第9話 大人の定義

文字数 4,538文字

事故から1週間が経ち、俺は後処理に忙殺され、大学に通うどころではなかった。
不幸中の幸いは、俺も亜由未も単位は3年生のうちに全て取得していて、卒論も終わり間近、就職も内定していたことだ。


ただ、亜由未とスノーボード旅行に行くことや、亜由未と繋ぎ合わせてくれた新井を含む男女6人での卒業旅行は絶望的だった。


俺自身が免許をとってたったの2年のということもあり、車は中古だったが、保険だけはかなり手厚いものに加入していた。これは不幸中の幸いに入らない。
保険会社の担当と話した際、相手側の車は保険で完全に修理できるが、俺の車は現在の市場価値に換算される、要するに20万足らずで購入した俺の車には保険が適用されたとしても、20万円以下、事故でほぼ全壊した俺の車の復元はできないということだった。


俺は自分の車に愛着をもっていた。人生で初めての愛車。人から見たらオンボロと言われるかもしれないが、亜由未とあちこちに出かけた思い出が詰まった大切な自分の一部だった。


「お前、酷い顔しているな」
「そうだろうなあ・・・」両手で顔を覆う。確かに疲れている。肉体的ではなく精神的に。
亜由未のお見舞いに行く前、心配になったのか、新井から連絡がきて、俺は久しぶりにファストフードで顔をあわせた。


「それで、亜由未ちゃんの怪我の具合は?」新井は猫舌のくせにホットコーヒーが好きだ。ふうふうとを息をかけながら、バリウムでも飲むかのような辛そうな顔で喉に流しこんでいる。新井はには悪いが美味そうに見えない。
「なんでお前はいつもホットを頼むんだよ」つい口に出してしまう。
「俺のことはいいから、亜由未ちゃんのことだよ」と一度言葉を区切り、聞いていいものなのか考えてから「それから千葉のこともな」と付け加えた。
「千葉の名前は聞きたくないね」ポケットから煙草を取り出したときに新井が手で制する。「ここは禁煙席だ」
「そうだったな」取り出した煙草をしまいながら、自分が疲れていることを実感する。新井は禁煙席に行くといったのをすっかり忘れていた。


「手術は必要だろうな」
「お前がバイクで事故にあったときより怪我は酷いのか?」
「まさか」俺は大学に入学してすぐに中型二輪の免許を取り、その2か月後には一時停止を無視した車に弾き飛ばされ大怪我を負っていた。左足大腿骨骨折(ひだりだいたいこつこっせつ)。一番太い骨がぽっきり折れた。笑ってしまうほど簡単に折れていた。


「つくづく事故に縁があるよなあ」自嘲気味に笑ってみせる。
「そういうことを言うなって、今回はお前のせいじゃないんだから」
「まあ、今回は完全に千葉にやられた」
「そのことなんだけどさ」新井が真剣な面持ちで俺を見る。
「お前が怒るのは無理もないんだ。だけどさ、俺たちは心配しているんだよ。千葉への怒りと亜由未ちゃんがごちゃまぜになっていそうで・・・」
「そんなわけないだろう」
新井の指摘は的を射ていた。真相は聞き出せていない。亜由未のお見舞いに行っているが、同じ病院にいるはずの千葉がどこにいるのか、俺はまだ確かめていなかった。
「正直言うと、千葉に会うことが怖い・・・」
「わかる気はする。でもこのまま会わないわけにはいかないだろ?保険のことや相手側に謝罪に行くのに連れていく必要があるだろ?」
「そうなんだけどさ」口ごもる。新井の言っていることは正論だ。だけど心がそれを拒否している。
「ともかくだ」新井は席を立ちあがる。
「俺も亜由未ちゃんのお見舞いに行きたいんだけど、とりあえずはもう少し落ち着いてからだな」
「新井だけじゃない、みんなに迷惑をかけちゃったなあ。本当にごめん、旅行のこととかさ」
「そんなの気にしなくていい。お前、成人したから全てが大人ってわけじゃないんだぞ。いいか、嫌味でいうじゃないんだぞ?お前、無理して大人ぶらないほうがいいぞ」
「そうか、無理をしているように見えているのか」
「ああ、そう見える」新井に続いて俺も立ち上がり、トレーを置き、飲み干せなかったコーヒーを排気口に流し込む。胸がムカムカして気持ちが悪い。俺は好きなはずのコーヒーを全部飲めなかった。


病院にはお袋の車を借りた。今回の事故のせいで両親からしこたま怒られた。
「あんたが考えもなしに車を貸すからこんなことになるだ」
「本当にごめん・・・」
「これっきりだからね。全くしっかりしなさいよ」
怒られても呆れられても、それでも毎回毎回タクシーで病院まで行くわけにはいかない。家には打ち出の小槌や金のなる木はない。謝ればいいとは思わないが、頭をさげて移動手段が手にはいるなら、俺は土下座でもできた。


東京ドーム何個分とかよくわからない尺度で説明はできないが、総合病院だけあって駐車場はやたらと広かった。A1から始まる番号は確認できただけでもL2のまであった。
事故の後だけあって、俺は運転に細心の注意を払った。自宅から約15分。たったの15分だが常に気を張っていた。ここで自分が事故を起こしてしまうわけにはいかなかった。


車を降りた後はそのまま亜由未の病室に向かう。長居はしなかったが、事故の日以来、時間帯は異なるが毎日同じことを繰り返していた。


急ぎ足で受付を通り抜け、エレベーターで5階まで行く。
「亜由未、入るよ」ベージュ色のカーテンの仕切りは、俺が会いに行ったときはほとんど端で纏められていた。
「博司君、いつもありがとうね」
亜由未はベッドを調節し、上半身を少しだけ上げるようにして、おそらく友達がもってきたのであろう、ファッション誌を読んでいたようだ。
「痛みはどう?」亜由未の左足はギプスで固定され、血液の環流を促すために左足の下にはブロック塀のような形をした大きな長方形の枕が置かれ、足は常に上に上げられている。
「痛いと言えば痛いけど、前よりはずっと良くなった」確かに顔色は少しよくなったように見えた。
「手術の日程は決まった?」
「まだ。でもそう遠くないうちにするらしいよ。手術かあ・・・嫌だなあ、怖い」
亜由未は不安そうに手に持っていた雑誌を置くと遠い目をした
「大丈夫、全身麻酔ならビックリするくらい簡単に落ちるから」
「なに?落ちるって?」
パイプ椅子を持ちあげて、亜由未の真横に降ろす。
「酸素マスクみたいなのものがあるでしょう?あれで、3・2・1ってカウントダウンが始まるんだけど2の時点でもう意識がないから」
「そうなの?やっぱり経験者は語るだね」
「必要ない経験だったよ」
本当に不必要だった。亜由未には言えないが、麻酔がかかるのは簡単だが、きれた後は生き地獄だ。痛覚が元に戻ったときの痛みは言い表しようがない。体中が痛くて痛くて溜まらない。眠ることもできず、座薬を尻から入れられ、それでも痛みは続いた。こんなことは亜由未には話せない。不安にさせるだけだ。


「それでなんだけど・・・千葉君にはもう会った?」
「いや、でも会わないなけにもいかないでしょ?会うよ、なるべく早くにね」新井の言葉をそのまま引用する。余計なことは言わない。そう決めていた。
「亜由未がこんな状態なのに、どうしても知っておきたいことがあって」
「うん」
「どうして千葉が俺の車を運転していたの?」いよいよ核心をついた。
「それは、本当にごめんなさいと言いようがないの。あのとき、博司君の車のキーを鞄から取り出してロックを外そうとしたら、そのタイミングでキーを千葉君にとられちゃって・・・」
パイプ椅子に腰を下ろして黙って耳を傾ける。
「でも、無理やりにでも取り返すか、私は別の方法で帰れば良かったんだ」俯く亜由未の頬を涙がつたう。俺はハンカチを持参していたが、聞き終えるまで出すつもりはなかった。
「戻るまであの距離なら10分くらいだから、私もそれくらいならいいかなって思っちゃって」
「それで事故が起きたわけだ」自分でもぞっとするほど低い声が出る。
「本当にごめんなさい。だから私にも責任があるの。全部が全部千葉君のせいじゃない」
「つまり、亜由未は共犯ってわけだ?」
「共犯って・・・そういう言い方をしないで」亜由未は涙声だ。俺はそれでもハンカチを取り出そうとしない。


新井の言葉を反芻する。千葉への怒りが亜由未とごちゃ混ぜになっている。
でも・・・これは個としてどちらが一方的に悪いとかそういうことでないようだ。亜由未は自分で、自分にも責任があると言っている。


脳がショートして頭から煙が出てきそうだ。「ごめん、嫌な言い方だったね。何か飲む?下の売店で買ってくるよ」
「私は大丈夫」亜由未はベッドの横にある箱のティシュペーパーを使い自分で涙を拭いている。
「まだ怪我をしていて、これから手術もあるのにごめん。ただ、千葉に会う前に聞いておきたかったんだ」

亜由未は言葉を発せずに首を縦に振った。
「いやあ、でも千葉なんかが亜由未を連れて運転してラブホテルなんかに連れ込んだらどうしようかと思ったよ」
笑えない冗談だ。気まずい雰囲気だけが病室を包み込む。
「明日、また来るね」俺は逃げるように急いでリュックサックを掴み、病室を後にしようとした。
「千葉君は物凄く後悔していたよ。吉田に悪いことをしたって・・・」
「後悔ねえ・・・」にわかには信じ難い。しかも後悔だと?反省ではなく
後悔なのか?表情が強張っていくのがわかる。


「ねえ、博司君は私のことを信じてくれているの?」
亜由未に呼び止められて足を止める。
「当たり前だよ」
「でも、それならどうして?」
「あんまり言いたくないんだけどさ、俺もボロボロなんだよ。車は廃車、保険料は値上がりするし。別に入院代を払えとか車を元通りにしろとか、そういうことを言っているんじゃないだ」更に続ける。
「誰が悪いとか言い出したらキリがないんだ。詰まるところ、車の所有者である俺が車を貸さなければここまでこじれなかった」
「博司君は悪くないって。自分を責めないで」亜由未は懇願にもしているような、悲痛な叫びで訴えているようにも思えた


友人数人で食事に行ったとき、「今日は私が支払いがます」「いえ、私が」「いえいえ私が」とどこまで本気で言っているのか、誰が奢るのかで揉めるのは仲間意識のひと善意を明確化する方法だと思っていた。本当に俺は捻くれている。


ただ、誰が悪いのかを明らかにしようとして、関わった者全員が「自分が悪かった」と言い始めると、それは表面上そう取り繕っているだけで、そう言っておけば自分の責任が軽くなるとでも思っているのかと疑いの目を向けたくなる。捻くれていると自覚しているが、こういうやり取りは嫌いだ。問題が問題なだけに必ずそこの中心人物はいる。ホワイトはいない。みなグレーで、その中に真っ黒な奴がいる。
「ねえ、博司君・・・」
「ごめん、俺も疲れているみたいだし、少し頭を冷やすよ。本当にごめん」亜由未を背にしたまま、会釈をするように頭をさげた。


              ✦


次は千葉の番か・・・覚えているのは怒りにまかせ、怪我相手につかみ合いの大喧嘩をしたことだけだ。何を話したかなんて覚えていない。
休憩は一度も入らないが、俺は黙ってスクリーンに見入っていた。
10年以上経ってもこのときの自分の行動が正しかったのか、間違えていたのかわからない。おそらくこの先もわからないだろう。それだけは確かだ。





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