第41話 王者の資質

文字数 4,995文字


『ああ! ダ、ダイヤウルフも……!?』

「……!!」

 その時アナウンスの慌てたような声で、私はあの狼の事を思い出した。試合の最初からずっと私を苦しめてきた相手。驚くべき事に私の剣技や行動パターンを学習し、的確な妨害を行ってきた難敵であった。

 あのダイヤウルフは犬科に近い姿をしていながら、器用に格子を斜め方向に飛び渡って、何と『虫籠』を飛び越えてきた!

 恐ろしい身体能力だ。これが魔物のポテンシャルか。だが私は丸腰だが隣にはレイバンがいるし、最早ダイヤウルフ1体を恐れるような事はあるまい。


 ダイヤウルフは私達の前に降り立ったが、すぐに襲ってくる事はなかった。レイバンを警戒しているのかと思ったが、狼はレイバンではなく私の方をじっと見つめていた。

「……?」

 何のつもりかと私が訝しむのも束の間、ダイヤウルフは試合中の挙動が嘘のようなゆっくりした動きで私の前に近づいてくると……四肢を折って屈み込み、頭を地面に着けるような体勢となった。

「な……」

 私は唖然とした。それは野生の獣が取る一種の……服従(・・)の仕草だからだ。魔物がこのような行動を取るなど聞いた事がない! 私はシグルドのような魔物を操る力を持っている訳でもないのに……!


「く……はっはっはっはっ! こりゃおったまげた! 世にも珍しい代物が見れたぜ!」

 私の隣でレイバンが愉快そうに哄笑する。彼は私の方に視線を向ける。

「皇女さん。こいつはさっきの試合を生き延びたアンタを認めた(・・・)らしいぜ。自分が服従し従うに値する存在だってな!」

「……!」

 魔物が……人間を認める!? そんな事があり得るのか? 


「本当に極まれだが、過去の大陸の歴史でも実際に何度かあったらしいぜ。死闘の末に自分を撃ち破った人間に対して魔物が服従したり、好敵手として友誼を結んだってケースがな。エレシエルで神獣として崇められてる一角獣(ユニコーン)がまさにその一例らしいな。ただどのケースにも共通してるのは、その人間と魔物の一対一の戦いだったって所だな。組織だって軍隊や集団で戦うのは人間の強みだが、それじゃ魔物には認められないって訳だ」

「…………」

 一対一どころかむしろ私が圧倒的に不利な条件だった訳だが、だから尚更という事だろうか。それにこの『虫籠蝶々』は実質的にこのダイヤウルフとの戦いだったとも言える。

「俺も途中から気付いてたが、こいつの戦術は中々面白かったな。俺もフォラビアで女王様とのロイヤルランブル戦で似たような事やってたし、ちっとシンパシーを感じちまうぜ。どうだ、皇女さん? こんな機会は恐らく一生に一度あるかないかだ。受けてやっても面白いんじゃねーか?」

「どう……すれば、いいの?」

「簡単だ。こいつの場合ならこの下げた頭の上に手を置いてやるだけでいい。後はまあ、名前(・・)を与えてやる事だな。それでアンタが主人(・・)になるって事を了承した事になる。」


「…………」

 大陸の歴史でも数度しかない魔物の人間への従属。まさかこの私がそんな希少な現象の当事者になろうとは。

 私はそっとダイヤウルフの頭の上に手を置いた。魔物は拒否も抵抗もせずにそれを受け入れている。後は名前か。名前は……


「お前の名前は…………セオラングよ」


 それは子供の頃に読んだ物語の中に出てくる騎士の名前。作中に出てくる姫に常に付き従ってその身を守る忠実な騎士。子供心に自分にもそんな騎士が欲しいと願ったのを思い出したのだ。

 ――Bau!!

「……!」

 ダイヤウルフ――セオラングは私が名付けた瞬間、四肢でスクッと立ち上がって一声吠えた。そして次の瞬間、目を疑うような現象が起きた。


 セオラングの身体が僅かに発光(・・)したかと思うと、明らかにその身体が一回り大きくなり筋肉が発達する。そして体毛の色も今までの白っぽい物から、やや黒みがかった灰色の美しい体色に変化した。顔つきもよりシャープに研ぎ澄まされた印象に変わる。

「こ、これは……何が?」

 私は呆然としてレイバンに問い掛けるが、彼もまた呆然とした表情でモヒカンを弄っていた。


「こいつぁ、驚いた……。レベルアップ(・・・・・・)だ。まさか生で見られる機会があるとはよ……」


「……!!」

 ゴブリン、オーク、リザードマン、ロックアイン、そしてアースウルフも……。基本的に殆どの魔物種には上位種が存在している。ゴブリンならホブゴブリン、ロックアインならエルダーアイン、アースウルフならダイヤウルフといった具合だ。更にその上位種というのも存在している。

 これらの「上位種」がどのようにして発生しているのかは長年の謎とされてきた。元々上位種として発生するのか、それとも下位種の中から進化(レベルアップ)するのか……。

 魔物は生活や国防上の脅威であり、特に近年は人間の国同士で長く争っていた経緯もあって、その生態を本格的に研究しようという試みは殆ど無いか、あってもごく小規模なものだった。

 それでも僅かな目撃証言などからレベルアップ説の方が主流にはなっていたが、図らずも今この場でその論争に終止符が打たれた形だ。


「……恐らく試合中にアンタの剣術や戦術を学習して対応していく中で、レベルアップの条件を満たしてたんだろうな。そして今、アンタに名前を与えられた事が切欠でレベルアップを果たしたって事かもな」

「……!」

 レベル3のダイヤウルフの上位種はレベル4のグレートウルフだ。セオラングはたった今この場でグレートウルフへと進化(レベルアップ)を遂げたのだ。


 より大きくなって今まで私の鳩尾くらいの体高だったのが、私の肩を越えるくらいの体高になり、勿論全体的に体重も増加して威圧感と存在感が増したセオラングが、しかしそれとは裏腹な穏やかそうな様子で私にすり寄ってくる。大きいので体毛が顔にも掛かる。

「うっぷ。で、でも、どうしたらいいの、これ? 今の私が面倒みるなんて出来ないし……」

 いくら私に服従して基本的に無害になったとは言え、今の私自身の立場があくまでこの国の虜囚なのだ。当然こんなデカいペットを飼える立場ではない。

 いや、それどころかこの話を聞きつけたカサンドラやブロル達に何をされるか……。魔物を本心から服従させるなど、恐らくあの女も成し遂げてはいない事象だろう。嫉妬される可能性は高い。あの女は国王という立場なので、強権を発動してセオラングを殺してしまう事だってあり得る。


「あー……確かにそうだな。じゃあジェラールに頼んでみるか? それで名目上はあいつのペットって事にすりゃいい。今のあいつはこの街にも広い屋敷を持ってるし、こいつ一匹くらいなら余裕で置いておけるだろ。ジェラールの所有物(・・・)って扱いなら女王様に何かされる心配もないはずだぜ。曲がりなりにもこの国の左大臣様だしな」

「……!」

 そうか、ジェラールなら確かに良いかも知れない。でもいきなりこんな話を持っていったら驚くだろうし、彼に迷惑が掛からないだろうか。私がそんな心配をするとレイバンが苦笑した。

「アンタは既に色々あいつに助けてもらってるだろ? もう充分『迷惑を掛けてる』状態なんだよ。それが今更一つ増えたくらいで気にするような奴じゃねーよ」

「む……」

 情けないが確かにそう言われると反論できないのが悔しい。他に方法もない事だし、私はレイバンに勧められるままジェラールにセオラングの保護を頼む事とした。レイバンも口添えしてくれるそうだ。  


『す、素晴らしい! 素晴らしい結末です! 我々は今日、二つの奇跡を目の当たりにしました! 過酷な『虫籠蝶々』を生き延びたクリームヒルト選手の奇跡。そして魔物が人間に自発的に服従し、更には進化(レベルアップ)を遂げるという奇跡! 二つの奇跡を成し遂げた偉大な剣闘士であるクリームヒルト選手を今一度、盛大な拍手で見送りましょう!』


 ――ワアァァァァァァァァッ!!


 そして私は大歓声に見送られながら、セオラングと共に未だ『虫籠』が聳え立つアリーナを後にするのだった……



*****



「ふむ……まさか魔物を自発的に服従させるとは。よもやあのクリームヒルトがあれ程の成長を遂げるとはな」

 現在(・・)はガストンと名乗っているロマリオン帝国第二皇子のカスパールは、今の試合……『虫籠蝶々』の様子を観客席から観戦していたのだが、彼をして中々舌を巻く見応えのある試合内容であった。

 更に試合内容だけでなく、その後にあった魔物の服従劇。カスパールはあれにこそ本当の意味で驚愕を禁じ得なかった。


「……危険だな」


 呟く。彼の中でクリームヒルトは甘やかされて育った我儘で愚かな小娘でしかなかった。今回の救出に志願したのも、あくまで自身の出世と実績作りの為であった。

 だが弱く愚かであったはずの妹は、この闘技場での戦いの日々によって戦士としてだけでなく人間としても大きく成長しつつあった。

 戦士としての成長は正直そこまで脅威でもない。確かに強くはなったがそれでもまだカスパールに適うレベルではないし、そもそもただ個人で強いだけでは政治の世界においては何の意味もない。それはカスパール自身が誰よりもよく分かっていた。

 問題は人間的な成長だ。今のクリームヒルトは敵国の民衆であるエレシエル人達をも虜にする、一種のカリスマ性が備わりつつあるように見えた。そしてカリスマ性というのは……王者(・・)の資質において非常に重要な要素の1つである。

 カリスマ性というものは理屈ではない。どんな無双の武で戦に勝利する能力があっても、どんな優れた政策を考えて実施できる能力があっても、それだけで臣民を惹き付ける事はできない。

 臣民を惹き付け尊敬や畏敬の念を勝ち取るには、目に見えないカリスマ性というものが必要になってくるのだ。そして妹はその無形の特質を無意識に身に着けつつあった。


(今回は俺の実績の為に救出はするが、俺の帝位継承が確実となったその時は……消えて(・・・)もらった方がいいかも知れんな)

 カスパールはそう判断していた。脅威の芽は利用するだけ利用したら、芽の内に摘んでしまうのが理想的だ。

 そこまで考えた時、空席となっていた彼の横の席に人が座る気配。彼の直臣(・・)にして寡黙な少年戦士のスルストだ。


「……スルストか。成果(・・)はどうだった?」

「ああ、あった。あいつらが魔物をストックしてる大体の場所が解った。それとストックしている魔物の規模に関しても」

「そうか。いい成果だ」

 スルストの報告にカスパールは頷いた。彼等は【エキスパート】剣闘士の権限で、事前に今日の特殊試合の内容を知っていた。それで沢山の魔物を使うルールである事を知って、今の試合中にスルストに内情を探らせていたのだ。


 エレシエル王国は国策として治安向上の為に、軍や傭兵による魔物の討伐や捕獲を推奨しており、またその魔物を使ってこの大闘技場での国威高揚に利用しようというくらいなので、カスパールはこの『ニューヘブン』の街にかなり大量の魔物がストックされているのではないかと睨んでいた。

 またそれら捕獲した魔物の管理は、女王の親衛隊長にしてエレシエル八武衆の1人である【獣王】ミケーレが管轄しているらしい事も突き止めてあった。

 だが魔物の管理場所はかなりレベルの高い国家機密であるらしく、カスパール達もこれまで探り当てる事が出来なかった。あまり熱心に調べようとすれば確実に怪しまれる。

 そこで今回の魔物が大量に使われる試合を利用して、その搬入ルートをスルストに辿らせる作戦を立てた。一度に扱う魔物の数が多ければ多いほど管理がおざなりになり、ボロ(・・)を出す確率も上がるはずであった。そしてその予測通り、遂にある程度の当たりを付ける事が出来たのだ。


(計画は着々と進んでいる。これが完了した時が決行(・・)の時だ。だが……こいつ(スルスト)に関しても切り捨てる算段は立てておかねばならんか。正直惜しいがな)

 スルストのクリームヒルトへの執着ぶりを考えると、彼女を抹殺しようとするカスパールの考えに賛同するとは思えず、それどころか敵に回る可能性の方が高い。

 やはりこの救出作戦の間はどうしてもスルストの力が必要になるが、一度実績を上げて帝国に戻った後は最悪いなくても何とかなる。

(……済まんな、スルスト。お前は良く働いてくれたが……恨むなら下手に成長してしまったクリームヒルトを恨め)

 実妹だけでなく忠実な家臣までも切り捨てる算段を頭の中で立て始めたカスパールは、身勝手にそう独りごちるのであった。
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