第4話  変わるということ

文字数 4,804文字

6月にはいり梅雨の季節だというのに今年は雨が降らない。ただジメジメする。
確か高校生のときにジューンブライドという言葉を知り、「どうして梅雨なのに結婚式が多いのか?」と考えたことがあったが、結局のところその要因を求めるまで至らなかった。わざわざ調べるのは面倒臭いし、それを知ったからどうにかなるわけでもないと自己完結してしまったからだ。


あれから亜由未には会っていない。夜中に2回きり。やはり答えは見つからない。考えたところでわかりはしない。ただ、忘れようにも忘れることができない。かと言って相談できる相手もいない。


歳をとっても仲の良い人たちはその繋がりを大切にしているので、賑やかな中年生活を送っているのだろう。ただ俺は疎遠になった。卒業したての頃はちょくちょく連絡を取り合っていたが、皆自分のことで精一杯になり、特に愚痴ばかり零していた俺は着信拒否をしたくなる相手だったのかもしれない。


雨は今日も降らない。今日は夜勤の仕事もない。だからか、俺は今日も今日とて朝から外で煙草を吸っては消し、また吸っては消しを繰り返していた。


ゲームにも飽きた。かといってやることもない。「ぼっち」とはこういうことを言うんだとかなり前から痛感していたが、かといって無理に友達を作ろうとは思わなかったし、そう簡単に仲の良い友達ができるとは思っていなかった。


不幸中の幸いは、学生時代は友達が多かったのに社会人になり、馬齢を重ね、連絡をとりあう友人がいなくなっても特段寂しいとか悲しいと思わなくなったことだ。


「あー暇だ」もう何十回目だろう、咥え煙草で外へ出る。ストレッチをするように煙草に火を点けたまま体をほぐす。


「それ危なくない?なんだかどこかが燃えちゃいそう」
ふと2台車を止められるガレージに、前に止めらている軽自動車の陰から最近よく耳にした声が聞こえる。
「やっほー建て替えたの?お家随分と立派になったね」亜由未の声だ。
「よく家がわかったね」
「だって住所は変わっていないでしょ?」
「神出鬼没だね、今の亜由未は」「そう?」亜由未はまるで他人事のように笑ってみせた。
わからないことはわからない。今、俺の目の前にいる亜由未の正体を考えても答えは見つからないし、そもそも答えなんて存在しないのかもしれない。


「今日は随分ラフじゃない」亜由未は黄色のTシャツにジーンズ、足元にはサンダルと夏を感じさせる恰好でまじまじと我が家を見つめていた。
「もう暑いからね」亜由未は手を団扇にようにして顔に温い風を送っている。
一体どこに住んでいてどこで着替えているのか?そう尋ねようと思ったが、それ疑問を投げ掛けたところで亜由未が本当のことを話してくれるのか。だったら聞くまでもないと思い留まった。


正直なところ、始めこそは亜由未の存在を気味悪く思い、夏場のアイスがあっという間に溶けてしまうように脳から思考能力が溶けて消えてしまったように感じていたが、

、多分元彼女である人、自分よりも一回り以上離れているが確かに好きだった女の子と、しがない中年の俺が憎まれ口を叩きながらも楽しく話せていることが少し楽しくもあった。我ながら相当イカれていることは自覚していた。


「とりあえず、あがりなよ」
「それじゃあお言葉に甘えてお邪魔します」
夢のことを話そうとずっと思っていたのだが、なぜか次の日には夢の内容をすっかり忘れてしまっていた。ぼんやりとだが思い出せるのは過去の出来事。二人でベンチに座って何かを話していた。
悪夢をみたはずなのに、その内容がどうしても思い出せなかった。


「ちょっと待って」玄関まで招いておいて亜由未の歩を手で制する。定年退職した親父ととっくのとうにパートを辞め、家で韓流にはまっているお袋がいないか確認をする。後ろめたいことはない。亜由未を家に招き入れたからといってやましいことをするわけでもない。それでも一応確認することにした。玄関でスリッパを確認する。
まいった、二人とも家にいる。
「はいらないの?」
「うひょぅえ」いきなり亜由未から声をかけられて、俺は新種の動物のような変な声をあげた。
「なに?どうしたの、なになに?」亜由未は興味深々だ。
「いやいやなんでもない」見つかったところでそもそも両親は亜由未と面識がない。ただ、一回り違う女の子を部屋にいれるところを見つかって余計な詮索をされたくなかったし、そもそも俺自身も亜由未の存在をどう説明すれば良いのか全くわからなかった。


玄関を開けると、コン、コン、コン、誰かが階段を下りてきているようだ。俺は半ば強引に一階の自分部屋に亜由未を押し込んだ。


「ちょっと乱暴じゃない?」ごめんと謝るしかない。亜由未も本気で怒っていないのだろう。
「相変わらず物であふれているね、もっと掃除をしたほうが良いよ」
人の部屋を見て開口一番に文句を言う。でも懐かしい。そういうことを言ったのは亜由未だけではなかった。今まで付き合った女の子も似たようなもので、綺麗好きだった彼女には「ゴミ屋敷」と言われ、二人で長いあいだ時間をかけて掃除したことがあった。


「家の外観は変わっても中は相変わらずだね」せっかく招きいれたというのに、亜由未は呆れ顔で皮肉を言う。
「もので溢れかえっている。しかもゲームも多いね。なんかかなり増えたような気がするんだけど」
「まあね、今はそれくらいしかやることがないから」否定はしない。交際費というもののかなりの額が自分一人の娯楽代に移行していた。


「これってプレイステーション?あれ?こんな形だったけ?」
ああ、そうか。たまに亜由未は家に遊びにきたときにゲームで遊んでいた。ただそれも相当前のことだ。
「亜由未が遊んでいたのってPS2だっけ?PS3だっけ?」
「わかんないよ、そこまでは」よほどゲームが好きな女の子でもない限り、ゲーム機だったりゲームソフトだったりに興味が沸かないだろう。確か、亜由未もそれほどゲームを好んでプレイするタイプではなかったはずだ。
「今はこれだけ」そう言って近未来のビルのように部屋の真ん中にそびえたっているが埃まみれで文句でも言いかねない愛用のPS4の上にそっと手を置いた。


「覚えているのは博司君がロールプレイングだっけ?そういうの好きだったってこと」
「そうだね」キャラクターがレベルアップしていくのは本当に楽しかった。成果で目でなく数値化されて再現されるのには気分が高揚した。
「あともう1つ覚えているのが、クリアまで決まった通りに進める?というか明確なゴールが決まっていないゲームを買っては、こんなの嫌だってすぐに売っちゃっていたこと」
「うん、そうだね。そうだったね」弱弱しく答える。
「レベルが上がらないゲームを間違えって買っちゃったら発狂してたよね。あれには私も引いたな。この人大丈夫って思っちゃったもん」
「あはは、面目ない。反論の余地もないよ」


亜由未の言う通り、大学生だった頃は今でこそ主流になっている、どこでなにをしてもいい、順番も思い通りという「オープンワールド」ゲームを嫌っていた。


昔は本当に明確なゴール、決まった一本道を辿るようなゲームしか興味をもてなかった。「どこで何をしようと自由」その考え自体に嫌悪感さえ抱いていた。しかもその中にはレベルアップの概念さえない。強くなった、成長したというのが全くできず、こんなの邪道だし、ロールプレイングゲームを模したまがい物だとまで思っていた。


「ゲームが趣味って変わらないね」亜由未は散らばっているソフトのパッケージを持ち上げると内容をどんな内容なのか確認しながら感慨深そうに言葉を漏らした。
「いや、趣味は趣味でも中身って変わるんだ」
「どういうこと?」亜由未は持っていたゲームのパッケージを邪魔にならないよう、そっと置いた。
「あれだけ毛嫌いしていたのに、今はむしろ好きなんだ。どこで何をしてもいい。ゴールまでどれだけ寄り道をしてもいい。何ならゴールをしなくてもいいようなゲームがさ」レベルアップしなくてもいい。装備でそれを補えばいいだけのことだ。
「心境の変化ってやつ?でもあれだけこんなのゲームじゃないとか言っていたよ」
「違うよ。単に歳をとって老けただけだよ」亜由未の問いに聞こえるか聞こえないくらいの声で小さく呟いた。
「あっちへ行ったり、こっちへ行ったり寄り道ばかりしている。クリアなんかできなくてもいいんだ」自嘲気味に笑ってみせる。
「それって人生も同じ?」真剣な眼差しの亜由未からの、実に的を射た問いかけに俺は黙って首を首を振り下ろした。


「それは博司くんにとって良いことなの?」
「良いも悪いもないんじゃない?人は成長すると変わるから。本人の意思に関係なくそれも良くも悪くも」
ごめん、煙草を吸ってくる。その場から逃げるように後2本しか入っていない煙草の箱を乱暴に握りしめて玄関のドアのノブに手をかける。「逃げるの?」
亜由未から問いかけを無視してドアを開き酸欠で酸素を貪りつくようにニコチンを体内に流しこむ。


逃げる。いつでも逃げてきた。何となく、物事を深く考えることもなく。
それが若さゆえの過ちというなら、それは甘えだと思うようになっていた。


ケホッ、ケホッ、変な吸い方をしたせいで咽る。咳がおさまり、呼吸を整えてから部屋に戻ろうとする、玄関に亜由未が立っていた。


「ごめん」亜由未は申し訳なそうに俯いたまま、顔をあげようとしない。
「なにが?」
「逃げるの?なんていって」
「いや、いいんだ。亜由未は何も間違ったことは言っていないし」
「でも・・・」「大丈夫だから、そんなにるなって」痛い所を突かれた。でもそれは事実であって亜由未のせいではない。
「大丈夫だから」俺は付き合っていたときでさえしたことがないのに、亜由未の頭をポンポンと痛くならないように優しく叩いた。


「やっぱり博司君は変わっていないようで変わったよ」
「なんで?」
「あのときはこういうことをしてくれなかった。照れていたのか、しなくてもいいと思っていたからなのはわからないけど、こういう優しさをくれなかった」
「そうだったんだ」
こういうとき、歳を重ねるということが悪いだけではないと思える。自分の非を素直に認められるようになった。まあ、そんな人ばかりではないだろうが、俺は歳を重ねることに、いかに若かりし頃の自分が身勝手で人の意見に耳を欠かさなかったのかを思いしらされた。


「色々とごめんね。今日は帰るね」
「送ろうか」家なんかわからないが。
「いいよ。平気だから」まあ、そう返ってくると思っていた。
「博司君は気づいていなかったのかもしれないけど、今の博司君はちゃんと大人になっている」
「そう・・・なのかな?」記憶が曖昧すぎてよく思い出せない。
「そうだよ。ともと気を遣う人だったけど、今の博司君はあのときと違った優しさをくれて嬉しいよ」亜由未は満面の笑みを見せた。
「髪は薄くなっちゃったけどね」俺は毛根がすっかりやせ細れてしまった前髪をわざとあげて亜由未におでこをみせて笑った。


「大丈夫だ。それくらいならまだ大丈夫だよ、多分ね」
「多分ねってどういうことだよ?」
「多分は多分だよ。ただ悪化しても私のせいじゃないからね」
「そりゃそうだ」
あはは、ははは、二人で笑う。過去から来訪者のような亜由未と会ってから素直に笑えた気がする。


「今日は楽しかった。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
亜由未の後ろ姿を見送りながら一生懸命に手を振る。


多分だけど、亜由未に会う機会はもう限られているだろう。直感というべきか、察したというべきか、うまい例えが見つからないが、とにもかくにもそう思った。
亜由未は気づいている。それならば過去のことを含め、きちんと話すことを話すべきだ。


いつの間にか、日が落ちかけている。俺はさっき吸い終えた煙草の火が完全に消えているのかをしっかりと確認して部屋と戻っていった。
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