No.4 其の瞳には何が映る

文字数 3,949文字

 四月、入学式等諸々のオリエンテーションとアイスブレイキングを終え次第に僕達は打ち解け始めて居た。大抵の生徒は趣味の一致から仲間となり友を作るが、(ここ)に於いて僕には障壁が在った。此の世代の同性の彼らが趣味として挙げるのは凡そアニメやゲーム、スポーツ等だが、僕に於いてはライトノベルが其れに当る。此れは決して本が好きと言って居る訳ではなく、其の中のライトノベルというジャンルの文芸を好んで堪能するということで、太宰だとか漱石だとか鴎外だとか、そう言った最早古典じみた所謂「小説」は僕の領域の遥か外に在り、クラスにも一人だけそう言ったものを好む女子が居たが、彼女とは話が合わないだろうし、其れ以前に彼女が蚊の様な声量でぼそぼそと喋るので未だ仲良しの域に達しては居ない。
そんな僕に友人が出来たのはほんの偶然だった。クラスの窓際端の席に着く彼はアニメ調のキャラクターが描かれた其の表紙を恥じらいもせず裸にして黙々と読むものだから、此れは間違いないと遂に声を掛けたのだ。彼は自身の名を厭に古風で格好付けだと卑下しつつも木村(きむら)楼白(ろうはく)と言った。こうして僕は趣味を共有する友を持ち、一か月の間は華の高校生活を送る。
五月の或る日、僕は昼食を共にしようと席を離れ彼を探した。一階を巡り、二階に上り、三階迄擦沿(なぞ)っても一向に彼の姿がない。何処かで擦違ったかと電話を掛けるが繋がらず、愈々不安が腹から登ってきたので眼を右往左往とさせると遂に学校の異常な雰囲気に気付いた。廊下と教室とを隔てる戸の窓から覗く生徒たちはみな揃って机に突っ伏して居るのだ。此れはどういうことかと廊下を駆け出し、三階の全教室を見て回るがやはり頭を上げている生徒の姿がない。来た道を戻るように一階迄下り、玄関に来た時漸く一人歩く背を見た。縦にも横にも広い身軀(しんく)の刈上げの少年、同じクラスの武藤(むとう)快人(かいと)だと認めた僕は声を掛ける。
「ねえ武藤君。学校中が死んだように眠って居るんだ、何か知らない?」
一八〇糎の巨体が厳とした顔つきで僕の方へ振り返り、暫く僕の身体を爪先から髪の一本に渡る迄眺めた後、此方へ歩み寄り頭を掴まれ、何をという呼びかけにも応えぬ儘、三階と屋上との階段の踊り場に投げ込まれた。床と段差に(おろ)され手摺に叩き付けられた背中は血塗れになり、痛みで全身に力が入らない僕は肘をつき辛うじて武藤を見上げた。男は僕と同じ踊り場迄乗り上げ、其の隅に在るロッカーを開き中から何者かの身体を引き上げる。力無く引き摺り出された胴体は痣と流血で元の色が垣間見えることすらなく、只引き裂かれた男子制服と其の襟に付いた学年章を見て漸く一年生のものだと判る程度であった。恐れ慄き上体を跳ね上げ、僕は座った儘後退って首を手摺に打觸(ぶつけ)る。震える足で僕は階段を駆け下り三階の廊下を只管に狂疾(はし)った。すると或る瞬間に僕の足元が陰り、空が望める硝子が突き破られ男が飛び入って其の儘の勢いで其の両足を飛び蹴りの様にして僕の顔面に食らわした。衝撃により廊下の外壁に頭を強打して間も無く僕は意識を失う。
 其の間に僕は夢を見た。目を刺す様な白い景色、決して光が強い訳ではないのだが、どうも目を開いて居ると眩暈がし、幾秒も正面を見て居られない。堪らず足に目を逸らすと自身の身体から影が伸びて居ないことに気が付いた。僕は一体如何なって了ったのか、其れを案じて暫くすると僕の意識は浮世へ戻った。
 赫然(かくぜん)と輝く黄昏に此の身を焼かれ、スコップを以て土を盛って居る。僕は立ち乍らにして夢を見て居たのだ。直ぐに僕はスコップを手放し尻餅を搗く。其れは覚醒の反動で前進から力が抜けたからではなく、絶望からであった。未だ土の盛られていない所から、血潮に塗れた筋組織と黒い瞳が此方を見つめて居た。恐怖に足を震わせるとズボンのポケットから手帳の様なものが落ちた。咄嗟に其方(そちら)に振り向き、同時に其れを見たことを悔いて蹲る。沸々と込み上げる感情が脳を焼き、軈て僕は訳も分からず立ち上がり何度も足を滑らせ乍らも其の場から逃げ出した。ポケットから落ちた学生証と、其処から覗く顔写真の貼られた通学定期。僕はあの日、高校生に成って出来た唯一の友人を土に埋めた。

 同日、九条凛も当然学校に居た。彼女は一年C組の教室で眠りに就き、暫くして何事も無く覚醒したという。其の日の夜、彼女は料理の際に切った指の傷口が目の前で閉じていくのを見て、自身の身体の異常を知った。数日して初めて獣頭人身の、僕が出会った様な化け物に彼女も対面(たいめ)して、どれだけ走っても軈て追い付かれることを悟り決意を固めた時、能力が覚醒し其の場を切り抜けたという。
そして彼女は今日に至る迄、あの日を境に突発的に能力が開花した数名の漣高校の生徒と共に獣頭人身の化け物――屹度能力に因って生まれ操作された化け物だろうという意味を込めて『マリオネット』と呼んでいる――と対峙して居るという。クリスマスの戦闘を偶然目にし、腕を失っても尚怯まぬ僕を見て此の男にも其の能力が有るに違いないと過去と能力の伊呂波とを伝えた。確かに其の日、彼女の目の前で僕の左腕は治った。あれは能力を、其の資本となる<(うつわ)>を持つ者が皆、能力を発動させたときに普遍的に生じる特性の一つだという。一方で僕は未だ自身に有ると謂われている能力の真価を、詰まる所の彼女に於ける包丁を飲み込んだ黒い霧のような、各々に異なる其の能力を垣間見て居ない。其れどころかクリスマス以来能力の発現も儘成らず、何か手蔓を掴めないものかと彼女のマリオネット狩りに同伴し其の度呆然と立ち尽くす毎に、自分の無力さを痛感し前跋後疐として居た。
其の様な状況が一月の末迄続き、彼女は漣区のシャッター街で日課を終えた後、遂に怒りを露わにした。
「アンタねえ、何時迄其処で見てるつもりよ。」
「嗚呼、ごめん。」
路地の間から顔を覗かせていたのを正して全身を現し彼女に近付く。彼女は呆れたように首を振り、溜息を吐き横目を鋭くして此方を見つめた。
「そうじゃないわよ。幾時(いつ)に為ったら能力を使って私の代わりに戦ってくれるのって言ってるの。」
僕ははたと立ち止まって眼を落とし、唇を噛んだ。
「……ごめん。」
「ごめんじゃ何も分かんないわよ。アンタが一体何で行き詰って居るのか。」
収容(しゅうよう)>と呟き黒い霧を手元に広げ、零番を指名し牛刀包丁を仕舞った。
「ねえ、男っていうのは皆そうなの?こっちが訊いてるのに応えやしない。ミスティーク(mystique)でも演出したいわけ?恰好良くないわよ、全然、ちゃんと言ってくれた方が旗幟鮮明でいいわ。」
只僕はタイルの隅に溜まった塵を見て、その後漸く顔を上げた。
「僕は何の為に能力を示さなきゃいけないんだ。」
「戦う為よ、マリオネットと――其の裏に在る能力者と。」
「如何して戦う。」
「其れが能力を持って了った私達の務めだからよ。」
「何。」
「私達には責務がある。例え望んで手に入れた能力(ちから)じゃなくても、同じ能力(ちから)の脅威から人を守るという……使命が。」
「――そうか……僕に其の資格はない。」
此れが自分の大切な人を云々なら共感くらいはできたかもしれない。今回のは恐らくもっと普遍的な「人」だ。彼女の発言を真とするなら其れは確かに立派な志だ。だが、僕はそんな大儀を背負える人間ではない。此の僕が人を守るだと、ふざけるな、屹度そう言われる。
「資格の有る無しじゃなくて、()()()()()()()()()という話をしてるの!」
「僕こそ()()()()()()()と言っているんだ。」
彼女は復た大きく溜息を吐いて、ドスの効いた低い声色で訊ねる。
「じゃあ、何、能力は諦めるってこと?助けられるという可能性が自分に有り乍ら、他人が蹂躙されるのを見て居たいと、そう言いたいの?」
「っ、それは……――!」
堪らず僕は彼女に背を向け其の場を去ろうとした。此れ以上は襤褸が出る。気付けば僕は兎角に彼女の言及から逃れたい気持ちで一杯々々であった。然しふと耳に入った彼女の「去年のことも――」という言葉に(からだ)が締め付けられ、足が止まった。嗚呼、了った。僕は構わず走り出した。
 家に戻り玄関を抜けるとおかえり、と居間から妹の声がした。僕は呼吸を整え乍ら靴を脱ぎ、平時を装い居間に入ってただいまと返す。沙耶はクリスマスの日と同じようにソファに寝転がり乍らコントローラを握っていた。
「沙耶、もう帰ってたのか。」
「お兄ちゃんこそヒッキーの癖に買い物するわけでもなく外に出てたんだね。」
ヒッキーとは何だ、引き籠りのことだろうか。
「ちょっと友達に誘われてね。」
「居たんだ。」
念の為、適当な嘘を吐いたが否定されないあたり、どうやら先の発言は僕が買い物袋を持って居ないことから推測したと見た。一先ず今日も能力のことが勘付かれずに済んで安堵する。僕が何時もの椅子に座ると同時に、彼女はソファの前の背の低いテーブルにコントローラを置き、僕の方へ振り返った。
「言い返せよ。」
「ええ……。」
「お兄ちゃんが言い返さなきゃ只私が悪口言っただけになるじゃん。其れは良心の呵責を感じる。」
――少し、忘れよう。此の悪ガキで気分転換するべきかもしれない。
「良心、お前に?」
「あっ、馬鹿にしてるな其れは!私此れでも生徒会長なんですけど!」
「此れでもって言ったな!失言(ボロ)ったな!良心に欠く所が有るのを認めたな!」
すると突然彼女は可憐(しお)らしく胸に両手を当て何処を見るでもなく自身の斜め前の床に視線を合わして返す。
「私が善かれと思ってやったことで誰かが哀しむこともあるから……。」
「あっ、ずるいぞ!」
「女はね、ズルい生き物なのよ。」
「もうキャラが迷子だよお前!」

もうやめてすら儘成らず、只惨状が目に映る、(あか)い血潮と(まなこ)()つ、廊下を照らす昼下がり、(きみ)朋友(とも)とが吊るされて、(はらわた)這わし、蜘蛛の()を編む。
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