タンザナイト――3―7
文字数 3,871文字
翌日、目を覚ました時には既に愛梨さんの姿はなく、七尾さんがソファの上でくつろいでいた。
テーブルの上には一人分の朝食が用意されていることに気付いて訊ねてみると、愛梨さんはもう出かけたらしい。
いつもなら俺が目を覚ます前からからかいに来ている七尾さんが、静かに本を読んでいるというのは良いことである反面、調子が狂わされるものだ。
俺が食事をしている最中も、食べ終わった後に、そろそろ何かし来るのではと目を向けていても一向に動く様子はなかった。
これは新手のからかい方なのではないかという思いが強くなっていく。
本を読んでいるふりして俺を観察し、楽しんでいるのか。
俺の行動を予測し、例えば玄関、例えば浴室、そんなところに罠でも仕掛けてあるのか。
「さっきからよーくんが熱い眼差しであたしを見つめてくるのだけど、あたしも襲われちゃうのかしら」
俺になにか特定の行動をとるように促しているのか。だとしたなら、その行動とは一体どんなものだ。
「あたしもってなんですか。まだ誰も襲ったことなんかないですよ」
考えたところで思い浮かばず、溜息を交ぜながら言い返す。
「まだ誰も、ねえ」
警戒していたはずなのにそんな簡単なことで失敗してしまう。
溜息を交えて呆れていることを誇示しようとしたのが失敗だったか。
「あーちゃんもいないし、あたし襲われちゃうのかしら」
「襲いませんよ、誰も襲いませんよ。特に貴女は」
「あら、そうなの。もしかして、女の子には欲情しないタイプの人なのかしら」
「違いますよ、貴女にはその手の事は何があっても教えないですし、言いません。それだけです」
落ち着け、七尾さんのペースに乗せられればいずれどつぼにはまる。
可能な限りあしらうようにして、必要以上に情報を与えないこと、感情的にならないこと、これらを守らなければならない。
「そういえばよーくん」
「今度は何ですか」
「大したことじゃないわ。ただ、元の世界からもってきたもの、まだちゃんと保管してるのね」
「ろくなものはないですけど、まあ、思いでですからね」
俺を釣るために何か抜き取ったのではないか、と本棚の上に置かれた箱を確認してみる。
携帯電話も学生証も財布も、不足しているものはなかった。ついでにクーピーも五本そろっている。
「茶色に、金、銀、緑に蒼色か」
思い返してみるとこの配色には心当たりがあった。
まず、俺が茶色なのは茶色を引いたから当然だ。
次に金銀だが、正しくは銀、金なのだろう。これは愛梨さんと七尾さんに合致する。それから緑は理久に、蒼は舞奈に当てはまる。
彼が最初につけてきた色は、それはたしか銀色だ。だからかは知らないが、最初に出会ったのはエネルギーの色が銀色の愛梨さんだ。
なら、舞奈も愛梨さんも含めて俺の周りにいる人は皆、群青の彼の手先なのか。
確かに、理久は普段の行動が謎に包まれている。
何をしているか全くと言っていいほどわからないし、花を渡してくる意味も不明だ。何がしたいのか全く分からないというところは、愛梨さんも七尾さんも群青の彼が、俺をこの世界に連れてきた合理的な理由、メリットが見当たらないといった趣旨の事を言っていたが、それと合致するのではないか。
ただ、七尾さんも愛梨さんも奇妙と言えば奇妙なのだ。
愛梨さんと出会ったのは最も早く、この世界へ来た当日中で、あの時は半日も経ってない筈だ。それなのにここまで尽くしてくれるのは不自然だ。その理由として挙げられた話も、昨日の夕方頃になってようやく七尾さんから聞かされた。昨日の今日で何故ここを見るように促したんだろうか。
ならば舞奈はどうだ。一見すると研究者を目指している恋愛脳なただの学生、のようにも感じる。
舞奈の言動は愛梨さんたちと違いまだ日が浅く、思い出すのはそれに比べれば容易だ。俺が舞奈を受け入れる経緯に至った言葉の中にあった、先月くらいに好きな人に告白してふられたと言っていた。俺がこの世界に来たのは一か月と十日前後程だろうから、時期としては一致するのではないだろうか。
俺が住むことを許可している愛梨さんや、簡単に研究室内に閉じ込めることが出来、且つ、正式に彼女と言う肩書を持っている舞奈、俺の心情を読むことのできる七尾さんと、群青の彼が俺を監視するために送り込んできた人員と考えれば、なるほど納得のいく構成になっているのではないか。
一堂に会することが今までになければ、睡眠やトイレといったことを除いて俺の目の届く範囲に常にいた人物もいない。
前々から疑問だったのが、理久はほぼ毎日と言っていいようなくらいの頻度で会っていたが、一日の間に顔を合わせる時間は他の三人と比べれば非常に短い。加えていつも瞳も髪も染まるほどエネルギーの流動を起こしている。つまり、何かしらの能力を常に発動させている、或いはいつでも発動できる状態なのだろう。
以前、愛梨さんに聞いた話では緑色、カラー緑は生体操作系能力らしい。これがどういった能力かは知らないが、俺の健康状態を確認する担当のようなものではないだろうか。それなら、毎日、短時間だけ会う理由も納得がいく。
たった今、クーピーを回していて気がついたことがある。それは、クーピーに刻印された文字の色だ。
クーピーには平仮名でその色の名前が彫られているが、茶色、つまり俺の色は白色だが、残っている銀、金、緑、蒼は黒色で印字されている。
銀、金、それと緑までなら黒で印字されていてもなんら不自然でもおかしくもないが、何故蒼色まで黒なんだろうか。どう見ても白の方が見やすいはずの色だ。
これは俺の周りにいる皆が、群青の彼よって遣わされた見張りのような存在だと、そのつもりでいろとの警告だったのではないか。
理久の言っていた隠していたこと、秘密とはこのことじゃないのか。どう考えても監視対象に話せるような内容じゃなないし、こんなことの出来る群青の彼は相当な権力者だろうからただでは済まないだろう。理久は当然殺されるかもしれないし、もしかすると一族郎党皆殺しだ、なんてこともあり得るのではないか。
もしも、俺が勝手に気付いたとしてもすぐに知れるように七尾さんを置いたのだとすれば、今は非常にまずい状態だ。その七尾さんが後ろにいるのだから。
七尾さんの能力を回避する方法を俺は知らない。そもそも回避なんて出来るのだろうか。
「ねえ、よーくん。思い出に浸っているところ悪いのだけど、いつまでそっちを見ているのかしらか。構ってもらえないかしら」
俺の想像が正しいのなら、今この場で能力を使われた瞬間にばれてしまう。
気付かれたときどうなるのだろうか。
廃工場のようなところへ連れていかれて嬲り殺されるのだろうか。それとも、港へ連れていかれてコンクリート、いや、この世界なら合成樹脂か何かかもしれないそれで固められて投棄されるのだろうか。
死にたくないなら働け、俺の頭よ、脳みそよ。
「七尾さんの相手をするよりは思い出を反芻する方が有意義かなと」
平静を装い何も気づいていないように取り繕う、それが今の限界だ。
「あら、言ってくれるわね。なら、その思いでというものを一つずつ聞かせてもらえるかしら。そうね、まずは手に持っているそれから、というのは?」
どうすればいい、これに思いでなんか何もない。
この世界に来たばかりの頃にも、この人に追い詰められたことがあったはずだ。
目を閉じ、唇を噛んで考える。
「これ貰い物で、この世界に来る直前に貰ったもので、持ってたのはたまたまなんですよ。だから、思い入れも思い出も何にもないですよ」
これで通るだろうか。相手の思考を読み取るという、七尾さんの能力を使われれば一発でばれてしまう。
「へえ、そうなのね」
ただの興味で聞いてきたのか、言質を取ろうとしているのかはわからないが、能力を使おうとしている気配はない。
「なら次へ行きましょう。他のには思い出があるのよね」
どうしたものか、本音を言えば逃げてしまいたいのだけど、答えなければ面倒なことになりそうだ。
呼吸を整えて覚悟を決める。
「いいでしょうわかりました。話しましょうか」
バッテリーが切れてしまい、ホームボタンを押しても点かなくなってしまった携帯電話を七尾さんへ向ける。
それから俺はこれでもかと言うくらい一人で、延々と、いつ終わらせてもらえるかわからない、思い出話をさせられていた。
気にも留めていなかった機種変更の話や、カメラ機能で撮った写真の話など、携帯電話にまつわる一連の話を終えると、財布やその中身の話をした。学生証を見せれば、載せられた写真を見てつまらない顔だと罵られながらも学校やクラスメイトの話をした。
楽しければ、あの時異世界なんて望まなかった。しかし、思い返してみれば、彼女のいない俺が、彼女のいない友人たちと、馬鹿やることしか能のない男の友情で固く結ばれていた冴えないあの頃が、随分と楽しかったようだ。
長い思い出話を終えて間もなく愛梨さんが帰ってきて、今度は愛梨さんの方から昨日の事を謝ってきたので、俺もまた謝罪した。それからは三人で談笑したりと、俺はとうとう外出できなかった。
理久に会う時、また怒られるのだろうか。
テーブルの上には一人分の朝食が用意されていることに気付いて訊ねてみると、愛梨さんはもう出かけたらしい。
いつもなら俺が目を覚ます前からからかいに来ている七尾さんが、静かに本を読んでいるというのは良いことである反面、調子が狂わされるものだ。
俺が食事をしている最中も、食べ終わった後に、そろそろ何かし来るのではと目を向けていても一向に動く様子はなかった。
これは新手のからかい方なのではないかという思いが強くなっていく。
本を読んでいるふりして俺を観察し、楽しんでいるのか。
俺の行動を予測し、例えば玄関、例えば浴室、そんなところに罠でも仕掛けてあるのか。
「さっきからよーくんが熱い眼差しであたしを見つめてくるのだけど、あたしも襲われちゃうのかしら」
俺になにか特定の行動をとるように促しているのか。だとしたなら、その行動とは一体どんなものだ。
「あたしもってなんですか。まだ誰も襲ったことなんかないですよ」
考えたところで思い浮かばず、溜息を交ぜながら言い返す。
「まだ誰も、ねえ」
警戒していたはずなのにそんな簡単なことで失敗してしまう。
溜息を交えて呆れていることを誇示しようとしたのが失敗だったか。
「あーちゃんもいないし、あたし襲われちゃうのかしら」
「襲いませんよ、誰も襲いませんよ。特に貴女は」
「あら、そうなの。もしかして、女の子には欲情しないタイプの人なのかしら」
「違いますよ、貴女にはその手の事は何があっても教えないですし、言いません。それだけです」
落ち着け、七尾さんのペースに乗せられればいずれどつぼにはまる。
可能な限りあしらうようにして、必要以上に情報を与えないこと、感情的にならないこと、これらを守らなければならない。
「そういえばよーくん」
「今度は何ですか」
「大したことじゃないわ。ただ、元の世界からもってきたもの、まだちゃんと保管してるのね」
「ろくなものはないですけど、まあ、思いでですからね」
俺を釣るために何か抜き取ったのではないか、と本棚の上に置かれた箱を確認してみる。
携帯電話も学生証も財布も、不足しているものはなかった。ついでにクーピーも五本そろっている。
「茶色に、金、銀、緑に蒼色か」
思い返してみるとこの配色には心当たりがあった。
まず、俺が茶色なのは茶色を引いたから当然だ。
次に金銀だが、正しくは銀、金なのだろう。これは愛梨さんと七尾さんに合致する。それから緑は理久に、蒼は舞奈に当てはまる。
彼が最初につけてきた色は、それはたしか銀色だ。だからかは知らないが、最初に出会ったのはエネルギーの色が銀色の愛梨さんだ。
なら、舞奈も愛梨さんも含めて俺の周りにいる人は皆、群青の彼の手先なのか。
確かに、理久は普段の行動が謎に包まれている。
何をしているか全くと言っていいほどわからないし、花を渡してくる意味も不明だ。何がしたいのか全く分からないというところは、愛梨さんも七尾さんも群青の彼が、俺をこの世界に連れてきた合理的な理由、メリットが見当たらないといった趣旨の事を言っていたが、それと合致するのではないか。
ただ、七尾さんも愛梨さんも奇妙と言えば奇妙なのだ。
愛梨さんと出会ったのは最も早く、この世界へ来た当日中で、あの時は半日も経ってない筈だ。それなのにここまで尽くしてくれるのは不自然だ。その理由として挙げられた話も、昨日の夕方頃になってようやく七尾さんから聞かされた。昨日の今日で何故ここを見るように促したんだろうか。
ならば舞奈はどうだ。一見すると研究者を目指している恋愛脳なただの学生、のようにも感じる。
舞奈の言動は愛梨さんたちと違いまだ日が浅く、思い出すのはそれに比べれば容易だ。俺が舞奈を受け入れる経緯に至った言葉の中にあった、先月くらいに好きな人に告白してふられたと言っていた。俺がこの世界に来たのは一か月と十日前後程だろうから、時期としては一致するのではないだろうか。
俺が住むことを許可している愛梨さんや、簡単に研究室内に閉じ込めることが出来、且つ、正式に彼女と言う肩書を持っている舞奈、俺の心情を読むことのできる七尾さんと、群青の彼が俺を監視するために送り込んできた人員と考えれば、なるほど納得のいく構成になっているのではないか。
一堂に会することが今までになければ、睡眠やトイレといったことを除いて俺の目の届く範囲に常にいた人物もいない。
前々から疑問だったのが、理久はほぼ毎日と言っていいようなくらいの頻度で会っていたが、一日の間に顔を合わせる時間は他の三人と比べれば非常に短い。加えていつも瞳も髪も染まるほどエネルギーの流動を起こしている。つまり、何かしらの能力を常に発動させている、或いはいつでも発動できる状態なのだろう。
以前、愛梨さんに聞いた話では緑色、カラー緑は生体操作系能力らしい。これがどういった能力かは知らないが、俺の健康状態を確認する担当のようなものではないだろうか。それなら、毎日、短時間だけ会う理由も納得がいく。
たった今、クーピーを回していて気がついたことがある。それは、クーピーに刻印された文字の色だ。
クーピーには平仮名でその色の名前が彫られているが、茶色、つまり俺の色は白色だが、残っている銀、金、緑、蒼は黒色で印字されている。
銀、金、それと緑までなら黒で印字されていてもなんら不自然でもおかしくもないが、何故蒼色まで黒なんだろうか。どう見ても白の方が見やすいはずの色だ。
これは俺の周りにいる皆が、群青の彼よって遣わされた見張りのような存在だと、そのつもりでいろとの警告だったのではないか。
理久の言っていた隠していたこと、秘密とはこのことじゃないのか。どう考えても監視対象に話せるような内容じゃなないし、こんなことの出来る群青の彼は相当な権力者だろうからただでは済まないだろう。理久は当然殺されるかもしれないし、もしかすると一族郎党皆殺しだ、なんてこともあり得るのではないか。
もしも、俺が勝手に気付いたとしてもすぐに知れるように七尾さんを置いたのだとすれば、今は非常にまずい状態だ。その七尾さんが後ろにいるのだから。
七尾さんの能力を回避する方法を俺は知らない。そもそも回避なんて出来るのだろうか。
「ねえ、よーくん。思い出に浸っているところ悪いのだけど、いつまでそっちを見ているのかしらか。構ってもらえないかしら」
俺の想像が正しいのなら、今この場で能力を使われた瞬間にばれてしまう。
気付かれたときどうなるのだろうか。
廃工場のようなところへ連れていかれて嬲り殺されるのだろうか。それとも、港へ連れていかれてコンクリート、いや、この世界なら合成樹脂か何かかもしれないそれで固められて投棄されるのだろうか。
死にたくないなら働け、俺の頭よ、脳みそよ。
「七尾さんの相手をするよりは思い出を反芻する方が有意義かなと」
平静を装い何も気づいていないように取り繕う、それが今の限界だ。
「あら、言ってくれるわね。なら、その思いでというものを一つずつ聞かせてもらえるかしら。そうね、まずは手に持っているそれから、というのは?」
どうすればいい、これに思いでなんか何もない。
この世界に来たばかりの頃にも、この人に追い詰められたことがあったはずだ。
目を閉じ、唇を噛んで考える。
「これ貰い物で、この世界に来る直前に貰ったもので、持ってたのはたまたまなんですよ。だから、思い入れも思い出も何にもないですよ」
これで通るだろうか。相手の思考を読み取るという、七尾さんの能力を使われれば一発でばれてしまう。
「へえ、そうなのね」
ただの興味で聞いてきたのか、言質を取ろうとしているのかはわからないが、能力を使おうとしている気配はない。
「なら次へ行きましょう。他のには思い出があるのよね」
どうしたものか、本音を言えば逃げてしまいたいのだけど、答えなければ面倒なことになりそうだ。
呼吸を整えて覚悟を決める。
「いいでしょうわかりました。話しましょうか」
バッテリーが切れてしまい、ホームボタンを押しても点かなくなってしまった携帯電話を七尾さんへ向ける。
それから俺はこれでもかと言うくらい一人で、延々と、いつ終わらせてもらえるかわからない、思い出話をさせられていた。
気にも留めていなかった機種変更の話や、カメラ機能で撮った写真の話など、携帯電話にまつわる一連の話を終えると、財布やその中身の話をした。学生証を見せれば、載せられた写真を見てつまらない顔だと罵られながらも学校やクラスメイトの話をした。
楽しければ、あの時異世界なんて望まなかった。しかし、思い返してみれば、彼女のいない俺が、彼女のいない友人たちと、馬鹿やることしか能のない男の友情で固く結ばれていた冴えないあの頃が、随分と楽しかったようだ。
長い思い出話を終えて間もなく愛梨さんが帰ってきて、今度は愛梨さんの方から昨日の事を謝ってきたので、俺もまた謝罪した。それからは三人で談笑したりと、俺はとうとう外出できなかった。
理久に会う時、また怒られるのだろうか。