文字数 2,225文字

 腹の底から叫んだ。声が裏返ってかっこ悪い。いや、そんなこと構うものか。
 確かに父は罪を犯した。
 だけど、それがなんだと、言ってもいいのではないか。息子の自分くらいは、父の行いを認めてもいいのではないか。
 父がきてくれなければ、今、自分はここにいない。あの日、死んでいただろう。
 なのに目を背けて、忘れて、平穏さだけを求めていた。
 父は今もまだ、あの日背負った十字架の重圧に苦しんでいるかもしれないのに。
「ごめん、父さん……」
 呟いたと同時に目の前の惨状はひび割れる。ガラスのように透明な膜が、壊れ、崩れていく。血まみれの父の顔にも亀裂が走り、砕けて散った。
 目の前には、幻影を破られて驚いている様子のマグマグマが立っていた。
「……過去を再生できるんだってな、お前。辛い過去を見せて戦意喪失させるなんて、大層な能力持ってるじゃないか」
 聡介の声を理解しているのかいないのか、マグマグマは怒ったような吠え声を短くあげ、視線をヒトミに移す。
 また、景色が変わり始める。
 突然、大きな手が頭上に何本も伸びてくる。陰鬱な声が何か言っている。スライドショーのように、いくつもの映像が移り変わっていく。
 どこかの戦場、墓場、廃墟。どの景色も荒んで暗くて、生気が感じられない。現れては消えていく幻影は、やがてチャンネルを定めたように突然、鮮明になる。
「なんだ……?」
 灰色の空の下、砂塵舞う荒野に、一人の少女が今にも倒れそうになりながら歩いている。
 布きれ一枚を身体に巻き、隠しきれない肌にはいくつもの眼球が蠢いていた。
 これはヒトミの過去か。
 現実のヒトミは青ざめた顔で、何かを凝視している。
「やめろ……ッ!」
 人の弱い部分を暴くやり方が許せなかった。
 再び幻影の中に姿を消そうとするマグマグマの腹に、拳を打ち込む。
 ドロドロと燃えるマグマが腕にまとわりついてくる。
 だが、かまいはしなかった。
 再び、聡介は殴った。赤い飛沫が飛び散り、草が燃える。マグマグマはよろめき、低い声で唸っている。
 幻影はまだ消えない。この光景だけでは何もわからないが、ヒトミが過酷な人生を歩んできただろうことは想像に難くない。
 見てはいけない。ヒトミの過去を知るとしたら、それは彼女の口から語られたときだけだ。
「やめろって言ってるだろ!」
 そう何発も大人しく食らってはくれない。
 マグマグマはひょいと聡介の攻撃を避け、距離を取る。
 聡介の拳は届かないが、やつの爪は届く間合いだ。見た目は獣だが、バカじゃない。
「くそっ」
 怒りで身体が熱いのか、それとも広がり始める炎のせいなのか、よくわからなかった。
 嫌なにおいがする。あいつを殴った拳の表皮が焼けただれているからだ。
 何度もマグマを浴びたらただではすまないだろう。
 変身したからといって不死身ではないのだ。
「嫌……、もう見たくない……」
 小さく呟くヒトミの声にはっとして、彼女を見る。
 ヒトミは両目……元から彼女の顔についていた二つの美しい瞳を硬く閉じて、耳を塞いでいる。だけど、身体中の目は四方を見つめ、蠢いていた。
 その目はどれほどの像を脳に送り込むのか。
 想像しただけで頭が痛くなる。
「ヒトミさん、大丈夫か」
「見たくない……」
 幼げな声音で呟く。聡介の知っているヒトミではない。
 おそらく砂塵の中を歩くあの少女の悲痛な声だ。ヒトミは過去の自分と同調している。
 さきほどの聡介と同じように。
「ヒトミ!」
 肩を揺さぶり、腕を掴む。
「え、ああ……聡介?」
 まだ虚ろな目は、再び過去に囚われてしまいそうだ。
 何か話さなければ。
 ヒトミが今いるのは〝ここ〟だということを、わからせなくては。
「ヒトミさんは、そこにはいないよ」
「わかってる……」
 理解している。それでも囚われている。よろけながらも懸命に歩を進める少女から目を逸らせない。
 聡介も、思わず駆け寄って手を差し伸べたくなる。だけど彼女は、幻だ。
 あの少女は、過酷な運命を生き抜いて、今は大人になり母になった。
 喫茶ブレイクに訪れて、聡介を半ば無理矢理ヒーローに仕立て、ウイトレスをして、堤さんと仲良くなった。
 聡介が父の行いを直視できずにいることを本気で怒って、家出をして、花火を見て泣いた、この町に。
 聡介の隣に、いる。
 彼女がいたから、聡介は自分の過去と父に向き合うことができた。
 聡介はヒトミの手を取り、強く握った。
「ヒトミさん、ありがとう」
「え……?」
 不思議そうな顔をして、聞き返すヒトミに、聡介はさらに言葉を継ぐ。
「ヒトミさんの言う通りだった。父さんは、間違っていない。間違ってなんか、いなかった」
 それを断言するのが怖かった、今まで。してはいけないと思っていた。
 だけど。それでも。
 父の行動が聡介の命を繋いだ。その事実を受け止めなければいけない。
 ヒトミはパチパチと瞬きをして、聡介を見つめている。
「……遅いよ、聡介」
「そうだな。ごめん」
「まぁ、聡介がなかなか認めないのもわかっていたけどね」
 青白い顔のまま、ヒトミは不敵に微笑む。
「ヒトミさんの子どもを助けよう」
「うん」
 マグマグマはヒトミが幻影に囚われなかったのが悔しいのだろう。八つ当たりのように溶岩を撒き散らしている。
「急ごう。緑地が火の海になる前に」
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