第22話 本当と嘘のシャボン玉

文字数 2,845文字

亜由未の言っていたパスタ店は評判通りに思えた。
「ほら、言った通りだったでしょう」ピザを美味しそうに頬張る亜由未は自慢げだった。
「映画のことがあったから1勝1敗じゃないの?」そう言って俺はアイスコーヒーを喉に流しこんだ。
「うーん、1勝1敗か、なんか悔しいなあ」真紀はカクテルを飲み、不服そうだが、それでもどこか楽し気に違う種類のピザに手を伸ばしていた。
「まあ、勝ち負けじゃないんだけどね」
「でも、なんだか悔しいなあ。ねえ、博司君のおすすめとかってないの?」
「俺にそういうことを聞いてもわからないよ。わかるとしたら、あそこのメーカーのゲームは面白くて、あのメーカーはつまらないゲームばっかり作っているとかそんなもんだよ」
「それって口コミでも評判でもなんでもないじゃない。博司君の感想でしょ?」
「そうだよ」禁煙席なので煙草が吸えない。取り出そうとした煙草を再びジーンズのポケットに押し込む。
店は繁盛しているように見えた。無理に喫煙スペースを選ぶと待ちそうだったので、すぐに座れる禁煙席にしていた。
「それじゃあ意味がないよ。でも、就職したら忙しくてゲームどころじゃなくなるだろうね」
「それでいいと思っている。暇すぎてゲームをやっているって物凄く虚しいよ」
「私と付き合っているのに虚しいとか言わないで欲しいなあ」
「亜由未は友達が多いし、3年から就職活動やら卒論のテーマとかで忙しかったじゃん」ふと美世と香夏子の顔を思い出す。
『亜由未を傷つけたら許さないから』その言葉を頭の中で反芻し、俺はアイスコーヒーで咽た。
「大丈夫?」
「ごめんごめん、大丈夫だから」はっきり言って、この状況全体を捉えたら、何も大丈夫なことはない。俺は自分に大丈夫と言い聞かせることが多くなっていった。


会計を済ませて、車に乗り込む。
「奢ってくれなくてもいいのに」
「ほら、今は少し多めに金があるから」
「ああ、そうだったね」亜由未は察したようだ。俺の車はなくなったが、千葉の母親から頂戴した20万円が、決してそのままの金額ではなかったが充分すぎるほど残っていた。
「送ろうか?」
亜由未は黙ってギアレバーを握った俺の左手の上に自分の右手を重ねた。
「なんか変な感じだけど・・・博司君が嫌じゃなければ私はいいよ」
合図とは呼べないが、亜由未なりの意思の表れだった。
即座に返答できない。本当に大丈夫なのか?と口には出さず自問自答を何度も繰り返えし「俺が嫌なわけないじゃん」顔が引きつっていないか不安になったが、そう答えた。
亜由未は恥ずかしいのかフロントガラスの向こうに光る車のヘッドライトを見つめていた。


行きつけという表現は似つかわしくないラブホテルに向かい車を走らせる。
途中のコンビニで俺はコンドームを購入し、レジにいた高校生くらいの女の子に軽蔑の眼差しを送られているようで、逃げるように車に乗り込んでアクセルを踏んだ。


亜由未は黙ったまま、何も話そうとはしなかった。それは俺を疑っているのではなく、久しぶりにセックスをするからだろうと気づいた。
ラブホテルに着き、俺と亜由未は手を繋いだままフロントで部屋を選び、足早に部屋へ向かい、急いで部屋の鍵を回した。
「はああ、緊張した」亜由未が胸を撫でおろす。案の定、亜由未は久しぶり過ぎて気が張っていただけだった。
「博司君は落ち着ているね」
「いや、そんなことはなよ。さっき、すれ違ったとき俺は下を向いていたから」
廊下やエレベーターで見知らぬカップル、それでも同じ目的で同じ建物にいるカップルに鉢あってしまうと、母親に隠していたエロ本が見つかってしまったような気まずさを覚えた。
「先にシャワーを浴びてもいい。それとも一緒にお風呂にはいる?」
「いや、俺は後でいい。煙草を吸いたいし」
「じゃあ私は先にシャワーを浴びさせてもらうね」
「うん」そう言って俺は煙草を取り出した。


ベッドに腰を下ろし、煙草に火を点けると貧乏ゆすりをしていることに気が付いた。
大丈夫だ、大丈夫なはずだ。真紀は真紀、亜由未は亜由未だと自分に言い聞かせる。
だが、思い浮かぶのは喜悦の声を我慢している真紀の姿で、亜由未ではない。
ふと、テーブルに俺がプレゼントしたハートのネックレスが目に入る。シャワーを浴びるので外したのだろう。
ちゃんと身につけてくれている。嬉しいはずなのに、それ以上の後ろめたさでネックレスから目を逸らした。
「シャワー、空いたよ」
亜由未が全身をタオルにまいて恥ずかしそうにベッドに腰を下ろす。


もう何もかもがズレている。以前の俺であれば冗談だとしても「亜由未が一緒にはいる?」と言った時点で興奮がおさまなかっただろうし、本当に一緒にはいっていたとも思う。それにタオルだけの亜由未を見ただけでそのまま押し倒して「シャワーを浴びてからね」とやんわり注意されていたはずだ。


「じゃあ、俺もシャワーを浴びてくる」
そう言って煙草の火を消す。冷水を浴びて頭の芯から足の裏まで冷やそうかと本気で思った。
俺が亜由未を愛しているという気持ちはこんなにも脆かったのか?
1人になると動揺が更に増す。悟られないようにすればするほどぎこちなくなりそうで恐怖を覚えた。


シャワーを出ると亜由未はすでにベッドの中にもぐっていた。
「なんだか久しぶりだから緊張するし、恥ずかしい」
「俺もそうなんだと思う」そう言って布団にもぐり込み亜由未にキスをした。
「ふふ、そうみたいだね」と意地悪く笑った通り、俺は亜由未に興奮しながら体がついてきていなかった。
「無理をしなくてもいいんだよ」
「うん」
数日前、真紀を抱いたことが影響しているのは火を見るより明らかだった。
あのときは俺は溜まりに溜まっていた欲望と抑えきるのが精一杯だった感情を吐き出してしまった。


「ごめん」
「謝らくていいんだよ」
「なんだか久しぶりすぎて」
「うん」
「亜由未が好きなのにうまくできない」
「うん」そう言うと亜由未は俺の体を優しく抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫だから」


俺の言葉はシャボン玉のようだ。「本当」と「嘘」を口から吐き出し、「本当」だけがすぐにパチンと弾けて消え、「嘘」だけがいつまでもいつまでも宙を漂っている。


「本当にごめん」いつの間にか俺は泣いていた。
「泣かないでよ、こういうときもあるよ」
亜由未は泣き止まない赤子をあやすように優しく、そして自愛に満ちた力で俺を包み込んだ。


亜由未が優しくすればするほど俺は自責の念に駆られた。
裏切りは形で表れる。その行動がバレようがバレまいが、奥底に眠る良心というものを叩き起こし、その結果、自分だけでなく相手も傷つけてしまう。
俺は器用ではない。
真紀は確かに魅力的だが、俺が愛しているのは亜由未だ。でも真紀を抱いたときの温もりが残滓となり、いつまでも全身に纏わり付き、愛している亜由未の肌の感触を覆い隠してしまう。
器用でなければ、超然としていられないなら、本当に愛している女性しか抱いてはダメだ。
思い知らされた。痛感させられた。できないことならはじめからしてはいけないと。
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