二
文字数 2,248文字
白馬村のバスターミナルには翌日の明け方にようやく到着しました。バスを降りると、風が冷たく感じられました。まだ辺りは暗く、深い瑠璃色の空には星々がきらめいていました。遠くにそびえ立つ黒い山々は、昇らんとする日のかすかな光で空と隔てられ、神秘的な雰囲気を漂わせていました。亡くなった叔父のことをずっと考えていたので、なおさらそう見えたのかもしれません。
すこし寒くはありましたが、私はそこに留まり、遠くを眺めていました。しばらくすると、東端の空が橙がかってきました。しだいに明るくなるとともに、日が山々を赤く照らしはじめました。
役場が開くまではまだだいぶ時間がありましたので、私は近くのホテルに入り、そこのレストランで朝食をとることにしました。ロビーの端の受付では、これから登山に向かおうという人たちがチェックアウトの手続きをしていました。
私はレストランに入ると、窓側の席に座りました。窓から差し込みはじめた柔らかい陽射しと思いのほか美味しかったホットミルクが、冷えていた私の身体を温めてくれました。外を眺めると、空はいよいよ青く澄みわたり、山々はそこかしこが白く輝きだしていました。麓は紅葉が眩しいほど鮮やかでした。
ゆっくり朝食をとった後、いよいよ私は役場へと向かいました。建物のなかに入り、受付の人に山本さんへの取りつぎを頼むと、すぐに奥から中背の小太りで髪の毛の薄い中年の男性が姿を現しました。ほのぼのとした雰囲気を漂わせていました。
「ああ、おはようございます。山本です」
「東京から参りました増田香里です。昨日はお電話、ありがとうございました」
「いやいや、この度はどうも」
「叔父の風間悟朗のことでは大変ご迷惑をおかけし…」
その言葉を遮るかのように、山本さんは叔父のことをたいそう気の毒がってくれました。私のことも、「電話してすぐに、こんなに遠くまでいらしてくださって」と労ってくれました。電話での声の印象と変わらず、温かい人でした。
叔父の遺骨を受けとり、諸々の手続きを終えると、山本さんは私に、車で叔父の自宅まで案内すると言ってくれました。
「お気持ちはうれしいのですが、これ以上ご迷惑を…」
そう言いかけると、山本さんはまたそれを遮りました。
「めっ、迷惑なんてとんでもないです。私にできることは何でもさせてもらいます」
その口調は力強く、表情はすこし強張っているようでした。私は山本さんのご厚意を素直に受けいれることにしました。
山本さんの話しによれば、叔父の自宅はかつて、ある資産家の別荘でした。それが十二年ほど前に売りにだされると、地元の不動産会社が買いとり、貸し別荘にしたのだそうです。それを叔父が借りうけ、以来ずっと自宅にしていたというのです。
車で山の方へ向かい、白馬村の外れまで来ると、林が広がり、そのなかには別荘が散在していました。そこをさらに奥へ進んでゆくと、ようやく叔父の自宅にたどり着きました。小さくはありましたが、いかにも別荘という洒落た造りのログハウスでした。そこかしこから聞こえくる鶯のさえずりが、私の沈んだ心をわずかに和ませてくれました。
私は役場で受けとった家の鍵を取りだし、玄関の扉を開けると、山本さんと一緒になかへ入りました。ほとんど手をつけていないというのですが、それにしては家財道具がすくなく、また整いすぎているような印象を受けました。人が住んでいた痕跡があまり感じられないのです。身辺整理を済ませていたのかもしれません。
しばらくすると、山本さんはなにか名残惜しそうに、役場へ戻ることを私に小声で告げました。
「あの~。やっぱり、私がいたんじゃ、お邪魔でしょうし…。なにかありましたら、いつでもご連絡ください」
私は丁重にお礼を述べ、玄関の外まで山本さんを見送りました。山本さんは照れたような笑みを浮かべていました。そして車に乗り込むと、なかからこちらを向いて会釈し、家を後にしました。
私はそれから、家じゅうを隈なく見てまわりました。叔父は世間との交流を極力断とうとしていたのでしょうか。テレビもパソコンもありませんでした。居間にはソファーと古びたピアノがありました。大きな天体望遠鏡が部屋の隅に置かれていたのが印象的でした。というのも、私は科学雑誌の編集者として星や宇宙を題材にすることが多かったからです。
二階の寝室にはベッドのほかに、小さな机がありました。机の上には色褪せてはいましたが、真っ白な額縁に雪の結晶の模様が散りばめられた、かわいらしい写真立てが置かれていました。しかしそのなかには写真が入っていませんでした。いったいどうしたのだろう。私は不思議でなりませんでした。
机のなかにはなにが入っているのだろうか。もしかしたら写真があるのでは…。そう思い、ためらいながらその引き出しを開けると、縦書きの大学ノートが三冊入っていました。ほかにはなにもありませんでした。それぞれの大学ノートの表紙にはナンバーだけが記されていました。
私は早速ページを捲り、なにが書かれているのかざっと目を通しました。時に烈しい字で綴られていました。どれも日記だとすぐに分かりました。とはいえ、日付が不定期であり、内容もただの日記ではないような印象を受けました。
ここにはなにか叔父からの大切なメッセージが記されているのではないか。そう直感した私は、ほかのことを後回しにして、机の椅子に腰かけました。そして一冊目の大学ノートを開いたのです。
すこし寒くはありましたが、私はそこに留まり、遠くを眺めていました。しばらくすると、東端の空が橙がかってきました。しだいに明るくなるとともに、日が山々を赤く照らしはじめました。
役場が開くまではまだだいぶ時間がありましたので、私は近くのホテルに入り、そこのレストランで朝食をとることにしました。ロビーの端の受付では、これから登山に向かおうという人たちがチェックアウトの手続きをしていました。
私はレストランに入ると、窓側の席に座りました。窓から差し込みはじめた柔らかい陽射しと思いのほか美味しかったホットミルクが、冷えていた私の身体を温めてくれました。外を眺めると、空はいよいよ青く澄みわたり、山々はそこかしこが白く輝きだしていました。麓は紅葉が眩しいほど鮮やかでした。
ゆっくり朝食をとった後、いよいよ私は役場へと向かいました。建物のなかに入り、受付の人に山本さんへの取りつぎを頼むと、すぐに奥から中背の小太りで髪の毛の薄い中年の男性が姿を現しました。ほのぼのとした雰囲気を漂わせていました。
「ああ、おはようございます。山本です」
「東京から参りました増田香里です。昨日はお電話、ありがとうございました」
「いやいや、この度はどうも」
「叔父の風間悟朗のことでは大変ご迷惑をおかけし…」
その言葉を遮るかのように、山本さんは叔父のことをたいそう気の毒がってくれました。私のことも、「電話してすぐに、こんなに遠くまでいらしてくださって」と労ってくれました。電話での声の印象と変わらず、温かい人でした。
叔父の遺骨を受けとり、諸々の手続きを終えると、山本さんは私に、車で叔父の自宅まで案内すると言ってくれました。
「お気持ちはうれしいのですが、これ以上ご迷惑を…」
そう言いかけると、山本さんはまたそれを遮りました。
「めっ、迷惑なんてとんでもないです。私にできることは何でもさせてもらいます」
その口調は力強く、表情はすこし強張っているようでした。私は山本さんのご厚意を素直に受けいれることにしました。
山本さんの話しによれば、叔父の自宅はかつて、ある資産家の別荘でした。それが十二年ほど前に売りにだされると、地元の不動産会社が買いとり、貸し別荘にしたのだそうです。それを叔父が借りうけ、以来ずっと自宅にしていたというのです。
車で山の方へ向かい、白馬村の外れまで来ると、林が広がり、そのなかには別荘が散在していました。そこをさらに奥へ進んでゆくと、ようやく叔父の自宅にたどり着きました。小さくはありましたが、いかにも別荘という洒落た造りのログハウスでした。そこかしこから聞こえくる鶯のさえずりが、私の沈んだ心をわずかに和ませてくれました。
私は役場で受けとった家の鍵を取りだし、玄関の扉を開けると、山本さんと一緒になかへ入りました。ほとんど手をつけていないというのですが、それにしては家財道具がすくなく、また整いすぎているような印象を受けました。人が住んでいた痕跡があまり感じられないのです。身辺整理を済ませていたのかもしれません。
しばらくすると、山本さんはなにか名残惜しそうに、役場へ戻ることを私に小声で告げました。
「あの~。やっぱり、私がいたんじゃ、お邪魔でしょうし…。なにかありましたら、いつでもご連絡ください」
私は丁重にお礼を述べ、玄関の外まで山本さんを見送りました。山本さんは照れたような笑みを浮かべていました。そして車に乗り込むと、なかからこちらを向いて会釈し、家を後にしました。
私はそれから、家じゅうを隈なく見てまわりました。叔父は世間との交流を極力断とうとしていたのでしょうか。テレビもパソコンもありませんでした。居間にはソファーと古びたピアノがありました。大きな天体望遠鏡が部屋の隅に置かれていたのが印象的でした。というのも、私は科学雑誌の編集者として星や宇宙を題材にすることが多かったからです。
二階の寝室にはベッドのほかに、小さな机がありました。机の上には色褪せてはいましたが、真っ白な額縁に雪の結晶の模様が散りばめられた、かわいらしい写真立てが置かれていました。しかしそのなかには写真が入っていませんでした。いったいどうしたのだろう。私は不思議でなりませんでした。
机のなかにはなにが入っているのだろうか。もしかしたら写真があるのでは…。そう思い、ためらいながらその引き出しを開けると、縦書きの大学ノートが三冊入っていました。ほかにはなにもありませんでした。それぞれの大学ノートの表紙にはナンバーだけが記されていました。
私は早速ページを捲り、なにが書かれているのかざっと目を通しました。時に烈しい字で綴られていました。どれも日記だとすぐに分かりました。とはいえ、日付が不定期であり、内容もただの日記ではないような印象を受けました。
ここにはなにか叔父からの大切なメッセージが記されているのではないか。そう直感した私は、ほかのことを後回しにして、机の椅子に腰かけました。そして一冊目の大学ノートを開いたのです。