第13話 ナカアキセツコと閉じた世界③

文字数 3,175文字

 美人には引力がある。何も語らずとも、ただ向き合うだけで相手に様々な感情を引きおこす。それこそ一目惚れする人だっているかもしれないし、同性なら自分の立ち位置を問われているかのような圧を感じる人がいるかもしれない。必要以上に迎合したり、あるいは変に意地を張ったり、どちらにしても軽々に無視できない存在なのだ。
 だから、美人の牧瀬に一緒に帰ろうと誘われたとき、私はなんとなくやり過ごすのも躊躇われて、迷いつつも応じることになったのだった。
「動画制作って初めてチャレンジしたよ。映像だと全然ちがうように見えて面白いね」
 とはいえ、牧瀬は私が勝手に抱いていたイメージと全くちがってよく話す子だった。帰り道を行きながら彼女は私に向けて喋り続けた。
「カメラ手にもって動いてたらユーチューバーっぽいって言われるし、自分から映りにくる人もいれば、みんなで撮ろうと言う人も出たりして」彼女は一息つく。「でも大変だったけど、ほんとに楽しかった」
「牧瀬さんカメラ詳しいんだね」
「そんなことないよ。お父さんにいろいろ教えてもらっただけなんだ」
 牧瀬が微笑んでつられて私も笑顔になった。こんな風に笑いかけられたら男子だけでなく女子だって彼女を好きになると思う。私も自然と好意を抱き始めて、いつのまにか彼女の話を素直に聞けるようになっていた。
 驚いたのは牧瀬が動画制作全般的に関わっていたことだ。完成した脚本が思ったよりも短く、急遽、生徒たちの日常風景を追加することにしたという。これを牧瀬がカメラで撮影して、さらには自身で編集したのだ。先生やクラスメイトの許可をもらって授業中もカメラを回していたことがあるらしく、我ながら鈍いのだけれど、そう言われると、ここ最近たしかに牧瀬はいつもカメラ持ち歩いていたのを思い出す。
「カメラで撮影してると、私の知らなかったことがたくさんあるのに気づいた。今回のムービーではほとんどカットされちゃったけど、いつかそういうのをみんなに伝えたいと思ったよ」
「どんなこと?」
 私が繰り返すと、牧瀬は頷いた。
「例えば、二年一組ではいつも吉村さんが一番最初に登校してることとか。彼女は生物部だから毎日、熱帯魚の世話をしてるんだ」「宇都宮くんはクラスのフォロー役。緊張してる人には声をかけたり、雰囲気が重い場を和ませたり」「八木くんは荒っぽいけど実は優しい。早川さんは公平な性格のしっかり者」
 彼女はそこで一息ついた。
「とかね。普段はスルーしてたのに意識してみると、みなに尊敬できるところがたくさん見つかる。そういうのをカメラで伝えられたらいいなと思ったんだ」
「へー・・・」牧瀬に圧倒されて、言葉が続かない。
「牧瀬さんって頭いいんだろうね」そうして、やっと出た返事がこれだった。自分中心で考えている私に対し彼女は数段大人びた思考だった。せめてそういった想いや考えについていきたいとも思うのに、私の心はどうしてもクラスメイトに関心が向かない。打っても響かない歪んだ鐘のように、他者に共鳴できない自分がそこにいた。彼女の表情を見ることができない。ただ私の発言を受けて、少しだけ早足になったように感じられた。
「・・・ナカアキさんも見てたよ」牧瀬は言った。
「私?」
「そう」
 まるでタイミングを見はからっていたかのようだった。
「よかったらもう少し話ができない?」
 帰り道の途中にある森林公園は名前のわりにそこまで樹木は生い茂っておらず、ほどよい広さのため近隣住民の散歩コースに利用されていた。いまはもう陽も落ち、人通りもほとんどない、静まり返った園内に私たちは入っていく。そうして牧瀬に連れられて、外灯に照らされたベンチに二人並んで腰かけた。
 まだ十月半ばなのに風は冷たい。そういえば去年のセールで買ったコートはどこに置いてたっけと思い巡らせていると、牧瀬がじっと私を見つめていた。淡い灯の下で彼女の白い肌の透明感が際立つ、くっきりした鼻筋に黒目がちの大きな瞳は女の子的な可愛らしさがあった。
「誰もいないね」
 彼女は口を開く。公園内は音を立てるのも憚られるような静けさで、耳をすませば月の明かりが降り注ぐ音さえも聞こえてきそうだった。その静寂は、母が生きていた頃の、兄と夜の公園で過ごした日々を思い出させた。あのときと同じように夜の光は世界を優しく包んでくれる。それは私が私のままでいることを許す、あるがままを肯定する光だった。
「前に、ナカアキさんと会ったことがあるの覚えてる?」
 私は無言で頷く。
「ショッピングモールで会ったよね。お兄さんと買い物してるって言ってた」
「そうだったかな。あまり覚えてないかも」
「楽しそうだったよ。すごく」
 微笑をたたえ、その口調はどこまでも優しげだった。
「・・・小巻先生と話をした」私は続けた。「牧瀬さんが私を心配してるって」
 自然に言葉が出たことに自分でも驚いた。シチュエーションに流されている、とも思ったけれど、牧瀬が私に好意を持っていると分かったからかもしれない
「いやな気分になった?」
「そんなことないよ。ただなんでなのかなって。牧瀬さんと話をしたこともほとんどない」
「ずっと親しくなりたいと思ってたよ、でも、せっかく同じクラスになっても、なかなか話かけられなくて」彼女は息を詰める。「見てるだけだった」
「私、クラスで引かれてるでしょ」私は続ける。「自分で自覚あるよ。みんなの輪に入ろうとしないし、左手に傷もあるし」
 自分でも何が言いたいんだろうと思う。これじゃほんとのメンヘラだって。そうじゃないよと慰めてもらおうとして、それで安心しようとする、どうしようもないほどに痛い。
 牧瀬は答える代わりに私の左手を握った。反射的に身体が強張る。けれども、彼女が震えているのに気づいて私も力が抜けていった。彼女の右手は私を安心させようとするかのようにぎゅっと押し包んで、柔らかな手のひらから温もりが伝わった。体温が混じりあい、均質化されて、まるで一つのグラデーションのように私たちはつながっていく。
「私は」牧瀬が繰り返す。「前からあなたと親しくなりたかったし、仲良しになりたかった」 
「友達になりたいってこと?」
 彼女の手に力がこもった。「そうだと思う」
「なんでかは分からないけど」私は続ける。「牧瀬さんにそう言ってもらえるのはうれしいよ」
「友達になるのに理由がいる?」
 私はひと呼吸分考えた。「いると思う」
「そうだね」牧瀬は笑顔を浮かべる。「私もそう思う。でも、どうやって説明すればいいのか分からない」
「初めて会ったときから忘れものをしたようなひっかかりがずっとあった。だから何もないままで終わらせることができなかったんだ。それから学校の人たちにあなたのことを聞いたりして、どんどんその想いが強くなっていった」彼女が手を握りしめる。
「忘れもの?」
「そう。私とあなたの関係性ができるうちにそれがもっと形を持つと思う。いまはまだ難しいだろうけど、いつかあなたにそれを分かってほしい」
 牧瀬の話は抽象的すぎて「忘れもの」というのもまるで意味が分からない。きっとこれは極私的で自分の中でそっと抱きつづけるべきたぐいのものだと思う。社交的で友人が多い(少なくとも私にはそう見える)彼女がこんな誰にも理解できなさそうなことを語るのが意外だった。ただ、その表情は真剣で、彼女は取り繕うこともなくそのまま自身の内面を曝けだそうとしている。何より

という彼女の想いが切実に伝わり、そうやって必要とされることが単純にうれしかった。
「私も牧瀬さんと仲良くなりたいと思う」
 俯いたまま、私は伝える。
「ありがとう」
 牧瀬の声はやはり優しく、私を締めつけてくる。握られた手を見つめながら、彼女の瞳に私はどういう風に映っているのだろうと想像した。


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