第2話

文字数 4,212文字



 あの子が今いるのは、ガラス固化体エネルギー研究と開発も行っていた研究所の地下三階だ。
 エレベーターを降りると、ID認証で一枚目の扉を開く。その次には指紋認証で開くぶ厚い扉を潜り、最後は体内に埋め込まれたICチップと顔認証で20センチ以上もある鉄の扉が開いた。
 扉が開くと同時に、廊下の照明が点いて真っ白い無機質な空間が現れた。この階には、研究室と実験室しかない。外に放射能が漏れないよう、壁を分厚く作ってあるからだ。

「姉さん。防護服とかは」
「大丈夫。今は必要ないわ」

 現在、件のエネルギー開発は国からストップをかけられ、研究所内にあるガラス固化体はこの階の更に下の倉庫に厳重に保管されている。フロアの除染も完了していて、放射線量は人体の健康に影響があるとされている100ミリシーベルト以下なので、防護服がなくても問題ない。
 私たちは、真っ直ぐに伸びる廊下を進んだ。そしてその突き当たりにある部屋をID認証で解錠し、入った。
 この部屋は、ただの四角い部屋だ。一つだけ分厚いガラス窓があり、そこから隣のメンテナンスルームを覗くことができる。
 メンテナンスルームには、大人が横たわれるくらいの大きさの長方形の透明なケースがある。その中に、衣服を纏っていない身体に布を被せられたコウカが、目を瞑って横になっていた。

「コウカさん!」

 七日振りに姿を見た柊くんは、ガラス窓に駆け寄った。銃創や、建物の崩落に巻き込まれた際の切り傷や擦過傷、彼女が自ら切断した左足などは修復し、身体は元の状態に戻っている。

「博士。さっき、コウカさんは眠っていると言ってましたよね。ニューラルネットワークに異常が?」
「少しね」

 研究所を襲ったマルウェアは、コウカのニューラルネットワークにも侵入していたことが判明している。私の防御が僅かに間に合わなかったのだ。

「マルウェアは彼女の制御装置を侵食し、視覚センサ・聴覚センサ・触覚センサを不能にした。けれどあの子自ら強制シャットダウンをしたおかげで、それ以上の被害は確認されていないわ」
「なので、現在は全て復旧しています」
「それじゃあ、どうして眠ったままに?」
「今は、動力源を抜いてあるから」

 コウカをここに運び込み、体内の状態をスキャンした際に、オーバーパックされた容器に亀裂が発見されたので、体内から取り出していた。それを取り出した時、私たちは怪訝に思った。そのガラス固化体は、私たちがオーバーパックしたものではなかったからだ。
 私たちは、この時に初めて知った。あの行方がわからなかったマイクロマシンが、彼女の判断でガラス固化体が更にオーバーパックされていたことを。

「他の……試作で作ったものを入れないんですか?」
「さっき、由利から説明があったでしょう。情勢を鑑みて、プロジェクトは白紙になる可能性があるの。世間が反対しているのにあの子が今まで通りに動いていたら、承認してもらいたくてもできなくなってしまうわ」
「それなら、普通の動力源に変えれば」
「政府はそんな気はないのよ。人間と成長が同調するというだけで十分世界から認められたのに、ガラス固化体を有用なエネルギーであることも認められたいのよ」
「そんな勝手な」
「だって、こんなエネルギーを開発できたら手柄だもの」

 ガラス固化体の処分は、旧システムの原発を持っていた世界中の国の悩みの種だ。それを安全で有用なエネルギーとして使えると証明すれば、賛同する国が次々と手を挙げるに違いない。政府は恐らくその製造権利を各国に売り、その収入で量産するつもりだったのだ。
 そもそも私たちが開発したんだから、権利を売るか無償で提供するかの決定権はこちら側にあるはずなんだけれど。それも、国のプロジェクトだからと言って何の了承もなしに進められるに違いない。

「つまり。システムも復旧して彼女自体は問題ないが、動力源の使用がどうなるかわからないから動かすことができない」
「そういうこと。しかもコウカは、ガラス固化体エネルギーを使う前提で設計してあるから、今から他の動力源を開発するとしても時間が必要なの」
「それじゃあ。コウカさんは、いつ、目を覚ますんですか?」
「わからないわ。一年後なのか、五年後なのか。それとも、二度と目を覚まさないのかも」
「そんな……」

 柊くんは愕然と肩を落とし、憂えた瞳を再びコウカに注いだ。
 横たわるコウカは、七日前に柊くんが見た姿と何も変わっていない。見た目は普通の人間で、中身も今は普通のヒューマノイドだ。けれど、政府の独断と私たち研究者の探究心のせいで、再び触れることは叶わないかもしれない。あの時の話の続きをいつかできると信じていた彼にとっては、希望が絶たれたような心情だろう。
 私は少し後悔した。母たちが造ろうとして挫折したヒューマノイドを完成させ、それに周囲の人々への危険を孕んだものを搭載し、満足してしまっていた。これまで生まれたことのない全く新しいヒューマノイドを造り、周囲に受け入れられたという達成感は、開発者冥利に尽きた。
 けれど、動力源の秘密が世間に知られた時の影響というものは、あまり深刻に考えていなかった。まさかこんなかたちで世間に感付かれるとは思っていなかったというのもあるが、コウカが受け入れられればこの動力源も受け入れてくれると勝手に思い込んでいた節もある。
 それは、人々への一方的な信頼か、それとも、自分が理解しているから他者も理解するという決め付けだろうか。どちらにしろ、確実に私たちに落ち度がある。だからこうして、絶望する人を目の当たりにしているのだ。
 すると、リキヒトが言った。

「だが逆に言えば、ガラス固化体エネルギーが世界に認められれば、彼女はまた目を覚ますということだろ」
「そうだけど、簡単に言わないで。オーバーパックに更にオーバーパックしたのに、亀裂が入ったのよ? 今の技術でどんな衝撃にも耐えられるキャニスターを開発できるかなんて、証明できないわ」
「コウカ用に作ったものは、実際に使われているキャニスターを参考に作ったんです。最終的には地層処分されるガラス固化体のキャニスターは、頑丈な作りで腐食しないように設計されてはいますが、強い衝撃への耐久は完璧ではないということが今回証明されてしまったんですよ」

 とアルヴィンが説明するが。

「なら、新しく開発すればいいんじゃないか?」

 何もわかってないリキヒトは、さらっと言った。

「あんたねぇ……」

 素人が他人事みたいに簡単に言ってくれるので、私はイラッとして今度こそ殴りそうになった。それを察したアルヴィンと由利がまた止めに入った。
 リキヒトのこの言い方、昔の由利にそっくりだ。だから私は、気に食わなかったリキヒトの雰囲気に似た由利が好きになれなかったのか、と今さら腑に落ちた。
 だが、コウカを再び目覚めさせたいのは、私を始めとした研究室のみんな、それから、柊くんも同じだ。動力源さえ何とかなれば、コウカを目覚めさせることができる。それを一番望んでいるのは、彼女自身かもしれない。
 生まれた瞬間から様々なことを学び、自分の役目を果たすその日のために邁進してきたコウカは、困難にぶつかって悩み、立ち止まり、足掻きながらも、あきらめずに立ち向かった。いつも『自分になりたい』と願っていた。
 コウカが望む『自分』とは何か、私には推断はできない。けれどきっと、その望みに近付いていたんだと私は思う。あのまま本格運用が始まればコウカは必ず人々の役に立ち、人間とAIの橋渡しができていたはず。

「皆さん納得いかないことしかないと思いますが、現状は仕方がありません。もしも彼女がこのまま目を覚まさないままだったとしても、彼女が行ってきたことは、しっかりと記憶と記録に残っています。悲観することはありません」

 と、由利がこの場にいる全員を励ました。
 昔の由利だったらもっと現実的なことしか言わず、こんな人の心に寄り添うような言葉は口にしなかったと思う。由利に励まされるなんてちょっと解せない気もするけれど、彼の気質を変えたのもコウカの影響に違いない。

「そうね。今は情勢を見ているしかできないわ。私たちには、コウカのこと以外にもやることがあるし」
「そうですね。悔しいですけど、今は……」
「柊くん。何もできなくてごめんなさい」

 私は頭を下げた。
 彼のことを考えるなら、この場だけの秘密にして試作品でコウカの目を覚まさせることもできる。けれど、自分に科せられた業を考えるとそれは憚られた。

「謝らないで下さい。謝るくらいなら、最初から違う動力源を作って下さいよ」
「……ごめんなさい」
「どうせ僕が博士や由利さんを責め立てたところで、どうしようもないんです。僕はただの市役所職員で、何の影響力もない一般人ですから……。
 そんな自分なのが、悔しいです。もしも市役所職員じゃなくて、シビリロジー研究者か政治家だったら、プロジェクトに参加して、動力源のことを言及できたかもしれない。そしたら、爆破テロは起きなかった。コウカさんも自分の役目を果たせた。僕も、彼女の役に立つことができたのに」
「柊くん……」
「僕にはもう、本当に何もできないんですか。コウカさんの望みを叶えるために。彼女が望むものをあげるために」

 コウカが再び目覚める確証はないというのに、柊くんはそれを認めないと言うように、希望を握り締めていた。
 その手の中にある希望は、そう多くはないだろう。砂時計の砂のように、一秒ごとに少しずつ、サラサラと隙間から零れ落ちている。けれど柊くんは、砂の小さな小さな一粒が落ちてなくなることも、想像していない。

「今は、わからないわ。この先、コウカの動力源がどう判断されるのか、誰にもわからない。私は、もしかしたらだけど、たぶん、認められないと思ってるわ……だけど。あの子は、また人々のために動きたいと願っていると思うの。だから柊くん。あの子の望みがいつか叶うことを、祈ってあげて」

 私は、彼の手の中から砂がなくならないことを願った。
 この先の未来に希望が残っている確証は、何もない。コウカが再び目覚めることを望んでいる私も、年老いていつか諦めてしまうかもしれない。
 現在52歳で、いつ研究職を離れるかわからない。だから、私が願いを手放しても誰かが諦めないでいてくれるように、彼に自分の分の希望を託した。


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