第11話 殺し屋と人探し➁

文字数 4,013文字

 テストが悪くても、女の子と遊んでも、生きていくことはどこか他人事のようで、それらしく振る舞ってもその感情の手触りがうつろだった。『人生』というものは、いつもオレを置き去りにしている。
 中学生の頃だ。オレたちが住んでいた田舎町は灰色に淀んで、若い連中はいつも暇を持て余している。シャッター通りの商店街、雑草だらけの公園、何か面白いことはないかと友達とフラフラさまよっているうちに、町はずれの川べりまで行きついた。
 既に日も落ちかけ、雲も町も影絵のように浮かび上がっている。舗装されてないあぜ道の先から高校生くらいのカップルが歩いていた。夕暮れで表情は見えない。けれども、距離感や仕草から楽しそうな雰囲気は伝わり、それで十分だった。
「ちょっと下まで降りてくれ」
 鉄橋の下は人目につかないし、多少騒いでも電車の音がかき消してくれる。この辺ではリンチに使われたりする場所で、そこで二人をからかってやるつもりだった。
 どこの学校?
 年はいくつ?
 帰るところ?
 不服そうに薄笑いを浮かべたままで、何を尋ねても答えない。まともに相手にする意思がないのだろう、そう思った瞬間、オレの友達が男の方の顔面を殴りつけていた。短くうめいて、両手で鼻を押さえる。指の隙間からポタポタ鼻血が滴り落ちて、砂地にダマができていった。
 名前は?
 そのときタイミング悪く電車が近づいた。女の方は泣きながら何か話しているようだが、通過音が重なって聞こえない。雷雨のような重低音が全ての音をかき消して、無性にイラついたオレはさらに男の方を蹴り上げる。ヘロヘロになったそいつは抵抗もせず身を守るのが精一杯で、その姿を見てオレも友達も飛びかかった。時間にして一分か二分くらいだったろう。響き渡る轟音で何もかも麻痺した空間の中、オレたちだけが動いていた。どこまでやっても足りない、達しない。ひと思いにできないことがもどかしく、ひたすら自慰を繰り返す猿のように男を叩いて叩いて叩き続けた。
 そうして電車が通り過ぎていくと、今度はわざとらしいくらいの静寂がやってきた。打たれ続けた男はぐったりと倒れこみ、女の方もへたりこんで微動だにしない。そこには奇妙な均衡があり、ちょっとした居心地の悪さがあった。「火、ある?」友達がボソッと呟く。ポケットを探してみるも、ライターもどこかに落としてしまったようだ。
 気づけば空には星が瞬き始め、地上の川波はコールタールのように重く横たわっていた。周囲の様子はほとんど見えない。もう舞台の幕は降りているのだ。赤く腫れあがった右手の甲が熱と痛みを伴ってきて、そっと左手で押さえた。
 あの後、カップルがどうなったかは知らない。お互いに幻滅して二人は別れたかもしれないし、あるいはさらに関係が深まることもあるかもしれない。ただ一つ言えるのは、男はなすすべもなく暴行を受け続け、女はどうにもできずに立ちつくしていた、ということだけだ。
 『幸福』、『愛情』、『人生』、オレを追いやる確固たる虚構たち。暴力は世界の欺瞞を暴きだし、生きる力を与えてくれる。

「その結果がこれか」
 ブルーの長ったらしい自分語りの間、喫茶店のマスターは椅子に縛り付けられたまま一言も発しなかった。俯いて表情は見えないが、かすかに胸が上下している。
「つまりは・・・」真っ赤に染まったマスターの胸元がレッドの目に入る。「拷問してるうちに発情したってわけだ」
 ナカアキセツコの行方を追ってアルバイト先を調べる、となったが、まさかブルーがそこのマスターを拉致しているとは。彼の肌は蒼白く、出血性のショック症状が出ているようだった。
「頭はいたって冷静だ」
 洗面所から戻ったブルーはハンドタオルで念入りに手を吹く。
「もともとは兄貴の方が先にアルバイトしてたみたいだな。店主は兄妹のどちらとも親しいらしく、思い出話をいろいろ語っていた。ナカアキセツコの得意料理まで話してた。たしか・・・」
「玉子サンドだろ」
「それだ。知ってたのか?」
「前に注文したんだ」
 店内に流れていたクラシックと古いテーブルに差し込んだ西日が頭に浮かんだ。
「手がかりはあったか?」
「ああ」
 デュポンのライターを取り出しながらブルーは答える。青い炎で空気が歪み、ピース独特の甘い紫煙がざらついた血の匂いと混じり合った。
「最近、ナカアキセツコが来たようだ」
「失踪後に?」
「そうだ。バイトを辞めると挨拶に来ただけのようだが。ただ・・・」ブルーは煙を吐き出す。「店主の携帯電話があるから、それを使えば連絡はとれるだろう」
 上手くすれば、ナカアキセツコをおびき寄せることができるかもしれない。問題は携帯電話がロックされていることだ。
 ロック解除の方法を尋ねても、マスターはどうしても口を割らなかったという。ブルーの性格からするとむきになって拷問したはずで、打っては問い詰め、叩いては問い詰めをしている内にエスカレートしていったと思われた。
「まだ続けるのか」
 もうマスターは虫の息だった。
「きちんと話すまで終わることはない。万が一死んじまっても、携帯のロック解除くらいならなんとかなる」
 そう言ってブルーは煙草をもみ消す。万が一も何も、この出血のままだと何もしなくても死ぬだろうが。
 室内には秒針の音だけが響いていた。マスターはずっと同じ姿勢で俯いたままだ。もう彼には話をする体力もないのだろう。血に染まった身体が丸まっている様はハイエナに襲われた水牛を思わせ、それは身体の隅々まで死が広がるのをただ待っているようでもあった。
 古い蛍光灯が朧気に室内を照らす。充満する煙で光はさらに乱反射して、輪郭の曖昧な影があちこちに浮かんでいる。血と甘い煙草の匂いが頭の奥に重くのしかかった。
「ずいぶん眠そうだな」
 ブルーが語り掛けてきた。
「不眠症なんだ。この調子だと今夜も眠れそうにない」
「矛盾してる」ブルーは微かに笑う。そして、眠れない夜の過ごし方を話し始めた。曰く、何も考えないでリラックスすること、たまに聞こえる雨音に耳を澄ますこと、窓から差し込む月明かりを見ないこと。ちなみに月明かりは心がイカれるという理由らしい。まるで狼男だ。けれども意外にそれが当たっているような気もした。
「店主も眠いかもな」力が抜けたような口調だった。「携帯の件、聞いてみとくよ」
 その一言を聞いてレッドは地下室から出た。去り際にマスターが動いた気がして、一瞬、扉を締め切るのをためらう。その直後に二重の無責任さに呆れ、それすら呆れた振りをしているようなものであって、結局は何もしないのだ。
 
 帰宅すると午前一時を過ぎていた。惰性で風呂に入り一息ついたら、何も考えずテレビのスイッチを入れる。真っ暗な室内でただ一人、あちこち深夜番組を回しているうちに、どこかで見たような昔のゾンビ映画に辿りついた。
 孤立するショッピングセンター、主人公とヒロインが二階へ続く唯一の入り口をバリケードで塞いだところだった。その途端、うめき声をあげてゾンビたちが大挙して押し寄せてくる。彼らを掴もうと差し伸ばされる手を振りほどき束の間の安心を得ると、二人は広大な売り場を物色し始めた。キャンベルスープ、チリビーンズ、ビーフスパム、立ち並ぶ食品棚から二つ、三つ手に取って携帯コンロで食事をする。
『あの人たちは生きてるの?』
『分からない。でも、あいつらは本能のままに動いて人間としての意思があるように見えない。ただ人の形をしているだけだ』
『いつになったら救出にくるだろう』
『それも分からない。外は化け物で一杯なんだ』
 何も考えずに観るには最高の映画だった。贅沢を言えばポップコーンにコーラが手元にあれば、さらに言うことなしだったが。
 ゾンビで溢れた世界はある種の楽園のようで、ブルーも、マスターも、支配人も、ナカアキセツコも、みな頭空っぽのゾンビになってくれれば全ての悩みはどうでもよくなりそうだった。ついでに今までのターゲットも墓場からよみがえってくるかもしれない。のんびり追っかけてくる奴らをしり目に気ままな田舎暮らしするのを想像するのは悪くなかった。
「外は化け物で一杯だ」
 主人公のセリフを独り繰り返す。意外に自分のことは分からないもので、口に出して初めて気づくこともあった。
 カーテンを閉め切ったワンルームがテレビの光でちらついていた。『幽霊』が出てきてもおかしくない深夜帯なのだが、今日はそんな気配もなく、おかげで徐々に瞼も下がっていく。役者たちの声も遠く小さく、空想はふわりと浮いて走り出し、いつしか眠りについていた。
 不眠症になってから毎日のように夢を見る。夢の内容はいつも同じだ。つまらないミスをして気をもむというもので、何とかしようともがくのにどうにもならない。
 かかりつけ医に聞いたら夢は記憶や感情を整理するものだという。ミスをする夢で記憶や感情が整理される?まるで関係なさそうだが、どこか深い部分で繋がっているのかもしれない。この日の夢は狙いをつけているのに銃の引き金が引けないというもので、必死で引いても手ごたえがなくターゲットはどこかに行ってしまった。銃で失敗する夢はこれで三回目だ。この分じゃ、頭の中が整理される前にクビになってしまう方が先だろう。
 気づけば映画は既に終わって、後続番組のテレビショッピングは相変わらずだった。世の中に難しい話なんてないかのように夢のグッズを売りさばく。スムージーからオムレツまで何でもできるマジックミキサー、おまけに注文すると同じのが二個ついてくる。天才的だ。出演者の大げさなリアクションに思わず笑みがこぼれ、そうしてレッドはまた目を閉じた。
 夜も白み、カーテンの隙間から日が差し込み始めるころ、部屋のどこかでバイブ音がきっかり三回ほど鳴ってそのまま止んだ。それはロック解除の方法がわかったというブルーからのメールだった。
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