十六 愛しの小夜は良き母

文字数 1,674文字

 神無月(十月)十二日、明け六ツ半(午前七時)過ぎ。
 日野道場を訪ねた石田は、昨日と今朝の出来事を事細かに日野唐十郎に報告した。
「わかりました。始末屋の役目、無事に終えましたな。
 二人の仏は後藤伊織がうまく取り計らうでしょう。後藤伊織はそういう男です。心配めさるな」
 日野唐十郎は石田の心を読んでそう言った。
「はい。いろいろ忝うございました。今後も、なにとぞ我らを指導して下さい」
「居合いの手解きをして頂きたいのは、私の方です。
 私が道場に詰めている日は・・・」
 日野唐十郎は石田が居合いを教授に来ると信じて、自身が日野道場に詰めている日取りを説明した。

 朝五ツ半(午前九時)。
 賭場荒らしの一件は、小梅の水戸徳川家下屋敷留守居役の後藤伊織が、
「下屋敷に入った夜盗を死罪にした」
 と小石川の水戸徳川家上屋敷留守居役の後藤織部へ報告して落着した。後藤織部はこの一件を水戸の徳川家へ報告し、今後の揉め事を避けるため、内密に公儀(幕府)評定所へ報告した。


 その頃。
 石田屋に戻った石田は、帳場に座る幸右衛門と話した。今日の小夜は上女中の仕事が休みである。
「小夜の働きは如何ですか」
「良く働いていただいて大助かりです。読み書き算盤、全て石田さんが教授なさったと聞いています」
「はい・・・」
 小夜は上州の郷士の娘だ。昨今の冷害で窮した郷士の借金がかさみ小夜が奉公を買って出た事を、石田は幸右衛門に話してあったが、郷士の家計を小夜が切り盛りしていた事は話していなかった。小夜の仕事が増えるのを懸念してだった。

「ところで、幸右衛門さん。始末の件で案があります」
「おうかがいします」
「小夜に、始末を専門に取り次がせては如何ですか。
 幸右衛門さんが私に依頼しているように、小見世の主が、誰の始末をするか花代取り立ての証文をしたためて、小夜に届けるのです。あとの事は私たちが引き受けます」
 後々揉めぬよう、花代取り立て証文を事前に町奉行所へ届け、町奉行所から花代取り立て承諾証文を受ける。始末の手間賃は始末料の二割だ。

「御内儀も、始末屋をなさると言うのですか・・・。
 できることなら、この帳場を任せたいと思っています。
 いつの日か、ややとともに御内儀がここに座るのを、心待ちにしております。
 御内儀がお待ちです。会っておいでなされ。始末を終えて話す事がおありでしょう」
 幸右衛門は、石田が始末の礼金を小夜に渡して小夜の実家へ送金しているのを知っている。
「はい・・・」
 幸右衛門に話をはぐらかされた。幸右衛門は本気でこの店を小夜と私に継がせる気だ。
 そう思いながら、石田は小夜の部屋へ戻った。


「ただいま帰りました」
「お帰りなさい、旦那様」
 石田は帯びている刀(打刀と脇差)を外して小夜に渡した。小夜は刀を受けとって床の間の刀掛けに置いた。
 石田は小夜を抱きしめた。愛しい小夜。こうして二人で居る時は片時も離すまい・・・。
 そう思っていると石田の腹が鳴った。
「あれまあ、朝餉はすみましたか」
 小夜が驚いて石田の胸から顔を上げ、石田を見あげている。
「おお、忘れていました。いろいろ忙しかったので・・・。
 これを、いつものように親御に送ってください」
 石田は小夜を抱きしめている腕を解いた。清太郎の父、山科屋清兵衛からの礼金五両を小夜に渡した。
「これで、今月は六両を越えましたよ。送金は多くても、月に一両です。
 そうしないと次からは当てにされます。
 六両を一度に送ったら、なお当てにされます。送金受けとりの文で、父も母もそう言っています。過去の借金で、反省したのでしょうね。
 受けとりの文は父と母の手による文です。配達の飛脚にちょろまかされていません」
 小夜は石田が気にしている事の全てを説明した。
 小夜の言葉は、小夜の思いを全て語っていた。この小夜が母なら、道理をわきまえた、良き子が育つだろう・・・。石田はそう思った。

 小夜は石田を抱きしめた。
「そしたら、朝餉を用意しますね。
 朝餉がすんだら、こんどは小夜の思いを叶えてくださいな。
 旦那様」
 小夜は石田を見あげた。

(了)
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