第7話
文字数 3,559文字
「……柊さんは、なんでそんなにあたしに優しくしてくれるんですか。こんなに頼りないことを言っているのに、あたしに呆れたりしないんですか?」
「呆れるなんて絶対にないよ。何かに不安になってるなら話を聞いてあげたいし、力になれることがあればなりたい。僕は何の取り柄もない普通の人間だけど、心に寄り添うことはできるから」
(“心”に寄り添う……)
「それは、あたしを“好き”だからですか?」
「そう。
柊さんは、優しさに溢れた微笑みをたたえてそう言った。優しくしてくれるのは嬉しい。微笑んでくれるのも嫌じゃない。柊さんの気持ちが嘘じゃないのもわかってる。だから、それがとても……。
あたしは耐えられなくなり、俯いて苦悶の表情を浮かべた。
「……わかりません」
「え?」
「前に、あたしは“好き”がわからないって言いましたよね。その時柊さんは、知りたいなら自分を利用すればいいって言ってくれましたけど、一緒に過ごしてもまだわかりません。知りたい欲求だけが増すばかりです。だから、“好き”と“優しくする”が直結できません。あたしは、そんなことすらわからない。柊さんの行動が理解できない」
「僕のことなら気にしないで。わかるまでいくらでも付き合うし、僕が傷付くとか考えなくていいから」
「そういう意味で言ってるんじゃないんです」
思いも寄らず、他人に対して今まで口にしたことのない、少し強めの口調であたしは言った。
「柊さんを傷付けるとか、今はそんなことに思考を回す余裕もないんです。あたしはそのくらい悩んでるし、仕事中以外は悩み事で手一杯なんです」
「躑躅森さん……」
柊さんの声音が変わった。それに気付いていたけれど、気遣うという選択肢を取らなかった。それだけでなく、気遣うとは正反対の言葉をあたしは口にした。
「もう、やめてもらえますか」
「え?」
「あたしに優しくしないで下さい。貴方が“好き”と言う度にあたしは悩む。いつまで経っても何も応えられないし、どんどん辛くなる。だから、もう“好き”なんて言わないで下さい」
思い浮かんだ言葉を、そのままキツめに吐き出した。受け流してきた柊さんの気持ちを、はっきりと拒絶した。
「……ごめん」
柊さんは、優しさが消えた声音で謝った。それでもあたしは、自分のことしか考えられなかった。自分のことしか考えていなかったことに、気付いていなかった。
「柊さんに告白されなければ、あたしはこんなに悩まなかったし苦しまなかった。“好き”を知ることを諦められたかもしれない。貴方が現れなければ……」
「ごめん。追い詰めるつもりはなかったんだ。だけど、」
謝りつつも、柊さんはあたしに何かを言おうとした。何を言おうとしたのかは知らない。続きを言おうとして、一瞬口を閉ざしたから。
「……いや。自分らしくなく、張り切っちゃったからな。空回りしてたのかもしれない。こういうのは、押し付けになったらダメなんだ」
そして独り言のようなことを言って、柊さんはベンチから立ち上がった。
「最初から拒否してたのに、無理して付き合わせてごめんね。きみの気持ちがわからないなんて、僕はロボットみたいだ。本当にごめん」
そう言って、ベンチから離れて行った。それは多分、別れの言葉だった。
無理して付き合っていた。しょうがないと思っていた。ヒューマノイドと人間だから、そのうち埋められない溝に向こうが気付いて、勝手に離れて行くだろうと思っていた。だけど、そんな様子は全然なくて、毎日のように会っているのにいつも変わらない振る舞いで、変わった人間の男性だと思った。
この人は、“好き”がわからなければ利用していいと言っていた。だから最初は、ほのかな期待をしていた。けれど、結局は何も得られていない。寧ろ、悪い方向に行っている。
(この人との出会いは、失敗だったんだ)
あたしは何も変われず、進みたい方向へも行けず、立ち止まったまま。ヒューマノイドが人間から恋心を抱かれても、人工物と自然物という絶対的正反対の者同士の溝は埋まらない。
(……でも柊さんは、溝なんて気にしていなかった。あたしがヒューマノイドだと知っても何度も会いに来て、何度も告白してきた)
本当なら世間体が気になる筈なのに、一生懸命に気持ちを伝えてくれた。諦めずに。毎日のように。人間である自分の素直な気持ちを、人間じゃないあたしに伝えてくれた……。
何度も告白してくれて、心から心配してくれて、優しくしてくれる……それは柊さんが、あたしをあたしとして見てくれているからなんじゃないんだろうか。溝を作っていないから、気持ちも、優しさも、あたしにくれるんじゃないんだろうか。
(……そうか。溝を作っていたのはあたしの方で、一方的にわざと距離を縮めようとしなかったんだ。それは自分自身への偏見だ。あたしは自分への偏見があったから、最初から人間の男性と特別な関係になるのを諦めてた。なのに、諦めてたことを忘れて欲望に駆られた。だから藻掻いてる。だから苛立ってる。それを、あたしは……)
あたしははっとして、反射的に立ち上がって、柊さんに手を伸ばした。
「待って!」
腕を掴み損ねて、コートの袖を掴んだ。柊さんは、足を止めて振り向いた。
「ごめんなさい。柊さんは悪くないです。あたしが、上手くいかないことで苛々してたから……本当は柊さんの所為じゃないのに。自分の所為なのに。それなのにあたし……ごめんなさい」
わからないから仕方がないと思って、逃げ場になる溝を作った。それが全てを諦めることだと、その時は気付いていなかった。そんな間違いをしていなければ、柊さんに酷いことを言うこともなかった。
「あたし、また間違えた。わからないことを理由に否定しちゃった。柊さんを傷付けた。こんなあたし、望んでるあたしじゃない……」
あたしはしゃがみ込んで自分を責めた。役目を果たしたいと言っておきながら、相手のことを考えずにまた不用意なことを言ってしまった。こんなあたしが橋渡しなんて、本当にバカげてる。完全に失敗作だ。
お母さんたちも、もしかしたらモニタリングして見ているかもしれない。そして、何でこんなヒューマノイドになってしまったんだろうと絶望しているかもしれない。
謝ったけれど、柊さんの顔は見られなかった。罪悪感で猛省して、必死で地面を見るばかりだった。それに、引き留めてしまったけれど、柊さんは別れを告げたんだからあたしにはもう用はない。もう一度別れの言葉を言って、去ってしまうんだろうと思った。ところが。
「やっぱり、放っておけない」
「え?」
顔を上げると、柊さんがあたしを立ち上がらせて、その手であたしの頭を優しく撫でた。声音には優しさが少し戻っていたけれど、その表情には何故か詫び入るような気持ちが表れていた。
「わからないことがずっとわからないままは、苦しいよね。ごめん。だけど僕は、きみへの気持ちを無理やりに断ち切ることができそうにない。多分、これからもきみが一人で好きの意味を探し続けても、僕の気持ちはきみを追いかけ続けると思う」
「柊さん……」
「とても悪いことをしてると思う。だから、いつでも本気で突き放してくれていい。それでもいいから、どうか、側にいさせてくれないかな」
そして、何故か泣きそうにもなっていた。願い事をしているのに、そんな顔をするのはおかしい。傷付けられたことが辛いなら、素直にあたしを責めればいいのに。でも、柊さんがあたしを責めずにそんな願い事をするのは、あたしへの思い遣りだった。
「ごめんね。辛いし苦しいかもしれないけど、僕の我儘を通していいかな」
あぁ。なんでこの人は、こんなに優しいんだろう。世界にはたくさんの人間の女性がいるのに、ヒューマノイドのあたしを選んだばかりに、叶うかもわからない“恋”を追いかけている。それは自分でもわかっている筈なのに、バカで愚かだと言う人もいる筈なのに、たった一人しか見ていなくて、脇目も振らずに真っ直ぐで、一途だ。
その感情は、“優しさ”なんて簡単な言葉では言い表せない。あたしの知らない未知の何かが柊さんにあるのだと、この時初めて知った。
「………」
柊さんの気持ちがありがたくて喜びを表したいのに、初めて込み上げる知らない感情の所為で笑顔はできなかった。代わりに、望みを受け入れたい答えとして無言で頷いた。一回だけじゃ足りなくて、二回、三回と首を縦に振った。
何を言って返したらいいのか、わからなかった。「ありがとうございます」なんて簡単な言葉じゃ足りないのは、わかっていた。だけど、今の自分の感情が、なんて言い表したらいいのか説明ができなかった。
ただ、今まで抱いたことのない“何か”であることは、何となくわかっていた。