第3話 夢の中での追体験

文字数 3,111文字

「おはようございます」
「はい、お疲れ様」

時刻は朝の6:00 やっと終わった。やっと帰れる。
「お先に失礼します」社交辞令のような挨拶を終え帰路につく。

自転車で10分。疲れすぎと亜由未の存在がペダルをこぐ力を削いでいるようでやたらと重い。

家の鍵を開け「ただいま」も言わずに自分の部屋のベッドに倒れ込む。疲れていてすぐに眠れそうだが、眠れない。俺は睡眠障害と診断されていた。
まあ、普通の人が働く日中に寝て、普通の人が就寝する時間から働く。睡眠障害になる典型なのかもしれない。


医師から処方された2種類の薬を水道水で乱暴に流し込む。今の俺には必要なものだ。薬がなければ不安になるし、多分寝ることも難しいだろう。


薬を飲んだおかげか、飲んだという安心感か、眠気はすぐに襲ってきた。俺は服を着替えることなくそのまま瞼を閉じて眠りについた。


「おーい、博司。おーいボンヤリしている場合か?」
新井が俺の方を軽く叩く。

ああ、そうか、ここは夢の中か。不思議なもので夢を夢を認識できる。多分それは俺だけじゃないはずだ。

「ああ、悪い」夢なのに言葉がすらすら出てくる。いや出ているように思いこんでいるだけだろう。

「ほらあそこ、見える。彼女が横山亜由未さん」20メートル先にいる3人組の女子グループを新井が指さす。
「いや、だからわかってるって」当たり前だ。現実世界で会っている。
「じゃあどうして俺に横山さんのことを教えてくれって頼んだのさ」新井は不満そうだった。
「ええと、それは、うーん、まあ何というかわかるんだよ」
「まあそれはいいとして、可愛いよね、横山さん。俺の趣味じゃないけど」
新井は学内でも気の許せる数少ない友達だが、さもイケメンでモテてモテてしかたがない物言いをする。ただ、実際に新井は背が高く、人当たりも面倒見もよいので、女子から人気はあった。
「あれだろ、横山さんが俺のことを気にいっているということだろ?」
「あれ?まだ知らないはずだけど、誰に聞いたの」
もちろん、その時に初めて新井から聞いた。ただ今はなぜか夢の中で過去の追体験をしている。先に起きることはある程度理解しているつもりだ。


「それでどうするの?」
「どうするって・・・」
思い出す。ああ、そうだ。ここから先、俺は新井におんぶにだっこだった。


俺は30歳になるまで何々をしないと魔法使いになれるという類の人間ではなかった。人並みに恋愛をして、こういういい方は好まないが亜由未は4人目の彼女だった。


そのくせ安全策をとろうとする。相手に好意があるのをきちんと把握しないとこちらからは動かない。要するにチキン野郎で卑怯者ということだ。


新井はゼミ関連で亜由未と知り合いだった。そこでそれなりの情報を仕入れて俺に話を持ち掛けてきたのだった。


しかし、夢にしては鮮明過ぎる。リアリティさえ感じてしまう。所々で色が失われているが、まるで過去にタイムトリップしたようだった。それと時間の経過が早い。重要な場面以外を端折っているようで、あれよあれよと話しが進む。


気がつけば、いつの間にか俺と亜由未は並んでベンチに座っていた。
夢なのにドキドキする。過去の追体験なのにおどおどしてしまう。


「それで吉田君、話ってなあに?」
「ええと、新井から聞いていると思うけど、あーなんていうのか、えーと」
「吉田君。そういうのはよくないと思うよ」説教ではないが諭すように亜由未が言う。至極全うな意見だ。
「はい」夢の中でしょんぼりする。
ふと考える。一体この夢はいつまで続くのだろう?
「ええと、横山さん。もしよかったらでいいんだけど、俺と付き合ってもらえませんか?」結局告白までしても夢は終わりそうにない。
「吉田君、小細工したでしょう?新井君に頼んで私の気持ちを探っていたでしょ?」
見え見えのバレバレだ「すいません」俺は亜由未の目を見れず、気まずくなってポケットから萎れていない綺麗な煙草を咥えた。
「ここは喫煙場所じゃないよ」
「あ、ごめんごめん」慌てて煙草をしまおうとすると煙草が手から落ちる。
「煙草吸うの?」
「うん」新井は余計なことを喋っていないようだが、どうせばれることだ。
「どのくらい?」
「一日一箱半くらいかな」
「ええーそんなに吸っているの?吸いすぎだよ。体を壊すし、健康によくないよ。それに煙草代だってバカにならないでしょ?」
「うん。まあ金はかかるけどこればっかりはね・・・」言い訳になっていない。
「煙草のことはさておき、吉田くんが新井くんに探らせるような人とは思わなかったか」
この後のことは覚えている「だから、まずは友達からね」
それで充分だとわかるようにぶんぶんと首を振る。
「あのさ、変なことを聞くようだけど、横山さんみたいにモテる女の子がどうして俺のことを気にかけてくれたの?」
「知りたい?」
「そりゃもちろん」思わず身を乗り出す。
「うーん、顔が好みっていうのもあるけど」
「あるけど?」どんどん前傾姿勢になる。
「あとは内緒。いつかきちんと話すから」
「全く勿体ぶるなあ」コントでずっこけるようにがくっとするが亜由未はクスリともしなかった。

どうも途中途中のことがあやふやだ。夢の中で過去のことを思い出しているのだから当たり前なのだろうが、このやり取りが本当にあったのかがわからない。


その刹那、俺の脳に直接語りかけるように亜由未の声がする。





え?今何て言ったの?





亜由未の言葉に合わせて世界ぐるぐる回る。目の前を歩いていたカップルが砂のように崩れ、足元がグラつく。立っていられない。近くにあるテラスの食堂にの壁をつかもうとすると体がすり抜ける。
景色がいつまでも揃わないルービックキューブを回し続けるように回転をやめない


おい、夢なんだからもう勘弁してくれ    
懇願が夢を見させていた何かの届いたのか、付け替えたばかりの電球のように瞼が開き点けっぱなしだったTVから笑い声が聞こえる。


夢から覚めると、服を着たままプールにでも飛び込んでいたかのように全身汗ばみれで靴下まで濡れていた。


「ははは、それはないわ」「いやいやありますって」画面に映るタレントが楽しそうに会話を続けている。
「なんだよ、うるさいなあ」、八つ当たりだとわかっている。それでも俺は苛立ちながらTVのリモコンで電源を落とすとそのまま放り投げた。


スマホで時間を確認すると、薬を飲んだのに3時間しか寝ていなかった。


「くそ、全くなんなんだよ」誰に聞かせるわけでもなく独りごちる。


とりあえず、着替えよう。汗まみれの服を洗濯機に放りこむ。後でお袋から文句を言われそうだが知ったことではないし、そもそもそこまで頭が回らなかった。


これは重症かもしれない。服を着替え、煙草を咥えながら玄関のドアを開け火を点ける。我が家は建て替えたばかりで、国が健康促進を促しているように屋内では全面禁煙だったし、それが守れないならば家から出ていくということがルール化されていた。


火を点けた後、煙を燻らせながら腕を組んで考えを巡らせる。


どうせ睡眠導入剤を処方されているんだから、そのときに亜由未のことを相談してみるか?いや、そもそもこんな話を信じるのか?
最悪、入院してください、とかなったらどうする。こういうときは悪いことばかりが連鎖する。


家のガレージの隅にある自分専用のみすぼらしい簡易式の灰皿で念入りに煙草の火が消えるのを確認すると、俺は足早に中へ戻り、スマホのカレンダーで、さして重要な約束もないのにまるでやり手のサラリーマンのように念入りに確認をした。


やはり大したことはない。ただ、5月26日に赤文字で病院と入力されていた。


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