地の底へ落ちるまで(五)
文字数 2,474文字
「やあ、真木 イサハヤ殿。まだ国同士の関係が良好だった頃に、合同演習で一度会ってるんだが、俺を覚えているかい?」
あの鎧武者が真木 イサハヤ……! 俺は有名武将の登場に興奮した。
「覚えているよ。しばらくぶりだな上月 殿。あの時のやんちゃ坊主が立派になったものだ。このような再会になるとは残念だがね」
「そうかい? 俺は嬉しいぜ。あんたとは一度、模擬戦ではなく本気でやり合ってみたいと……」
「連隊長ー!!」
マサオミ様の言葉尻に被せるように、誰かが叫んだ。俺達の軍の後ろから聞こえた。
「連隊長ー!!」
見ると、昨日捕虜になったトモハルだった。彼は後ろ手を縛られたまま、桜里 の兵士が造る人波を縫って走ってきた。
トモハルは森の奥に居たはずだが、戦闘が起こり手薄になった警備を突破してきたようだ。
味方の中から敵が飛び出してくると思わなかった桜里 の兵は、トモハルの逃走を咄嗟に阻めず、彼が州央 の軍と合流するのを許してしまった。
「トモハル、生きていたんだな!」
「はい、連隊長。ここからは私も戦います!」
トモハルに連隊長と呼ばれたイサハヤ殿は、トモハルを拘束していた縄を切り、己の二の太刀を彼に渡した。
マサオミ様が不思議そうに二人を見ていた。
「まだ連隊長? 司令じゃなくて?真木 さん、おたく実績の割に出世遅くねぇ? 何かヘマして降格した?」
イサハヤ殿は苦笑してマサオミ様に返した。
「それは刀を合わせればすぐに解ること。言葉は不要だ」
「だな」
マサオミ様は一呼吸して、真剣な面差しとなった。
「桜里 第六師団司令、上月 マサオミ、参る!」
マサオミ様は低い姿勢で疾風のように駆け抜け、瞬時にイサハヤ殿の眼前まで到達した。
そして彼の刀は美しい弧を描き、イサハヤ殿の肩口へ振り下ろされた。
カキィン!
袈裟斬りにされるはずだったイサハヤ殿は、自身の刀でマサオミ様の斬撃を押し戻した。
刀同士が合わさる乾いた音が森に響き、それを合図に、再び両軍の兵士が入り混じる乱戦となった。
中距離間合いが必要な射手の俺は、セイヤと一緒に一旦後方へ退いた。セイヤにはできればこのまま走って、軍医など非戦闘員が居る森の最奥部まで逃れて欲しいのだが……。
敵前逃亡は重罪だ。ここで生き残っても、逃げた兵士の未来は暗い。
俺は腹を決めた。セイヤは俺が護るしかない。
遠目にイサハヤ殿と戦うマサオミ様が見えた。必ず勝って下さると信じて、俺は自分の間合いに入ってきた敵兵に狙いを定めた。
「エナミ!」
三連射で敵を仕留めたばかりの俺の耳に、セイヤの声が届いた。
「エナミ、来てくれ!」
声はしたのに姿が見えなかった。何処へ行った? 後ろに居たはずなのに。
「こっちだ、早く!」
セイヤが少し離れた大木の陰から顔を出した。
小走りでセイヤの元に急いだ俺は、彼が介抱しようとしている負傷兵を見て驚いた。
「獅子座 マホ様!?」
軍師のマホ様が、木の根元に寄り掛かるように倒れていた。
「やられたのか? 何処を!?」
「腹……。それもかなり深く斬られたみたいだ」
セイヤの言葉通り、マホ様の下半身は鮮血に染まっていた。
かなりの出血量だ。応急手当で何とかなる状態じゃない、今すぐ縫合手術ができる軍医に見せなければ。
「セイヤ、マホ様を背負って軍医の所まで走れ。俺が援護する」
「わかった!」
しかし他ならぬマホ様が俺達を止めた。
「……私はもう保 ちません。ここに……捨て置きなさい」
「そんなこと、できる訳無いじゃないですか!!」
セイヤの反論を、マホ様は弱々しい声で抑えた。
「この位置から私を運べば……、マサオミ様に見えてしまうかもしれない。戦っているあの方の気を……、削 ぎたくないのです」
俺は悟った。マホ様はマサオミ様の邪魔にならないように、負傷した身体を大木で隠して、独りで死のうとしているのだ。
「でも……」
諦められないセイヤが何か言おうとした時、森全体にどよめきが起きた。
何だ?
「火だ、森に火が点 けられたー!!」
幾人もの悲鳴が聞こえた。振り返ると、カザシロ平原の方角から大量の煙が上がっていた。
位置から考えて、砦に残った州央 の兵が火を放ったのだろうか?
「何でっ!? 俺達がここに居るのに!」
州央 の軍服を着た兵士が戦いを忘れ立ち尽くしていた。森へ攻めてきた部隊には、知らされなかった作戦のようだ。
マホ様が驚愕の瞳で空に昇る煙を見つめた。
「馬鹿……な。近くの森が燃えれば……、砦とて無事では済まないだろうに。それに……まだ州央 の兵が……、森で戦っているというのに」
砦に残った州央 の司令官は、味方もろとも桜里 の兵を全滅させるつもりなのだろうか?
有名な武将、イサハヤ殿も居るのに?
「ぐ……、かはっ」
マホ様が口から血を吐き意識を失った。もう一刻の猶予も無かった。
セイヤは空になった矢筒を背中から外して放り投げた。
「行くぞ、エナミ!」
俺の返事を待たずにセイヤは、マホ様を背負い駆け出した。
慌てて俺もセイヤの後を追った。周囲の敵を倒して、セイヤが走る道を確保してやらなければ。
大木の陰から出た俺はちらりと、マサオミ様の方を窺った。
火事で混乱している戦場の中、マサオミ様とイサハヤ殿だけが冷静に、見事な剣技でせめぎ合っていた。
イサハヤ殿の重そうな太刀が水平に振られた。マサオミ様は難なくかわしたが、その際身体の向きが変わり、俺達の方を見てしまった。
「獅子座 !?」
マサオミ様は瞬時に、セイヤに背負われた人物が誰なのか察した。彼とマホ様は過去に交際歴が有ったのではないかと、部下の間で噂される程に信頼関係が強い。
負傷したマホ様を見て、マサオミ様に隙が生まれた。
「おい、獅子 ……」
ビュンッ。
再び水平に振られたイサハヤ殿の刀を、マサオミ様はすんでの所でかわしたものの、体勢を崩して尻餅をついた。
それをイサハヤ殿が見逃すはずがなかった。
イサハヤ殿はすかさず上段に構え、刀をマサオミ様の身体へ振り落とそうとした。
「!!」
敵味方関係無く、周囲の兵士は皆息を呑んだ。大将戦の決着となるはずだったのだ。
あの鎧武者が
「覚えているよ。しばらくぶりだな
「そうかい? 俺は嬉しいぜ。あんたとは一度、模擬戦ではなく本気でやり合ってみたいと……」
「連隊長ー!!」
マサオミ様の言葉尻に被せるように、誰かが叫んだ。俺達の軍の後ろから聞こえた。
「連隊長ー!!」
見ると、昨日捕虜になったトモハルだった。彼は後ろ手を縛られたまま、
トモハルは森の奥に居たはずだが、戦闘が起こり手薄になった警備を突破してきたようだ。
味方の中から敵が飛び出してくると思わなかった
「トモハル、生きていたんだな!」
「はい、連隊長。ここからは私も戦います!」
トモハルに連隊長と呼ばれたイサハヤ殿は、トモハルを拘束していた縄を切り、己の二の太刀を彼に渡した。
マサオミ様が不思議そうに二人を見ていた。
「まだ連隊長? 司令じゃなくて?
イサハヤ殿は苦笑してマサオミ様に返した。
「それは刀を合わせればすぐに解ること。言葉は不要だ」
「だな」
マサオミ様は一呼吸して、真剣な面差しとなった。
「
マサオミ様は低い姿勢で疾風のように駆け抜け、瞬時にイサハヤ殿の眼前まで到達した。
そして彼の刀は美しい弧を描き、イサハヤ殿の肩口へ振り下ろされた。
カキィン!
袈裟斬りにされるはずだったイサハヤ殿は、自身の刀でマサオミ様の斬撃を押し戻した。
刀同士が合わさる乾いた音が森に響き、それを合図に、再び両軍の兵士が入り混じる乱戦となった。
中距離間合いが必要な射手の俺は、セイヤと一緒に一旦後方へ退いた。セイヤにはできればこのまま走って、軍医など非戦闘員が居る森の最奥部まで逃れて欲しいのだが……。
敵前逃亡は重罪だ。ここで生き残っても、逃げた兵士の未来は暗い。
俺は腹を決めた。セイヤは俺が護るしかない。
遠目にイサハヤ殿と戦うマサオミ様が見えた。必ず勝って下さると信じて、俺は自分の間合いに入ってきた敵兵に狙いを定めた。
「エナミ!」
三連射で敵を仕留めたばかりの俺の耳に、セイヤの声が届いた。
「エナミ、来てくれ!」
声はしたのに姿が見えなかった。何処へ行った? 後ろに居たはずなのに。
「こっちだ、早く!」
セイヤが少し離れた大木の陰から顔を出した。
小走りでセイヤの元に急いだ俺は、彼が介抱しようとしている負傷兵を見て驚いた。
「
軍師のマホ様が、木の根元に寄り掛かるように倒れていた。
「やられたのか? 何処を!?」
「腹……。それもかなり深く斬られたみたいだ」
セイヤの言葉通り、マホ様の下半身は鮮血に染まっていた。
かなりの出血量だ。応急手当で何とかなる状態じゃない、今すぐ縫合手術ができる軍医に見せなければ。
「セイヤ、マホ様を背負って軍医の所まで走れ。俺が援護する」
「わかった!」
しかし他ならぬマホ様が俺達を止めた。
「……私はもう
「そんなこと、できる訳無いじゃないですか!!」
セイヤの反論を、マホ様は弱々しい声で抑えた。
「この位置から私を運べば……、マサオミ様に見えてしまうかもしれない。戦っているあの方の気を……、
俺は悟った。マホ様はマサオミ様の邪魔にならないように、負傷した身体を大木で隠して、独りで死のうとしているのだ。
「でも……」
諦められないセイヤが何か言おうとした時、森全体にどよめきが起きた。
何だ?
「火だ、森に火が
幾人もの悲鳴が聞こえた。振り返ると、カザシロ平原の方角から大量の煙が上がっていた。
位置から考えて、砦に残った
「何でっ!? 俺達がここに居るのに!」
マホ様が驚愕の瞳で空に昇る煙を見つめた。
「馬鹿……な。近くの森が燃えれば……、砦とて無事では済まないだろうに。それに……まだ
砦に残った
有名な武将、イサハヤ殿も居るのに?
「ぐ……、かはっ」
マホ様が口から血を吐き意識を失った。もう一刻の猶予も無かった。
セイヤは空になった矢筒を背中から外して放り投げた。
「行くぞ、エナミ!」
俺の返事を待たずにセイヤは、マホ様を背負い駆け出した。
慌てて俺もセイヤの後を追った。周囲の敵を倒して、セイヤが走る道を確保してやらなければ。
大木の陰から出た俺はちらりと、マサオミ様の方を窺った。
火事で混乱している戦場の中、マサオミ様とイサハヤ殿だけが冷静に、見事な剣技でせめぎ合っていた。
イサハヤ殿の重そうな太刀が水平に振られた。マサオミ様は難なくかわしたが、その際身体の向きが変わり、俺達の方を見てしまった。
「
マサオミ様は瞬時に、セイヤに背負われた人物が誰なのか察した。彼とマホ様は過去に交際歴が有ったのではないかと、部下の間で噂される程に信頼関係が強い。
負傷したマホ様を見て、マサオミ様に隙が生まれた。
「おい、
ビュンッ。
再び水平に振られたイサハヤ殿の刀を、マサオミ様はすんでの所でかわしたものの、体勢を崩して尻餅をついた。
それをイサハヤ殿が見逃すはずがなかった。
イサハヤ殿はすかさず上段に構え、刀をマサオミ様の身体へ振り落とそうとした。
「!!」
敵味方関係無く、周囲の兵士は皆息を呑んだ。大将戦の決着となるはずだったのだ。