No.13 獅子の籠を手繰る

文字数 5,286文字

 ——私達の作戦は、脆弱な二つの仮説の上に成り立った、机上よりも遥かに空想的なものだ。」
電球の下、僕ら一同会して地図を囲んだ。コンテナの中は此れ以上になく窮屈で、武藤の身体の温かさが良く伝わってくる。
「それは。」九条さんが訊いた。
「一つはマリオネットが能力者に因るものだという仮定。もう一つは同じ能力を持つ人間が居ないという仮定だ。——この二つに更に条件が乗ってくる、先ずはマリオネットの出現、ついさっき大猩々(ゴリラ)が此処に現れたことを考えると、向こうも見当づいて居る気がしなくもない。若しかしたらマリオネットを出し渋るかも。そして、これも又賭けになるけれど——」
夏芽は人差し指を僕に向けた。地図に影が落とされ、心のざわめきがぴたりと止む。
「九割九分、君の力を使うことになる。」

 翌日昼前、僕等は復たコンテナヤードで会してマリオネット出現の報を待った。かと言って他に協力者がいる訳でもなく、かといって我々が足を使ってパトロール紛いをして巡ると言いたい訳でもなく、では怎麽(いかよう)にかと問われれば此れも復た単純で、コンピュータでSNSを監視しマリオネットのことと思わしき発言を片っ端から拾って来て、之を人の目で以て判別するというものである。此の近代的(モダン)とも古風(クラシカル)とも取れぬやり方でそれらしきものを見つけ、まず立花姉妹と武藤が発った。
——ぽいね、快君、冬華、行ってみる事にしよう。」
「うし来た!」勢良く立ち上がって肩を回し、翻って冬の蕾の様に肩を萎ませ乍らしおしおと背を伸ばした冬華は夏芽の影に潜った。
「じゃ、他にめぼしいものがあったら宜しく頼むよ。」
さて、此処で初めて人海戦術らしさが出る。僕等の出動の切っ掛けは何処の馬の骨かもさては鹿の爪かも判らぬ者が書いた高々五十余文字の短文であるから、流言蜚語の類その混じり様、やもすれば現より甚だしいかも知れん。日頃より、彼女等は其れを案じて人を別けて居た。此れ迄武藤や立花姉妹との接触がなかったのも、其の為に九条さんが単独行動をして来たからである。今回はこれを少し纏めて()の三人と此の二人とに分ける。元々単独で——立花姉妹を二人で一と数えた上で、だけれど——活動して来た彼等が此の手を採ったのは、満を持して本丸と衝突する此の憂いを半ば払う為であった。
 三人が出てから暫くして、コンピュータが提案するSNSの其れらしき発信を眺め乍ら九条さんは、何時も通りの様で、然し此れ迄になく気怠然(ennui)に漏らした。
「私の心配を簡単に無下にして、貴方、武藤君を赦したわね。」
「心配、そんなことしてたのか。」
「アラ酷い。貴方と武藤君とがバッタリ会わない様、気を遣ってる心算だったのよ。貴方にとって、どうやら武藤君が悪者だったらしいから。ねえ、如何して赦したのかしら。」
「如何してって。」
「沢城とかいう女が乗っ取りの能力者の存在について仄めかして居たわね。あの女が外から如何言おうが蚊帳の外の正しく蚊って気持なのだけれど、貴方と武藤君とが其れらしいことを言うもんだから認めない訳には行かなくなったのよ。すると何よ、私達の能力の為に、乗っ取りの能力者が暗躍してるってふう(・・)じゃない。でも——」
唇は血の色を透かし其処に行燈が灯る。何かを言わんとして否、何かを発さんとして否と巡る内、こう続いた。
「貴方には、昨日これしかないと言って武藤君との諍を収めて貰ったけれど、如何も、私には、理論だけでは越えられそうにない蟠りが在るらしいわ。貴方が昨日あんな問い掛けをするから余計気になって仕方ないのよ。だから聞かせて頂戴。学問らしく言って了うけれど、参考までに。何を思って彼を赦せたのかしら。」
僕には確と、歯車の廻る音が聞こえる。それも今さっき一番小さいのが回り出した、其んな具合である。
「武藤に、実直さを見た。人を傷つけることに心を病む出来過ぎた人間性を見た。」
「たったの一言で。」煽る様に言う。「貴方厩生れでもあるまいし。」
「無理かもな。でも。……でも、あれが嘘だって言われる方が、敵に相対すより、ずっとキツいんだ。」
九条さんは傍らフゥンと鼻を鳴らして、些か納得行かぬ様子であったが、問答を続ける価値もなしと見たか液晶に向き直って了った。

 さて時刻にして其の問答の直後、武藤と立花姉妹とが投稿を元に探り探り歩みを進め、(つい)に目的地に着いた。然し其処は駅より伸びた大通、立ち並ぶ物件は、左方からゲームセンター、ファストフード、古本屋、飲食店、飲食店、コンビニエンスストア。対面には、交番、ファストフード、携帯屋、床屋、カラオケボックス、飲食店、コンビニエンスストア。殊に昼の其処は誰が衆目を集めるまでもなく熱が篭もり、ぐるりと東西南北見渡せば、老若男女、洋服和服、人物人相此処に極まれりといった程度の人山人海。此のごった返しの中凡ゆる音という音がビルの間を木霊すけれど、悲鳴と言ったものは無し。だから彼等の肩を先ずは安堵が擦り抜けて、次いで肩透かしを食らった様で気を()と落とした。
「マ今迄もこんな人混みに出るなんてこと無かったんだ。」と夏芽。
「つーのを何遍此処でやったよ。」
「だからって見てみない訳には行かないだろう。」
「違いねえ。」と返して一転、「他にめぼしいもんないか」と武藤。夏芽は端末を取り出して、先のコンピュータと同じ画面を見た。「んー、当たり無しかなぁ。仮に其れらしいのが有ったとしても、凛ちゃんが出てるかも知れない。此れは不本意だから、一度帰るのが良いかなぁ。」背中で冬華がどっと肩を落とすのを感じ「慣れっこじゃんか冬華、今更だよ。」と呟けば「うう」と唸ってもうひと粘り。と思えば声色やや怯え気にアッと一息指差して如何(いかん)と両者振り返って見れば一人の男。ぐわしぐわしと振るった様な散らかった頭髪に、小さな頭が収まって、寝惚け眼の半開きの影に隈が落ちているのが一層整った顔立ちを汚して居る。字面通り足元を見れば艶がかった未だ新しい茶色の革靴が有るけれども、見上げれば其の(ずぼん)は一吹きした金箔の様に皺が巡って居り、今にも面が剥がれそうな、まるで締まっていない(ベルト)を挿して、其処から染みが点々と有る空色のシャツが伸びて、すっかり草臥れた襦袢(スーツ)が此れを覆っている。体躯は百七十余、数糎武藤より小柄だけれど、其の小さな顔と細い足の所為でずっと高く見える。「や」と男は其の手を此方に振って歩いて来るので、此れ迄男の方へ身を隠していた冬華は夏芽の身体をぐるりと回ってやはり其の背へ附いた。
「久しぶり、そうでも無いか。一日ぶり。」
「刑事さん、えっと。」
「須藤。」
「どうも須藤さん。」
「こいつ刑事なのか。」と武藤は訝し気。直ぐ様武藤へ目を合わせ、懐から手帳を取り出して刑事でぇすと一言。此の変妙な雰囲気に圧されて、武藤は眉を顰めて押し黙って了った。増して此の男、素面(しらふ)である。
「で、君は、能力者友達だったりするの。」嘯くわけにも行かず、「おお。」とだけ返す。武藤、刈上げて尖った短髪に肥肉(ふとりじし)の此の身形だから以外も以外だけれど、後から知るには品行方正、何よりも義を重んじる性質(たち)であるので、先生や、まして警官には専らですますと明白(あからさま)に敬って接するのだけれど、今回ばかりは相手が此れであるので、其様に振る舞う気持が興らない。事情も事情で尚更と言った処。
 四人は通沿いの喫茶に這入って窓際の一脚のテーブルと四脚の椅子とを借り、各々思い思いの飲み物を頼んで座した。店内は抱える程の大木が棟木となるように掛かっているけれど、外からの見てくれの通り、ビルの一階を使っているから、所詮は飾りで壁はコンクリが其の実だ。けれども壁紙はモダンなレンガ調で、床も木組みを装って居る。おまけにラベンダと古木のような仄かな香が焚かれて居るので、気分は専ら水滸の別荘である。千人が千人此処で心を休めて、さて一息、銀板広げて林檎を齧り、余は時間に追われし忙しなき、忙中有閑其の言を退けて、即ち妙な浮世人と高らか主張せん処だが、夏芽だけはどうにも腰が落ち着かぬ様子。知っての通り、今日のマリオネットで敵の居場所を探ろうという心算であるから、スカンを喰らった今早速次へと歩みを変えたいという処に、須藤が割り込み曰く事情聴取を此処でしようとそういう訳。落ち着かぬ筈である。一方冬華は生来の運動不得手、何と此の一回で脚が痺れて来たので今は窓景を眺めて呆けて居る。こういう時に能力が有れば幾分楽なのだけれど、二人の其れは起動するだけでもかなりの消耗を求めるので本当の有事に一撃出すのが芳しいとみて、今日に至る迄、覚醒の其の瞬間を除き、戦闘以外で能力を行使した試がない。
 閑話休題。対面(たいめ)して座った須藤は忽ち「正式では無いが——」と前置いて尋ねた。
「先ずはプロフィールだ。君は誰で、何処の学生で、何歳(いくつ)なのか、順々に教えて貰おう。」
傍らには見せ付ける様に手帳が広がって居る。露骨だけれど此れが有ってか否か、彼女等は訊かれたことを正確に喋った。須藤は其の内容を掻い摘んで書き記して居る様子だが、如何せん此れが金釘流なので、さて何を採って何を捨てて居るのか、或いは其処に足を伸ばして居るのかさえ分からない。
「そうだ、能力の詳細を聞いておこう。」と洋翰(ペン)の頭で夏芽を指して言った。元々(うたぐ)って事を見て居た彼女だから、此の質問で戦慄(ぎょっ)とした。自分の生命線を握って居る此の情報は、彼女にはセンシティブに聞こえてならない。まして相手は警察であり彼である。もしや私は正に倒さんとする敵に情報を開示しようとして居るのでは、という不安が過ぎる。そうして躊躇う彼女を見て、すかさず言った。
「状況が突飛だ、今後起こる事件の主犯が君達でないと証明する為にも、是非教えて貰いたい。」
真面目くさって話したのが演技らしく聞こえるが、言う事は尤もであった。其の筈である。今後の超常現象の数々に対して、<(うつわ)>の存在が一部の人間にでも知られた以上、其れを自分の責任でないと主張するのに、事後では遅過ぎる。追求を逃れたい為に口八丁を為出来したとも取れるからだ。一方で例えば周到な計画で以て事前に能力を騙るということも有り得る。しかし前後何れにせよ不信感は有るけれども先に自分の限界を開示された方がずっと疑念が軽い。
 言うか、(いや)、うん、いや然し、と思念する処に、注文した飲み物がテーブルに置かれた。相手は退屈した様子で届いた珈琲を一口喫して呟いた。
「ヤに睨むなぁ。其んなに言いたく無いなら其れでも良いさ。自供の強要は出来ない。……けど、此れから何が起こっても俺は君達を庇えない。」
一つ、胸中に有る膨大な選択肢の中で賭けともとれる決断をして、軈て彼女は口を開いた。
「分かりました。但し、先ず話しておきたいのは私達の状況です。私達は今、(あけぼの)中学を襲撃した化け物の発生源——其の能力者を探して居ます。」
夏芽は自分の目の前に置かれた、ミルクティの入った硝杯(グラス)の口を閉じる様に右手を乗せた。
「化け物は殺す対象が見えなければ大抵鈍間で、其の脚の速さと発生時刻から何処で其れらが生成されて居るのか、大方の位置を私達は掴んでます。さて、こっからは貴方の善意に任せた契約です、須藤さん。」
「契約。」
「所詮は口約束ですけれど、代価として能力を此処で開示するので、貴方には私達の為に働いて頂きたいのです。」
「……生意気だな。」冷笑う様子で背を椅子に凭れ脱力した。何処か怒りを湛えた気色である。
「たかだか高校生に、エリート刑事の俺が安く見られたモンだ。俺がそんなに軽く見えるか。」
「其れは貴方もだ。私達の能力を軽く見て居る。」
聞いてばっと立ち上がったのは武藤、「おい」と一言飛ばして夏芽を(ねめ)付けなんでも無礼甚だしいと言いたい具合である。此れを片手を広げて須藤は即座に制止した。須臾の緊張状態ののち、堪え兼ねた風を装って須藤は笑った。
「はッ、分かった、分かった。確かに君の言い分も尤もそうだ。買われた。逃げも隠れも反古にもせず、言いなりに成ろう。」
多謝(ありが)とう。」と返すや否や、カランと硝杯(グラス)に結晶の様な物が落ちて、氷に弾かれ弾かれ涼やかな音色を響かせた。結晶は完全な正四面体で其の輝きは金剛よりも甚だしく、ミルクティの中でさえ、まるでオーロラを見て居る様な豊かな光を放った。
「私と、冬華の能力は此の結晶の精製です。僅かな周囲の光も集め、数百倍にして単一方向に放つ性質を持って居ます。」
「ふぅん、君は、武藤君。」
「パンチの威力が上がる能力です。」
「どれくらい。」
「……此のビルなら一撃で潰せます。」
「魂消た。——で、何をすれば良い。」
「化け物の発生源の調査です。私達よりも貴方がやった方がずっと早い。」
「何処だ。其れは。」
(さざなみ)警察署。」
(あっ)と仰天、等とは行かず須藤は依然として気怠げに座っている。僅かに目が開いたか、いや思い違いかも判らんそんな具合である。此処迄の一切を子供の探偵ごっことでも捉えて居るのか、或いは。何にせよ、此の反応を受けて夏芽は心の内で打ち明けたことを後悔した。どう転んでも、力には為らなそうな、そんな気がしたのである。
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