第6話

文字数 2,525文字



 国内留学を決めたカナンちゃんは翌週、担任の先生に希望を伝えて許可をもらった。その日から先生とプランを相談しながら、受け入れてくれる施設や団体を探した。
 伝統を学ぶと聞いたあたしも、一緒に行きたくなって手を挙げた。あたしの場合は少し希望理由が違って、カナンちゃんの“心”を一日で引き寄せたことに興味を抱いたからだ。学校はすぐに許可してくれた。だけど、お母さんが渋った。
 長期間、研究所の外で一人で過ごすのは初めてだからだ。メンテナンスは留学に行く前に細かくチェックするにしても、ウイルス問題があったからそれでちょっと揉めた。万が一シャットダウンした際には遠隔でシステムを回復できるように改良してあるけど、心配は拭えないからだった。だから念の為に、アルヴィンを付き添わせることで合意した。
 翌月には日程と、あたしたちを受け入れてくれる所が決まった。期間は一ヶ月で、関東・東北・北海道・北陸・近畿・九州の各地の施設や団体で数日間ずつお世話になりながら回ることになった。
 そして秋が深まってきた頃。定期テストが免除になることを喜ぶカナンちゃんとあたしとアルヴィンは、日本の伝統を学ぶ旅に出発した。
 留学は関東から始まり、各地の文化保護団体や伝統継承の為の履修専門学校や大学で、様々な伝統の発祥と歴史や変遷を学んだ。似たような風習や文化だと思っていたことはその土地毎に違うもので、織物の柄、不気味なお面、踊りなどは、方言があるように意味も様々だと教えられた。

嵯峨(サガ)さんも大変ですね。そんな重そうな荷物持って付き添いなんて」
「仕事でもあるけど、コウカちゃんの為になることなら協力したいから」

 留学が始まって二週間が経過しても、警戒していたウイルス攻撃はなかった。だから、アルヴィンが念の為に持って来たキャリーバッグ型のメンテナンス機器は、本当にただのお荷物状態だった。何もないのはありがたいけど、アルヴィンにはちょっとだけ申し訳なく思った。

 全日程の後半にあたる今日からは、近畿地方の施設でお世話になる。あたしたちは、とある市の郊外にあるトラディションセンターを訪ねた。建物に入る前から敷地の広大さがわかる程、囲んでいる塀が長くて、今までお世話になった所とは明らかに規模が違うことが外観だけでわかった。門を入ると奥まで見渡すことができていない広大な敷地が広がり、小さな街みたいに大小様々な建物が建っていて、職員の人たちは小型モビリティで移動している。
 あたしたちは、敷地内で一番大きな本館ビルへ向かった。

「こんにちは。宜しくお願いします」
「お待ちしてました。大国さんと、躑躅森さんだね。今回二人をお世話する牧村です。宜しく」

 Tシャツにデニムパンツ姿で出迎えてくれた牧村さんは、気さくな感じで挨拶をしてくれた。

「それから……先生ですか?」
「い、いいえ! オレは付き添いです」
「あぁ! そう言えば、付き添いの人がいるって聞いてました。すみません、失礼しました」

 謝る牧村さんとアルヴィンは、お互いに何度も頭を下げた。こういう大人同士のやり取りは何度か目にしたことがあるけど、悪くない方も頭を下げるのがとても不思議でならない。

「と言うか。躑躅森さんみたいな子にうちらの仕事を見てもらえるなんて、嬉しいなぁ。ヒューマノイドの学習の手伝いをできるなんて機会ないし、一体どんな子なんだろうって、うちも楽しみにしてたんだ。来てくれてありがとう」

 各地でお世話になったけど、こんなにあたしを歓迎してくれるのは初めてだった。他の所がそうじゃなかった訳じゃないけど、この牧村さんはとても好印象を受けた。
 挨拶を終えたあたしたちは、荷物を事務所に置かせてもらい、まずは牧村さんに施設内を案内してもらった。

「ここは、後世に()()()()()()残す為の施設です。この広大な敷地の中で、数多くの職員がそれぞれの専門知識を生かし、消失してしまって資料しか残っていないような伝統の復元の試みや、継承が危惧されている伝統の存続を、大学などと協力して研究・検証している場所よ。近畿・中国・四国地方の伝統を、ほぼこの施設で担っているわ」
「牧村さんは、特に何をされている方なんですか?」
「うちは、伝統復元師の資格を持ってるから、研究から指導まで幅広くやってるわ」
「伝統復元師って、なんですか?」

 初耳だったあたしは聞いた。

「文化、工芸、祭事、建築など、国内のあらゆる伝統を守る為の資格よ。大事な役目だから国家資格なの。試験も超難しくて、まだほんの十数人しかいないわ」
「なんでそんな難しい資格を取ろうと思ったんですか?」
「うちのおじいちゃんが伝統復元師の最初の一人でね、近くでそのかっこいい姿を見てたから、うちも取ろうと思ったの。最初は大学行きながら目指したんだけど、予想以上にめちゃくちゃ苦労して、十回目でようやく取れたわ」
「十回……」

 牧村さんは当時の苦労を表情と口調に表しながら言った。その回数を聞いて、カナンちゃんとアルヴィンは圧倒された。一般的に、資格を取るまでの受験回数の平均は一桁台だから、十回は根気も気力も努力も果てしなく必要な回数だと、あたしにもわかった。
 牧村さんは見た目には三十代前半。大学生の頃からという話だから、ようやく資格を取れたのはほんの数年前だ。けれど国家資格なのだから、彼女以上に苦労している人がいるだろう。十回なんて数は、もしかしたらラッキーくらいなのかもしれない。

 広大な施設での学びは、一日や二日では足りなかった。あたしたちは四日間かけて、織物や民族衣装、登り窯、日本人形、舞踊、能楽、雅楽、祭りなど、有形・無形文化財の制作や再現や修理の様子を見学した。施設に所属している牧村さん以外の二人の伝統復元師の方も紹介してもらい、話を聞くことができた。
 あたしたちは、現代に形を変えて残っているものの原形を初めて見たり、現存するものが僅かなものに触れられるという貴重な経験をさせてもらった。伝統の復元や継承の研究をしている人たちは、年齢やジェンダー関係なく、お互いの知識や経験を惜しみなく出し合っていた。カナンちゃんは未来の為に働く職員の人たちに、憧れの眼差しを向けていた。


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