俺を拘束していた男の腕から力が抜けた。今なら簡単に抜け出せるが、俺はもう男を赤の他人とは思っていなかった。
国家権力によって人生を捻じ曲げられた弱者。俺と同じだ。
「一緒に……居てくれるのか?」
俺は男に向き直り、頷いた。
「ああ。ただし俺には急ぎの用が有る。キビキビ行動してもらうからな」
「わ、わかった。頑張るよ!」
男の瞳に希望の火が宿った。
「で、キミは何をするつもりなんだ?」
「幼馴染みを捜す。彼も参戦していて、俺のすぐ後に斬られた」
「そうか。その人もここに落ちている可能性が高いんだな?」
「ああ」
「でも、どうやって捜す? 案内人と名乗る黒い鳥から聞いたけど、ここには恐ろしい管理人が居るんだろ? 幼馴染みくんはきっと姿を隠して行動しているよ」
その通りだ。闇雲に捜しても見つけるのは困難だろう。
「だから鳥を追う。奴の向かう先には落ちた魂が居る。あんたのことも、鳥が飛び立った方向に走ったから見つけたんだ」
「なるほど」
男は感心したように頷いた。
「じゃあ次は、あっちの方向へ行っ……」
男は言い掛けて止めた。
「どうした?」
「いや、あれ、鳥じゃないか?」
俺は男が差す指の先を見た。
遙か上空、翼を付けた何者かが滑空していた。逆光でよく見えないが、ソレはこちらへ向かってきているようだ。
ソレを見た瞬間、俺の背筋に雷が走る感覚に襲われた。
「何だ、鳥の方から来てくれたよ。ラッキーだな」
男は楽観的に言ったが、俺の意見は違っていた。
「おい……、下がった方がいい」
「え?」
狩りに出た時、まだ遠くから獣の姿を見ただけで、全身が総毛立つ経験が何度か有った。
それは決して勝てない相手。本能がそう教えてくれるのだと生前の父親は言っていた。
もしそんな相手に出会ったら、戦わずに逃げろとも。
「おいあんた、グズグズするな。丘の方まで逃げるんだ!」
俺は思わず叫んでいた。それでもキョトンとした表情で佇む男の腕を掴み、強引に一つの丘の下まで引っ張っていった。
足の遅い男は、俺に引き
「な、何だ、どうしたんだ!?」
「静かに! 土壁を盾にして身を潜めるんだ。じっとしてろ!」
俺のただならない態度に、男は緊急事態だと察して押し黙った。
無いはずの心臓がバクバクと脈打っていた。かかないはずの汗が大量に流れた。
ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。
俺の五感がフル動員され、脳は警鐘を鳴らしていた。
向こうへ行け。向こうへ行け。向こうへ行け。
祈るしかできなかった。
俺達は今、対峙してはいけない敵に遭遇したのだ。
ドガゴゴッ!!
轟音が響くと同時に、俺達が隠れていた三メートル級の丘上部が崩れた。
土の塊が俺と男の頭に降り注いだ。
「うわっ!?」
悲鳴を上げた男の手を引き、すぐに隣の丘まで走った。
ガガガガッ!!
辿り着いた先の丘も、やはり轟音と共に崩された。俺はまたもや走り出した。
「何だ、何が起きてるんだ!?」
男は俺の手を振りほどき、降ってくる土塊を両手で払った。
馬鹿野郎が。走ることのみに集中すれば良かったのだ。
余計な動作を挟んだ男は、足をもつれさせ転倒した。
「おい、急げ!」
俺は男を急かしたが、男はなかなか立ち上がれなかった。足首を捻ってしまったようだ。
そして、ああ、男のすぐ後ろには奴が迫っていた。
奴の羽音を聞き、振り返った男が間抜けな感想を漏らした。
「え……え? 女の人……?」
確かに女だ。女ではあるが、普通の女ではない。
髪を引っ詰めて後ろに束ねて、仮面をつけた女。その背には漆黒の翼を生やしていた。
更に女は、長い刃を持つ大鎌を構えていた。
「ま、まさか……、管理人……!?」
鈍い男も流石に理解したようだ。この世界で絶対に出会ってはいけない相手。それが今、目の前に居るのだ。
恐ろしいのはその大鎌。男には見えていなかったようだが、狩人の俺の目は捉えていた。
小さな丘を粉砕したのは、女が振るった鎌の威力だった。
「た、助けて……」
俺はその手を取る代わりに、管理人へ矢を放った。無謀な挑戦だが、何故だか身体が動いてしまったのだ。
カンッ。
管理人は鎌の刃で容易く矢を弾いた。
俺は続く矢を放ったが結果は同じだった。完全に軌道を読まれていた。