No.12 暗がりに見る

文字数 5,090文字

「——あの刑事、まさか!」剛力羅を眼前にかの疑念はより鮮明なものと成る。対する化物は僕の言葉の一切を聞いてはいない。手近なコンテナを片手で以て掴み持ち上げ振り投げる。その軌道は最早地に平行し瞬き一つの間隙さえ与えず僕らに迫り、其の直線の総てを薙いだ。弾かれた肉体と鉄塊とは、其の殆どが滄溟へと沈み、摩擦によって地上に残ったものも、加えられた圧力に虚しく潰されていた。
 その数瞬前、避けること能わずと断じた僕は肘を突き立て背後の彼女らに身を寄せ防御態勢を取った。けれども無慈悲に押し寄せる鉄板が、肘を砕き肩を砕き肋を砕き首を打ち、布団も同然の姿へと均して了った。背後に居た彼女ら姉妹はそれに較ぶれば僅かに程度が軽く、直ぐに僕を押し退け、コンテナ間の僅かな隙間で互いの手を絡ませた。
「「<合晶(がっしょう)>」」
指指から漏れ出でた光は忽ち先の錐を成し、均等な大きさと形を保ちながら積み上げ紡がれ昇り立ちコンテナの高さより一寸はみ出して皿を創った。それらによって屈折された光は彼女らの眼球へ届いているようである。そうか、これで辺りを把握していたのか——
「——マズいっ!」夏芽の叫びと同時に衝撃再び、剛力羅は僕らの視界を塞いだコンテナをまたもや持ち上げ振り回した。幾億の火の粉飛び交う中、即座に脚の修復が済んだ僕はその懐に滑り込むが、彼女らはそれが直撃し、結晶の破片と共に散り散りに他のコンテナの上へ転がった。一瞥し、振り直って見上げる、僕の倍ほどあるこの巨体が、如何にして一切の騒ぎを起こさず此処に訪れることができようか——最早、この状況に於いて反語は役割を果たさない。僕が這入ったのを認めた剛力羅はそのコンテナを僕へ振り下ろし地面へ突き立てる。それを避けるのを見て傍らのもう一つを取り出し振り下ろす、その繰り返し、次第に手数尽きた彼奴は遂にその鉄拳を僕へ振るった。弧を描き到達した鉄拳は、僕の目が有れど肉体がそのスピードに対抗できず、身躯は捻りを伴う回転に巻き込まれながらアスファルトを砕き跳ねつつ転がった。
 幾ら痛覚の麻痺が備わっていようとも、ある一定の閾値を超えると減衰された痛みとしてだが現れ始める。肉の剥がれ、粉となって零れ落ちる骨骨が次第に忘れかけた痛みを僕に思い出させる。肺も、幾らか穴が空いている気持だ、まるで呼吸をしても苦しさが紛れない。溢れ出る血液の、<(うつわ)>とやらが確かに筋繊維を紡ぐのが見える。——僕に何ができる。——逡巡するこの脳を、直した右手で突く。教えて貰ったばかりのこと、<器>の作用その経緯、即ち意志を叶える力。こんなにも簡単に願いが叶うのならば、是即ち恩寵と呼ばれる呪いに他ならない。
 この世に敵無しと放埒に、この(ごみ)の山で破壊の限りを尽くす剛力羅を遠くに据え、徐々に治り膨らむ図体を叩き起す。軋む各関節に前進を強いて、鈍々と近付く僕に奴は気付かない。荒れた道すがらのコンテナの壁面を掴み、腕づくで千切り15の刃渡りほどの凶器として握り更に歩く。全快した肉体、再び剛力羅は此方へ気付き殴り掛かるところを僅かに避けて刃を立て、彼の力で以て滑らせる。然しこの(なまくら)は奴の僅かな体毛に邪魔され薄皮一枚の傷しか付かず、それを認めて更に大きく回避行動をとった。この瞳で確かに奴を捉えられれば、単調な動きと相まって癡重に思える、僅かに位置を変えコンテナを背に据え再び鉄拳を振らせる——その前傾姿勢、受け止める事物があっての威力、往なされた攻撃は背後のコンテナに浴びせられるが、錆によって穴の空いた、全く軽いコンテナはそれを受け止めきれず弾かれ吹き飛ぶ、その先に海あり、余力は化物の肩を抜けその姿勢を僅かに崩した。途端、股を滑り抜け両手で身体を弾き宙転し奴の背中に乗り、破片を核へと突き刺した
 ——かに思えた。確かにこの眼は奴の死を予見したが、実際は決定打に至らないどころか、まるで歯が立たない。無意識下で、奴を殺す未来を望んで了った!拳を振り抜いた勢いの儘回転し僕を振り落とした剛力羅はこの身体が宙に放たれた瞬間を掴み握り締め再び全身を滅茶苦茶にしてからアスファルトに叩き付けた。遂に苦痛を漏らし藻掻くも、筋繊維の一切が動かない。唯僅かに動く眼球も、これでは天を仰ぐばかりであった。其処へ、一人の影が現れる。中肉角刈りの青年は僕を見下ろし眼前で手をはためかせ、僕が瞬きしたのを見ると襟を掴んで男の後方へ引き摺った。
「任せろ、力比べなら自信がある。」
その背姿、髪型、顔立ち、遺れる筈があるものか。肩を慣らす様に腕を振り、胸の前で拳を突き合わせ肩の後ろへ振り被る。
「<敯剛(こんごう)>ッ!」
振り抜いた鉄拳はまるで剛力羅に届いていない。けれどその撞撃は忽ち突風を引き起こし、螺旋を書いて奴の心臓を捉え、核を顕にし引き裂いた。なんて威力だ、あの化物をいとも容易く——否、慄いてなるものか。上体をやっとで起こし、嗄れた声を上げる。
「……武藤。」呼び掛けに振り返る、変わっちゃ居ない憎たらしい顔に厭気が差す。途端にかたんと音がして、見ると傍らで九条さんが立花姉妹の救助に当たっていた。けれど僕と目が合うや否や、気が悪そうに外方(そっぽ)を向くのだ。やはり、敢えてこの男との関係を伏されていたと見る可きである。ひと仕事終えた男は手を払って全身を翻す。
「大丈夫、になってきたな、お前のお陰で立花達は大した怪我じゃない。グッジョブ。」
親指を立てた彼の姿は、かの殺人鬼の陰をまるで感じさせない。この姿であり乍ら好青年を気取る彼が心底不快でならなかった。然し彼の顔を見る度に、楼白(ろうはく)が其処にあるかのように佇むのだ。逡巡し思い出す、沢城悕攺(きい)は言った。——他人の身体の乗っ取る能力、確信はまるでない。僕が人となりを見分けるだけの審美眼が有るなんて毛頭思わない。けれど、<器>という不安定因子がそれを可能にさせてしまうから揺らぎが生まれる。道理は、分からんでもない。武藤という男が憎いのに変わりは無いが、今眼前に居る青年がそうであって欲しくはないと思う。一方で、もし此奴がそうなのだとしたら、僕は今首に鎌を掛けられているに他ならない。
「武藤、だよな。」
「……そういうお前は、誰だ。」
先の戦闘で知った、この能力の特性、未来視は確定事項でないということ。それどころか、今僕の目には無数の、同じ瞬間の、違う未来が映し出されている。僕は今凡ゆる可能性の世界を見ているのだ。けれど——
「最神君、落ち着いて聞いて頂戴。」九条さんは僕の後方より近付き、肩に手を添えて言った。
「そうか、お前が最神——」
——どれも、眼前に居る男は武藤快人(かいと)そのものだと、語っている。
「彼は、私が校門に居たのと同様に、貴方が木村君を埋めたのと同様に、自分が何をして了ったのか、その一切を覚えていないのよ。」
「……そうか。」唯、それしか言えなかった。
「俺がしちまったことは九条から聞いた、ごめんな、最神、俺がお前の——。」近付いて、しゃがんで、僕に目線を合わせた処で言葉が止まった。「本当に、ごめん。」その真摯さに却って腹が立つ。
「武藤君は優しい人よ、とても人殺しなんて、私が保証するわ。」
「——じゃあ誰が楼白を殺したんだ。」
「……乗っ取りの能力者よ。」その言葉には躊躇いが有った。
「じゃあそれは誰なんだ。」と返せば、途端に彼女は黙って了った。
「九条さん、それを肯定するってことは、お前の母親殺しも冤枉だと認めることになるんだぞ。——分かるだろ、敵が明らかだったのが、途端に誰でもないものに成り下がるこの理不尽さ……だから、有り得ないって、沢城さんに言ったんじゃないのか。」
九条家を取り巻く無感情さ、起きて了ったことを受け入れるだけの風体を沢城悕攺は「()まっている」と表現した。確かに、事件を陳述するだけのかの時間は異様なものであったが、然しその犯人が冤罪であり、かつ真犯人は能力者であるという可能性を突拍子もなく叩き付けられた彼女は酷く反駁した。此処に人のこころを僕は見た。九条さん、君はこれに納得できると言うのか。
「——それを納得させてくれたのは貴方よ。私は去年の五月より前から武藤君を知っているから、彼には信頼を置いている。同時に、武藤君が人を殺したと言う貴方のことも。(あけぼの)中学での恩は忘れないわ。——だから寧ろ私にはこれしか無かったのよ。反発で駁したけれど、これしか。」
道理は分かった、けれど「それは僕の答えにはならない。」仮に武藤ではなく九条さんを信じるとして何処にその道理がある。僕と彼女との関係は同学であったとはいえ去年のクリスマスから、まして立花姉妹とは今日からの付き合い、まるで関係が希薄だ、突貫と言っても良い。兎角に僕は今眼前に居る男がその人自身で殺しをやったのとは別人であると推測できるだけの手札がない。本性はあっちで、今此処に居る全員が僕を利用せんと徒党を組んでいるというのは、考えすぎだろうか。
 気付けば脚も治っている、けれど立ち上がらず、却って胡座をかいて僕は武藤を見上げた。
「武藤、僕はお前を見定めるだけの情報を持っていないから、お前の、話を聞きたい。——去年の五月のことだ、お前の覚えてることを。」
聞いて武藤も座り込んだ。同じ姿勢、図体の分僅かに高い目線、僕らは極めて静寂の中見合っている。
「勿論だ最神。それでお前と友達になれるなら——」

 当時彼は玄関口に立っていた。というのも(さざなみ)高校には校門から玄関迄に広がるそこそこの庭があって、折角ならばと飯を其処で食うことに友人と約束したからである。外に出て、風を浴びつつ辺りを見回す。同様の事を考える生徒は多く後から知ったことだが此処は常に人で一杯であった。この一杯というのは単なる言葉の綾などではなく、植栽は兎角として申し訳程度に渡された通路の方は正しく字面通りである。大した広さでもないのに庭など拵えたのが招いた事態である。さて、とても一瞥するだけでは何処に友人が居るのか判別できず、仕方なく闇雲に歩いてみる事にした。彼は元より身体が大きいから、何遍も肩をぶつけて、その度に一寸ばかし謝罪しつつ辺りを見回してもやはり朋友の姿が見えないので、まあ周りも思い思い相方と話しているし、と声を上げようとしたが、上手く言葉が紡げない。喉仏に穴を空けられているみたいに、まるで出るのが呼気のみで、その儘瞼も重くなり、身体も痺れ、遂に意識を失った。直前、彼は同様のことが全く同時に周囲にも起こっていることを認めている。
 次に目を覚ますと、異様な光景が彼を包んでいた。いや果たしてこれを光景と形容していいものか定かではないが、ありのままを伝えると、何処を向いても白いのである。しかも一点の汚れも、淀みさえ見えない。唯目が眩む、太陽のような白さが、彼を包んでいた。それは部屋ともとれるし、然しその境界が見えないから唯光線を浴びせられて目が眩んでいるだけとも言える。だがそれも一瞬だった。
 一つ瞬きをすれば、見慣れた、見慣れない景色に彼は居た。赫然(かくぜん)と陰る黄昏に照らされた二階の廊下、飽きられたテディベアの様に、彼は脚を伸ばして壁に背を凭れていた。けれどもこの両手は真っ赤に染まっている。これが夕陽からのものでないことを彼は悟った。その異物、不和は忽ち彼を不安に駆らせた。その揺らぎが<器>を動かす。彼が我武者羅に立ち上がった弾みか、今迄凭れていた壁に罅が走ったのを彼は見た。己の肉体の違和感に即座に気が付く。
「——俺は、自分が馬鹿みたいな力を手に入れちまったって、それが俺に悪さして、俺の知らない処で、俺が人を傷つけたんだって確信した。だから力を制御する術を身に付けようとした。宛があった訳じゃない。唯、闇雲に。二度とこんなことを起こさない為に。その過程で九条とは知り合った。立花らともそういう仲だ。」
武藤は下を向いて、その先にあった両の手を握っては開いてしている。僕は問う。
「……お前が、やったのか。」唯の問い掛けのつもりだったが、まるでその(なり)を成さなかった。
「そうだ。」彼は直ぐに答えた。
「それがもし、第三者がお前を操ってやらせたものだとしたら。」
「俺は其奴を、赦せない。」
「それはお前に人殺しの濡衣を着せたからか。」
「それよりも、誰かの命をこころを弄んだ、それが赦せない。」
此処迄、問答に一呼吸の間も無かった。コンテナより垣間見える水平線は赤く染まっている。鋭く刺さる夕陽が逆行を作り彼を影にするが、然し其の顔だけは、僕には確りと見えていた。
「……どうか、その儘で居てくれよ。」
僕は血塗れの馬手を彼に差し出した。
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