本説②

文字数 6,218文字

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 黒粉塗れのフロックコートを羽織ったなよなよしい青年だった。顔立ちなど貧相でその首は顅顅として、体幹も稍心もとない。年の頃は定かでないが格好も(あいま)って書生ぽく見ゆる。道中既に衰憊したか、応接間に行くなり青息吐息で喘鳴している。クラウスは無言で待った。もちろんクラウスは咫尺(めのまえ)の相手が誰だか知ってはいる。人忘れの劇しいクラウスとて、”磐掘屋ヘック”だけは忘れる道理がない。莫逆の友である。それは金の鶏を抱き込むようなものとも言える。

「よりによって今日来るとは、貴様もあの浮説(うわさ)が余程気になったと見える」

ヘックの咳嗽が漣のように退いた頃、クラウスは挨拶に代えて浴びせた。

「はて…… 何だろう?」

と、ヘックは帽子を置いて座椅子へ崩れ落ちながら惚ける。

「最近の身請けが何だとか煩わしい奴だ。物見客(ぞめき)周辺(ぐるり)を張っていただろう」

ヘックはぽんと手を叩いて、同意した。

「たしかに。ふぅむ。美人様ねえ。どうせ人を喰う妖怪かなんかに決まってますのに」

「八化けの美人といったところだ」

「それは是非にお目にかかりたいですねえ」

「こればかりは残念向こうの機嫌次第になる。で、早速定例のことを聞いておこうか」

クラウスが転換すると、ヘックはたちまちビジネスライクな笑顔を能面のような素体に貼り付けて、向き直って躙り、手揉みしながら答えた。

「試掘は順調ですよ。進捗は虱潰しで、全体の六割……」

「六割?」

「資金も枯渇しておりません。尚この進み栄えでしたら順調の範囲で……」

「それで何も出ないとは、一体どんな掘り方をしているんだか」

「きついことを仰いますよ。しかし、ほんとうに臥っておられるんでしょうかね? あの凡山のスペルナー山系に、まばゆいばかりの金脈が……」

地図を伸ばし声調をやや落としながら、極秘の作戦会議とばかりヘックがひそめくと、そこへメイドとしてイナーシャがやってきて、色々雰囲気をぶち壊した。

「失礼します! すぐに紅茶があ、あの、炊き上がりますので! しばしお待ち下さい、その間、そちらのコートのお手入れなど……」

かなり慌てふためいて言上したのだが、クラウスは言下に断った(もちろん紅茶についての報告は誰にも期待されていなかったが故に無視された)。

「別にいい。こいつはこんな成りだが、鉱山の発掘を生業にしている正真正銘の山師でな。その外套の汚れも、少々のことではどうせ落ちないだろう」

とのことで。ヘックはみずからの頭を叩きながら、

「ねえ、お嬢さん、この言い草ですよ。たしかに鶉衣(ふるぎ)に執着もありませんが、言うに事欠いてこんな成りですからねえ……」

と不平不満を託った。が、クラウスは凉しい態度のし通しだった。

「鉱山掘りはもっと体格がいいものだ。貴様は骨に皮……その点優秀な部下がいるから心配はしないが」

そうして双方から気の置けない笑い声が上がる。イナーシャは呆気にとられて、行儀よく、このふたりの入魂な応酬に挟まれていた。事のあらましを蠡測するに、どうやらご主人様のクラウスはこのヘックという男に山を掘らせ、それで黄金か高直な希少金属の鉱脈を探り当てようとしているらしい。のは、誰が聞いても投機性の高い捨て金であるものを、ところがクラウスの胸積りでは、これが掘り当てられることは予め決まっているかのようだった。中間報告を受けて、進捗はさておき成果がまったくないと上達されては、臆病風に吹かれて必する覚悟も揺らぐようなところを、彼に限っては笑って看過ごしているほどである。
 イナーシャはやはりお天道様よりありがたい給金がこの館に蓄えてある身上から出ている上は、こんな一髪千鈞を引くような冒険は止めてほしい。と、きわめて全うな抗議の視線を送った。

「こればかりは男の浪漫だから、お前には分からないのだ。事が机上を埋め尽くす金銀瑠璃(こんごんるり)の宝飾品に為り替わるまではな」

とか、クラウスはけっして歯牙にもかけない。流石に補うようにヘックが申分することに

「きみの御主人様が精霊の御力を借りて、あの山を掘ると必ずや良いことがある、とやつがれに命じてくだすったんですよ。その恩に報いるべく、全身全霊をかけてやってます」

とか、これはイナーシャにも解るように道理を易しく説いてやった。のも、生憎、精霊などと常人にとっての空理空論に食う金を空費されては堪ったものでない――とイナーシャは昧まされなかったが、そのうち元からこの館の財産は別に自分のものでもないと思いなして、それ以上の口出しは控える。そもそも客人を歓待するという本末に從えば、諸手を挙げて計画に同調すべきではなかったか…。一方で、このヘックという男が若し獰悪な詐欺師だったらどうするのか……せめてアフィーネにはこの件でクラウスを諌めて(というより叱って)欲しいイナーシャだった。

「お嬢さんはこんな言葉をしっていますか。『金はすばらしいものだ! これをもっている人は、彼の願うこと何一つかなわぬものはない。金によって、霊魂さえ天の楽園に達せしめることができる(*コロンブス 「ジャマイカからの手紙」)』
 黄金は夢なんです、やつがれとクラウス殿下の間に於いては、何を隠そうこれをめぐって断ち切れぬ盟約があります。だから、そんなに警戒なさらないでください。もっと、お嬢さんも夢を見なさったほうがいいですよ」

「イナーシャ、これは夢などではないぞ。この地図でスペルナー山系の成り立ちを見ろ、ほら、火を見るよりも明らかなことだろう」

競合するように二人から声を掛けられて、イナーシャは「はあ」とも「ほう」ともつかない息を発するしかできなかった。ひとつにはまったくそんな話を信じていなかったのもあるし、もうひとつには、こんな怪しげな貨殖術に頼らなくとも、この卓れた館と少なくない蓄えとで程々の暮しを続けていけばよいではないかという意見が、赤貧洗うが如きであったイナーシャの心根には馴染んだからである。

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 紅茶が運び込まれて、而後、客間にはヘックとクラウスだけだった。花咲ける欲得尽くの会話も一旦擱いて、ヘックが布包の小葛籠から用心深く取り出したるは洋燈(ランプ)で、薄汚れた中にも貫禄のある美事な品と鑑定さるべき逸品だった。この洋燈(ランプ)は、他でもない骨董の部類に入るが、日常におけるその無用さよりはむしろ恐ろしさのためにさる筋(この山師が親しい関係をとり結ぶことに成功した素封家)から手放され、とうとうクラウスのもとへ亘ってきた次第であった。猶お流刑地のごとく、この館へ運び込まれる斯様の一品は多い。

「………」

 この洋燈も、と或る欠点さえ無かりせば骨董品としての値打もあるし、何よりか依頼人の一族にとっては思い入れもある家財なのだが、ある不吉な縁起が美点と懐古趣味を台無しにして了っている、とヘックは仄めかした。このいわくありげな出自来歴を持つ洋燈について

「『人喰い提燈』なんて呼ばれています。ねえ……」

と憚らずも物語ったのである。
 幾ばくか臨時収入の宛があるとこの山師が切り出したのは、クラウスがかのようなアイテムをいくつも引き受けて妖しとの結びを解き、供養することを生業としている(実際には生業としていない)裏稼業のことを知っていたからである。然あれどクラウスはべつに旺盛に引き受ける心もなく、飽くまで面が通っているヘックが仲保者だから無下にはしないだけのことであった。
 クラウスは洋燈を寄せて眇めたが一見しただけでは解らぬとばかり直き手放した。一見してそれとわかる程の危険な代物ではなかったことに、ここまで運んできた身のヘックは本領安堵(ほっとあんど)した。彼はバットを懐から取り出して咥えようとしたが、

「喫煙は、家内が厭がるから已めてもらおう」

とクラウスに制止され、仕方なく(すず)ろ手許で弄びはじめた。

「奥さんがいなすったんですね。さて、ちょっとこの洋燈には洒落にならない噂がありまして……どこから話したものでしょうか」

「演出上の脚色はいらん」

クラウスが不意気に催促する。と、劇的なものをすべて圧縮された結果であろうか、出てきた由は実に単純なものであった。

「ええと、この洋燈はいまは構造上点かぬ様になっているんですが、ところが点かぬはずのものが点いていると見えるものが居ます。そう見えた者は、近いうち必ず命を落とすことになるそうで」

それを言い終えると、ふたりして黙り込む時間が続く。ぽつりと、クラウスが疑問を投げ遣った。

「無理矢理点けてみたら如何なる?」

「そりゃ全員からも点いているように見えますよ。でも、それじゃ何もない。ほかの誰にも点いていないのに、そのひとだけに点いていると見えたら、そういう奴が死ぬんですさ」

「訣が分からん。もし単に人間の寿命を報せる耳としても、褒められたものではないな」

クラウスは引き続き眺矚して分析をつづけた。

「精霊が取り憑いている気配は毫も感じない。藻抜けの殻……この巣箱は空き家のようだ。このまま棄ててしまっても構わないか?」

そう切り出すとヘックはせわしなく手を振ったり、首を揺すったりでやんわり否定した。

「むろん止むをえないとはおおせつかりました。ただ、棄てたら災いが戻ってくるのだけを、依頼人様が恐れていて……」

というのは遺棄したと言伝ては依頼人からの評価が下がることを懸念しているのである。

「ならばその家門が存続するうちは棄てない。預かっておく」

クラウスは意を汲んで請合った。既に、このような経緯で開かずの間に押し込められた物品は溢れている。が、空き間がないというわけでもない。

「ありがとうございます。重ね重ねありがとうございます。狂先生に診てもらえてこれで安心です。すっかり。やつがれも、取引先も……」

「狂先生とは誰のことだ?」

「ええ、クラウス殿下ですが。いけなかったでしょうか。不敬でしたか?」

「狂先生とは、俺の師匠のことだ。故に畏れ多い」

「はあ、それはどうも失礼いたしたようで」

ヘックは頭を垂れた。クラウスの師匠筋について特に深入りする気はないようだった。
そのとき応接間の扉が突如として音を立てて辷った。が、誰も入っては来ない。精霊のアデールが見学しにきたのであるが、あまり面白いものも無かったらしく、またクラウスも取り込み中で自分に対しては風馬牛を決め込むものと見るや、すぐに胡蝶か何かのように別の場所へ移っていった。ヘックはポルターガイストと何ら違わないこの一幕を前にして生き肝を抜かれたような顔色を浮かべた。のだが、続けて同じ戸扉から召使いのイナーシャが這入ってきたので、今今の開扉もこの下女によってなされたものと思い込んで、なんとか平静を取戻した。
さてイナーシャは軽い所用を済ませ、侍女(まかたち)として客あしらいのいろはを学ぶために再びこの応接間へと戻った。主の言いつけのがあるとき、ごく近くにいたほうが手早く円滑な対応ができるという気遣いからでもあった。現に、早速クラウスは命じた。

「イナーシャ、扉を閉めに来てくれたのか? 悪いが、鳥渡アデールを呼んで来てくれないか。さっきこの洋燈を観たはずだから。有り得ないこととは思うが、もしアデールにそういう風に見えていたら、事だから。訊いてみなければ」

「アデール様を呼ぶ、ですか?」

これには二つ返事に「かしこまりました」と肯諾できないイナーシャであった。何せアデールは精霊位相であり、彼女から許さない限り、クラウスにしかその姿を見ることはできない。

「少し声を張って呼ばうだけでいい。この近くにいるはずだ」

クラウスはその実、アデールのことを甚く憂患していた。もしこの洋燈(ランプ)が点灯しているように見えたら斃ぬというのであるから。この法則は人間限定であるとは十中八九思えど、確り用心するに越したことはない。そうして彼はこの精霊の伴侶を確り守ってやる履行義務を負っていた(いまだ宮殿にはイディールという守護精霊が坐て、それがアデールの兄なのであり、国を護ると共に妹を甚く気遣っていた)。

「一応、お前にも訊いておくか」

というわけで、アデールが一端(いちはな)で、二の次にイナーシャのことだったクラウスは、目の前の彼女にもつと同じことを尋ねる。

「何でしょうか?」

「この洋燈(ランプ)はどう見える?」

と。イナーシャは卓上の調度品に簿と明かりが灯っているのを見た。などて、はじめからそう見えていた訣だが。

「ちょっと古いですが、ちゃんと明るいですね」

「それは聞き捨てならない、お前にはこれが点いているように見えるのか?」

「…? はい」

転瞬の間にクラウスは真剣な表情に変じた。イナーシャに曰く、

「アデールを呼んできなさい。それとアフィーネは絶対にこの部屋へ近づけないように。これ以上の犠牲者を増やしてはならない」

「犠牲者?」

その謂にもイナーシャはまったくの珍紛漢で。然は言え、取り敢えず曰れた条件を満たす為に罷出でた。

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「嗚呼、そうだったのだ。だが――」

クラウスの独り言が辺りを満たした。行き場のない言葉の便りが、アデールを名宛として虚空を3往復ばかりしたあと、ぴたりと止む。その同時に、イナーシャはヘックから平身低頭の謝罪を受けていた。洋燈の怪談もすべて聞かされ、今や寔迄と身も凍るばかりであったが、イナーシャはヘックには何の憾みも無かった。それを知らない人間に、それのことで恨みを言っても為ん方無く、それを知っている人間は、この館ではクラウスだけなのだった。
ヘックのひどく恐ろしがって伝うに

「やつがれは、こんな仕事はやっててもですね、人死にだけはあまりでくわしたことがないんです……」

「安全第一でお仕事をされてるんですね。素敵に思います」

そこへクラウスが横槍して

「莫迦を言え。安全第一で仕事をする人間が、欲得に目を眩ませて山など掘り回すものか」

「クラウス様は黙っていてください」

イナーシャはあしらった。クラウスは不満げだった。

「何を(むつか)る。まだ決まったわけでもないだろう……葬式の日取りも」

「いいから助けてください! それができないのなら、せめて励ましてくださいよ」

「たった今励ましただろう、……葬式の日取りもまだ決まっていないと」

「はいはい、そうですね」

やる方なく呟く、そのイナーシャの頭に柔らかい掌が載せられた。振り返ると、精霊御寮のアデールである。

「なおこりそ。クラウスはきっと(たす)けてくれる」

「え、あ、はい……」

アデールは怪奇憰怪なる精霊にして、外貌は傾国の清女でもある。尤も、クラウスはアデールこそ吾国を繁栄させる一手と信じて已まない。さておき、この倉卒なる出現にヘックが叫び声を上げて顚れる様が、イナーシャにとって意識の遠くから聞かれた。

「随分と気に入られたものだな。これは幸運の験だぞ、イナーシャ」

いつだか祖母に宣命を含められたこともあるように、精霊に好かれることは一般的に好ましい幸運の証しとされているとしても、近いうちの死を運命づけられた状況でこれを慶ぶのは、全く適当ではないように思えた。あらためてイナーシャは洋燈(ランプ)を見つめたが、燦爛たる光を放っている点は先ほどと異同ない。

「あの、助けてくれるとありがたいのですけど。もしかして、お金が必要だったりします?」

イナーシャは捨鉢気味に尋ねたが。クラウスいわく

「これは稼業ではない。アデールのお気に入りのお前を、手厚く助けてやろう」

どうやら只のようだった。
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登場人物紹介

クラウス・シャム・ブレイド

ジオイア王シロウの第一子。第八代天子。

王だったが追放されて囹圄邸で暮らしはじめる。

世間ずれしており精霊のことしか気にかけないというきらいがあるものの、王に返り咲き国を守ろうという使命感はある。

妖しげなアイテムをよく引き受ける(本意ではない)。

ルーカス・アミアン・ブレイド

第九代の現国王。幼き頃から優秀かつ実直で、非合理な考えが苦手な性格だった。戴冠後は民のことを第一に考える堅実かつ至誠な統治を行うが、精霊は見えない。クラウスを憎んでいるわけではないが、父シロウとも重ねて複雑な思いを抱いている。

シロウ・ブレイド

ブレイド王家の7代目当主。

人心をつかむ政治に加え精霊との適切な折衝をおこなった理想の王として語り継がれる。その早逝については、精霊の国に去ったとも言われる。在位中は精霊との兼ね合いのため正式な婚礼は行わず、内妻ユニタリアとの間にクラウスとルーカスの2子を儲ける。

イナーシャ

本作主人公?でクラウスの召使い

スピノール家当主と侍婢との間に生まれた隠し子。

祖母のいる山間部の田舎村にひきとられ、上京しクラウスに仕える。

姉のアナベリアンナを逆恨みしている。

アデール additive idèle

クラウスの正室?で精霊。人間の血が混じっているらしい。言葉は通じるが通じないらしい(クラウス談)。クラウスにしか見えないが人前に姿を表すことも可能。

アフィーネ

クラウス邸のメイド長を務める妙齢(詳細不明)の女性。

クラウスに執着している。仕事熱心なのも専らそのため。

ヘック・ザ・ロックディガー

脇役。ヘック。金鉱を掘り当てようとする純度の高い山師。一攫千金の志を持ち囹圄邸に出入りするクラウスときわめて親しい人物だが他からは信用されていない。クラウスから資金提供を受け、スペルナー山系で試掘を行う。

イディール

アデールの兄。気高き精霊であり、世世に渡り王宮に棲む。

たまに妹の様子を見に来る。


イズモ

ルーカスの秘書として雇われている。ルーカスから最も信頼される部下。

アフィーネの妹。

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