タンザナイト――2―4
文字数 3,198文字
半分ほどは七尾さんを避けるために出てきたものの、行く場所が無さ過ぎて結局公園へと辿り着く。
走っている数人の青年たちや絵を描いているおじさんなんかはいても、朝も早いからか理久の姿は見つからなかった。
ベンチに腰掛け、日の低い空を見ながら考える。この世界に来た理由は何だったのか、と。
思い出せないわけではない。楽しそうだから、なんて下らない適当な理由だったはずだ。
そもそも、望んだわけではない、それは嘘になるが、自分の意志で来たわけではない。変な奴に無理矢理ここへ送られたのだ。
今更そんなことを言ってもどうしようもないことだけど。
どうでもいいことばかり考えていると、睡眠が足りていないのか眠気に襲われる。
そこで俺は、出来るだけ勢いよく立ち上がり、公園内に敷かれた道を歩き始める。
体を動かせば眠気は覚める。何か根拠があったと思うが、よく覚えていない。動けばそれは眠気は覚めるだろうな、くらいの意識しかない。
この公園はそこそこ広く、子供たちがはしゃぎまわったり青年たちがランニングコースにするくらいの面積はある。
青年たちが走っていたコースを何かを考えることなく無心で歩き続け、漸く一周するという時、ベンチの側にある自動販売機で大量に飲み物を買い続ける茶色みを帯びた黒髪で、中々珍しそうな色、パステルグリーンの地にパステルピンクのレースがあしらわれ、黒い紐のようなリボンの結われている手袋をはめた少女を見かけた。
彼女は他の飲み物には目もくれず、一種類だけを選び続けそれを自らの横に積み上げていた。
見られているのに気付いたのか、振り向いた彼女と目が合う。
この世界の人は視線に敏感過ぎやしないだろうか。
彼女の視線は俺の顔とジュースの缶を行ったり来たりしているようだった。
どうしようかと立っていると突然ジュースが飛来し、直撃する寸前、間一髪のところで掴みとる。
「おい、突然投げんなよ。危ないだろ」
「……あげるわ」
無表情の彼女を見て、多分、こいつとは話が出来ないと、そう察した。
察すると同時に増幅した苛立ちを、何処へぶつければいいのか悩むことになり、そのせいで余計に苛立ちが募る。
彼女はと言うと、俺のことなど気にしていないかのように再び同じジュースを買い始める。
大きく溜息を吐きながら勢いよくベンチに座り、貰ったジュースを開ける。
「なんだこれ」
開けた途端に、思わずそんな言葉を漏らしてしまうほどに甘ったるい、果物か何かのシロップの匂いが鼻へと届く。
匂いを我慢し一口飲んでみると、意外に味は悪くなく、果物のようだが蜂蜜のように粘り気のある甘さが広がる。
果物のような甘さで味は悪くないが、余韻が少しばかり長いような気がする。味が濃いめとでも言えばいいのか、もう少し薄めるか、出来るなら炭酸にして欲しいくらいだ。
その異様に甘いジュースを、これは身体を壊すのではと思いながら堪能していると、持っていたショルダーバッグの中に缶を詰め込んだ彼女が隣に座る。
風に乗ってこの人の匂いもうっすらと漂ってくる。ジュースとはまた違う甘い匂いだ。
こちらを見て微笑むものだから、今度は何をする気だと気を張っていたが、何かをするわけでもなく手に持ったジュースを開けた。
まさかそのジュースをかけられるのかなんて思ったが、普通に飲み始めた。
先程は渡し方に問題があっただけで、そこまでおかしな奴ではないらしい。
「気に入ってくれた?」
俺のことを横目で見ながら、手に持った缶を揺らす。
「甘いですね」
皮肉交じりに一言返すと、彼女の口元だけが小さく動く。
「……意地悪なんだね、君は」
小さく、簡単に消えそうな声だったが確かに聞こえた。
「芍甘菜、カイミナのシロップ漬け味だしね」
手に持った缶を俺の方へと見せてくる。
そこには確かにフメルート カイミナシロップ漬け味と明るく、陽気な文字で書かれていた。
「何なんですか、これ」
「とってもあまーい果物のシロップ漬け味ね。キャラメルもあるのよ」
嬉しそうにバッグから桃色のパッケージを見せてくる。そこにもカイミナシロップ漬け味と書かれていた。
もともと甘いキャラメルに甘い果物の甘いシロップ漬け、食べたいと思うところもあるが、ただ甘いだけのような気がする。
「なんだかスイーツ食べたくなって来ない?」
「いえ、俺は寧ろ塩分が欲しいですね。というか、俺たち初対面ですよね」
「そうだよ、そうだね」
彼女はそう言うとジュースに口をつける。
愛梨さんといいこの人といい、理久のように初対面に抵抗のある人はこの世界には少ないのか。
「見ず知らずの相手によく話しかけられるなって、思ったでしょ」
その一言で、もしや七尾さんと同じような能力なのかと思い、素早く距離をとる。
彼女はこちらを向くことなく、右目も閉じているので瞳の色はわからない。
「すいません、こちらを向いてもらえませんか」
「どうして?」
こちらを気にしようとせず、手袋をした両手でキャラメルの封を開ける。
「貴女の色によっては出来れば関わりたくないので」
七尾さんの色は金色、その能力を使ってテストの成績だとか好みの女性だとか、あまり知られたくない情報まで読もうとしてくる。その度に玩具にされるのだからそういう人とは可能な限り関わりたくない。
キャラメルを咀嚼するだけでそれ以上の行動は起こそうとしない。
「こちらを向いてもらえませんか」
「無意味に自分から嫌われるようなこと、私はしないわよ」
感情がこもっていないような口調でそう述べる。
「何色だったら嫌われるのか、明示してくれないと怖くてそっち向けないなー」
「……金色、金色なら関わりたくないです」
口の中が乾いて答えようか迷った末の言葉だった。
「そういうこと」
ジュースの缶をゆっくり振りながら、彼女は小さく笑う。
彼女がこちらを向くに従い、ウェーブのかかった髪の毛が染まっていく。
両目とも閉じられていたが、もう、何色なのかよくわかる。
「君は、とっても鈍感なのか、それとも」
ゆっくりと開かれる彼女の瞳は青色。いや、違う。ブルーサファイアのように綺麗で、海のように深い、蒼色だ。
「君はこの世界の人間ないしあらゆる生命体ではないのかな」
「そうです」
その瞳に魅入ってしまい、何も考えずに答えてしまう。加えて、気付けば二歩ほど前へ進んでしまっていた。
「ふーん、まあ、どうでもいいけど」
この世界の人にとって異世界人は特筆して珍しい存在ではないという事か。
彼女の髪の毛も瞳も、その瞬間元の色へと戻ってしまう。
「凄く……、綺麗でした」
「ありがとう、でもそれってカラー蒼の女の子なら誰でもいいってことかな」
「そういう意味じゃ。そもそも俺たち別に……」
「――さっき会ったばっかりの他人だね。だから気にしてない」
その声に抑揚は無く、彼女の顔から笑顔は消えていた。
「私はそろそろ行くよ。君にはもう一本あげるね」
俺の隣にフメルートのカイミナシロップ漬け味が置かれる。
俺に炭酸水を買って帰れと間接的に告げているのか。
重そうな、実際重いと思われるショルダーバッグを両手で持ち上げ、去っていく。
「まだ聞いてなかったんだけど、君、お名前は」
途中で立ち止まると、こちらを向いて尋ねてきた。
「富山、富山陽平です。あなたは」
彼女は笑顔を浮かべると、口の前で人差し指を立てる。
「知らない相手に個人情報は教えるものじゃないよ、富山陽平君」
手に持った缶をごみ箱の中へ入れると、今度こそどこかへと歩いて行った。
十本以上は確実に入っているあの鞄は重いのだろうなという事は、後姿だけで十分に伝わってきた。
走っている数人の青年たちや絵を描いているおじさんなんかはいても、朝も早いからか理久の姿は見つからなかった。
ベンチに腰掛け、日の低い空を見ながら考える。この世界に来た理由は何だったのか、と。
思い出せないわけではない。楽しそうだから、なんて下らない適当な理由だったはずだ。
そもそも、望んだわけではない、それは嘘になるが、自分の意志で来たわけではない。変な奴に無理矢理ここへ送られたのだ。
今更そんなことを言ってもどうしようもないことだけど。
どうでもいいことばかり考えていると、睡眠が足りていないのか眠気に襲われる。
そこで俺は、出来るだけ勢いよく立ち上がり、公園内に敷かれた道を歩き始める。
体を動かせば眠気は覚める。何か根拠があったと思うが、よく覚えていない。動けばそれは眠気は覚めるだろうな、くらいの意識しかない。
この公園はそこそこ広く、子供たちがはしゃぎまわったり青年たちがランニングコースにするくらいの面積はある。
青年たちが走っていたコースを何かを考えることなく無心で歩き続け、漸く一周するという時、ベンチの側にある自動販売機で大量に飲み物を買い続ける茶色みを帯びた黒髪で、中々珍しそうな色、パステルグリーンの地にパステルピンクのレースがあしらわれ、黒い紐のようなリボンの結われている手袋をはめた少女を見かけた。
彼女は他の飲み物には目もくれず、一種類だけを選び続けそれを自らの横に積み上げていた。
見られているのに気付いたのか、振り向いた彼女と目が合う。
この世界の人は視線に敏感過ぎやしないだろうか。
彼女の視線は俺の顔とジュースの缶を行ったり来たりしているようだった。
どうしようかと立っていると突然ジュースが飛来し、直撃する寸前、間一髪のところで掴みとる。
「おい、突然投げんなよ。危ないだろ」
「……あげるわ」
無表情の彼女を見て、多分、こいつとは話が出来ないと、そう察した。
察すると同時に増幅した苛立ちを、何処へぶつければいいのか悩むことになり、そのせいで余計に苛立ちが募る。
彼女はと言うと、俺のことなど気にしていないかのように再び同じジュースを買い始める。
大きく溜息を吐きながら勢いよくベンチに座り、貰ったジュースを開ける。
「なんだこれ」
開けた途端に、思わずそんな言葉を漏らしてしまうほどに甘ったるい、果物か何かのシロップの匂いが鼻へと届く。
匂いを我慢し一口飲んでみると、意外に味は悪くなく、果物のようだが蜂蜜のように粘り気のある甘さが広がる。
果物のような甘さで味は悪くないが、余韻が少しばかり長いような気がする。味が濃いめとでも言えばいいのか、もう少し薄めるか、出来るなら炭酸にして欲しいくらいだ。
その異様に甘いジュースを、これは身体を壊すのではと思いながら堪能していると、持っていたショルダーバッグの中に缶を詰め込んだ彼女が隣に座る。
風に乗ってこの人の匂いもうっすらと漂ってくる。ジュースとはまた違う甘い匂いだ。
こちらを見て微笑むものだから、今度は何をする気だと気を張っていたが、何かをするわけでもなく手に持ったジュースを開けた。
まさかそのジュースをかけられるのかなんて思ったが、普通に飲み始めた。
先程は渡し方に問題があっただけで、そこまでおかしな奴ではないらしい。
「気に入ってくれた?」
俺のことを横目で見ながら、手に持った缶を揺らす。
「甘いですね」
皮肉交じりに一言返すと、彼女の口元だけが小さく動く。
「……意地悪なんだね、君は」
小さく、簡単に消えそうな声だったが確かに聞こえた。
「芍甘菜、カイミナのシロップ漬け味だしね」
手に持った缶を俺の方へと見せてくる。
そこには確かにフメルート カイミナシロップ漬け味と明るく、陽気な文字で書かれていた。
「何なんですか、これ」
「とってもあまーい果物のシロップ漬け味ね。キャラメルもあるのよ」
嬉しそうにバッグから桃色のパッケージを見せてくる。そこにもカイミナシロップ漬け味と書かれていた。
もともと甘いキャラメルに甘い果物の甘いシロップ漬け、食べたいと思うところもあるが、ただ甘いだけのような気がする。
「なんだかスイーツ食べたくなって来ない?」
「いえ、俺は寧ろ塩分が欲しいですね。というか、俺たち初対面ですよね」
「そうだよ、そうだね」
彼女はそう言うとジュースに口をつける。
愛梨さんといいこの人といい、理久のように初対面に抵抗のある人はこの世界には少ないのか。
「見ず知らずの相手によく話しかけられるなって、思ったでしょ」
その一言で、もしや七尾さんと同じような能力なのかと思い、素早く距離をとる。
彼女はこちらを向くことなく、右目も閉じているので瞳の色はわからない。
「すいません、こちらを向いてもらえませんか」
「どうして?」
こちらを気にしようとせず、手袋をした両手でキャラメルの封を開ける。
「貴女の色によっては出来れば関わりたくないので」
七尾さんの色は金色、その能力を使ってテストの成績だとか好みの女性だとか、あまり知られたくない情報まで読もうとしてくる。その度に玩具にされるのだからそういう人とは可能な限り関わりたくない。
キャラメルを咀嚼するだけでそれ以上の行動は起こそうとしない。
「こちらを向いてもらえませんか」
「無意味に自分から嫌われるようなこと、私はしないわよ」
感情がこもっていないような口調でそう述べる。
「何色だったら嫌われるのか、明示してくれないと怖くてそっち向けないなー」
「……金色、金色なら関わりたくないです」
口の中が乾いて答えようか迷った末の言葉だった。
「そういうこと」
ジュースの缶をゆっくり振りながら、彼女は小さく笑う。
彼女がこちらを向くに従い、ウェーブのかかった髪の毛が染まっていく。
両目とも閉じられていたが、もう、何色なのかよくわかる。
「君は、とっても鈍感なのか、それとも」
ゆっくりと開かれる彼女の瞳は青色。いや、違う。ブルーサファイアのように綺麗で、海のように深い、蒼色だ。
「君はこの世界の人間ないしあらゆる生命体ではないのかな」
「そうです」
その瞳に魅入ってしまい、何も考えずに答えてしまう。加えて、気付けば二歩ほど前へ進んでしまっていた。
「ふーん、まあ、どうでもいいけど」
この世界の人にとって異世界人は特筆して珍しい存在ではないという事か。
彼女の髪の毛も瞳も、その瞬間元の色へと戻ってしまう。
「凄く……、綺麗でした」
「ありがとう、でもそれってカラー蒼の女の子なら誰でもいいってことかな」
「そういう意味じゃ。そもそも俺たち別に……」
「――さっき会ったばっかりの他人だね。だから気にしてない」
その声に抑揚は無く、彼女の顔から笑顔は消えていた。
「私はそろそろ行くよ。君にはもう一本あげるね」
俺の隣にフメルートのカイミナシロップ漬け味が置かれる。
俺に炭酸水を買って帰れと間接的に告げているのか。
重そうな、実際重いと思われるショルダーバッグを両手で持ち上げ、去っていく。
「まだ聞いてなかったんだけど、君、お名前は」
途中で立ち止まると、こちらを向いて尋ねてきた。
「富山、富山陽平です。あなたは」
彼女は笑顔を浮かべると、口の前で人差し指を立てる。
「知らない相手に個人情報は教えるものじゃないよ、富山陽平君」
手に持った缶をごみ箱の中へ入れると、今度こそどこかへと歩いて行った。
十本以上は確実に入っているあの鞄は重いのだろうなという事は、後姿だけで十分に伝わってきた。