文字数 4,186文字

 日曜日、聡介は有馬を誘って、国道沿いのショッピングモールに向かっていた。駅前から送迎バスも出ていたが、天気もよかったし歩いて行くことにした。住宅街を抜けると途端に車通りが多くなる。車を使わない聡介にとっては、この道を歩くのは久しぶりのことだった。
 駅前や店の周りは昔と変わり映えしないが、この辺りは変わった。子どもの頃に家族でよく行ったファミリーレストランは店名が変わり、ボーリング場は潰れていた。
 もう二十年近くも前の話だ。変わっていくのは当たり前のことだろう。
 町も人も変わっていく。変わらなければ、先には進めない。
 そんなふうに思いながらも、変わらずそばにいる幼なじみの横顔に安堵を覚える。
「聡ちゃん、今日はヒトミさんは? 連れていかなくていいの?」
「ああ、古い電子辞書貸したら、夢中で色々調べてるよ」
 家に置いてくるのは不安だから誘ってみたのだか、ソファーに寝っ転がったままヒラヒラと手を振って『いってらっしゃい』と言われた。
 ウエイトレスなんて慣れないことをして疲れているだろうし、家でゆっくりするのもいいだろう。あの調子なら夕方まで電子辞書とにらめっこしているかもしれない。
「調べ物なら、パソコン貸してあげればいいのに」
「いや……余計なことをされても困るから」
 情が移ってきたからといって、信用したわけではない。事態を把握するために、仮に彼女の言うことは真実だと思うことにしただけだ。
「ところで聡ちゃん、名前考えた?」
「なんの」
「あれだよぉ。聡ちゃんが変身してたやつ。かっこよかったよねぇ」
 有馬が目をキラキラさせて言う。確かにデザイン……というと語弊があるか、ともかく見た目は悪くない。少しダークな雰囲気もかっこいい気はする。あれが映像作品なら興味を持つかもしれない。。
 だけど、自分が変身するのは……。
 嫌だ。そう思いかけて、気づく。
 今思い返しても、それほど嫌悪感はない。
 喉元過ぎたら熱さを忘れるというやつか。それとも、あの一度の変身で心にまで変調をきたしているのか。
 いや……考えすぎか。異常な事態から精神を守るための防御反応かもしれない。
「ブレイクはどう?」
 恐らく以前から考えていて、今日これを言い出そうと思っていたのだろう。有馬の中ではもうこれで決定というような表情だ。
「店の名前だろうが。だいたい、名前なんかいらねーだろ」
「呼びにくいじゃん?」
「呼ぶな」
 ブレイクか……。
 素っ気なくあしらいつつも、名前としては悪くない、などと思ってしまう。
 喫茶ブレイクはもちろん、中断するから派生した休憩、一息入れるという意味だ。それと巷でよく耳にするのは、芸能人などが急に売れたときのブレイク。しかし本来の意味は。
 破壊。
 あのとき、腹の底から突き上げるような衝動があった。何かを壊したい、引き裂きたい、この手で……と。
 あんな凶暴な気持ちになったのは初めてだった。確かに、似合いの名前かもしれない。名づけることで本当の破壊者になりそうな不安はあるけれど。名づけるならこれしかないような気がしてくる。
 聡介の表情を見て、有馬が満足そうに頷く。
「決まりだね」
「なんで有馬が決めるんだよ。第一、もうしないから」
 変身なんて……。そう小声でつけ加えるが、有馬は聞いていない。おなかが空いたとぶつぶつ言いながら早足になる。
 ショッピングモールに着くと、早めの昼食を済ませようとフードコートへと向かった。すると、店舗一覧の前に何やら目立つ容姿の男が立っている。長身に真っ赤なハイビスカス柄のアロハシャツにダメージのあるGパン。足元は下駄だ。先にその人が誰だか気づいたのは有馬だった。
「……あれ、穂村さんじゃない?」
「ほんとだ」
 昼食を食べにきたのか、空き時間を潰しているのか。周りの人は気づいていない、たぶん。近くを通る人が彼を見ているのは単に派手だからだろう。
「穂村拳さんですよね。握手してください」
「ああ、もちろん! 今日のステージを観にきてくれたのかい?」
 聡介が声をかけると、穂村は気さくに応じ力強く手を握ってくれた。服の趣味はともかく、近くで見てもまだまだ若いし、かっこいい。四〇歳を過ぎているとは思えない。
「ゲンコツ・ファイアーの頃とお変わりないですね」
「もちろん! 子どもたちの夢は壊さない。子どもたちを守るのが俺の使命だからな!」
 満面の笑みを見せ、ゲンコツ・ファイヤーがよくやる拳を突き上げるポーズを見せてくれた。
 サービス精神旺盛な人だ。そこは好感が持てた……が、正直反応に困る。声をかけてみたものの、大ファンというわけではないし、こちらのほうがテンションが低くてなんだか申し訳ない気分になる。
「頑張ってください」
「おう、またあとでな!」
 穂村は笑顔で手を振って、去って行った。
「お前は握手とかサインとか、頼まなくてよかったのか」
 有馬は仏頂面で首を横に振り、毒づく。
「いつまでゲンコツ・ファイヤーでいるつもりなんだろ」
「いや、単なるファンサービスだろ?」
「だってあの人、何やってもゲンコツ引きずってるじゃん」
 辛辣な言葉を吐き、有馬はむっつりと唇をへの字に曲げる。
 確かに有馬の言う通り、今の言動はゲンコツ・ファイヤーに固執しているように感じた。過去作品を大切にするのは好ましく思えるけれど、あまりに過剰だと、役者としてはどうなんだろうと微妙な気持ちになる。それで地位を確立しているならともかく、彼の場合、成功しているとも思えないし。
 それでも、過去から脱却できないのだろう。一番脚光を浴びた、自分が輝いていたときから。
 だけどまぁ、人様の人生だし。とやかく言うことではない。厳しい世界だろうし、有馬の言うようにそっと消えていくのかもしれない。
 むっつりと唇を尖らせている有馬を見て、聡介はため息をつく。
「誘って悪かったよ。帰るか?」
「え? せっかくきたんだから、観ていくよ」
 なんなんだよ……。気に入らないんじゃないのかよ。
 機嫌が悪いままの有馬と共に軽く昼食を取り、イベントのある広場へと向かった。
 吹き抜けの開放感のある空間の一部に特設ステージがあり、音響設備とスタンドマイクが一つ、バックには『穂村拳ミニライブ』と横断幕が掲げられている。ステージの前に並べられたパイプ椅子には、半分ほど人が集まっていた。
「人、けっこういるじゃないか」
「そりゃ、タダだからね。通りがかりに寄っただけの人ぱっかじゃない?」
 辛口スイッチが入ったままの有馬は見やすそうな席を選び、腰を下ろした。しばらくすると、アロハシャツにジーンズ姿の男がステージに上がった。
「いよぅ! 今日はきてくれてありがとう!」
 初っぱなからテンションマックスで穂村が登場すると、ステージの端から『ゲンコツさーん!』と二、三名の野太い声援が飛んだ。コアなファンなのか、知り合いなのか。他の客からは戸惑い混じりの拍手がパラパラと起こる。
「一発目はやっぱりこの曲! 『ゲンコツ・ファイヤー参上!』だ! よかったらみんなも一緒に歌ってくれ!」
 聞き覚えのあるイントロが流れ、穂村は歌い出した。
 生歌だ……。やっぱり、上手いなぁ。
 マイクなんていらないんじゃないかと思うような声量でゲンコツ・ファイヤーの主題歌を歌い上げ、トークをはさんだあとは作中に出てきた彼の持ち歌や、最近のヒット曲も披露した。
 歌は上手いし、トークも楽しい。演技も下手ではないだろう。人柄もいい。ぱっとしないまま消えてしまうなんてもったいない。
「せっかくきたんだ、みんなと話がしたいな。誰か、俺に質問がある人!」
「はい!」
 隣の有馬がすかさず手を挙げる。ちらりと周りを見たが、手を挙げているのは有馬の他にはあの野太い声援トリオのみだった。
「じゃあ、一番に挙げてくれた君!」
 笑顔で応じる穂村に対し、有馬はにこりともしない。隣で見ていてひやひやする。
「穂村さんは、どうして悪役や三枚目役はやらないんですか?」
「それは、みんなの夢を壊さないためだよ。ゲンコツ・ファイヤーは正義のヒーローだ。俺が悪い奴や情けない男になった姿、見たくないだろう?」
 どうだとばかりに胸を張る穂村に、有馬は眉間の皺を深くした。
「そー……ですかぁ……」
 あからさまにがっかりした様子で有馬は礼も言わずに席につく。
 今の答えでよくわかった。やっぱり、彼は過去に囚われているのだ。ヒーローだった自分に。
 隣の有馬をちらりと見ると、怒っているような、悲しんでいるような顔でステージを凝視していた。
 ゲンコツ・ファイヤーには、有馬のほうがずっと思い入れがあったのだ。だから、穂村の現状に苛立つのだろう。彼が過去に演じたキャラクターを大切にしているのはファンとしては嬉しい。だけど時の流れには誰も逆らえない。なのに留まろうとする、縋ろうとする姿は未練がましくて見ていて辛い。そういうことなのかと腑に落ちた。
 今の話を聞いた子どもが、有馬に続いて手を上げた。
「おじさんは昔、正義の味方だったんですか? 変身ポーズ、やってください!」
「オーケー! よぉく見てろ!」
 ノリノリで応じた穂村は正面を向くと真顔になり、居合いのような仕草を取る。
 実際には変身後のゲンコツ・ファイヤーは大太刀を背負っていたので、居合抜きはできないのだが、ここはイメージ優先、かっこいいが正義だ。
 まぁ、そもそも大太刀は使わないのだが。
 さすがというか、固執しているだけあるというか、穂村の変身アクションは完璧だった。
 懐かしい。本当に、今にもゲンコツ・ファイヤーが現れそうな感じがする。
「へんし……」
「させない!」
 突如、ひび割れた声がイベント会場に響く。
 客席の後ろでは、異形の男が短い腕を伸ばしてステージ上の穂村を指差していた。
「お前、変身したらやっかい。覚えた。変身前に倒す」
「あいつ、あのときの……!」
 ワニマッチョだ。雨の夜、撃退したはずの。
 まずい。こんな人の多いところで。
 聡介は思わず、自分の右腕に触れた。シャツの中の硬い感触。銀のバングルが填まっている。
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