タンザナイト――3―3
文字数 3,560文字
空が茜色に染まる頃には、何故俺はあんなことを言ってしまったのかと後悔していた。
美少女に甘えられるのは嫌ではないし、寧ろ嬉しいくらいだ。ただ、少なくとも今日は帰さない等と言われなければ。
彼女のところなんて言えず、愛梨さんには友人と言っておいたが、それはそれで騙していることになり、少々胸が苦しかった。
「陽平は夕ご飯何食べたい?」
何でもいいと言いそうになったが、嫌な予感がして少しだけ考える。
「舞奈の作る料理なら何でもいい」
嫌な予感、それを具体的に表すなら、甘いもの、例えばクッキーやチョコレート、ケーキなんかを夕食として提案されそうだと、そう思ったのだ。
手作りを対象にしたのは、目の前で作ってもらい、問題があればこちらの意思で止められるかもしれないというところからだ。自分で言ったのだけど、安直な発想だと思う。
しかし、俺の思った以上の効果があったのか、舞奈は軽く両手を合わせて顔を赤く染めていた。
「手料理、うん、頑張って作るね。だからちゃんと食べてね」
幾分か大げさに喜んでいるようにも見えたが、悪い気はしなかったので触れないでいた。
報告書のようなものを書き終えた舞奈は、買い物に行ってくると言い残して出て行った。ご丁寧に鍵までかけて、よほど手放したくないのか、或いは信用していないのか。
日高さんが来て開けてくれることを願ったが、訪ねてくる人すらいない。
泊まると伝えてあるのだから無理に出る必要もないのだけど。
舞奈がいない間に、この部屋を調べようかとも思ってうろついていたが、奥の棚に仕舞われていた書籍類を見て、本来は真面目な部屋なんだと感じてやめた。
何をするでもなく、窓から学校の様子を見ていたり、ソファに座ってぼうっとしていた。
愛梨さんのところにいてもぼうっとしていたが、やることがない、仕方ないのだ。 やがて、買い物を終えた舞奈が笑顔で戻ってくる。
「楽しそうだな、舞奈」
「え、うん。楽しいというより、嬉しいかな?」
ドアから離れた直後、鍵を確認するとやはりかかっていたが、俺には鍵をかけているようには見えなかった。
「大切な人が手料理食べたいって、そう言ってくれたんだから」
先のような場の空気ではなく、舞奈が完全に俺を恋人として見ているようで、完全に、あの場で思わず言ってしまったんだ、なんて言える状態ではないようだ。
この世界に来た時のように、恋人になったんだと早めに割り切ってしまった方が楽だろうか。
ああそうだ、割り切ってしまえばいい。理由が必要なら、舞奈が悲しまないためとでもしておけばいいのだ。
深く息を吐けば存外は気分は楽になる。
それは、ソファの上で猫転がることが出来るくらいだ。
横を向くと、ご機嫌に鼻歌を歌いながらとんとん、と調子のよい音を響かせて料理をしている舞奈がいる。
こういうところも自動カッティングマシーンの様なもを使わないあたりが近未来なこの世界の前時代的な部分だ。
そういえば、愛梨さんも包丁を使っていた。カッティングマシーンは存在しないのだろうか。それとも、別の理由からか。
舞奈の後姿を見つめながら夕食が出来上がるのを待っていると、香ばしい匂いが漂って来た。
この匂いで思い出したことがある。それは、この部屋に入ったときには甘い匂いがしていたが、いつの間にか慣れてしまったのか、感じなくなっていたことだ。
それからしばらくして舞奈の手料理が運ばれてきた。
見たところ、料理中は手袋を外していたようだったが、この時にはもうはめていた。行動が早い。
ハンバーグを中心に栄養バランスが整っているようなラインナップだ。
「普通に美味しそう。いただきます」
舞奈は何も言わずにこちらを見つめてくる。食欲がなくなるわけではないが、少しばかり食べ難い。
ハンバーグにしてもスープにしても、一口目には必ず美味しいかと聞いてくる。
確かに美味しい。美味しいのだが、いつもより味覚が鈍いように感じる。きっと、見られることも聞かれることもなければもう少し美味しく思えるのだろう。
「舞奈は食べないのか」
「私はいいの」
お菓子ばかり食べていて流石にないと思うが、ダイエットとでも言うつもりだろうか。それなら普通に食事しろよと思うが。
「まさか、睡眠薬とか……」
「入ってないって、酷いなあ。信用できないなら、さあ、食べさせてみてよ」
そう言うと舞奈は小さく口を開ける。
「いや、別にいい」
そんな恥ずかしいことをするくらいなら、入ってないと信じて食べる方がましだ。
「そう。残念」
第三者が見ても簡単にわかりそうなほど、目に見えて落ち込む。
「本当に食べさせてくれないの? 劇毒混入してるかもしれないよ?」
そんなに食べさせあいみたいなことがしたいのだろうか。入ってないと、今自分で言ったばかりだろうに。
「わかったよ、フォークは」
「その箸じゃダメ、なの?」
イメージでは、特にハンバーグでは箸よりフォークだという名分でそれを、間接キスを回避しようとしたが、おそらく向こうはそれが目的のようだった。
お互いに口を開かず、ただ見つめあう。
どれ程時間が経ったかはわからないが、とうとう俺は根気負けして、一口大に分けたハンバーグを舞奈の口元へと運ぶ。
まるで餌を与えられた魚か小動物のように飛びつく姿を見ると、恥ずかしい、なんて思っていた先の俺が馬鹿のようだった。
食事を再開しようと、溜息交じりに野菜炒めを食べようとした時だった。
「間接キスだね」
たった一言だけで俺の目は野菜炒めに、いや、箸の方にくぎ付けになり、腕はぴたりと止まる。
「意識しちゃった? ははっ、ごめんね」
「そんなわけないだろ」
それは完全に強がりだった。
そう言ってしまった故に俺は進むことしかできず、舞奈の満足そうな顔は腑に落ちなかったが、強引にでも食べるしかできなかった。
既に空は群青色へと変色し、明かりのついている部屋も数を減らしていた。
「本当に泊まってもいいのかよ」
「大丈夫よ、よくあることだから。ベッドまで置いてあるところはあんまりないと思うけど」
「それで、俺は今晩どこで寝ればいい」
この世界に来てすぐの頃はソファで寝ていたので、ソファで寝ろと言われてもそれ程大きな抵抗はない。
寧ろ、ソファで寝ることになるのだろうと、半ば諦めていた。
「ベッドがあるじゃない」
「それだとお前はどこで寝るんだよ」
「見てわからないかな。このベッド、一人用にしては大きすぎない?」
深呼吸と言って誤魔化せそうなほど大きな溜息が出る。
「なんでそんなでかいんだよ、ここ研究室だろ。寝室じゃないだろ」
「だって、いつかは彼氏、恋人連れ込むって決めてたもん」
それが当たり前かのように平然とそんなことを言う。
「ほらおいで。陽平」
俺を急かしているのか、舞奈は数回ベッドを叩く。
片方の頬だけが引きつってひくひくと動き、痒くもないのに手を首筋にやって掻いてしまう。
「ほうら早く、こっち来なよ」
仕方ない、そう誘われるがままにベッドへと歩み寄ると、舞奈は手袋を外して投げ捨てる。
何気ないそれだけの仕草が、俺の目にはなんだか扇情的に映った。
「さて、今宵は何して過ごそうか。ねえ、よーへーくん」
「日高さんも言ってたように、羽目を――」
「問題とか悪い噂とか私知らない。誰にも見られなければいいんだよ」
カチッとスイッチのような音がした途端、窓ガラスが真っ黒に変わり、カーテンが閉まる。
「これで陽平のやりたいこと何でもできるよ。お喋りや軽いゲームなんかから、キスやその先。身体を重ねることも、ね」
はにかむ舞奈をじっと見据えていると、やがて頬を赤らめ俯いた。
俺はなにもしていない。どこまで想像したのかは知らないが、あれは完全に自爆だ。
適当に靴を脱いでベッドに上がり、舞奈を抱きしめ横になる。反発の少ないベッドもなかなかに心地よい。
初めて抱きしめた女性と言う存在は、自分よりも小さくて、自分よりも柔らかくて、そして温かかった。
小さな手が優しく腰に触れる。
「落ち着く。このまま寝られるね」
「じゃあ、このまま寝るか」
半ば冗談のような一言だったが、部屋の明かりが消えた。
やはり舞奈がリモコンのようなものか或いは端末で操作しているのだろう。
明かりが消えてからは、寝ようといった本人が盛り上がって、寝るんじゃなかったのかという状態だった。
落ち着くまでは付き合おうと思っていたが中々静まらず、仕方なくこちらから改めて寝ようと提案してようやく眠りについた。
美少女に甘えられるのは嫌ではないし、寧ろ嬉しいくらいだ。ただ、少なくとも今日は帰さない等と言われなければ。
彼女のところなんて言えず、愛梨さんには友人と言っておいたが、それはそれで騙していることになり、少々胸が苦しかった。
「陽平は夕ご飯何食べたい?」
何でもいいと言いそうになったが、嫌な予感がして少しだけ考える。
「舞奈の作る料理なら何でもいい」
嫌な予感、それを具体的に表すなら、甘いもの、例えばクッキーやチョコレート、ケーキなんかを夕食として提案されそうだと、そう思ったのだ。
手作りを対象にしたのは、目の前で作ってもらい、問題があればこちらの意思で止められるかもしれないというところからだ。自分で言ったのだけど、安直な発想だと思う。
しかし、俺の思った以上の効果があったのか、舞奈は軽く両手を合わせて顔を赤く染めていた。
「手料理、うん、頑張って作るね。だからちゃんと食べてね」
幾分か大げさに喜んでいるようにも見えたが、悪い気はしなかったので触れないでいた。
報告書のようなものを書き終えた舞奈は、買い物に行ってくると言い残して出て行った。ご丁寧に鍵までかけて、よほど手放したくないのか、或いは信用していないのか。
日高さんが来て開けてくれることを願ったが、訪ねてくる人すらいない。
泊まると伝えてあるのだから無理に出る必要もないのだけど。
舞奈がいない間に、この部屋を調べようかとも思ってうろついていたが、奥の棚に仕舞われていた書籍類を見て、本来は真面目な部屋なんだと感じてやめた。
何をするでもなく、窓から学校の様子を見ていたり、ソファに座ってぼうっとしていた。
愛梨さんのところにいてもぼうっとしていたが、やることがない、仕方ないのだ。 やがて、買い物を終えた舞奈が笑顔で戻ってくる。
「楽しそうだな、舞奈」
「え、うん。楽しいというより、嬉しいかな?」
ドアから離れた直後、鍵を確認するとやはりかかっていたが、俺には鍵をかけているようには見えなかった。
「大切な人が手料理食べたいって、そう言ってくれたんだから」
先のような場の空気ではなく、舞奈が完全に俺を恋人として見ているようで、完全に、あの場で思わず言ってしまったんだ、なんて言える状態ではないようだ。
この世界に来た時のように、恋人になったんだと早めに割り切ってしまった方が楽だろうか。
ああそうだ、割り切ってしまえばいい。理由が必要なら、舞奈が悲しまないためとでもしておけばいいのだ。
深く息を吐けば存外は気分は楽になる。
それは、ソファの上で猫転がることが出来るくらいだ。
横を向くと、ご機嫌に鼻歌を歌いながらとんとん、と調子のよい音を響かせて料理をしている舞奈がいる。
こういうところも自動カッティングマシーンの様なもを使わないあたりが近未来なこの世界の前時代的な部分だ。
そういえば、愛梨さんも包丁を使っていた。カッティングマシーンは存在しないのだろうか。それとも、別の理由からか。
舞奈の後姿を見つめながら夕食が出来上がるのを待っていると、香ばしい匂いが漂って来た。
この匂いで思い出したことがある。それは、この部屋に入ったときには甘い匂いがしていたが、いつの間にか慣れてしまったのか、感じなくなっていたことだ。
それからしばらくして舞奈の手料理が運ばれてきた。
見たところ、料理中は手袋を外していたようだったが、この時にはもうはめていた。行動が早い。
ハンバーグを中心に栄養バランスが整っているようなラインナップだ。
「普通に美味しそう。いただきます」
舞奈は何も言わずにこちらを見つめてくる。食欲がなくなるわけではないが、少しばかり食べ難い。
ハンバーグにしてもスープにしても、一口目には必ず美味しいかと聞いてくる。
確かに美味しい。美味しいのだが、いつもより味覚が鈍いように感じる。きっと、見られることも聞かれることもなければもう少し美味しく思えるのだろう。
「舞奈は食べないのか」
「私はいいの」
お菓子ばかり食べていて流石にないと思うが、ダイエットとでも言うつもりだろうか。それなら普通に食事しろよと思うが。
「まさか、睡眠薬とか……」
「入ってないって、酷いなあ。信用できないなら、さあ、食べさせてみてよ」
そう言うと舞奈は小さく口を開ける。
「いや、別にいい」
そんな恥ずかしいことをするくらいなら、入ってないと信じて食べる方がましだ。
「そう。残念」
第三者が見ても簡単にわかりそうなほど、目に見えて落ち込む。
「本当に食べさせてくれないの? 劇毒混入してるかもしれないよ?」
そんなに食べさせあいみたいなことがしたいのだろうか。入ってないと、今自分で言ったばかりだろうに。
「わかったよ、フォークは」
「その箸じゃダメ、なの?」
イメージでは、特にハンバーグでは箸よりフォークだという名分でそれを、間接キスを回避しようとしたが、おそらく向こうはそれが目的のようだった。
お互いに口を開かず、ただ見つめあう。
どれ程時間が経ったかはわからないが、とうとう俺は根気負けして、一口大に分けたハンバーグを舞奈の口元へと運ぶ。
まるで餌を与えられた魚か小動物のように飛びつく姿を見ると、恥ずかしい、なんて思っていた先の俺が馬鹿のようだった。
食事を再開しようと、溜息交じりに野菜炒めを食べようとした時だった。
「間接キスだね」
たった一言だけで俺の目は野菜炒めに、いや、箸の方にくぎ付けになり、腕はぴたりと止まる。
「意識しちゃった? ははっ、ごめんね」
「そんなわけないだろ」
それは完全に強がりだった。
そう言ってしまった故に俺は進むことしかできず、舞奈の満足そうな顔は腑に落ちなかったが、強引にでも食べるしかできなかった。
既に空は群青色へと変色し、明かりのついている部屋も数を減らしていた。
「本当に泊まってもいいのかよ」
「大丈夫よ、よくあることだから。ベッドまで置いてあるところはあんまりないと思うけど」
「それで、俺は今晩どこで寝ればいい」
この世界に来てすぐの頃はソファで寝ていたので、ソファで寝ろと言われてもそれ程大きな抵抗はない。
寧ろ、ソファで寝ることになるのだろうと、半ば諦めていた。
「ベッドがあるじゃない」
「それだとお前はどこで寝るんだよ」
「見てわからないかな。このベッド、一人用にしては大きすぎない?」
深呼吸と言って誤魔化せそうなほど大きな溜息が出る。
「なんでそんなでかいんだよ、ここ研究室だろ。寝室じゃないだろ」
「だって、いつかは彼氏、恋人連れ込むって決めてたもん」
それが当たり前かのように平然とそんなことを言う。
「ほらおいで。陽平」
俺を急かしているのか、舞奈は数回ベッドを叩く。
片方の頬だけが引きつってひくひくと動き、痒くもないのに手を首筋にやって掻いてしまう。
「ほうら早く、こっち来なよ」
仕方ない、そう誘われるがままにベッドへと歩み寄ると、舞奈は手袋を外して投げ捨てる。
何気ないそれだけの仕草が、俺の目にはなんだか扇情的に映った。
「さて、今宵は何して過ごそうか。ねえ、よーへーくん」
「日高さんも言ってたように、羽目を――」
「問題とか悪い噂とか私知らない。誰にも見られなければいいんだよ」
カチッとスイッチのような音がした途端、窓ガラスが真っ黒に変わり、カーテンが閉まる。
「これで陽平のやりたいこと何でもできるよ。お喋りや軽いゲームなんかから、キスやその先。身体を重ねることも、ね」
はにかむ舞奈をじっと見据えていると、やがて頬を赤らめ俯いた。
俺はなにもしていない。どこまで想像したのかは知らないが、あれは完全に自爆だ。
適当に靴を脱いでベッドに上がり、舞奈を抱きしめ横になる。反発の少ないベッドもなかなかに心地よい。
初めて抱きしめた女性と言う存在は、自分よりも小さくて、自分よりも柔らかくて、そして温かかった。
小さな手が優しく腰に触れる。
「落ち着く。このまま寝られるね」
「じゃあ、このまま寝るか」
半ば冗談のような一言だったが、部屋の明かりが消えた。
やはり舞奈がリモコンのようなものか或いは端末で操作しているのだろう。
明かりが消えてからは、寝ようといった本人が盛り上がって、寝るんじゃなかったのかという状態だった。
落ち着くまでは付き合おうと思っていたが中々静まらず、仕方なくこちらから改めて寝ようと提案してようやく眠りについた。