タンザナイト――2―6
文字数 2,743文字
翌日早朝俺はまた公園にいた。
ランニングしている青年たちに絵を描いているおじさん、タイムリープしているかのように変わらない日常がそこにはあった。
当然タイムリープなんかしていないので、朝起きた時に七尾さんはいないし、多少距離があってもおじさんの絵は随分と描きこまれて変化していた。
今日もあの女性に会えるか、なんて思って来たが会ってどうするんだという話だ。
美味しく頂きました、なんて言うのか。出る前に確認した時、まだ手が付けられていなかったというのに。
俺の行動原理はいったい何なんだ。それは俺の方が知りたい。高名な心理学の先生よ、どうか教えてもらえないだろうか。
「僕の名前は富山陽平。道に迷い彷徨う哀れなうしかいさ」
後ろから優しく語りかけるような女性の声が聞こえてきた。
確認してみればそこにはやはり件の人が立っていた。
「今日も無気力な顔してるのね」
「いきなり、失礼な人ですね」
俺の言葉を聞いていないかのように近寄ってくると、よいしょと呟きながらベンチの上に荷物を置いて自動販売機へと向かう。
何が入っているかなんて聞かなくてもわかる。
買い物袋のような荷物からはビビッドピンクの液体が入った八本の大ボトルが頭をのぞかせ立ち並んでいた。
やっぱりそうなのかと溜息を吐くと、冷たい何かが頬に当たる。
突然のことで驚いて体がびくりと震えたと同時に、何事かと転身するとあのジュースが目の前に飛び込んできた。
「あげるわ」
「いりません」
「あげるわ」
確かに断ったはずなのだが、半目で見据えてくる。
「……いりません」
「あげるわ」
「だから、いりませんって」
「あげるわ」
わかった。これはもらうまで終わらないパターンだ。
冷たい飲み物を飲んでいるはずなのに、却って喉が渇きそうなこのジュースを出来れば飲みたくない。
飲ませたい彼女と拒む俺が無言で見つめあう。
しかし、最後には威圧感の様なものに負けてしまい渋々受け取ることになり、その時の彼女の笑顔には心が惹かれそうになった。
「本当、甘すぎですよ」
前回飲んでから時間が経ってないからか、開けた瞬間に漂う匂いだけで感想が言えるくらいに味が鮮明に思い出される。
彼女は普通に飲んでいるので、もしや感じ方が違うのでは等と考えてしまう。
「甘いって思わないんですか」
「すっごい甘いよね」
「甘いって思うならなんでこんな、甘いだけみたいな飲み物なんか」
「知りたい?」
何かを含んだような微笑みを浮かべる彼女の言葉に、何も考えず頷いた。
「死んじゃったお母さんが好きだったんだよ。私もあんまり好きじゃなかったんだけど絆みたいなものを感じて飲むようになったの」
そう言った彼女は物憂げな眼で缶を見つめていた。
大した話だなんて思っていなかったし想像も出来なかったが、聞かなかった方がよかったのかもしれない。
「……なんか、すみません」
「ああ、いいのいいの。気にしないで、嘘だから」
何事もなかったかのようにそんなことを言われ、処理落ちしたかのように思考が止まる。
「この時間だったら、お母さんお父さんと一緒にガーデニングでもしてるんじゃないかな。倒れたって話も聞かないし」
きっと七尾さんなら俺の反応を見て楽しもうとするだろうが、まるで興味がないようで声も表情も落ち着いている。
俺はどう反応すればいいのだろう。さらりと流されるよりはいじってくれた方がまだ楽だ。
「ねえ陽平、それ飲んだら荷物持って欲しいなって、言ってみたり」
「……はい?」
荷物を持ってほしいと言われたことより、フルネームですらなくなったことに衝撃を受け、そんな呆けたような返事しかできなかった。
「じゃあ、頼んだよ」
「ちょっと待ってください。俺、持つなんて言ってないし、知り合って間もない相手になんで呼び捨てにされてるんですかね」
「別にいいじゃない、ね?」
なんだろう。もっと普通に頼まれていれば、いや、もしかするとこの人でなければきっと引き受けただろう。
持ってあげようと思う自分がいるのも確かだが、なぜだろうかそんな気になれない。
「持ってくれないの?」
迫ってくる彼女から離れようと身を反らすが、ベンチの上に逃げ場などなく押し込まれてしまう。
「わかりましたよ。持てばいいんでしょ、持てば」
「ありがと」
まるで心がこもっていない謝辞を残して立ち上がった。
持つと言ったものの、目を向けるだけで重そうだという事が伝わってくる。
溜息を吐いてから残ったジュースを一気に飲み干すと、甘ったるい味が口の中と、おまけに鼻の中にも広がる。
それが不快なわけではなかったが、一度深呼吸して空気の入れ替えを図った。
「缶、捨ててくるよ」
何も考えずにすいませんと呟いて彼女に空になった缶を渡す。
俺も立ち上がり荷物を見下ろすが、どう見ても十キロはゆうに超えているように見える。
「何処まで持ってけばいいんですかねえ」
乱暴に、それでいて少し呆れているように言ってやる。
「研究室まで。そこに冷蔵庫あるから」
「へえ、学者先生だったのかあんた」
ただの変な奴くらいにしか思っていなかったので、研究室と聞いて驚いて素が出てしまう。
「私はまだ学生よ」
彼女は平常を装っているのだろうが、憂いのような、悔いのようなものを感じる。
「ほら、早く持って。頑張って運んでね」
「人にもの頼む奴の態度じゃないですよ」
気にするなと示すかのように彼女は呵々と笑い、俺を置いて歩いて行く。
はぐれるわけにもいかないので荷物を持って後を追う。
まさかこんなところで群青の彼がしてくれた身体能力の強化が効いてくるなんて思いもしなかったし、そのことを半ば忘れかけていた。
急いで追いかけ、隣に並ぶ。
隣に並んでようやく気がついたが、彼女の身長はそれ程大きくないということだ。
中学生くらいの理久と同じくらいか少し大きい程度に思える。
それでも彼女の顔立ちや雰囲気は愛梨さんたちと同じくらいの年齢に見えるので純粋に背が大きくないという事なのだろう。
そういえば、理久はいったい何歳なのだろう。
俺は勝手に身長だけを見て大体中学生くらいだと決めつけていたが、直接聞いたことなんか一度もないじゃないか。
「私の話聞いてる?」
「すいません、なんですか?」
それ程考え込んでいたのかと、条件反射的に聞き返すと彼女はにやりと笑う。
すぐに引っ掛けられたと気付き、頭の中の自分が溜息を吐く。
「何も言ってないわよ」
この人といい、七尾さんといい、俺はそんなにいじりやすそうに見えるのだろうか。
ランニングしている青年たちに絵を描いているおじさん、タイムリープしているかのように変わらない日常がそこにはあった。
当然タイムリープなんかしていないので、朝起きた時に七尾さんはいないし、多少距離があってもおじさんの絵は随分と描きこまれて変化していた。
今日もあの女性に会えるか、なんて思って来たが会ってどうするんだという話だ。
美味しく頂きました、なんて言うのか。出る前に確認した時、まだ手が付けられていなかったというのに。
俺の行動原理はいったい何なんだ。それは俺の方が知りたい。高名な心理学の先生よ、どうか教えてもらえないだろうか。
「僕の名前は富山陽平。道に迷い彷徨う哀れなうしかいさ」
後ろから優しく語りかけるような女性の声が聞こえてきた。
確認してみればそこにはやはり件の人が立っていた。
「今日も無気力な顔してるのね」
「いきなり、失礼な人ですね」
俺の言葉を聞いていないかのように近寄ってくると、よいしょと呟きながらベンチの上に荷物を置いて自動販売機へと向かう。
何が入っているかなんて聞かなくてもわかる。
買い物袋のような荷物からはビビッドピンクの液体が入った八本の大ボトルが頭をのぞかせ立ち並んでいた。
やっぱりそうなのかと溜息を吐くと、冷たい何かが頬に当たる。
突然のことで驚いて体がびくりと震えたと同時に、何事かと転身するとあのジュースが目の前に飛び込んできた。
「あげるわ」
「いりません」
「あげるわ」
確かに断ったはずなのだが、半目で見据えてくる。
「……いりません」
「あげるわ」
「だから、いりませんって」
「あげるわ」
わかった。これはもらうまで終わらないパターンだ。
冷たい飲み物を飲んでいるはずなのに、却って喉が渇きそうなこのジュースを出来れば飲みたくない。
飲ませたい彼女と拒む俺が無言で見つめあう。
しかし、最後には威圧感の様なものに負けてしまい渋々受け取ることになり、その時の彼女の笑顔には心が惹かれそうになった。
「本当、甘すぎですよ」
前回飲んでから時間が経ってないからか、開けた瞬間に漂う匂いだけで感想が言えるくらいに味が鮮明に思い出される。
彼女は普通に飲んでいるので、もしや感じ方が違うのでは等と考えてしまう。
「甘いって思わないんですか」
「すっごい甘いよね」
「甘いって思うならなんでこんな、甘いだけみたいな飲み物なんか」
「知りたい?」
何かを含んだような微笑みを浮かべる彼女の言葉に、何も考えず頷いた。
「死んじゃったお母さんが好きだったんだよ。私もあんまり好きじゃなかったんだけど絆みたいなものを感じて飲むようになったの」
そう言った彼女は物憂げな眼で缶を見つめていた。
大した話だなんて思っていなかったし想像も出来なかったが、聞かなかった方がよかったのかもしれない。
「……なんか、すみません」
「ああ、いいのいいの。気にしないで、嘘だから」
何事もなかったかのようにそんなことを言われ、処理落ちしたかのように思考が止まる。
「この時間だったら、お母さんお父さんと一緒にガーデニングでもしてるんじゃないかな。倒れたって話も聞かないし」
きっと七尾さんなら俺の反応を見て楽しもうとするだろうが、まるで興味がないようで声も表情も落ち着いている。
俺はどう反応すればいいのだろう。さらりと流されるよりはいじってくれた方がまだ楽だ。
「ねえ陽平、それ飲んだら荷物持って欲しいなって、言ってみたり」
「……はい?」
荷物を持ってほしいと言われたことより、フルネームですらなくなったことに衝撃を受け、そんな呆けたような返事しかできなかった。
「じゃあ、頼んだよ」
「ちょっと待ってください。俺、持つなんて言ってないし、知り合って間もない相手になんで呼び捨てにされてるんですかね」
「別にいいじゃない、ね?」
なんだろう。もっと普通に頼まれていれば、いや、もしかするとこの人でなければきっと引き受けただろう。
持ってあげようと思う自分がいるのも確かだが、なぜだろうかそんな気になれない。
「持ってくれないの?」
迫ってくる彼女から離れようと身を反らすが、ベンチの上に逃げ場などなく押し込まれてしまう。
「わかりましたよ。持てばいいんでしょ、持てば」
「ありがと」
まるで心がこもっていない謝辞を残して立ち上がった。
持つと言ったものの、目を向けるだけで重そうだという事が伝わってくる。
溜息を吐いてから残ったジュースを一気に飲み干すと、甘ったるい味が口の中と、おまけに鼻の中にも広がる。
それが不快なわけではなかったが、一度深呼吸して空気の入れ替えを図った。
「缶、捨ててくるよ」
何も考えずにすいませんと呟いて彼女に空になった缶を渡す。
俺も立ち上がり荷物を見下ろすが、どう見ても十キロはゆうに超えているように見える。
「何処まで持ってけばいいんですかねえ」
乱暴に、それでいて少し呆れているように言ってやる。
「研究室まで。そこに冷蔵庫あるから」
「へえ、学者先生だったのかあんた」
ただの変な奴くらいにしか思っていなかったので、研究室と聞いて驚いて素が出てしまう。
「私はまだ学生よ」
彼女は平常を装っているのだろうが、憂いのような、悔いのようなものを感じる。
「ほら、早く持って。頑張って運んでね」
「人にもの頼む奴の態度じゃないですよ」
気にするなと示すかのように彼女は呵々と笑い、俺を置いて歩いて行く。
はぐれるわけにもいかないので荷物を持って後を追う。
まさかこんなところで群青の彼がしてくれた身体能力の強化が効いてくるなんて思いもしなかったし、そのことを半ば忘れかけていた。
急いで追いかけ、隣に並ぶ。
隣に並んでようやく気がついたが、彼女の身長はそれ程大きくないということだ。
中学生くらいの理久と同じくらいか少し大きい程度に思える。
それでも彼女の顔立ちや雰囲気は愛梨さんたちと同じくらいの年齢に見えるので純粋に背が大きくないという事なのだろう。
そういえば、理久はいったい何歳なのだろう。
俺は勝手に身長だけを見て大体中学生くらいだと決めつけていたが、直接聞いたことなんか一度もないじゃないか。
「私の話聞いてる?」
「すいません、なんですか?」
それ程考え込んでいたのかと、条件反射的に聞き返すと彼女はにやりと笑う。
すぐに引っ掛けられたと気付き、頭の中の自分が溜息を吐く。
「何も言ってないわよ」
この人といい、七尾さんといい、俺はそんなにいじりやすそうに見えるのだろうか。