タンザナイト――1―5
文字数 2,703文字
翌日、目が覚めると見慣れない天井があった。寝床の質感も慣れたベッドとは程遠いものだった。ソファで寝たのだから寧ろ近い方が不自然だ。
物音が聞こえ、食事の匂いがするので二人とも既に起きているのだろう。
昨晩は、あの後七尾さんが何かを仕掛けてくることはなかったが、希望したスープを作ってもらえず残念がっていた。その時、自分で作れよと思ったことを鮮明に覚えている。
もう寝ようという話になったときには、愛梨さんにベッドを使ってと勧められたが、そこまでされると気が引けるという話ですらなくなるので、何度も断り、ソファの上を勝ち取った。勝ち取った、のか。
カーテンを開け外を眺めるが、一夜明けても眼前の世界が高度に発達した街に相違なかった。
元いた世界の知識を披露して英雄になりたい、とまでは思っていなかったが、どうしてこうなったのだろう。
「陽平さん、あたしはもう学校へ行くけど、あーちゃん襲っちゃだめよ。あーちゃんも学校あるんだから、遅れちゃうかもしれないでしょう。襲うなら、帰ってきてからよ。よければ、あーちゃんの味、教えてもらえないかしら」
「はいはい、学校あるんですよね。遅れないようにもう出た方がいいんじゃないですか、七尾さん」
この人との会話のコツは、何か聞こえるくらいの気持ちで聞き流し、早々に会話を切り上げることなんだと、考えた結果行きついた。
あまりかかわりたくもないので、抵抗されても玄関まで押していく。
途中で何か言っていたが、適当に相槌を打って聞き流した。
「いってらっしゃい七尾さん。早く学校に行かないと遅れますよ」
「あら、そんなこと言って。本当はあたしの側にいたいのよね」
「あー、はいはいそうですね。いってらっしゃい七尾さん」
満面の作り笑いで七尾さんを送り出し、玄関のドアを閉める。
「本当に二人仲いいのね」
愛梨さんはそう言って嬉しそうに笑うが、仲がいいというよりは、玩具にされているだけのような気がする。
「愛梨さんは学校行かなくていいんですか」
「私はこの時間関係ないから。次と、昼くらいに行ければいいかな」
「愛梨さんて結構、不真面目なんですね」
何気なくそんなことを言うと、愛梨さんは苦笑し溜息を吐いた。
「ねえ、陽平君。私って、不真面目なのかな。悪い子なのかな」
泣きそうな声とは正反対なほどに笑顔なのを見て、何か地雷を踏んだようだとすぐにわかった。
この人は、七尾さんとは違う方向で面倒くさいようだ。
「そういうわけじゃなくて、世の中いろんな学校があっても、俺は自分の通ってきた学校しか知らないので、校風が違うとそう感じてしまうんですよ」
焦って言い訳をしてみるが、大丈夫だろうか。
愛梨さんは黙ったまま何の反応も示さない。
沈黙が続き、何かを話せばいいのか黙っていた方がいいのか判断に困るだけでなく、妙に緊張する。
すると、徐に愛梨さんは身を翻して歩いて行く。
「ごめんね陽平君、今ご飯温めるから」
その声は明るさを取り戻していたので、何とか切り抜けることが出来たと安心すると、緊張が解けて大きな溜息が出る。
昨日も似たようなことがあったような気がする。それに比べれば今日のことはまだ軽かったと言えるか。
俺はそこまで博識でも、頭がいいわけでもないので、今はもう考えるのを止めよう。疲れるだけだろうから。
食事中はやけに静かだった。愛梨さんは端末で作業をしているようだったので、話しかけることを躊躇ったのだ。
「愛梨さんの能力って、金属操作ですよね。自分の能力について、どう思ってるんですか?」
「どうって、別に。使えない能力だなって、そう思ってる」
答えが予想外すぎて、思わず驚きの声を漏らしてしまう。
「別にね、完全に使えないなとは思ってないよ。同時に包丁二本、三本使えたりして便利なんだけど、日常であんまり使う機会無いから。普通の暮らしと言えばとてもいいことなんだけどね」
「でも、戦うときとかいいじゃないですか。かっこいいですよ」
愛梨さんは小さく笑って見つめてくる。
「陽平君はそう思うかもしれないけど、私は戦いたくなんてないから」
そう言って立ち上がると大きく伸びをした。
「でもありあがと」
元気そうに笑う愛梨さんが、俺には一番輝いているように見えるし、一番可愛く見えて、一番好きだ。
食器を片付けた後も雑談を交わしていると、あっという間に愛梨さんの登校時間が迫っていた。
「それじゃあ私も行くね。私がいない間に出て行っても構わないけど、泊まる場所が見つからなかったり、困ったことがあったらおいで。頼ってくれていいから」
眩しい程に元気のいい笑顔だったが、漠然とどこか、非常に都合のいい感じ方やもしれないが、寂しそうだと感じた。
一体そこにどんな思いがあるのかわからない。俺にはわからない。無粋で、どちらかにとって残酷な結果を齎すかもしれない七尾さんのような能力があれば話は変わってくるけれど。
何と返事をすればいいのかわからないまま、ドアはゆっくりと閉じられていった。
穴と言うよりは、欠けたパズルのような喪失感を感じて、壁を背もたれにしてその場に座り込む。
昨日からいろいろあった。変な奴にあってこの世界に来て、愛梨さんと出会い、それから愛梨さんに端末を用意してもらい、七尾さんと出会っていじられて、愛梨さんのこの部屋で夜を越した。
一日を振り返って、今の自分の状況を再び確認すると、いろいろな物が足りないことに今更気付く。
まず、学校指定の制服と今着ている下着しか服がないこと。そのほかの持ち物もとんだぽんこつの集まりで、繋がることのなくなった携帯電話、身分を証明できない学生証、使えない貨幣の入った財布に、それぞれ金、銀、茶、緑、蒼色のクーピーが一本ずつ、一番まともなものが、愛梨さんに用意してもらった端末だ。
つまり、現在ですら実質持ち物は制服と端末のみという絶望的な状況だ。親切な人に出会えて本当によかったと思う。
今日も、愛梨さんのお世話になりそうだ。いいのかそれで。
昼過ぎになって愛梨さんが帰って来た時、俺は頭を下げて叫んだ。
「愛梨さん、ここにいさせてください!」
「うん、そうなると思ってた。いいよ、ここにいても」
愛梨さんは甘く、優しそうな声でそう告げる。それと同時に、俺は何かを失ったような気がした。
「陽平君、いろいろ足りないもんね、後で買いに行こっか。それに、きっと、行った方がいいところもあるから」
声が弾んでいてとても嬉しそうに聞こえる。
物音が聞こえ、食事の匂いがするので二人とも既に起きているのだろう。
昨晩は、あの後七尾さんが何かを仕掛けてくることはなかったが、希望したスープを作ってもらえず残念がっていた。その時、自分で作れよと思ったことを鮮明に覚えている。
もう寝ようという話になったときには、愛梨さんにベッドを使ってと勧められたが、そこまでされると気が引けるという話ですらなくなるので、何度も断り、ソファの上を勝ち取った。勝ち取った、のか。
カーテンを開け外を眺めるが、一夜明けても眼前の世界が高度に発達した街に相違なかった。
元いた世界の知識を披露して英雄になりたい、とまでは思っていなかったが、どうしてこうなったのだろう。
「陽平さん、あたしはもう学校へ行くけど、あーちゃん襲っちゃだめよ。あーちゃんも学校あるんだから、遅れちゃうかもしれないでしょう。襲うなら、帰ってきてからよ。よければ、あーちゃんの味、教えてもらえないかしら」
「はいはい、学校あるんですよね。遅れないようにもう出た方がいいんじゃないですか、七尾さん」
この人との会話のコツは、何か聞こえるくらいの気持ちで聞き流し、早々に会話を切り上げることなんだと、考えた結果行きついた。
あまりかかわりたくもないので、抵抗されても玄関まで押していく。
途中で何か言っていたが、適当に相槌を打って聞き流した。
「いってらっしゃい七尾さん。早く学校に行かないと遅れますよ」
「あら、そんなこと言って。本当はあたしの側にいたいのよね」
「あー、はいはいそうですね。いってらっしゃい七尾さん」
満面の作り笑いで七尾さんを送り出し、玄関のドアを閉める。
「本当に二人仲いいのね」
愛梨さんはそう言って嬉しそうに笑うが、仲がいいというよりは、玩具にされているだけのような気がする。
「愛梨さんは学校行かなくていいんですか」
「私はこの時間関係ないから。次と、昼くらいに行ければいいかな」
「愛梨さんて結構、不真面目なんですね」
何気なくそんなことを言うと、愛梨さんは苦笑し溜息を吐いた。
「ねえ、陽平君。私って、不真面目なのかな。悪い子なのかな」
泣きそうな声とは正反対なほどに笑顔なのを見て、何か地雷を踏んだようだとすぐにわかった。
この人は、七尾さんとは違う方向で面倒くさいようだ。
「そういうわけじゃなくて、世の中いろんな学校があっても、俺は自分の通ってきた学校しか知らないので、校風が違うとそう感じてしまうんですよ」
焦って言い訳をしてみるが、大丈夫だろうか。
愛梨さんは黙ったまま何の反応も示さない。
沈黙が続き、何かを話せばいいのか黙っていた方がいいのか判断に困るだけでなく、妙に緊張する。
すると、徐に愛梨さんは身を翻して歩いて行く。
「ごめんね陽平君、今ご飯温めるから」
その声は明るさを取り戻していたので、何とか切り抜けることが出来たと安心すると、緊張が解けて大きな溜息が出る。
昨日も似たようなことがあったような気がする。それに比べれば今日のことはまだ軽かったと言えるか。
俺はそこまで博識でも、頭がいいわけでもないので、今はもう考えるのを止めよう。疲れるだけだろうから。
食事中はやけに静かだった。愛梨さんは端末で作業をしているようだったので、話しかけることを躊躇ったのだ。
「愛梨さんの能力って、金属操作ですよね。自分の能力について、どう思ってるんですか?」
「どうって、別に。使えない能力だなって、そう思ってる」
答えが予想外すぎて、思わず驚きの声を漏らしてしまう。
「別にね、完全に使えないなとは思ってないよ。同時に包丁二本、三本使えたりして便利なんだけど、日常であんまり使う機会無いから。普通の暮らしと言えばとてもいいことなんだけどね」
「でも、戦うときとかいいじゃないですか。かっこいいですよ」
愛梨さんは小さく笑って見つめてくる。
「陽平君はそう思うかもしれないけど、私は戦いたくなんてないから」
そう言って立ち上がると大きく伸びをした。
「でもありあがと」
元気そうに笑う愛梨さんが、俺には一番輝いているように見えるし、一番可愛く見えて、一番好きだ。
食器を片付けた後も雑談を交わしていると、あっという間に愛梨さんの登校時間が迫っていた。
「それじゃあ私も行くね。私がいない間に出て行っても構わないけど、泊まる場所が見つからなかったり、困ったことがあったらおいで。頼ってくれていいから」
眩しい程に元気のいい笑顔だったが、漠然とどこか、非常に都合のいい感じ方やもしれないが、寂しそうだと感じた。
一体そこにどんな思いがあるのかわからない。俺にはわからない。無粋で、どちらかにとって残酷な結果を齎すかもしれない七尾さんのような能力があれば話は変わってくるけれど。
何と返事をすればいいのかわからないまま、ドアはゆっくりと閉じられていった。
穴と言うよりは、欠けたパズルのような喪失感を感じて、壁を背もたれにしてその場に座り込む。
昨日からいろいろあった。変な奴にあってこの世界に来て、愛梨さんと出会い、それから愛梨さんに端末を用意してもらい、七尾さんと出会っていじられて、愛梨さんのこの部屋で夜を越した。
一日を振り返って、今の自分の状況を再び確認すると、いろいろな物が足りないことに今更気付く。
まず、学校指定の制服と今着ている下着しか服がないこと。そのほかの持ち物もとんだぽんこつの集まりで、繋がることのなくなった携帯電話、身分を証明できない学生証、使えない貨幣の入った財布に、それぞれ金、銀、茶、緑、蒼色のクーピーが一本ずつ、一番まともなものが、愛梨さんに用意してもらった端末だ。
つまり、現在ですら実質持ち物は制服と端末のみという絶望的な状況だ。親切な人に出会えて本当によかったと思う。
今日も、愛梨さんのお世話になりそうだ。いいのかそれで。
昼過ぎになって愛梨さんが帰って来た時、俺は頭を下げて叫んだ。
「愛梨さん、ここにいさせてください!」
「うん、そうなると思ってた。いいよ、ここにいても」
愛梨さんは甘く、優しそうな声でそう告げる。それと同時に、俺は何かを失ったような気がした。
「陽平君、いろいろ足りないもんね、後で買いに行こっか。それに、きっと、行った方がいいところもあるから」
声が弾んでいてとても嬉しそうに聞こえる。