第3話

文字数 4,572文字



 あたしのプレ運用が正式に決まってから、約二ヶ月。雇用先が決まったと連絡が来た。雇ってくれるのは、市内に店舗を構えるレストランらしい。
 初出勤日当日。初めての仕事に意気込みたかったけど、出勤前のあたしは前例にない程ナーバスになっていた。

「あたし、うまくやっていけるかなぁ」
「大丈夫よ。今までだって問題なくやって来られたじゃない」
「でも、初めての仕事だし。わかんないことだらけだから、周りの人に迷惑かけちゃうかも」
「心配しないで。最初はみんなそんなもんなんだから。初めてのことに直面するなんて、今に始まったことじゃないでしょ」
「本当に大丈夫かな」
「自信持ちなさい!」

 お母さんは、弱音を吐くあたしの背中を思い切り叩いた。

「貴方なら大丈夫。頑張りなさい」
「……うん」
「では。行きましょうか」

 今日は初日と言うことで、由利さんが先方への挨拶がてらに行きだけ付き添ってくれる。

「行って来ます」

 お母さんたちは、笑顔で手を振って送り出してくれた。あたしは手を振り返し、みんなの笑顔に勇気をもらって、社会人への一歩を歩み出した。

「コウカ。近頃、弱音を吐くようになりましたよね。ヒューマノイドでもそんなことがあるんだと、驚きました」
「ヒューマノイドが不安になるってないからね。実際、頼りにしたいのに不安がられたり弱音なんか吐かれたら、信用問題だもの」
「きっかけは、国内留学で出会った伝統復元師さんでしょうか」
「そうでしょうね。あの時のあの子は、理解できないことに対して純粋に反論した。けれど、論理的な物言いは間違っていると指摘されて、自身の発言を反省した。一見してなんてことない間違いだけど、理解できないことへの否定は相手を傷付ける要因になると気付いて、理解できないことを理由に、相手の価値観や信念を否定するきっかけを作ってはならないと考えた」
「向かい合わなければならない人間の理解を端から諦めるようでは、今後の運用に大きく影響しますから、それを考慮して自身の価値観を修正したんですね」
「あの子は今まで、自分の役目を一日も忘れたことはない。その使命感が間違いに作用されて、間違った出来事が強く印象付けられた。そして、周囲と関係を構築することに対する“不安”という概念を芽生えさせた。と言うことね」
「おかげで、ますます人間らしくなりましたね。仕事を始めることで、また変化が促されるんでしょうか」
「そうだといいわね。そう言えばアルヴィン。コウカのこと、ちゃん付けで呼ばなくなったわね」
「もうテストは終わりましたからね。扱い方を変えようと思いまして」
「冷たくない?」
「けじめですよ」

 あたしを見送った二人は別の研究室に向かう為に、地下へ降りるエレベーターに乗り込んだ。




 由利さんに付き添われたナーバスなままのあたしは、繁華街の端の方にあるレストランに着いた。県庁や市役所があるビジネス街に近い立地だから、賑やかさはそんなになく、落ち着いた感じがある。
 お店はもう営業していて、店内に入ると、西ヨーロッパを連想させる雰囲気の中、配膳ロボットと人間のウェイトレスが働いていた。

「あ。どうもどうも。お待ちしてましたよ」

 入り口にいると奥から、半袖シャツ姿の少しぽっちゃりした中年の男性が出て来た。

「はじめまして。総務省の由利と申します」
「はじめまして。店長の酒井です」

 挨拶した二人は、スマホでお互いのデジタル名刺を交換した。

「彼女がお世話になるヒューマノイドです」
「『藤森(フジモリ)杏花(キョウカ)』さん、ですよね。規約を読んでちゃんと覚えましたよ」

 今回あたしが社会に出るにあたり、変更したことが三つある。まず、お店に迷惑をかけない為に、世間に知られた『躑躅森虹花』の名前は使わず、働く時だけ『藤森杏花』と名乗ることにした。
 もう一つは髪型。今まではボブヘアのウィッグだったけど、ビジュアルを変える為に今日から茶色のセミロングヘアに変えた。ポニーテールにしてるけど、揺れると何だか不思議な感覚がある。
 三つ目は、お母さんたちがリアルタイム観察をする時間がほぼなくなること。いずれあたしが独立すれば、研究所で観察することはなくなる。だけど、緊急時だけは早急に対応できないといけないから、その為のお母さんたちの訓練みたいな感じだ。

「藤森さん。今日から宜しく」
「よ、宜しくお願いします」

 あたしはきっちり90度腰を折って挨拶した。

「では、私はこれで。彼女のことを宜しくお願いします。藤森さん。頑張って下さい」
「はい」

 由利さんは本当に行きだけ付き添ってくれただけで、店長さんとの挨拶が終わったら帰ってしまった。総務省の仕事があるのはわかってるけど、もう少しだけいてほしかった。
 由利さんが帰ると、店長さんにバックヤードに案内された。

「いやぁ。新型Alロボットって言うからどんなのだろうと思ってたけど、噂のヒューマノイドだと聞いた時は驚いたよ。事前に成長記録ムービーを見せてもらったけど、本当に人間みたいに成長したんだね。髪も伸びるの?」
「髪はウィッグなんです。身長も、生後から106センチ伸びました」
「へえ、凄いね! 俄には信じがたいよ」

 店長さんは目を丸くして驚いた。成長のことで驚かれたのは久し振りだったから、何だか新鮮だった。

「えーっと、それじゃあ。雇用契約書にサインとかしてもらうんだけど、その前に店の説明をしておくよ。まぁ、事前に大方の説明はされてるかもしれないけど」

 情報の不一致がないか一応確認をしたいとあたしがお願いすると、店長さんは簡潔に説明してくれた。
 洋食レストランのこの店は、今年で創業85年。所謂、老舗と言われる店だ。現代には少し珍しく、人間とロボットの両方が働いている。それが創業当時からの変わらないスタイルで、ロボットばかりに頼らないというお祖父さんの信念らしい。だからあたしの運用先募集の広告を見つけた時も、すぐにエントリーしたと言った。

「まさか藤森さんだとは思わなかったけど、嬉しかったよ。あ。決して物珍しさとか集客目的じゃないから、安心して」

 店長さんは友好的な笑みを向けて、場の空気を和まそうとしてくれているようだった。声、言葉遣い、表情のどれを取っても、悪い人ではなさそうだった。
 あたしは、気にしていることを店長に質問した。

「あたしで大丈夫なんですか。あたし、完璧なヒューマノイドじゃないんですよ?」
「問題ないよ! 藤森さんが開発された理由は素晴らしいし、俺はきみときみの開発者を支持してる。だから、仕事が初めてだろうがなんだろうが、全然ウェルカムだ。寧ろ、世界に誇る技術を間近で触れられる貴重な機会をもらって、ありがたいと思ってるよ」

 店長さんは少しも言葉と表情に違和感を感じさせることがなく、無理をしていたり嘘を吐いているようではなかった。
 お店側が非常に協力的であることが確認できたあたしは、もう一つ聞いた。

「あの。人間の店員の方たちには、あたしのことは話してあるんですか?」

 すると店長さんは、少しだけ表情を曇らせた。

「そこはちょっと迷ったんだ。正直に話して、普通とは違う藤森さんを拒んだり、線を引かないかってね。だけど、ちゃんと受け入れてほしかったから、みんなにもムービーを見てもらったよ。でも、拒絶する子はいなかったから大丈夫。いい子たちばかりだから、きみを受け入れてくれたよ。これから一緒に働く仲間としてね」
「仲間……」

「仲間」は初めて認識するものだった。これまでは、友達かクラスがあたしの主なコミュニティーだった。学生の時はその二つで成り立っていたし、他人との繋がりはその二種類だけで十分なんだと思っていた。
 でも、社会に出て働くとなると、違う種類の他人との繋がりが発生する。それが「仲間」。博物館の彼女が言っていた「同僚」と、同義語だと思う。
 単語は知っていたけど構成するのは初めてだから、友達のように上手く関係を成立させられるのか、少し心配だった。ミヤちゃんとは、凄く探求心がある時期に出会ったから色々と聞いたのがきっかけで話せたし、カナンちゃんは自分から話題を提供してくれるから会話するのに苦労しなかった。だけど、人となりやプライベートを知らない人に、自分から雑談なんて話せない。

「藤森さんも、そういう意識を持って働いてほしい……ここまで普通にしゃべっちゃったけど、理解できた?」
「問題ありません。事前の説明にもあったと思いますが、会話は普通にしてもらって大丈夫です」
「よかった。普通に会話しても大丈夫だって説明されてたけど、実際に接してみないとわからないからさ。それなら、他の子たちも安心してコミュニケーションできるね。じゃあ、改めて契約内容の確認してもらったら、藤森さんにやってもらう仕事を説明するよ」

 タブレット端末で確認した契約書にサインをして、あたしのシフトとここでやることを説明された。
 シフトは固定されていて、あたしの勤務時間は午前から夕方。週に五日入ることになっていて、研修期間は一ヶ月。担当はフロアで、来店したお客さんを席へ案内することと、配膳とお見送りが仕事。忙しい時には、配膳ロボットも稼働する。
 制服に着替えると、今日出勤しているもう一人のフロア担当に挨拶に行った。

「加賀美さん、紹介するよ。今日から働く藤森さん」
「宜しくお願いします」
「私は加賀美です。宜しくね」

 先輩の加賀美さんは、人間の基準ではかると美人と言える顔立ちで、落ち着いていてクールな印象の年上の人だ。でも微笑みはとても優しい。良い人そうだ。

「仕事をするのは初めてなんでしょ? ヒューマノイドにこんなことを言うのはおかしいけど、わからないことは何でも聞いて」
「ありがとうございます。ご迷惑をかけないように頑張ります」

 まだ緊張するあたしは、カクッと少し堅いお辞儀をした。

「もしかして、緊張してる? 変なの。藤森さんて本当にヒューマノイド?」

 緊張しながら挨拶するあたしを見た加賀美さんは、「かわいい」と言ってくすりと笑った。
 さっき店長さんが言っていたけれど、他のヒューマノイドとは違うあたしを拒絶する様子もなく、仲間として受け入れる心の準備はしてくれていたようだった。もしかしたら店長さんが、ムービーを見せるだけじゃなくて、自分の言葉でも色々と伝えてくれたのかもしれない。
 挨拶が終わったあと、仕事のやり方を加賀美さんに教えてもらった。基本的な業務の他には、お客さんが帰ったあとの食器の片付け、テーブルのクリーニングと、備品の補充。必要な道具や備品のストック場所も教えてくれた。
 厨房も案内してくれて、一人だけいるシェフの男性に挨拶した。調理も大体ロボットが手伝ってくれてるらしい。
 ひと通り教えてもらうと、お客さんが少ない時間を狙って初めて配膳をさせてもらった。配膳なんて初めてだから、スープが溢れないようにとか、掃除ロボットと擦れ違う時に蹴らないようにとか、細心の注意を払った。高校生の時から九年お店で働く加賀美さんは、ベテランという感じで動きに無駄がなく、肩の力を抜いて接客していた。
 初めは、仕事を物にできるか心配だったけれど、難しい入出力じゃないから繰り返すうちにすぐに慣れて、忙しい時間帯でも落ち着いて接客できるようになった。


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