第9話

文字数 4,265文字




 公園の木や街路樹に止まる蝉が、わんわんと鳴いている。小川では、水着を着た幼い子供たちが、母親に見守られながら黄色い声を上げて水遊びをしている。非常に暑夏の日常らしい風景が、ビルの外では広がっていた。
 グレーゾーンを貫く非営利団体の本部ビルは、暑夏の雑音がシャットアウトされ、暑いも寒いも関係なく、四六時中、年がら年中、一定の季節の中のような異常な時間が相変わらず流れ続けていた。
 17歳となったリョウヘイは、代表である父・芳彰に付いてその仕事を日々勉強していた。今年になり事業についても学び始め、今日も代表の部屋でタブレット端末と向き合い、仮の事業企画を考えていた。

「代表。いかがでしょうか」

 できあがった企画書を持って行き、デスクでパソコンに向かう西銘に見せた。西銘はタブレット端末を手に取り、リョウヘイが書いたものを1ページ1秒程のスピードでスワイプしていく。

「これではダメだ。こんな計画では相手に喜んでもらえない。もっと国民性や、その国の社会を反映させたものにしなさい」

 突き返されたリョウヘイは、却下された企画書を見つめた。しかし、すぐに机に戻ろうとせず少しもどかしそうにし、躊躇いながら口を開いた。

「……あの。具体的にはどうしたらいいのか、もう少し教えて頂けませんか」

 と、指導を申し入れた。しかし、厳しい目と言葉を向けられる。

「甘えたことを言うな。何度も会議に同席して、どんなプロジェクトを進めているか見て来ているだろう」
「そうですが……」
「それなのにまともな企画を考えられないのは、会議に集中していないからだ。しっかり自分で調査して考えたものを提出しなさい」
「……わかりました」

 息子とは言え、西銘は手取り足取り教えてくれる訳ではなく、「背中を見て学べ」の古いスタイルだった。忙しい仕事の合間の僅かな時間を見て指導しているのだから、家庭教師のようにマンツーマンで丁寧な指導ができないのは当然だ。リョウヘイもそれは了承していたが、自分が想像していたかたちと違っていたのか、その表情は時々晴れなかった。
 リョウヘイが納得していない様子にも気付かない西銘は、時間を確認すると椅子から立ち上がった。

「会議ですよね。同席します」
「ダメだ。お前は勉強の時間だろう。そっちもちゃんとやりなさい」

 会議への出席を拒否されたリョウヘイは、そのようにするしかなかった。自分にとっては跡継ぎの方が大事なのに、気持ちを全部汲み取ってくれていないのが少し不満だった。
 しかし来年になれば、一日中仕事を側で見たり手伝いができるようになる。今はその為の準備期間だと思って我慢し、与えられた課題をこなすのがリョウヘイが今やるべきことだった。

「……退屈だ。会議に出たい」

 とは言え。勉強なんてどうでもいいリョウヘイにとっては、勉強部屋に拘束される時間は苦痛だった。おまけに、勉強を教える世話係の辻はつまらない中年男で、平日に毎日五時間設けられている勉強時間は、囚人のような気分だった。

「代表に勉強の優先を言われているんですから、仕方がありません。高卒認定が取れるまで我慢して下さい」
「そもそも、お前の授業が退屈だ。我慢してほしいなら楽しくやれよ」

 リョウヘイは遠慮せず不満をたれると、

「では、歌や踊りで説明すればいいんですか。ここは幼稚園ではないんですが」

 辻も辻なりに対抗する。

「そういう意味じゃない。お前、堅いんだよ。だから全然楽しくないし興味持てない」
「学校の授業とは、そういうものです。ほら。問題集、続けて下さい」

 辻は問題を解くよう促すが、リョウヘイのやる気は夏バテしたようにゲージが下がっている。冷房で快適に過ごせる空間だが、目の前にあるのが好物でないとどうも手が動かない。

「普通の高校は、どういう授業してるんだよ」
「中学と変わりませんよ。教師は対面かリモートで、登校ができない生徒もオンラインで参加しています。たまに校外授業にも行くようですよ」
「じゃあ俺も、校外授業行きたい」
「授業は全て室内でと言われているので、無理です」
「お前はそれでも俺の先生かよ。生徒の要望の一つくらい聞いてくれてもいいだろ」
「その場合、まず校長(だいひょう)に相談しなければなりませんが」
「……もういい」

 担任は真面目で融通が利かない。校長の説得なんて絶対に無理だ。学習環境の改善を諦めたリョウヘイは仕方なく、数学の問題集の続きを渋々やり始めた。
 辻が世話係になって、三年目となる。最初、彼のことは、どうせ父親に言われたから仕方なく世話をしているんだと思い、うざったく邪魔だと思っていた。だが、嫌でも毎日一緒にいると、真面目でつまらないだけでなく、気遣いがほしい時には優しくしてくれて、もしかしたらそんなに嫌なやつではないのかもしれないと、思い始めていた。
 印象が変わり始めたのは、ここ数ヶ月。それまでは、辻のことなど全く興味がなかった。意識が変わってきたリョウヘイは、問題を解きながら何気なく彼に聞いた。

「そう言えば。あんたはなんでうちに来たの」
「団体の思想に、共感できるところがあったからです」
「当たり障りのない理由」

 リョウヘイにそう指摘された辻は、ジャカロに入る時の面接を思い出して、それなりの理由を補足する。

「現在の世の中には、ロボットだのヒューマノイドだのが多過ぎます。仕事を有能な機械に託して人間の手間を取り除き、効率を上げる。それは社会にとってはいいことですが、悪く言えば労働者の淘汰です。ピーク時から日本の人口が減少したとは言え、労働者はいつの時代も数千万と発生する。現在は労働の義務を尊重した環境が整っていますが、当時はそれをよく考えもしないで有能な機械を量産したこの国の方針には、疑念が残ります。あ。ここ、間違えてますよ」

 志望動機を述べながらチェックしていた辻に式の間違いを指摘されたリョウヘイは、眉頭を寄せながら書いた式を消した。

「恐らく、先進国と言われながらも置いて行かれてばかりが嫌で、恥ずかしくて堪らなかったんでしょうね。だから、有能な機械ありきの世の中を夢見過ぎたんですよ。これでいいですか」
「合格……どう。これで合ってる?」
「合ってます。では、少し休憩しますか」

 お互いの解答の答え合わせをし、切がいいところで、辻は二人分の紅茶を淹れた。リョウヘイの分にはちゃんと、角砂糖三つを溶かしてから出した。

「因みにさ。お前はあのヒューマノイドのことは、どう思ってる?」
「どのヒューマノイドですか」
「人間みたいに成長するあいつだよ」
「あぁ。意味がわかりませんね。製造された意図がバカバカしいです。あれこそ税金の無駄遣いですね」

 自らコウカを話題に出したリョウヘイは、小学生の時のように好き勝手に暴言を吐くのかと思いきや、そうではなかった。

「あのさ。もしもあいつがいなくなったら、馬鹿げた方法で拒絶派に現代のシステムを受け入れさせるなんて方法、政府はやめると思うか?もしもそれを妨害するのが俺たちだったら、俺たちの主張を聞いてくれんのかな」

 一体どうしたのか、あの時の棘は一切出さなかった。大人に近付き、子供っぽい単純な理由で拒絶はしなくなったようだ。

「どうですかね。そもそもあのヒューマノイドが誕生した理由は、自国の技術を世界に見せつける為でもあります。拒絶派(われわれ)との和解目的は二の次でしょうから、まず、確立した技術を拡大させるつもりでいそうですね」
「そうだよな。この国の政治家はずっとそうだ」
「まぁ。大事に育ててきたヒューマノイドが破壊され、その犯人がジャカロならば、矛が向けられることは間違いないでしょう」

 と言った辻は、眉頭を寄せた。

「まさかリョウヘイさん。何か考えて」
「る訳ねぇだろ。けど、あいつは邪魔だ。俺と父さんが行く道を塞ぐなら、俺は……」

 リョウヘイの心にずっとあるのは、「父親の助けになる」こと。幼少の頃から話を聞かされ、社会に立ち向かう姿を見続けてきて、いつか自分がその横に立ち、公私で役に立つ息子になりたいと願ってきた。父親の為ならば、リョウヘイは何でもできた。何でもする覚悟があった。

 一方。リョウヘイが出席できなかった会議では、遂行中の長期計画の途中経過報告が行われていた。

「下ごしらえが完了し、摘播を開始する準備が整いました」
「ご苦労様。土壌は作られた。あとは根を伸ばすのを待つだけか」
「こちらとしては、暫くもどかしい時間が流れますな」

 そう口にしているが、苛々した様子は一同に見られない。背凭れに寄りかかれるくらいの余裕があった。

「さて。『エデンの果実』はいつ得られそうかな」
「一筋縄ではありませんからね」
「待つ間、こちらの方が尻から根を生やしてしまいそうです」
「はははっ。そうだな。美味しそうな果実は、ケルビムが守っている。楽園に踏み入ることはできても、在り処まで辿り着くことは難しいからな。その強固さが、余計にケルビムが守っている理由が知りたくなる」

 そんな、ゆったりとしながら岩のように落ち着いた空気感の中、一人だけ小石のような者がいた。

「しかし代表。あとは待つだけとは言え、こんな悠長にしていてもいいのでしょうか。折角蒔いた種が見つかる恐れも……」

 小心者の幹部が余計な心配をして言うと、西銘は彼に向かって微笑んだ。

「焦りはいけないよ。気を揉んで手を伸ばせば、ケルビムに噛まれてしまう。そしたら二度と果実は得られない。きみだって、そんな残念な結果にしたくないだろう?」
「勿論です。この計画が、以前から代表が望んでいたことであることも承知しています。ですが」
「急いては事を仕損じる。少しでも焦れば、計画が失敗するのは目に見えている。私たちが近付こうとしているのを、ケルビムに気付かれてはいけないのだよ」

 西銘の頭の中には、計画の失敗というルートは存在していなかった。道はただ一つ。自分が望む未来へ続く、絶対成就ルートのみ。

「あぁ……『エデンの果実』の秘密を想像すると、わくわくするよ」

「わくわくする」なんて言い回しをしていながら、そこに子供染みた感覚はない。何かを大いに期待しているような、そんな心の内を顔に浮かべていた。

 暑夏。外では蝉がわんわん鳴いている。それは日常。その鳴き声は、季節になればやって来た。誰もが好む不変。不変の日常。
 しかし、季節は次々と移り変わる。それは人間には操れない。人間の意志で操れるのは、不変の日常。
 季節の移り変わりを知らない不変の彼らは、とうとう、外の世界の不変に手を伸ばした。


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