第2話 違いと違う

文字数 4,661文字

元号が平成から令和に変わったからといって驚くような変化は起きなかった。当たり前だとも思う。1999年のノストラダムスの大予言とはわけが違う。いや、あのときもごく一部の人間が大騒ぎしていただけで自分には関係なかったし、信じてもいなかった。


ただ、困ったことに日本でパンデミックが発生した。流行り病なんて授業で習った「ペスト」や「スペインかぜ」くらいしか思いうかばない。まあ、あとは人間がゾンビ化してしまう、それこそわけのわからない、存在するのかどうかも怪しい未知のウィルスくらいだろう。

惰性の学生生活を終え、要領よく単位を取得した俺は卒業して何となく営業職に付いた。しかし、なんとなくで選んだ営業の仕事は三か月ももたなかった。
発破をかけるという名目の部長からのパワハラ、新人を鍛えるという名目で先輩社員から掃除当番を押し付けられ、毎日のようにデスク、トイレの清掃これだけでも嫌なのに営業成績が悪いと20人ほどの全社員の前で叱咤激励、いや激励はなかっただろう。叱咤だけが毎日のように続いた。まさに起きながらにして醒めない悪夢をみているようだった。それともあれは他の社員に対する見せしめだったのだろうか。辞めてからそう思うようになった。


たった三か月で会社を辞めた俺に両親や友人達はきつくあたってきた。
「根性なし」「弱虫」「それくらいで辞めたら他の仕事なんかできるわけがない」
聞いたことがあるフレーズのオンパレード。胃が痛くて痛くてたまらず、鬱になる手前まで追い詰められたような気がした。


順風満帆な人生なんかそうそうあるものでない。俺は鬱屈した気持ちのまま一つ目の会社を辞めてから、半年ほどして準社員という形で雇われた。勿論、前職のことは履歴書に書かなった。経歴詐称かもしれないが2つ目の会社に採用されるまで、その前職が再就職の妨げになると思い知らされていたからだ。


客商売も本当に大変だった。そんなことを言いだすとキリがないが、酔っ払った客に殴られたのは一度や二度ではなかった。格安のビジネスに何を求めているのかはわからなかったが、あのときは「お客様は神様」の時代。「カスハラ」なんて言葉があることさえ知らなかった。


流行り病が世界だけでなく日本中も蝕んでいた頃、観光客の激減で宿泊業もはインバウンドの影響も受け、目を疑いなるほど落ち込んだ。


そんなとき、「こんなご時世に泊まりに来てやったんだ。いつも以上に奉仕しろよ。ほらさっさと荷物を持てよ」初老の男は手に持っていた手提げ鞄を俺に向かって突き出した。
格安ビジネスホテルにそんなサービスは存在しない。
「ここは一日のストレス発散の場ではないですよ。それとも弱い者イジメがお好きなんですか?」俺はつい無意識でそんな言葉を呼吸をするように自然など口から吐き出してしまっていた。


俺の言葉を一言一句聞き逃さなかったであろ初老の威張り散らしていた男性は、言うもまでもなく激高した。
「おい、小僧、お前だよ、お前!今何て言いやがった」
どうして年配者は小僧呼ばわりが好きなんだろう。俺にもそんなことを考えるくらいの余裕はあったのだが、事務所にいた支配人がピンボールで押し出されたように飛び出してきた。


「おい、吉田!ちょっと来い!」来いと言いながら俺よりも身長が10センチほど高い支配人は俺の頭を鷲掴みにしながらロビーに出して、そのまま前屈測定するのかと思うほど強い力で俺の頭を下に押し下げた。


「そんなので許してくれると思ったら大間違いだよ、おら土下座して謝れって!」
鼻息を荒く興奮していたが、俺の男とは正反対に心は感情を持たないロボットのように冷め切っていた。


これでいいのかもしれない。


俺は鷲掴みにしていた支配人の手を強引に引き離し「土下座をしろと言うなら辞めさせて頂きます」そう言って支配人の反応を確かめた。


宿泊客が減少の一歩を辿るなか、いれば給料を払わなけらばいけない従業員とその従業員が怒られせてしまった客。どちらにつくのかは考えるまでもなかった。


「わかった。吉田は今日でお終いだ。その代わり土下座はしなくてもいいからちゃんと謝罪しろ」
「わかりました」やはりそうなったか」
「大変申し訳ありませんでした」俺は自分が納得できる範囲で頭を下げ、その場を離れた。
「おい、待てって!そんなので許さると思っているのか!おい!待てよ!」
聞き流す、無視する。もう頭をさげるのさえ嫌だった


こうして俺は流行り病が猛威をふるい、次の職の当てなどないのに2つ目の会社を辞めた。それは俺が34歳のときだった。長く務めたと思っていた。終身雇用など
鼻から頭にない俺はそう思っていた。


ただ、辞めてからが本当に大変だった。次が見つからない。どこもかしこも従業員を解雇していても新しく採用をしていない。新卒者さえ採用していない会社さえあったのだから俺のような中年の、特筆するべき才能や資格をもっている人間を欲しがる企業など見つからなかった。


2年くらい引きこもりになってしまった。両親がきつくあたってこなかったのには理由があったが、相当苛ついていただろう。家に居すぎるとわからなくてもいいことさえわかってしまった。


流行り病が終息を迎えそうになった頃、やることと言ったらPS4しかなかった俺も本格的に仕事を始めることにした。家に居続けるのも限界だったし、腫れ物をみるような両親の目を違うものに変えたかったからだ。


「あそこのコンビニでアルバイトを募集してるってよ」
買い物帰りのお袋がノックもせずに入ってくる。「あそこってどこ?」俺はPS4のコントローラーを握りしめながら聞き返した。


「小学校に行く大通りから踏切に向かう道に入ってすぐのところ」
「ああ、あそこか」家に閉じこもりすぎて鈍くなった頭を凝りほぐすように思考を巡らす。自転車で10分くらいのろところに確かにコンビニがあったはずだ。


「じゃあ一応聞いてみるか」
「そうしなよ、いつまでも家に居られるとこっちも困るし」心の底からそう思っているからだろう。お袋の目が「働け」と訴えているように見えた。


「善は急げ」という言葉はこういうときには使わないだろう。2年近く家で引きこもっている時点で善という言葉の意味を失っている。とにもかくにも電話番号をネットで確認して、すぐに電話をかけて面接の予定まで漕ぎ着けた。


ところが・・・いざ面接に行くと50代前半の覇気のない店長から露骨に嫌な顔をされた。
「もうすぐ40代になるのにアルバイトをしたいの?」
「駄目ですか?」
「駄目じゃないけどさ・・・本当は大学生とか欲しいんだよね」
正直というか、時代にそぐわないことを口にする店長だ。「駄目なら駄目で他を当たります」
「いや、駄目ってわけじゃないんだけどさ」そう言いながら店長は険しい顔で新たな発見でもないかと探すように履歴書と俺の顔を交互に見比べた。
「夜、そう夜勤なら今人が足りないから、夜ならどう?」
どうもこうも選択肢が一択なら答えはどちからだ。
「やります。夜で問題ないです」
「あーじゃあ夜勤で採用ってことで」そこまで言いながら店長は一度言葉を止める。
「うちの夜勤は大変だけど大丈夫?」
心底面倒臭い人だと思った。ただここまで話がつながってきた以上、俺も「大丈夫だと思います」と「思います」の保険をつけておいた。


そうして始めた夜勤のコンビニに突然亜由未が現れた。
それは仕事の休憩中のことだった。二度目も同じ「また来たよ。元気だった?」


ああ、元気だった。この通りピンピンしているよ。
いや嘘だ、大嘘だ。


「この間はビックリさせちゃってごめんね」
「ああ、まだ何が何だかわかってないんだけど、理解しようとは努力してる」またくしゃくしゃになってしまっている箱から煙草を一本取り出して咥える。


「あーまた煙草を吸っている」
「別にいいじゃん。それって付き合っていた頃もしょっちゅう言われてってけ」煙草に火を点け、どうやったらリングになるのだろうと考えながら息を吐く。
「俺、ここで働き始めてそろそろ2年になるんだ」
「知ってる」「ああ、そう」
これが全く見知らぬ女性だったら恐怖で震えて咥えている煙草を落とすだろう。
ただ、歳をとってようには見えないとしても彼女はやはり亜由未は亜由未だ。府に落ちないことだらけだが、怖がることはなかった。


「一つ聞いてもいい?じゃあ、何で今なの」
「今ってどういうこと」
「だからさ、今ここにいる理由だよ」
「それはね」そう言って亜由未は背を向ける。
「それは内緒」俺に背を向けたまま闇に消え入るくらいの小声で答えた。
「変わっていないね、そういう勿体ぶるところ」
「そう?」
「そう、変わっていない。今は変わらな過ぎていることにびっくりしているんだけどさ」そこまで言って俺はまだ残っている煙草を灰皿の縁で押し消した。
「もう考えるのは止めたんだ。わからないことはもうわからない」俺は亜由未をジッと見据えた。


「それって諦めているってこと?」亜由未は何かを確かめるように真剣な面持ちで俺と対峙した。
そうだと思うし、できることならそう思いたい。
「そうだよ」
「違うよ、それは」
「お前に何がわかるっていうんだよ!突然歳も取らないまま、突然現れたお前に何がわかるんだよ!」つい語気が荒くなる。


「ねえ、あの頃は、私たちが付き合っていた頃って本当に楽しかった?
突然の問いに答えが詰まる
「あの頃は本当に楽しかったと思う。だけど過去には戻れないし、戻ったところで何も変わらないよ」本心だ。人生にやり直しはきかない。だったら戻りたくもない。

ジリンジリンジリン 無機質な電子音が鳴り響く。休憩終了10分まえの合図だ。

「ごめんね、私は帰るね」
「暗いから気をつけろよ」言えなかった言葉がすんなりと出てきことに自分自身で驚いた。

「ありがとう。でも大丈夫だから」
「そう・・・」
「それから、博司くんは髪が薄くなっても恰好いいよ」
「あーもう余計なことを・・・すでにそこに亜由未の姿はなくとうの亜由未はもう踏切を渡りながら、また笑顔で手を振っていた。

容姿が全く変わらない亜由未を前にすると存在は気になるが懐かしさは感じる。

あのときプレゼントしたハート形のペンダントをまだ持っていてくれるのだろうか?
そう考えてから、まるで俺がこの世にいてはいけないような虚無感に襲われる。

今の亜由未は確かにあのときのままだ。学校でも可愛いと噂されていた彼女がどうして俺みたいな男を好きになってくれたのかは、今の時代にそのままの亜由未が姿を現したのかと同じくらい謎だ。

「吉田さーん。早く交代してくださいよ」上野が痺れをきらして喫煙所までやってきた。
「吉田さんって今37歳でしったけ?
「違うよ、38歳」
「まあ、それはどっちにしてもいいとして、何であんなに若くて可愛い子と知り合いんですか?この前も来ていましたよね?あれですか?犯罪ですか?」
「馬鹿いうな!犯罪のわけないだろう」否定するところは否定しておかないと上野は何を言い出すかわからない」
「じゃあ誰なんですか?」
「も、元彼女だよ」
「嘘だよ、そんなわけねーし」
俺は上野がギャハハと下品な笑い方をしているうちに自分とは無関係なように装い、しらばっくれて作業に戻る。


嘘は言っていない、そうだろ、亜由未だってそういうしかないよな?仕分けしながら呪文のように同じ言葉を繰り返す。客が見たら相当ヤバい店員に見えてしまうだろう。


黙々と作業をこなす。俺は20年近く前の大学生時代頃のことを必死に思い出していた。

あの頃は本当に楽しかったのか?
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