第5話 昇格試合

文字数 4,951文字

「狼狽えた所で状況は良くならんぞ? 今はお前に出来る事をやるしかあるまい」

 翌日。いつものように訓練室で私と向き合うジェラールは、憎たらしいほど落ち着き払った声と態度で私を諭す。

 因みに昇格試合は後2日後という事で、明日は訓練無しで試合に備えてコンディションを整える事になっていた。つまり試合に向けての訓練は今日が最終という訳だ。

「私に出来る事?」

「そうだ。レベル2とは言っても、所詮は【個人規模の危機】だ。1対1という事は解っているのだから、どんな魔物が出てきても落ち着いて対処さえ出来れば何も問題はない」

「……!」
 私は目を見開いた。不覚にも彼の言葉に勇気づけられてしまった。

「も、問題はない? 本当に……?」

「ああ。お前が冷静に俺との訓練を思い出して対処する事さえ出来れば、な」

 思わず縋るような調子になってしまった私の問いに、ジェラールは当たり前のように頷いた。

「そもそも前回の試合では、レベル1の魔物を3体同時に相手して勝っているのだぞ? レベル2でも単体なら難易度的には前回とほぼ変わりない。レベル2という数値にだけ囚われ過ぎだ」

「あ……」

 私は目から鱗が落ちたような気分となった。言われてみれば確かにその通りだ。ファングラットでも3匹も集まれば、レベル2相当はあるだろう。多少危うい場面もあったが、私はそれに実際勝利したのだ。


「勿論だからと言って油断していいと言っているのではない。下手に意識し過ぎていつもの力を発揮できない状況にだけ陥らねばそれで充分だ。そしていつもの力を発揮するのに最適なのは、いつものように訓練を行う事だ。解ったらさっさと構えろ」

「…………」

 それこそいつものように不愛想極まりないジェラールの物言い。しかし私はむしろ彼のそんな素っ気ない態度に安心感を覚えて、明後日の試合に対する過度な不安が消失していくのを感じた。

 私は不安の替わりに闘志を漲らせて剣を構える。

「……礼は言わないわよ」

「何の事だ? それにいつも通り(・・・・・)の訓練だと言ったはずだ。どの道すぐに礼を言う気など失せる」

 そしてその日一日散々地獄の扱きを受けた私は、彼が言った通り感謝の気持ちなど消え失せて、夜になって戻った部屋の寝台の上で、情け容赦ない彼への恨み節と呪詛を延々と吐き続けるのだった。



*****



 そして二日後。遂に『昇格試合』の日がやってきた。

 緊張が完全に無くなった訳ではないが、やれる事は全てやったし、何よりこれは私があの女に一歩近づける格好のチャンスでもあるのだ。どうせやらなければならないなら、せめてポジティブに考える事にしよう。

 いつもの試合用の『鎧』に着替えた私は、案内兼監視役の衛兵に連れられてアリーナへと続く通路の前までやってきた。


 今日はジェラールは政務で不在であった。何でもカサンドラに会議で呼ばれているらしい。

 今日の試合を迎えるに当たって、正直な所を言えばジェラールには見守っていて欲しかった。不本意ではあるが心理的にもその方が安心できた。

 だが彼は私の晴れ試合よりもあの女からの用件を優先させた。……いや、何を考えている。彼はこの国の幕臣だし、国王(・・)の命令を優先させるのは当然だ。

 それよりも敢えてこの日に会議とやらを被せてジェラールを呼び出したあの女の、陰険な悪意のような物を私は感じ取っていた。

 ……上等だ。あの女は私の前に姿こそ現さないが、確実に私の挙動を気にしてはいる。今回の事でその裏付けが取れた。

 だったら私がやる事は、例えジェラールがいなくとも『昇格試合』を問題なく勝ち抜いて、あの女の鼻を明かしてやる事だ。

 そう結論づけた私は改めて発奮する。この試合、何としてでも大勝を収めてやる! あの女の耳にその事実が入るように……!


 衛兵に促されて私はアリーナへ続く通路を歩き出す。もう何度か歩いているので慣れたものだ。そう時間も掛からずアリーナから漏れ出る光が見えてきた。出口……アリーナへの入り口だ。

 手前にも1人別の兵士がいて、私が近づいてくるのを確認すると開閉装置を操作する。格子付きの扉が上にスライドして開いていく。

 私はその門を潜ってアリーナへと進み出る。後ろで格子の扉が閉まる。この門は試合中は決して中から開ける事は出来ない。逃げ場はないという事だ。


 ――Buuuuuuuuuuuu!!


 私がアリーナへ姿を現すと、観客席から一斉にブーイングの嵐。1万人以上は収容できるだろう観客席に数千人が詰めかけている。全く暇な奴等だ。


『紳士淑女の皆様! 大変お待たせしました! 今日は例の「特別試合」の開催日です! 南門より登場しますのは、我等が偉大な女王カサンドラ陛下に逆らう稀代の愚か者、生まれついての卑しい魔女! 憎きロマリオン帝国の象徴! クリームヒルト・ロマリオンだぁぁぁっ!!』

 ――ワアァァァァァァァァァッ!!

 再び大気を揺るがせるような歓声や怒号が響き渡る。いつもながら耳障りな。どうせなら声の出し過ぎて喉が枯れて死んでしまえばいい物を。

『この女はこれまで何度かの試合を生き延び、最早レベル1の魔物では相手にならないと踏んだ、支配人のエリクソン侯爵の判断により、本日はこの女に【アプレンティス】階級への昇格試合をさせる事となりました! もし今日この女が勝てば【アプレンティス】へと昇格が為ります! より強力な魔物や、時には処刑人を買って出てくれた有志がこの女を苦しめてくれる事でしょう!』

 ――ウオォォォォォォォッ!!

 その光景を想像したらしい下種共が下品な歓声を上げる。

『この昇格試合においては、疑似的に一つ上の階級として扱われます! 即ち本日その相手を務めるのはレベル2の魔物です! それではいよいよです! 北の門から登場しますのは、山岳地帯を縄張りとする石投げの猿人、ロックアインだぁぁぁっ!!』

「……!」
 北の門がスライドして飛び込むようにアリーナに現れたのは、成人の人間よりやや小柄なくらいの体格の、全身が茶色い体毛に覆われた猿のような魔物であった。その姿を見た観客たちが歓声を上げる。


 ロックアインは大陸中の山岳地帯などに分布している集団性の魔物で、時には100頭以上にもなる群れを作る事もあるという。魔物は好んで人間を襲う為、大規模な群れになると護衛付きの隊商などが襲われるケースもあり、軍による優先的な駆除対象になりやすい。

 単体ならそこまでの脅威はないが、勿論私にとっては全く油断できる相手ではない。ロックアインはその名が示す通り石や岩などを投げて攻撃してくる習性が厄介であり、よく見るとこちらに迫ってくる魔物の両手には大きめの石が握られており――

「っ!!」

 それに気付いた私が警戒を高めるのとほぼ同時に、ロックアインが右手を大きく振りかぶった。そして手に持った石を全力で投げつけてきた。

 レベル2ともなれば一般的な成人男性も上回る身体能力を持つ魔物もおり、ロックアインの投げつけた石は凶器と化して、豪速で私に迫ってくる。盾の類いを持っていない私がまともにこれを受ける手段は無い。

 私は躊躇う事なく回避を選択して横っ飛びに身を投げ出した。数瞬前まで私が立っていた空間を投石が突き抜けた。

 うつ伏せに倒れ込んだまま私は急いで顔だけを上げて敵を確認する。ジェラールからしつこいくらいに、とにかく戦闘中は絶対に敵から目を離すなと言われ続け、実際に訓練でも何度も『反復練習』させられた。

 その甲斐あって、とにかく敵の姿を視認してその動きを注意する癖が付いていた。そしてそれは確実に功を奏した。

「……!」

 ロックアインが今度は左手を振りかぶっていたのだ。そちらにも石が握られている。私は本能的な動きで倒れたままの姿勢で両足を撓めるようにして、強引に前に跳んだ。

 直後にロックアインの投げた石が地面を穿つ音。直前まで私が倒れていた場所だ。私は非常に露出度の高い『鎧』しか身に着けていないので、投石を喰らったらそれだけで大きな怪我を負う可能性が高い。一発たりともまともに喰らう訳にはいかない。

 これで魔物が両手に持った投石の攻撃は凌いだ。となると次は……


「……っ!」

 奇怪な叫び声を上げて、ロックアインが直接飛び掛かってきた。人間に近いサイズの魔物の腕で殴られたら、それだけでやはり大怪我を負ってしまう可能性がある。私は休む暇も無く慌てて跳ね起きる。

 魔物が長い腕を薙ぎ払ってくる。私は咄嗟に剣を盾代わりに突き出す。すると剣の刃が魔物の腕と接触して私は衝撃でたたらを踏んだが、ロックアインの方は腕を斬り裂かれて血が噴き出していた。

 魔物が苦痛に叫ぶ。私はそれを見て、やはりレベル2の魔物といえど私の剣で充分傷つけられる存在なのだと再認識した。必要なのは無駄に委縮してしまわない冷静さだ。そう言えば先程の腕の薙ぎ払いも充分に見切れる速さだった。

「ふっ!」

 私は気を取り直して剣で斬り付ける。斬撃は正確に魔物の胴体を切り裂き出血させるが、私の力不足か振り抜く事が出来ずに、剣先が長い体毛に絡まって抜けなくなってしまう。

「しまっ――」

 慌てて離れようとするが、ここで剣を失ったら魔物相手に勝機も失う事になる。やはりジェラールから何があっても武器だけは絶対に手放すなと教えられていた事が功を奏して、私は反射的に離脱を踏み止まった。

 私は離れる代わりに……むしろ剣の柄を握り締めて、強引にロックアインの身体に押し込んでいく!

「ギギャアァァァッ!!」

「……!」
 魔物が狂ったように喚きながら暴れ回る。振り回された腕や脚が当たるが、ここで離れたら負けるという気持ちで、痛みや降りかかる血潮を堪えて剣を更に押し込んだ。

「――――!!」

 ロックアインの身体が一際大きく震えた。そして叫び声と狂乱が急速に収まっていく。私が押し込む剣に押されるようにして魔物が仰向けに倒れ込む。釣られて私も一緒に魔物の上に倒れ込んでしまう。

 だがロックアインがそれ以上暴れる事はなかった。魔物は完全に死んでいた。 


『お……おぉぉぉっ!! な、何と、クリームヒルト! れっきとしたレベル2の魔物であるロックアインを斃したぁぁぁっ!! クリームヒルトの勝利です! 忌まわしき魔女は遂に最下級の【素人(ノービス)】を脱し、その上の階級である【見習い(アプレンティス)】に昇級してしまったぁぁっ!!』


 ――Buuuuuuuuuuuu!!!


 観客たちからまた一斉にブーイングの嵐が巻き起こる。ふん、馬鹿どもめ。いい気味だ。この私がお前達下民共の思い通りになどなるはずがあるまい。

 私は選ばれし存在なのだ! こんな所で死ぬ事などあり得ないと、さっさと理解しろ!

 私は戦闘の緊張から解放された反動で激しい疲労を感じながらも、心地良い優越感に浸っていた。


*****


 南の門を潜っていつもの部屋に戻る。しかしその時私は通路の先に誰かが立っている事に気付いた。あれは……

「……無事に勝利したようだな」

「ジェ、ジェラール……?」

 そこにはカサンドラに召集されていてこの場には不在のはずの、白面の貴公子ジェラールが佇んでいた。

「あ、あなた、何故……」

会議(・・)は滞りなく終わらせた。予定より余った時間をどう使おうと俺の自由だ」

「……!」
 つまりジェラールはあの女の用事を普段より早いペースで終わらせて、私の試合を見に来てくれたという事か。

「敵から目を逸らさない。そして武器を絶対に手放さない……。俺に言われた事を守れていたようだな。……よくやったな」

「……っ!」
 彼は私の試合を見守ってくれていたのだ。それが分かった時、何故か私の胸に込み上げてくる物があった。私はその感覚に戸惑った。

「だがこの程度で調子に乗るなよ? 【アプレンティス】に昇格したからには、これまで以上に厳しい試合が増えてくる。気を抜けば即、死に繋がる事を肝に銘じておけ」

「……! ふ、ふん、ご忠告どうも。あなたに言われるまでもなく、覚悟なら出来ているわ」

 私は自分の感情と向き合うのが怖くて、敢えて素っ気ない言い方をしてジェラールから目を逸らした。そして素早くその脇を走り抜けていった。

 私は自分の頬が、鎧の羞恥や試合の高揚とは別の感情で赤くなっている事を自覚していた……

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