第1話 予期せぬ再会

文字数 3,911文字




まだ右や左も、理屈や屁理屈も、成功や失敗、挫折も知らない小学生のときに無理やり書かされた作文。

先の先の先の話。スポーツが得意ではなく特別頭が良かったわけではない俺はあのとき何て書いただろう?


グシャグシャになった煙草の箱から、水を与えらずに萎れてしまった花の茎のような煙草を取り出して100円ライターで火を点ける。


「確か、弁護士とか国会議員とか適当なことを書いたよなぁ」今にも降り出しそうな曇天を見上げ、雲をつけ足すように煙を吐く。


小学校はまあ楽しかったと思う。記憶が曖昧なのは歳をとったのと過去に執着しなくなったからだと思っている。いや、正しく言うともう覚えていない、だ。





そう聞かれたら「つまらなかった」し「夢なんて見つかるわけないだろう」と鼻で笑うだろう。

ヤンキーがなぜかモテるわけのわからない時代に、俺みたいな地味で特別目立つような存在、更に言えば、その場の空気、ちょっかいを出されるだけではなく、その場にいない存在だった俺の中学時代を暗黒時代とは言わないが、恰好つけ、髪の毛を向日葵よりもどぎつい色に脱色した不良に、なぜ女子が憧れ、好意を抱くのかが全くわからなかった。それは今でも同じだ。全く理解できない。





結論から言えば「楽しくもつまらなくもない」夢ではないが大学進学を決めていて、大学生にもなればいい加減「将来の夢が見つかる」そう思っていた。実に浅はかだった。





「全くしつこいな」咥えていた煙草を地面に投げ捨てスニーカーで乱暴に押し消し、その吸い殻をわざわざ拾いあげて灰皿に押し込む。
「それで何の話をしてたっけ?」彼女を一瞥する。「その目標とか夢の話はもういいかな?今聞かれても答えようがないよ」


「だったら話題を変えるよ。ねえ、今はここのコンビニで働ているいるの?」
「ああ、アルバイトだけどね」自嘲気味に笑って見せる。
「あれ?まだ煙草を吸ってるの?あれからずっと?」俺の質問には答えず「本当に肺癌になるよ、それに出世もできない」と煙草がいかに危険物であるかのと、ご丁寧に俺の出世まで気にした答えが彼女から返ってきた。


「あのさ、本当に君は誰なの?」何度も同じ問いを繰り返しては冷や汗をかく。いい加減に手も汗ばんできて気持ちが悪い。俺は穿いているいるジーンズで強引に汗を拭き取った。
「誰って、博司君がよく知っている人だって」彼女はは悪戯っぽく笑い、その仕草が混乱している俺に、更に苛立ちの要素を付け加える。


「いや、わからないなあ」俺は彼女から視線を逸らし、スニーカーで地面を蹴り飛ばす。何度も何度も。


「本当はわかっているんでしょ?」笑顔を消した彼女の瞳が俺をじっと見据える。


わかっている。本当はわかっている、彼女が誰なのかは・・・


でもあまりにも不可解だ。俺はいま38歳。でも今俺の目の前で美味しそうに冷たいレモンティーを飲んでいる彼女は明きからに20代、しかも大学生のときに付き合っていた姿そのままだ。


彼女は少しだけ赤味が混じり込んだ黒髪のショートボブ。身長もあの頃のまま、おそらく155センチくらいだろう。そして別段清楚というわけではなかったが、柄のついたTシャツでなく淡い袖付きのワンピースを身にまとっていた。


「じゃあ、君はやっぱり、よ、よご、横山亜由未さんなの?」面影なんてもんじゃない。本当にそのままだ。ただ聞くことに抵抗を感じていたせいで噛んでしまう。舌がうまく回らないので俺のせいではない。むしろ彼女のせいだと思う。
「はい、大正解」彼女はニッとはにかむ。俺は彼女を知っている。
「でも、どうしてそんなにしどろもどろなの?しかもやけに攻撃的だし・・・もしかして私のこと忘れていた?」


彼女からの矢継ぎ早の質問にどう答えていいか逡巡する。
だけど忘れていない、忘れるはずもない。ただそれ以上にこの状況が理解できない。


「ええと、君は亜由未さんの娘さんってことはないの?しかも親子で同じ名前とか?」多分不正解だろう。無理がありすぎる。


「馬鹿じゃないの?私は未婚だよ」亜由未かもしれない彼女は呆れ顔で飲み終えたレモンティーをゴミ箱に投げ入れた。
「やった!」彼女はバスケットボールでスリーポイントシュートを決めたように悦び方が、そのさまが、俺に懐かしさを思い出せた。彼女と今の彼女は違うはずなのに。


深夜のコンビニの横にある喫煙所で中年のおっさんと若い女性がいつまでも話し込んでいる.他の人が見たらどう思うのだろう。ふとそんなことを考えてしまう。


「もう一本だけ煙草を吸わせてもらってもいい?」
「仕方がないなあ、あと一本だけだよ」
会話の主導権を完全に彼女に握られてしまっている。


あの・・・口ごもりながらどうにか声を絞り出す
「変なことを聞くようだけど、亜由未って死んじゃったの?」
「はあ?随分と失礼なことを言うんだね?」
「だって・・・」 
「だって何?年もとっていない、見た目も博司君が覚えているときのまま。だから幽霊じゃないかって?そう言いたいわけ?」亜由未は一気にまくしたてた。
「そういうこと。だって娘ではない。名前や容姿がそっくり。だったらもうお化けしかない・・・」そこまで言って一端思考を停止させる。


あれ?まさか俺だけに見えているとか?それとも俺の頭がいよいよどうにかなって幻覚を見続けているとか?
メンタルもだいぶ弱っているし、でも俺の頭とメンタルは急激にそこまでぶっ壊れたのか?
全くクリアできないゲームを前にしてコントローラを乱暴に投げつけ、髪の毛をぐしゃぐしゃに搔き乱したいような衝動にかられるが、慌てて自制心で押し戻す。大学生の頃に比べて髪の毛は薄くなってしまっていた。


「本当に減っちゃったね」
「心でも読めるの?それから薄いんじゃなくて毛根が細くなっただけだって」ムキになり、つい意地悪な物言いをしてしまう。


「ええと、あのさ」
「今度はなーに?」何がそんなに嬉しいのか、彼女は目を輝かせていた。
「あーなんていうの?その俗にいうタイムマシンでもあるのかな?ってさ。ほら机の中に隠しているとか?」我ながら馬鹿げていると思う。その可能性が一番低いはずだ。


「本気でそんなことを言ってるの?」彼女は諦めと呆れが入り混じった溜め息を漏らした。
「わかった。証明する」そう言うと亜由未は得意気に「ちょっと待っててね」と言ってコンビニの入り口に向かって歩き始めた。


「待って待って、何をするんだよ」
「まあまあ、博司君の疑問?疑念なのかな。とりあえず解消するから、そこから店内を見ていて」


亜由未はピンポンと入店を知らせる無機質な機械音を鳴らしてそのままレジに向かった。
レジにいる男は、髪の毛をこれでもかというくらい赤茶色にして、耳には3つか4つピアスを付けている大学生だ。こいつから研修を受けた俺は、客商売の言葉使いがわからなくなりそうになった。「いらっしっやいやせー」って何だよ。それは今の時代に適しているのか?と何度も聞きそうになった。
あいつは、上野とかいう名前だったはずだ。


研修を受けておきながら自分でも大概だと思う。
ただ、中年の俺には今どきの大学生とどう接していいかわからず、会話らしい会話もなく、もちろん連絡先など交換していない、
亜由未はその上野に話しかけ何かの清算を済ませると意気揚々と俺のところに戻ってきた。


「派手だね、あの人。ああいう感じでも雇ってくれるんだ」
亜由未は見た目はほぼ同い年に見えるのに、まるで今どきの若者の実態を知ったように驚きの声をあげた。
「ああ、そうじゃなかった。どう?これでわかってくれた?私がお化けならあの店員さんにも見えないはずだし、博司君の頭がパンクしちゃて、私を幻覚や幽霊と思おうとしても、あの店員さんは私の存在が見えていたでしょ?どう納得した?」


「ああ、そうだね」いや、むしろ全然わからなくなってきた。納得なんてできるわけがない。
亜由未の娘ではない、幽霊ではない、幻覚を見ているわけでもない。タイムマシンは・・・
これは除外しよう。
もしかしたら上野がヤバい薬をやっているとしたら・・・いや、そうなると俺も違法な薬物に手を染めていることになってしまう。


答えがでない。答えが全く見つからない。たった500ピースのジグソーパズルを完成させる間近なのに、手元に全く違うピースが混じっているようで手の打ちようがないような不思議で不安な気持ちに駆られる。


ねえ、だったら君は本当に誰なんだ?


「今日は久しぶりに会えて楽しかった、またね」
亜由未はコンビニで買ったであろう新品の煙草を俺に差し出した。煙草を受け取るときに亜由未と手が触れて慌てて離した。なぜだろう、どうしても触れてはいけないと思った。


「ありがとう」財布を取り出して煙草代を渡そうとした手が止まる。
「えええ?またねってどういうこと?またっていつ?どういうこと?」
「またねは、またねだよ。それから煙草代はいいよ。その代わりに吸いすぎないでね」


亜由未はひと気が少なくなり、とっくに終電も過ぎて、変質者がそれこそ本当に幽霊が出そうな踏切を振り返っては手を振りながら帰っていく。


危ないから家まで送るよ たったそれだけの言葉が出てこない。
そもそも亜由未の家ってどこだっけ?それすらすぐに思い出せない。


結局、俺は引き攣った笑顔で亜由未を見送ることしかできなかった。


もう何が何だかわからない。気がつくと親指と薬指で挟んでいた煙草が全て灰と化して消えていた。
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