タンザナイト――4―2
文字数 2,594文字
俺は貰った花を挿すためマンションへと戻ってきた。
見慣れた靴が玄関に並んでいるので、愛梨さんはまだいるようだ。
「陽平君もう帰って来たんだね」
リビングまで進むと愛梨さんの方から話しかけてきた。
本を片手に、端末で課題か資料作りでもしていたようだ。
「向こうは用事があるみたいで長居出来なかったんですよ。でも、今日はまだ一人会わなきゃならない人がいるのですぐに出るんですけどね」
「相手は女の子かな。陽平君の事だからきっと、面倒だってその花もって一度はその人のところに行くと、怒られちゃって、今回は仕方なく花を挿しに戻ってきた。多分、そんなところだよね」
全くもってその通りなのだが、俺はそんなにわかりやすいのだろうか。
花瓶の水を替え、リボンを解いてから今日貰った花を挿す。
「それじゃあ俺はもう行きますね」
玄関で靴を履いている時だった。あっ、という愛梨さんの声が聞こえてきた。
「越前さんだよね、今から会いに行く相手。怒らせた相手も」
「そんなこと当てなくてもいいですよ」
俺の頭の中を当てるよりも相手を当てる方がずっと簡単な気がする。
しかし、愛梨さんも一本目のことがあったので、愛梨さんとしてはそちらの方がわかりやすかったのだろう。
「陽平君っ」
玄関を開けようとした時、少しだけ叫ぶようにして呼び止められる。
「今度はなんですか」
リビングの愛梨さんとは距離があって、はっきりそう見えたわけではないが、悩み、考えているように見えた。
「ごめんね、やっぱり何でもない」
気にはなったが追及することなく俺は部屋を出る。それは珍しく面倒だったからではない。何か言えないことなのだろうと思ったからだ。
三日ぶりに研究室を訪れる。
舞奈の事を思い浮かべるとドアを開けることを躊躇ってしまう。
まるで職員室に入る前の感覚に、深呼吸して呼吸を整えてからノックしてドアを開ける。
部屋の中に舞奈の姿はなかった。その代わり、部屋の一番奥のデスクには日高さんが座っていた。
「おや、彼氏君じゃないか。生憎と越前君は……、多分講義中でね。戻ってくるまですまないが待ってもらうことになる。いいかな?」
日高さんは壁に取り付けられた液晶を見ながら話す。映し出されている表のようなものはおそらく時間割の類なのだろう。
「俺は、あー、自分は別に大丈夫ですけど、お邪魔じゃないですか」
「君が越前君並みに面倒な人物でないのなら、僕としては何も問題はない。まあ、どこで待っていようと君の勝手だから、場所を移るというのなら好きにするといい。僕は止めない」
「それならお言葉に甘えて待たせてもらいます」
初めて会った時は舞奈もいて、ノリで喋っていただけだったからかあまり感じなかったことでも、一対一でとなると、この人も学校の先生なんだと意識してしまい、一分一秒が長く感じる。
日高さんにそのつもりがなくても、元学生の俺からすると、教員が無言で作業をしているだけで相応の圧力を感じてしまう。
こんな時、教師と学生という立場ながらも雑談を交わしていたクラスメイトなら平常心でいられるのだろう。親しみやすい先生だっていたのだから、もっと事務的な会話以外もしておけばよかった。
ひとまず、早く授業が終わり、舞奈が戻ってくるようにと祈る。
部屋の中は日高さんの作業音が微かに聞こえるばかりで、運動部の喧騒が欲しいくらいだ。
頭の中で延々と一人連想ゲームをして時が過ぎるのを待つ。こんな事なら部屋の前とかでもよかったか。いやしかし、廊下は外から丸見えなので、それはなんだか恥ずかしそうだ。
一人連想ゲームにも疲れてきて、一人変顔大会でもしようか、しかしどういうものが変顔なのだろうなんて考えていると、日高さんが突然、気が抜けたような深い息を吐いて立ち上がった。
「僕はもう行くとするよ。まあもしかすると、越前君の様子を見に戻ってくるかもしれないから、彼女が戻ってきたとしてもあまりはめは外さないことだよ彼氏君」
「はい、わかりました」
日高さんは溜息を吐くと、荷物をまとめて足早に出ていく。
「ああ、また君か。質問ならすまないが次の講義かその後で頼むよ」
どうやらまた研究室の前で待ち伏せされていたようだ。また、ということは、前回舞奈が言っていた五人の中の誰かだろう。
日高さんはわかっているうえで流しているのか、それとも本当にわかっていないのか、見事に相手をすることなく去っていく。
本当にわかっておらず、鈍いのだとすれば、日高さんはラブコメの主人公になれる、かもしれない。
そう思っている俺の自己評価は、鈍くはなくても女心なんてわからない一人の男、だ。鈍いだ何だと、そこまで馬鹿にできる程優れていない。
一人になってすぐ、ソファの上で横になった。
疲れているわけでもなかった。それでも、一人連想ゲームなんて下らないことしかしていないせいか、段々眠くなってくる。
もうすぐで寝られそうだというところまで行くと、狙いすましたかのようにチャイムが鳴り響く。
もっとも、今から相手が来るかもしれないというのに、俺が寝ているのは確かに好ましくないか。
起き上がって、軽く体操感覚で体を動かし、目を覚まして舞奈が来るのを待つ。
しかし、いまかいまかと待っていても、ドアが開かれることがないまま再びチャイムが鳴り響いた。
「来ねえ、いや全く来ねえ」
そんな独り言も誰かの賛同を得られることもなく、静かな空間に吸い込まれる。
今思うと愛梨さんも時間を指定していなかったし、理久も今晩としか言っていない。舞奈も今日研究室に来いと指示してきただけで、時間が曖昧だ。
無意識のうちに、そばにあった机の角を指先でつついていた。
このままではいけない、頭の中ではわかってはいるので、落ち着くために研究室の中を徘徊する。
そうして歩いていると、ノックもなく突然ドアが開かれて入ってきた舞奈と目が合う。
「もう、来てたんだ」
「ずっと待ってたんだよ」
何も言わず黙って冷蔵庫まで歩いて行くと、例のジュースを取り出した。
思っていた以上に減っている気がする。一日にどれ程飲んでいるのだろうか。
見慣れた靴が玄関に並んでいるので、愛梨さんはまだいるようだ。
「陽平君もう帰って来たんだね」
リビングまで進むと愛梨さんの方から話しかけてきた。
本を片手に、端末で課題か資料作りでもしていたようだ。
「向こうは用事があるみたいで長居出来なかったんですよ。でも、今日はまだ一人会わなきゃならない人がいるのですぐに出るんですけどね」
「相手は女の子かな。陽平君の事だからきっと、面倒だってその花もって一度はその人のところに行くと、怒られちゃって、今回は仕方なく花を挿しに戻ってきた。多分、そんなところだよね」
全くもってその通りなのだが、俺はそんなにわかりやすいのだろうか。
花瓶の水を替え、リボンを解いてから今日貰った花を挿す。
「それじゃあ俺はもう行きますね」
玄関で靴を履いている時だった。あっ、という愛梨さんの声が聞こえてきた。
「越前さんだよね、今から会いに行く相手。怒らせた相手も」
「そんなこと当てなくてもいいですよ」
俺の頭の中を当てるよりも相手を当てる方がずっと簡単な気がする。
しかし、愛梨さんも一本目のことがあったので、愛梨さんとしてはそちらの方がわかりやすかったのだろう。
「陽平君っ」
玄関を開けようとした時、少しだけ叫ぶようにして呼び止められる。
「今度はなんですか」
リビングの愛梨さんとは距離があって、はっきりそう見えたわけではないが、悩み、考えているように見えた。
「ごめんね、やっぱり何でもない」
気にはなったが追及することなく俺は部屋を出る。それは珍しく面倒だったからではない。何か言えないことなのだろうと思ったからだ。
三日ぶりに研究室を訪れる。
舞奈の事を思い浮かべるとドアを開けることを躊躇ってしまう。
まるで職員室に入る前の感覚に、深呼吸して呼吸を整えてからノックしてドアを開ける。
部屋の中に舞奈の姿はなかった。その代わり、部屋の一番奥のデスクには日高さんが座っていた。
「おや、彼氏君じゃないか。生憎と越前君は……、多分講義中でね。戻ってくるまですまないが待ってもらうことになる。いいかな?」
日高さんは壁に取り付けられた液晶を見ながら話す。映し出されている表のようなものはおそらく時間割の類なのだろう。
「俺は、あー、自分は別に大丈夫ですけど、お邪魔じゃないですか」
「君が越前君並みに面倒な人物でないのなら、僕としては何も問題はない。まあ、どこで待っていようと君の勝手だから、場所を移るというのなら好きにするといい。僕は止めない」
「それならお言葉に甘えて待たせてもらいます」
初めて会った時は舞奈もいて、ノリで喋っていただけだったからかあまり感じなかったことでも、一対一でとなると、この人も学校の先生なんだと意識してしまい、一分一秒が長く感じる。
日高さんにそのつもりがなくても、元学生の俺からすると、教員が無言で作業をしているだけで相応の圧力を感じてしまう。
こんな時、教師と学生という立場ながらも雑談を交わしていたクラスメイトなら平常心でいられるのだろう。親しみやすい先生だっていたのだから、もっと事務的な会話以外もしておけばよかった。
ひとまず、早く授業が終わり、舞奈が戻ってくるようにと祈る。
部屋の中は日高さんの作業音が微かに聞こえるばかりで、運動部の喧騒が欲しいくらいだ。
頭の中で延々と一人連想ゲームをして時が過ぎるのを待つ。こんな事なら部屋の前とかでもよかったか。いやしかし、廊下は外から丸見えなので、それはなんだか恥ずかしそうだ。
一人連想ゲームにも疲れてきて、一人変顔大会でもしようか、しかしどういうものが変顔なのだろうなんて考えていると、日高さんが突然、気が抜けたような深い息を吐いて立ち上がった。
「僕はもう行くとするよ。まあもしかすると、越前君の様子を見に戻ってくるかもしれないから、彼女が戻ってきたとしてもあまりはめは外さないことだよ彼氏君」
「はい、わかりました」
日高さんは溜息を吐くと、荷物をまとめて足早に出ていく。
「ああ、また君か。質問ならすまないが次の講義かその後で頼むよ」
どうやらまた研究室の前で待ち伏せされていたようだ。また、ということは、前回舞奈が言っていた五人の中の誰かだろう。
日高さんはわかっているうえで流しているのか、それとも本当にわかっていないのか、見事に相手をすることなく去っていく。
本当にわかっておらず、鈍いのだとすれば、日高さんはラブコメの主人公になれる、かもしれない。
そう思っている俺の自己評価は、鈍くはなくても女心なんてわからない一人の男、だ。鈍いだ何だと、そこまで馬鹿にできる程優れていない。
一人になってすぐ、ソファの上で横になった。
疲れているわけでもなかった。それでも、一人連想ゲームなんて下らないことしかしていないせいか、段々眠くなってくる。
もうすぐで寝られそうだというところまで行くと、狙いすましたかのようにチャイムが鳴り響く。
もっとも、今から相手が来るかもしれないというのに、俺が寝ているのは確かに好ましくないか。
起き上がって、軽く体操感覚で体を動かし、目を覚まして舞奈が来るのを待つ。
しかし、いまかいまかと待っていても、ドアが開かれることがないまま再びチャイムが鳴り響いた。
「来ねえ、いや全く来ねえ」
そんな独り言も誰かの賛同を得られることもなく、静かな空間に吸い込まれる。
今思うと愛梨さんも時間を指定していなかったし、理久も今晩としか言っていない。舞奈も今日研究室に来いと指示してきただけで、時間が曖昧だ。
無意識のうちに、そばにあった机の角を指先でつついていた。
このままではいけない、頭の中ではわかってはいるので、落ち着くために研究室の中を徘徊する。
そうして歩いていると、ノックもなく突然ドアが開かれて入ってきた舞奈と目が合う。
「もう、来てたんだ」
「ずっと待ってたんだよ」
何も言わず黙って冷蔵庫まで歩いて行くと、例のジュースを取り出した。
思っていた以上に減っている気がする。一日にどれ程飲んでいるのだろうか。