文字数 1,957文字

 星空に想いを馳せると、あの人に会える。
 あの人の想いが、星の放つ光に宿り伝わってくる。
 そしてその想いは延々とつながってゆく。

 あの時から私はそう信じるようになっていました。

 それは一本の電話からはじまりました。

 叔父の死の知らせを受けたのは、陽の光が降りそそぐ、秋風が心地よい十月十七日の朝のことでした。その日はちょうど午後からの出社でしたし、連日の残業の疲れもあって、まだベッドで眠っていました。めずらしく固定電話が鳴り、慌てて出てみると、長野県北安曇郡白馬村の役場からだと言うのです。
 「私、担当の山本と申しますが、増田春花さんでしょうか」
 「いえ、春花は今、自宅にはおりません。私は娘の香里ですが、ご用件は」
 「あの~、風間悟朗さんのことでお電話したのですが…」
 中年の温厚そうな男性の声でした。しかし、いきなりその名前を聞いた私は、最初はなにかの間違いかと思いました。風間悟朗は私の叔父ですが、まったくと言っていいほど、その存在を忘れていたからです。
 私には叔父の記憶がほとんどありません。いつどこでのことだったか定かではありませんが、幼い頃、転んで泣いている私を抱き起こしてくれたことがありました。その時の優しい笑顔をおぼろげに覚えています。それが叔父との唯一の想い出です。今、どこでなにをしているのかもまったく知りませんでした。母も随分前から叔父のことを語らなくなっていました。もう二十数年会っていない。電話や手紙のやりとりすら十年以上していないと思います。
 その母も七十歳を前にして寝たきりとなり、今は老人ホームで生活しています。父を早くに亡くし、女手ひとつで一人娘の私を育ててくれた、その無理が祟ったのでしょう。本来なら私がすべて面倒を見なければいけないのですが、仕事との両立は難しく…。私に迷惑をかけまいとの母からの申し出ではありましたが、そうせざるをえないでいる自分自身が情けなくてなりません。母には本当に申し訳ないと思っています。
 役場の山本さんの話しでは、叔父は白馬岳の山頂付近から滑落して死亡したのだそうです。自殺ではないかとも言っていました。ほとんどなにも持たずに登山をしていたのですが、健康保険証を携帯していたので、氏名と住所はすぐに分かったそうです。
 叔父は十二年ほど前から白馬村の外れにある小さな一軒家を借りて、ずっとひとりで住んでいたようです。周りの人とほとんど付き合いがなく、また自宅には親族や知人の連絡先を記した手帳等が残されていませんでした。そのため、実の姉である私の母にたどり着くのに、随分と苦労したのだとこぼされました。
 遺体はすでに火葬されていましたが、その遺骨を受けとりに行かなければならなくなりました。ほかに役場の手続き、それに自宅の片付けなどもあります。私は出版社で科学雑誌の編集者として多忙な日々を送っています。面倒なことには関わりたくありませんでしたが、私しかいないのですから仕方ありません。
 母は以前にもまして身体が弱ってきています。最近では認知症も進んでいる気がします。そんな母に、私は叔父の死を知らせることができませんでした。もうこれ以上、母を悲しませたくない。そう思ったからです。伝えたとしても、その死を認識できたかは分かりませんが…。
 私はその日、仕事を定時で終えると、その足で新宿から高速バスに乗り、白馬村へと向かいました。日付が変わる前に到着する予定でした。しかし途中、トンネル内で発生した乗用車とトラックの衝突事故で、高速道路が一時通行止めになり、バスが立ち往生してしまいました。
 私は仕事での疲れが残っていましたが、バスのなかでは一睡もできませんでした。昔、母から聞いた話しの断片的な記憶をつなぎ合わせながら、ずっと叔父のことを想像していました。対向車のヘッドライトでしょうか。時折カーテンから漏れくる光が妙に眩しく感じられました。
 母は八歳も離れていた叔父を、子供の頃は随分と面倒を見て、かわいがっていたといいます。叔父は学校での成績が良かったので、自慢の弟でもあったようです。自分が結婚し、そして叔父が大学を出て就職すると、会う機会は減ってゆきましたが、それでもたまには連絡をとり合っていたようです。
 叔父は日系の大手メーカーに勤めていました。海外勤務でニューヨークへ行くなど、出世コースを歩んでいたのだそうです。母は叔父の活躍を自分のことのように誇らしく語っていました。ずっと会えなくても、仕事がすべての人だからと、叔父に理解を示していました。
 なのに、叔父は役員になれる寸前で自ら退職してしまったのです。そのことを話す母の瞳が涙でいっぱいになっていたのを、今でも鮮明に覚えています。以来、母は叔父のことを口にしなくなりました。
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