文字数 2,480文字

 なんとかするとは言ってみたものの、現実にはどうにもならないのが歯痒い。
「ごめんなサイ。わたしのせいで……」
 ソルはヒトミの少し後ろで、所在なげに俯く。身体が大きいからつい忘れてしまうが、こいつは子どもなのだ。五歳児の前でする話じゃなかった。
「いや、お前は悪くない。座んな。ジュースでも飲むか?」
 聡介は慌ててカウンターに入り、りんごジュースを注いでやる。祖父が田舎から送ってくれる、ストレート果汁のものだ。
 ヒトミの分もグラスに注ぎ、彼女にも座るように促す。
「ヒトミさん、あとで話そう。な?」
「……ごめん」
 素直にグラスを受け取り、ヒトミはりんごジュースにつけた。
「おいしいな、これ。な、ソル」
 小さな子にするように短く言葉を区切って優しく語りかけ、ソルの顔を覗き込み、ヒトミは笑いかける。黙って頷くソルの仕草は、相応に幼い。
「大丈夫よ、お母さんがなんとかするから。ソルは心配しないで」
 お母さん、か。ぱっと見はまったく親子には見えないが。
 それでも、二人の間に温かい信頼を感じる。そうだ、自分も母に連絡をしなければ。
 開店時間が少し過ぎるとカランとドアベルが鳴り、扉が開く。吹き込んでくる風はすっかり秋のものだ。
「おはようさん。なんだ、見かけない顔だな。ウエイターも雇うのか?」
「いえ、彼は……」
「なんだ、違うのか」
 いつもの席に座らず、田所はソルの隣に座ると、遠慮のない視線でじろじろと見る。
「いい身体してんな、兄ちゃん。仕事何してんだ? やっぱガテン系か」
 ソルはゆっくりと首を傾げたあと、しょんぼりと俯く。
「仕事……ないデス」
「そっかぁ。もし職探してるんなら、うちで働かねえか?」
「……えっ、よいのデスか? 何でもしマス。頑張りマス」
「待ってください、田所さん。そんな簡単に決めていいんですか?」
 こいつは人間じゃないんですよ、異世界の王子様なんですよ、とは言えない。
 かといってこのまま話が運ぶのを黙っているわけにもいかない。言葉を選ぶ聡介に、田所は心配いらないとばかりにうんうんと頷いて見せる。
「ちょうど人手が足んなくて困ってんだ。うちもほら、多様化っての? 外国人も何人かいるし、言葉が多少わかんなくてもどうってことない。仕事はきついが、仲間は気のいい奴らばかりだ。どうだ、兄ちゃん。明日からでも」
 田所はソルのことを、容姿と辿々しい言葉から外国人だと思い込んだようだ。
「住み込み、でもよいデスか」
「お? ああ、相部屋でよければおいで。兄ちゃんみたいなイケメンがくるとうちの母ちゃんも喜ぶよ」
 ソルの逞しい肩をバンバン叩きながら、田所は豪快に笑う。
「おい、ソル……本気か」
 ガタイはいいし知能も高い。だが、彼の心はまだ子どもだ。生まれてすぐに母親から引き離されて、ほんの数日前に再会できたところなのだ。いくら近所だとはいえ、ヒトミのそばから離すのは可哀想だ。
 そんな聡介の気持ちを察したように、ソルは真剣な目で見つめてくる。
「聡介サン、わたしは働きたいデス。働いて、ご恩を返したい、デス」
 辿々しく言い、ソルは頭を下げる。
 ヤバい、これを五歳児が言ってるかと思うと泣きそうだ。と、思っていたら隣にいたヒトミはすでに嗚咽を堪えて泣いていた。
「ソル……なんて健気でいい子なの」
「いや、ちょっと、ヒトミさん……」
 止めるかと思えば、彼女も田所にソルを預ける気でいるようだ。
「……なんかよくわかんねーけど、うちで働くってことでいいのか?」
「田所サン、どうぞよろしくお願いしマス」
 ソルは立ち上がると、深々と頭を下げる。田所は、礼儀正しいと言って喜んでいる。
 外国人と思い込んだのはいいとして、就労資格もないのに雇って田所がまずい立場になったりはしないのか。そもそも、ソルは外国人でさえない。この世界で、存在を証明するものが何もないのだ。
 聡介の心配をよそに、どんどん具体的に話は決まっていく。工場を見学させてやると言って、田所はソルを連れて店を出て行った。
「おい、止めなくていいのか……」
「ソル自身が選んだことだもの」
「だけどさ、再会したばっかりだし、手元に置いておきたいとか思わないのか?」
「思うわよ、そりゃ。だけど、本人の意志を尊重したいの。自分で生き方を選べるって幸せなことよ」
「それはそうかもしれないけど……」
 聡介は言葉を濁す。ヒトミの言っていることは親としては立派なものではあるが。
「わたしはソルが大事。だから自由に生きて欲しい。せっかく助け出したのに、わたしがソルの生き方を決めたら、意味がないもの」
 ヒトミがそこまで言うなら。こちらの定規で測ることはできないし、親子の関係にこれ以上は立ち入るまい。
「まずいことになったらノクスに頼むから大丈夫」
 自分の部下でもないのに使う気満々だ。ノクスがちょっと気の毒に思えてきた。
「知らないぞ、俺は」
 ため息が零れる。だが、とにかく当面の生活問題はなんとかなりそうだ。
「聡介」
「なんだよ」
 ヒトミの声に無愛想に応えながら、忙しい振りをしてペンを指先で弄びながら帳簿を眺める。
 本当は自分の力でなんとかしたかった。自分の不甲斐なさに苛立ちを隠せない。そんな狭量さも青臭くて嫌になる。
「ありがとう」
 澄んだ声に顔を上げる。花が咲くような笑みに、思わずペンを取り落とした。
「聡介、お前はわたしのヒーローだ」
「えっ、いや……もうやらないからな。変身なんてしないからな!」
 動揺して声が裏返る。汗が吹き出るのがわかった。身体中が熱くなる。
 この感じは、変身してしまうのか? 腕輪には触れてもいないし、そんなはずは。
 頬が火照って、身体中に熱い血が巡るのを感じた。
 鼓動が速くなって、ヤケに喉が渇いて、グラスに注いだ水を一気に飲み干す。
 それでも熱は冷めない。
 聡介は自分の手を見る。変身は、していない。
 だけど、聡介は自分の中で何かが確実に変わったのを感じていた。
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