第21話 デート

文字数 3,810文字

「今更だけど、あけましておめでとう」
6日の夜、亜由未から電話が掛かってきた。
「本当に今更だね」
「うん、今更だけどね。しかし早いね、もう明日で1月7日だよ」亜由未は独りで驚いている。
「もう卒業まで残りわずかだ」
「そうだね、この一年、特に後半が色々あって、なんだか忙しない一年だったよ」
「就職したら、もっと忙しなくなるよ」
「それは嫌だね」
亜由未との会話中、俺は平静を装っていた。


「卒論は終わりそう?」
「それは大丈夫」電話越しにだが、亜由未は誇らしげに答えた。
「そう、それは良かった」
「博司君の時間があるときで良いから、今度遊びに行こうよ」
「それは全然構わないけど、足はもう平気なの?」
「それも大丈夫」
「だったら出かけようか、いつにする?」
「うーん、じゃあ、10日でどうかな?」
確認するまでもない。俺にあるのは暇だけだ。「大丈夫だよ」
「久しぶりに映画でも観に行こうよ」
「内容は任せるよ」
「お任せされました。じゃあ、時間とかはおいおい連絡するから10日、空けておいね」
「うん、それじゃあ」と言って電話を切る。
やましいことがあるせいか、あまり言葉を口に出すと怪しまれると思い、極力こちらから話しかけるのを止めていた。


真紀とは2回ほど電話で喋っていた。2回とも他愛のない話で「もうすぐ私も4年生ですよ」や「バイトを止めないと就職活動に支障をきたしたますかね?」などとほとんどが内容がなく、本当にただの日常会話だった。
真紀のアパートから帰るとき、真紀は「私は余計なことを聞きませんし言いません。ただ、もしもまた先輩が

、寂しくなったり、悲しいときは遠慮なく私を頼ってください。そのとき、私はできるだけのことをしますからね」と真剣な面持ちでそう言った。
俺は、少し考えてから「そうさせてもらうかもしれない」と言葉を濁した。
本音は真紀とのセックスに喜びを覚え、真紀に甘えたい、ドライな関係だったとしても真紀に溺れてしまいたいと心のどこかで思い、罪悪感よりも愛情とは違う欲望と依存心が大きく広がり、必死で自制心を働かせていた。


洗面所で顔を洗う。水で濡れた顔から水滴が零れ落ちる。
二股とかできる顔じゃないよな、と独りごちた。


約束の10日、俺は相変わらず母親の軽自動車で亜由未を迎えに行った。もう車を買うつもりはなかったし、千葉の母親から貰った20万円で自分が気にいるような中古車が見つかるとは思えなかった。
電話をかけ、いつものように亜由未が降りてくるのを待つ。
「お待たせ」
「本当に随分良くなったね。足を怪我していないみたいに見える」
パーキングからドライブに切り替え、車を発進させた。
「少しだけ痛むけど、もう普通に歩けるし、特に問題はないみたい」亜由未はまじまじと自分の左足を眺めた。
「そう、それは良かった。で、行き先はどこだっけ?」
「ほら、新しくリニューアルオープンしたショッピングモールって言ったでしょ」
「その場所がいまいちわからない」
「頼りないなあ、でも私が知っているから大丈夫」


車は順調に走る。赤信号に引っかからず、工事で足止めされることもなかった。
「ところでさ」
「なあに?」
「新井のこと、なんかわかった」
亜由未は小さくかぶりをふり、「全然わからない」と悲しそうに俯いた。
「よほど知られたくないのかなあ」
「色々あるんじゃないかな。そこに踏む込みのは難しいと思うし、今は止めたほうが良いと思う」
「まあ、そうなのかもしれない」


「そこを右折すると駐車場だよ」
真紀のナビゲートは実に正確だった。カーナビに頼ることなくショッピングモールに辿り着いた。
「綺麗になったし、お店が増えたような気がする」亜由未は駐車場で車を降りると外観を見回して目を輝かせた。
「で、映画館はどこにあるの?」
「そこまでは行ってみないとわからないよ」
「じゃあ、行ってみようか」
二人で歩き出す。亜由未はそっと俺の手を握ってきた。あまりにも自然で、いつもの行為だったはずなのに、俺はたじろいだ。
「どうしたの?久しぶりだから恥ずかしい?」
「いや、そういうのじゃない。ただいきなりだったからビックリしただけ」と言い、俺は亜由未の右手を同じように握り締めた。


映画館を見つけたのはいいものの、上映時間がどれも中途半端でいま入場しても待たされるだけだった。
「下調べはしなかったんだ?」
「うん、行き当たりばったりでもいいかなって」珍しい、とは思った。亜由未は俺と違って計画性を持っている。でも敢えて亜由未は調べなかったようだ。
「それじゃあ、どうしようか?」
「せっかくだから見て回ろうよ」
亜由未の提案に従う形で、俺たちはショッピングモール内の店内をあちこち見て回ることにした。
「これいいなあ」亜由未はレディースのショップで気にいったのか真っ白なタートルネックを持ち全身が映る鏡の前で、手に持った洋服を自分の体に合わせて上半身を左右に動かし、靴屋ではスニーカーのようなムートンブーツを試し履きした。
「どうしたの?疲れちゃった?」
「いや、大丈夫だよ。でもニコチン切れかも」
「本当にしつこいようだけど吸い過ぎだよ。でも、吸いに行ってくれば。なんだか私ばかり楽しんでいるみたいでごめんね」
「謝ることなんかないよ。でも、お言葉に甘えてちょっと吸ってくる」
「喫煙所は確か、1階のすごーく端にあったはず」
「本当に喫煙者は肩身が狭くなった」喫煙所はどんどん減っていった。あったとしても端に追いやられ、申し訳ない程度のスペースしかなくなっていた。
「そう思うなら煙草をやめればいいのに」
「なかなかそうもいかなくて。わかった。吸ってから戻るときに亜由未に電話する」そう言って俺はカーゴパンツのポケットからスマートフォンを取り出してみせた。
「わかった。じゃあ、私はもう少し見て回るね」


亜由未と別れ、喫煙所へ向かう。足取りが重く感じるのは気のせいではないだろう。
亜由未を愛している気持ちに嘘はない。だからこそ亜由未の顔をまともに見れなくなっている。後ろめたいと思っているから、心の底から楽しいと思えない。


ワイドショーなどでよく芸能人が4股やら5股が発覚とか報じているが、結局のところ、それは誰も愛していないからできるのだろうと思うようになっていた。
全員を平等に愛している、なんて嘘だし無理だ。本命と目されている異性も愛していない、だから平気でそういうことができるのだろう。恋愛を語れるほど経験は積んでいないし、「お前に言われたくない」と罵られるだろうが、俺はそう思うようになっていた。


煙草に火を点け、1本吸い終えようとすると電話が鳴った。
「今って喫煙所?」亜由未だった。
「どうしたの、そんなに慌てて」
「ごめん、映画の上映時間を勘違いしていて、あと5分で始まっちゃう」
「わかった。すぐに行く」煙草を消して駆け足で映画館に向かう。
「ごめんね」亜由未の姿が見え、遅刻しそうな生徒が門を駆け抜けるように二人揃って館内へ走りこんだ。


館内は人もまばらでそれなりに良い席を確保できた。
はあ、はあ、ぜえ、ぜえ、シートを下ろしても二人して息を切らせていた。
「運動不足だなあ」亜由未は呼吸を整えている。
「俺は煙草の吸い過ぎだ」
「それは自業自得だよ」などと喋っているうちに館内が暗くなる。
「ギリギリセーフだね」
「亜由未、何か飲み物を買ってこようか?」
「ううん、平気」
「わかった。でも喉が渇いたら言って。何か買ってくるから」
「ありがとう」と亜由未は微笑んだ。


並んで観た映画は、ある女性の回顧録のようなもので、俺は主演女優の名前や映画のタイトルも知らなかった。
結婚を誓いあった男性と別れ、その後自身の生き方を主人公の女性が模索し続ける。
山場もなく、淡々と映画は進んでいった。映画が上映され、館内が闇に包まれると亜由未はそっと俺の手に自分の手を重ねていた。
映画の主人公に感情移入などできなかったが、「問題なのは、どうやって生きてきたかではなく、これからどう生きるかでしょ?」という言葉がやけに引っかかり、腹部を鈍いパンチで何度も何度も打たれているような感覚に襲われた。
それほど深い意味はなく、どこかで聞いたことのあるようなありきたりの台詞だが、今の俺には不快で、説教をされていて、それでいて人生を諭されているような、何とも言えない奇妙な感覚だった。


「評判は良いんだけね」映画が終わり、館内を歩く亜由未は少し残念そうだった。
「口コミなんてそんなもんじゃないの?」
「そうだね、思っていたよりも、うーん」
「面白くなかった?」
「まあ、そういっちゃうと身も蓋もないけど、評判ほど面白いとは思えなかったなあ」
「映画に気を遣う必要はないでしょ?俺たちは面白いと思わなかったけど、あの映画で号泣する人がいるかもしれないし」
「そんな人いるのかなあ」余程期待外れだったのか、亜由未はなかなかに失礼なことを言った。


「何か食べて帰るでしょ?」助手席に乗り込もうとする亜由未に問い掛けた。
「そうだね。博司君、何か食べたいものはある?」
「俺は亜由未に合わせるから、なんでもいいよ」
「なんでもいいだと困るんだけど、じゃあピザでもいい?」
「いいよ」
「評判のいい店があるんだけど行ってみない?少し遠いけどそれでもいい?」
「だから口コミは当てにならないって」ゆっくりとアクセルを踏み込む。
「今度はわからないよ」負けず嫌いではないはずなのに亜由未は少しだけムキになっていた。
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