第5話 ナカアキセツコと長い夢
文字数 1,483文字
兄が死んでまだ1年も経ってないのに、ナカアキセツコの記憶は少しずつ薄れ、感情の揺れ幅も小さくなっていた。
死んだセイタを想い続けたい。そう考えていたけれど、現実には時間は否応なく自分を組み替えていく。そのうち周回遅れのニュースのように、セイタの死に何も感じなくなるだろう。
今はまだ感情が揺さぶられ、ときには夢の中で死んだセイタが出てくることもある。
中学時代の夢だった。セツコは昼休みの教室で机の上にうつ伏せになっている。騒がしい教室内にセツコの居場所はなく、頭を空っぽにしてやり過ごしていた。
無心に聞き入っていると、周囲の喧噪はひとつながりのざわめきになり、そこから掛時計の打刻音がコツ、コツと漏れ出てくる。少しずつ打刻音の間隔は間延びしていき、そのまま力尽きるかのようにゆっくりとフェードアウトしていった。
足場を失うような無音の世界が広がる。いたたまれなくなって起き上がると、教室内にクラスメイトたちは誰もおらず、セツコの傍らには兄のセイタだけが立っていた。
セイタは何も話しかけてこないけれど、心細かったセツコを迎えに来たことが分かる。声をかけようと―――したところでセツコは自分の泣き声で目が覚めた。
そのまましばらく泣きじゃくり、次第に落ち着いて、時計を見ると午前2時を指していた。まだ朝は来ないともうひと眠りしたけれど、夢の続きを見ることはなかった。
結局、この日は正午過ぎまで寝てしまい、億劫な身体をやっとの思いで動かして掃除と洗濯をすます。一息ついて、何もやることがなくなったので、再び布団に潜ってカーテンを閉めた暗い部屋の中で余韻に浸る。そのまま想い耽っていると、いつのまにか眠りに落ちて、気づいたらまた夜が来ている。
セツコとセイタは父親を知らない。母は身持ちのだらしない女で、男に依存してないと心のバランスが保てなかった。
母が自宅に連れて来た男たちは『がさつ』という点で共通していた。夜中に他人の家にやってきては好きなように振る舞い、相手の反応お構いなしに言いたいことを言う。そうして一息つくと母は子どもたちを外に出して、2人で部屋に籠る。いつもいつも最低な夜だった。
結局、まともな男がくっつくことはなく、セツコが11歳の頃に母が自殺する。その後、二人は裕福な祖母に引き取られて、底が抜けたような生活は終わりを告げた。
真夜中のコンビニ、こぼれ落ちた吸殻、淡い街灯が浮かぶ公園、俯いて泣き続ける子ども……幼少期の思い出は断片的でほとんど記憶にない。ただ、母の『愛情』が専ら男たちに向けられていたおかげで、死んだと聞いたときもセツコは少し寂しい想いをしただけだった。
だからなのか、母との淡白な関係を埋め合わせるかのように、セイタとの関係に引き寄せられていく。
思春期を迎えてもセツコの心はクラスメイトに向かなかった。セツコの世界の軸足はずっとセイタの中で、セイタが帰ってきて、一緒に食事をして、セツコが1日の出来事を語って、話す内容はとるに足らないことばかりで、それでもただセイタに伝わるだけで充たされていた。
時おりセイタの視線に含まれる戸惑いの色にセツコは気づいていたが、卒業したら離れるのだからと家族愛を免罪符に自分自身を言いくるめるのだ。
次第にセイタに依存して、気づいたら、誤魔化し続けたツケが自分ではどうすることもできないくらい溜まり、現実と、感情と、過去と、未来と、全ての矛盾が折り重なって清算不能となる。
どこで間違えたのか、セツコはやり直すべき場所も見つけることができないまま、空っぽの世界に取り残されていた。
死んだセイタを想い続けたい。そう考えていたけれど、現実には時間は否応なく自分を組み替えていく。そのうち周回遅れのニュースのように、セイタの死に何も感じなくなるだろう。
今はまだ感情が揺さぶられ、ときには夢の中で死んだセイタが出てくることもある。
中学時代の夢だった。セツコは昼休みの教室で机の上にうつ伏せになっている。騒がしい教室内にセツコの居場所はなく、頭を空っぽにしてやり過ごしていた。
無心に聞き入っていると、周囲の喧噪はひとつながりのざわめきになり、そこから掛時計の打刻音がコツ、コツと漏れ出てくる。少しずつ打刻音の間隔は間延びしていき、そのまま力尽きるかのようにゆっくりとフェードアウトしていった。
足場を失うような無音の世界が広がる。いたたまれなくなって起き上がると、教室内にクラスメイトたちは誰もおらず、セツコの傍らには兄のセイタだけが立っていた。
セイタは何も話しかけてこないけれど、心細かったセツコを迎えに来たことが分かる。声をかけようと―――したところでセツコは自分の泣き声で目が覚めた。
そのまましばらく泣きじゃくり、次第に落ち着いて、時計を見ると午前2時を指していた。まだ朝は来ないともうひと眠りしたけれど、夢の続きを見ることはなかった。
結局、この日は正午過ぎまで寝てしまい、億劫な身体をやっとの思いで動かして掃除と洗濯をすます。一息ついて、何もやることがなくなったので、再び布団に潜ってカーテンを閉めた暗い部屋の中で余韻に浸る。そのまま想い耽っていると、いつのまにか眠りに落ちて、気づいたらまた夜が来ている。
セツコとセイタは父親を知らない。母は身持ちのだらしない女で、男に依存してないと心のバランスが保てなかった。
母が自宅に連れて来た男たちは『がさつ』という点で共通していた。夜中に他人の家にやってきては好きなように振る舞い、相手の反応お構いなしに言いたいことを言う。そうして一息つくと母は子どもたちを外に出して、2人で部屋に籠る。いつもいつも最低な夜だった。
結局、まともな男がくっつくことはなく、セツコが11歳の頃に母が自殺する。その後、二人は裕福な祖母に引き取られて、底が抜けたような生活は終わりを告げた。
真夜中のコンビニ、こぼれ落ちた吸殻、淡い街灯が浮かぶ公園、俯いて泣き続ける子ども……幼少期の思い出は断片的でほとんど記憶にない。ただ、母の『愛情』が専ら男たちに向けられていたおかげで、死んだと聞いたときもセツコは少し寂しい想いをしただけだった。
だからなのか、母との淡白な関係を埋め合わせるかのように、セイタとの関係に引き寄せられていく。
思春期を迎えてもセツコの心はクラスメイトに向かなかった。セツコの世界の軸足はずっとセイタの中で、セイタが帰ってきて、一緒に食事をして、セツコが1日の出来事を語って、話す内容はとるに足らないことばかりで、それでもただセイタに伝わるだけで充たされていた。
時おりセイタの視線に含まれる戸惑いの色にセツコは気づいていたが、卒業したら離れるのだからと家族愛を免罪符に自分自身を言いくるめるのだ。
次第にセイタに依存して、気づいたら、誤魔化し続けたツケが自分ではどうすることもできないくらい溜まり、現実と、感情と、過去と、未来と、全ての矛盾が折り重なって清算不能となる。
どこで間違えたのか、セツコはやり直すべき場所も見つけることができないまま、空っぽの世界に取り残されていた。