一 石田屋の跡継ぎ

文字数 1,647文字

 吉原遊郭に石田屋という小見世(こみせ)がある。主は幸右衛門(こうえもん)。もうすぐ五十歳になる。幸右衛門には歳の離れた女房の美代(みよ)がいるが、まだ子はいない。


 うららかな弥生(三月)初旬。
 幸右衛門は神田佐久間町に、名医と評判の町医者竹原松月(たけはらしょうげつ)を訪ねて診てもらった。
 問診と診察が終って幸右衛門は竹原松月に尋ねた。
「竹原先生。子を作るにはどうしたらいいものですか」
「子は天からの授かりものと言いますが、することをせねば子は授かりませぬ。
 御内儀をたくさん抱いてお上げなさい。
 御内儀は子ができそうなときはわかるはずです。
 それで子ができぬなら、お二人の体質と思いなされ」

「諦めろと言うのですか」
「子種がなければ致し方ないでしょう。
 子ができるためには・・・」
 竹原松月は幸右衛門に詳しく説明した。
 幸右衛門は竹原松月の話に納得するところがあった。

 神田佐久間町の町医者竹原松月は名医の誉れ高く、御上(おかみ)のお抱えの隠れ寄合医師(よりあいいし)だ。
(寄合医師とは、世襲の医家の生まれで、いずれは公儀(こうぎ)(幕府)の医官となるが、まだ見習いの者。平日は登城せず、臨時の場合に備えた)

「また、心配事がありましたら、おいでください」
「いろいろありがとうございます。今後もよろしくお願いします」
 幸右衛門は竹原松月宅を辞去し、吉原遊郭の石田屋へ帰路についた。


 その夜。
 吉原の大門が閉じた頃、幸右衛門は石田屋の己の臥所(ふしど)(しとね)に正座した。
「お美代。すまない・・・」
 幸右衛門は町医者竹原松月の説明を話して、女房の美代に詫びた。

「何をおっしゃるのですか。お前様一人の責任とはかぎりませぬ。
 月のものもままならぬ私にも、責任があります。
 それに、子のためだけで睦みおうたのではありませぬ。
 何よりも、お前様がたまならく大好きで、大切なのです。
 子のためだけで、余所に女を作って試してみなさい、などとは言いませぬ」
「わかった。見世を任せられる身内を探そう」
「はい・・・」


 その後、幸右衛門は家系を溯って見世を任せられる身内を探し、石田光成(いしだみつなり)にたどり着いた。
 石田は仲間四人とともに、隅田村の白鬚社(しらひげしゃ)の番小屋で暮している。番小屋といっても以前は日本橋の商家の寮で、十畳の座敷が二間と十五畳の板の間と、広い土間と台所がある平屋だ。
 白鬚社の番小屋で暮す以前、石田は仲間四人と浅草寺近くの空き家に住み、様々な仕事を請け負って日々の生計を立てていた。
 その頃、新大坂町の廻船問屋吉田屋吉次郎(よしだやよしじろう)が、かなり悪どい方法で隅田村に肥問屋吉田屋を開くに至った。そのため、吉田屋吉次郎は同業者の報復を恐れ、田所町の亀甲屋の主で日本橋界隈を牛耳る香具師(やし)の元締めの藤五郎(とうごろう)を通じ、肥問屋吉田屋の開店と説明の日の警護を、石田と仲間四人に依頼した。吉田屋吉次郎を守る用心棒である。

 肥問屋吉田屋の開店と説明の当日、石田と仲間は隅田村の人々に礼儀正しく接した。
 肥問屋吉田屋の開店と説明が無事に終ると、隅田村の人々は石田たちの人柄を認め、隅田村と村の白鬚社を守り警護する約束で、石田たちを白鬚社の番小屋に住わせた。
 石田と仲間たちは村人たちの恩に報いるため、白鬚社と境内を手入れして守り、様々な仕事を請け負いながら、村人に読書き算盤を教えた。


 義理と人情に長けたこの石田なら、石田屋を任せてまちがいはない。本人が望まぬなら、石田の子に継がせればよい。
 だが、いきなり白鬚社の番小屋へ行って、吉原の見世を任せたいと話しても、受入れられるはずがない。何か良い手立てはないものか・・・。請け負い仕事を生業にしているなら・・・。
 幸右衛門は閃いた。
 そうだっ。この手があった・・・。

「お美代。私の遠縁に・・・」
 幸右衛門は女房のお美代に相談した。
「そのような者がおるなら、ぜひともその者に会ってみたいものです」
「良い手があるのだよ・・・・」
 幸右衛門は説明した。

 説明を聞き、お美代は目を輝かせて幸右衛門を見つめた。
「それならば、ここに来ますね。必ず来ます。
 早う会いたいものです」
 美代は笑顔で幸右衛門を見つめた。

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