第7話 殺し屋と玉子サンド

文字数 1,457文字

 レッドが裏路地に面した老舗の喫茶店を訪れると、ナカアキセツコは女性客の接客をしているところだった。表情は伺えないが、顔見知りのようで話し込んでいる。

 支配人に『口止め』を依頼された翌朝、プルルルとベルが鳴り、目覚まし時計の音かと思ったらブルーからの電話で今回の調査を担当することになったと早口で告げてくる。その1週間後、レッドの自宅郵便受けにターゲットのファイルが投函された。
 ファイルによれば、ナカアキセツコは祖母の遺産で経済的に何不自由ない生活を送っているはずなのに、なぜか火曜日と木曜日の週2回に喫茶店でバイトをしているという。行動パターンが予測できるという意味では1つのチャンスである。
 
「ご注文はお決まりですか」
 ゆったりした座席に腰掛けてメニュー表を確認していると、ナカアキセツコの方からレッドに尋ねてきた。
「コーヒーとサンドイッチを」
「アメリカンと玉子サンドですね」
 注文を繰り返して一礼するとナカアキセツコは厨房に移動した。ブルー曰く、ナカアキセツコは『人身売買業者に高く売れるタイプ』ということだ。声のトーンが暗く華やかさもないが、顔立ちは整っているから一部愛好家に好まれそうである。
 外見だけ見たらまさか兄の殺害を依頼したなどとは誰も思うまい。そして今度は自分の知らないところで命を狙われている。

 裏路地だけに人通りはほとんどなく客も2人だけだ。マスターは厨房にいるのか全く姿を見せず、店内は名前の知らないクラシックで満たされて眠気を誘ってくる。
 不眠症になってから昼夜逆転生活が続き、レッドが眠りにつくのはたいてい明け方だった。窓の外は薄明りがさす頃でも、寝床に入ればやはり『幽霊』が浮かび上がってくる。このごろは現実感を増して、じっと見つめるとそのまま世界が反転していくような感覚に襲われた。
 考えてみれば『殺し屋』だって非日常的な存在だ。一般人からすれば『幽霊』とどっこいどっこいで、気づかないうちにあちら側にいることだってあるかもしれない。

 心地良い曲調にうとうとし始めていると、ナカアキセツコがコーヒーカップとサンドイッチを運んできた。
 軽く焼いた玉子サンドはハム入りと粉チーズ入りの2種類で、ブラックペッパーとマスタードをたっぷりかけると予想以上に粉チーズとの相性がよく、アメリカンも酸味がほどよい加減である。残念ながら濃口にした玉子サンドと薄口のアメリカンの相性はイマイチだったが十分満足できる内容だ。次があるならば、また玉子サンドを注文して今度はエスプレッソを合わせたい。

 ふと時計をみると時刻は午後3時過ぎだった。窓からは西日も差し込み始め、色褪せたテーブルや食器棚がほんのり赤い日差しに照らされる。いつの間にかもう1人の客も帰宅しており、レッドも会計を済ませるためレジに向かった。
「玉子サンドはいかがでしたか」
「美味しかったです。粉チーズをまぶしたのがよかったですね」
「私の家族もパルメザンチーズのアレンジが好きで喜んでくれます。玉子との相性がとてもいいみたいですね」
 ほんの一瞬、ナカアキセツコが泣き笑いのような表情を見せる。
「料理も作ってるんですか」
「ここ最近はオーナーが体調を崩してるので。オーナーの料理はもっと美味しいですよ。ぜひまたいらしてください」
「ええ、いつかまた」
 俯き加減のナカアキセツコに別れを告げて店を出た。今後の運命を考えればここで約束することに何の意味もないのだろう。ただ、彼女がいなくなった後の玉子サンドの味が落ちていないことを祈るだけである。

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