文字数 3,847文字

 ショッピングモールでの出来事は結局、イベント会場の設営に問題があったということになった。
 穂村拳を始め、会場に居合わせた人たちは皆、何も覚えていないらしい。
 聡介にとっては好都合ではあるが、気味が悪い。ヒトミに訊いてみてもよくわからないと言われた。本当にわからないのか、はぐらかされたのかは不明だ。
 あの日、ワニマッチョが消えて床が元通りになりしばらくすると、イベント中止を告げるアナウンスが入り、穂村は残ったお客さん一人一人に声をかけ、頭を下げていた。
 数少ない仕事だろうに気の毒だと有馬は言っていたが、たぶん、あの場にいた人たちは穂村に好感を持ったことだろう。
 聡介もその一人だ。ゲンコツ・ファイヤーにこだわり過ぎだったけど、まっすぐで正義感の強い人だ。思い出のヒーローを演じたのが彼で本当によかったと思う。
 あとは、役者としてもっと活躍してくれるといいのだけれど。きっと、どんな役をやったって、彼の根底にある熱い気持ちは変わらない。
 聡介が物思いに耽っていると、カランとドアベルが鳴って、馴染みの顔が見えた。すかさず、ヒトミが明るい声を上げる。
「いらっしゃいませー! あ、有馬君!」
「こんばんは、ヒトミさん。だいぶ慣れてきたね」
 週末の夜、いつものようにやってきた有馬は、ヒトミに手土産のシュークリームを手渡しながら、喫茶ブレイクの小さな異変に驚きの声を上げた。
「あれ、どうしたの、聡ちゃん」
 以前はあれほど嫌がっていたのに、聡介がカウンターにフィギュアを飾ったのだ。子どもの頃買ってもらって、大事にしまってあったゲンコツ・ファイヤー。色褪せてところどころ傷んでいるけれど、経てきた時間も愛おしい。
「うん、昔すごく好きだったのを思い出してさ」
「何だよ、今頃?」
 有馬は呆れたようにため息をつく。でも、目は嬉しそうに笑っている。
 祖父の店をなるべく昔のままに保とう。そのためにブレイクを託されたのだと、勝手に思い込んでいた。だけど、祖父が望んだのはただ一つ。
 ブレイクの名を残すこと。それだけだ。その理由も知っている。
 時は流れていく。人も町も変わっていく。マイナーチェンジを繰り返しながら維持していけばいいのだ。わかっているつもりだったけれど、わかっていなかった。
 それに気づくと、少し気が楽になった。
「僕もなんか持ってこようっと。もう部屋に置ききれなくて困ってたんだよね」
「うちを倉庫代わりに使うなよ?」
「わかってるよぉ、厳選してくるから、任せて!」
 目を輝かせる有馬に一抹の不安を感じる。彼の部屋がフィギュア類で飽和状態なのを知っているから。
 ヒトミはクリームソーダを作って有馬の前に置いた。炭酸にアイスクリームを綺麗に入れるのは簡単そうに見えて実は難しいのだが、ヒトミは器用にやってのけた。
「そうだ、こないだの動画観る?」
 リュックからタブレットを取り出し、動画を再生し出す。ショッピングモールのイベント会場が映し出され、子どもを助けに飛び込もうとした穂村と、それを止める聡介が映っていた。
「撮ったのかよ……危ないからよせよ、頼むから」
「でも聡ちゃんも気になるでしょ」
「まぁ……そうだけど」
 言葉を濁しながら、聡介も動画に見入る。聡介が変身するところだ。頭上に赤い輪が現れ、聡介の身体を包み、強く発光する。次の瞬間にはブレイクに変身していた。
「なんか、こないだと形が違うな」
「そうなんだよ、肩にアーマーみたいなのついてる」
 必死だったから気づかなかったが、最初の変身のときと形状が微妙に違う。有馬の言う通り、肩には甲殻類に似たアーマーがついていた。よく見ると、腕や頭部の突起が鋭利になっているような気もする。
「聡介、かっこよくなってるよね!」
 ヒトミがひょいとタブレットを覗き込み、満足そうに言う。
 確かに見た目は前より戦士っぽい感じはする。それに、ガードが強化されているならありがたい。
「余計なこと言ってないで、そろそろ閉店準備始めて」
 仕事を言いつけると、ヒトミは不服そうに「はぁい」と言って、冷蔵庫の中をチェックし始めた。
「聡ちゃん、なんかタイトルつけようよ。僕がロゴ作るから」
「……はぁ?」
「ブレイクだけじゃ収まり悪いから、ほら、なんとか戦士的なやつ」
「何がどう収まるんだよ」
「で、考えてきたんだけど、撃砕! ブレイクとかどう?」
「どうって言われても。いやちょっと語呂悪くないか?」
 有馬は唇を尖らせてさらに考えようとしていたが、思い浮かばないのか、それとも飽きたのか、再度タブレットを聡介に向けた。
「そういえば聡ちゃん、これは見た?」
 有馬は聡介の動画を止め、代わりに別の物を再生し始めた。
 現れたのは、俳優の藤堂一輝。ゲンコツ・サンダーをやっていた人だ。定期的に公式チャンネルで近況などを動画で配信しているらしい。場所はどこかの楽屋のようだ。藤堂は映画の撮影に入ったことを告げている。そこに、ひょいと別の男が顔を出す。
『一輝のファンのみなさーん。お邪魔します!』
 穂村だ。屈託のない笑顔で、手を振っている。一方の藤堂はあからさまに迷惑そうに穂村を睨んでいる。
『まったく。自分で配信すればいいだろ』
『えっ、だってお前と一緒のほうが観てくれている人多いじゃん』
 しれっと言って、穂村はカメラに向けて居住まいを正し改まった様子で一つ咳払いをする。
『穂村拳改め、穂村ケンとして、どんな役でもこなせる俳優を目指して頑張ります! 悪役、三枚目はもちろん、女装、人外、なんでもします!』
『ゲンコツ・ファイヤーのイメージ壊したくないんじゃなかったっけ。一体、どういう心境の変化なわけ?』
『それがさぁ、過去の自分なんかぶっ壊してやれって、誰かに言われた気がしたんだ』
 言ってないし。だけど、微かには覚えているのか。あのときのやりとりを。
 藤堂は呆れたような顔をしながらも、話の先を促す。
『夢でも見たのか』
『ああ、そうかも。それで思い出したんだ。俺は正義のヒーローだけじゃ、何にでも変身できる役者だって』
『四十過ぎてからそれって、気づくの遅すぎだろ』
 冷たくあしらう藤堂の肩をバンバン叩き、穂村は嬉しそうに笑う。
『また共演しような!』
『はいはい。楽しみにしてるよ』
 慣れ慣れしく肩に手を回す穂村を振り払う藤堂は仏頂面のままだが、なんとなく嬉しそうにも見えた。なんだかんだで仲がよさそうだ。ゲンコツ・ファイヤーからずいぶん経つし、穂村と藤堂では仕事の格差も広がってしまっているのに、今も交流があり、遠慮なく言葉を交わす二人にちょっと感動した。
 藤堂は穂村の肩を叩き、カメラに向けて真顔になった。
『まぁ変な奴ですが、演技力は俺が保証します』
『藤堂の映画も観てくれよな!』
『だから、なんでお前が言うんだよ。まぁ、とにかくよろしくお願いします』
 締めの言葉を言い、動画はそこで終わった。
「穂村さん、やる気になったみたいだな」
「まだ口先だけかもしれないけどね。ああでも、かっこいい悪役ならいいけど、女たらしとか変な役だと微妙だなぁ……」
 ファン心理というのは複雑なものらしい。ともかく、穂村が有馬に熱烈に愛されているのは確かなようだ。
 表のイーゼルを仕舞い、すっかり閉店作業を済ませたヒトミは、再び聡介たちの間に顔を出す。
「聡介もやる気になった?」
「何が」
「決まってるじゃない、正義のミ・カ・タ!」
「そんなわけないだろ」
 追い払うように手をヒラヒラさせ、聡介はつれなく言い放つ。だが、それくらいで彼女がめげないことももう学習済みだ。
「だって、やっぱり好きだって認めたんでしょ? 正義の味方になりたかったんだって、思い出したんでしょ?」
 ヒトミに言われ、聡介は有馬と顔を見合わせる。
「そういえば、僕たちはあまりやらなかったよね。ごっこ遊びみたいなの」
「どっちかというと、おもちゃを戦わせてたよな」
 そこに有馬の妹が人形を持ち出し、弟がぬいぐるみで参戦し、カオスな状態で遊んだこともある。子どもの頃は設定ぶち壊しだなと思ったが、今となってはいい思い出だ。
「僕はねぇ、博士的な立場に憧れたなぁ。自分好みのヒーローに改造するの」
「変なオリジナルヒーローを落書きしてたもんな」
「落書きじゃないよ、設計図!」
 有馬は憤慨して見せたあと、懐かしいと笑い出した。
 本当に懐かしい。ほんの小さい頃には、どこか遠くにヒーローがいて、平和を守って戦っている。そう信じていた。
 いざというときには、自分のことも守ってくれるのだと。
 子どもの非現実的な夢想だ。現実には、ヒーローなんて都合よく登場したりしない。
 だけど、たとえ虚構の中であっても勇気や正義を教えてくれる。それで充分じゃないか。
 カウンターに飾られたゲンコツ・ファイヤーの姿を見てそう思う。
「とにかく、自分が変身したいなんて思ったことはないよ」
「二人とも、夢がない子どもだったのね」
「がっかりしたか?」
 肩を竦めるヒトミに問いかけるが、彼女は不敵に微笑むばかりだ。
「別に。そんなことで聡介の素質は揺らいだりしないから」
 その信頼感はどこからくるんだ。疑問に思いながらも、悪い気はしないなと、つい口の端が緩んでしまう。 
 ……ダメだ。この女の思うつぼじゃないか。
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