第46話 嫉妬と憎悪
文字数 3,167文字
ルーベンスとの試合に勝利 し、【マスター】ランクへと昇格を果たしたその数日後。私はブロルによって支配人室へと呼び出された。次の試合に関する通達だろうか。【マスター】ランクとなった以上、試合の相手は先のルーベンスと殆ど変わらない強さの敵ばかりという事になる。
他の八武衆か、或いはレベル5の魔物か。ルーベンスが全力で掛かってきていたらと思うと、他の八武衆相手でもまず勝ち目は薄い。そして彼のように気紛れで私に勝ちを譲ってくれる者ばかりではないだろう。
そしてレベル5の魔物もカサンドラが斃したフォルゴーンや、先日ガストンが斃していたオークジェネラルを思い返すと、はっきり言って私に勝てる相手か甚だ自信が無かった。
最早一刻の猶予もない。何とかして脱出する手段を模索しなければ、遠からず私は処刑 されてしまう事になる。
カスパール兄様も一度レリーフを置いたきり接触がない。まあスルストとの揉め事の一件から私に対する監視が強まってしまったので、それで容易に接触が出来なくなったのかも知れないが。
そんな事を考えている内にブロルの支配人室の前まで到着した。私を呼びに来て先導していた衛兵が扉をノックして用件を告げる。するとすぐに中から応えがあったらしく、衛兵が促してきたのでそのまま入室した。
「……っ!?」
そして大きく目を瞠った。支配人室にはこの部屋の主にして闘技場の支配人であるブロル以外にもう1人 いたのだ。そしてその人物は支配人のブロルが立礼している横で、まるで自分がこの部屋の主のように支配人の席に座ってこちらを睥睨していた。
「……こうして直接会うのは、私の試合の後以来ね。まずは【マスター】ランクへの昇格、おめでとうと言わせてもらうわ」
その女……エレシエル王国の女王カサンドラは、そう言って席を立ち上がった。
「カ、カサンドラ……!」
「この間の『虫籠蝶々』……中々の見世物だったわね。観衆の評判も上々だったわ。しかも、魔物を服従させたんですってね? 素晴らしい偉業ね。まるで遥かな昔、我が国の聖獣となるユニコーンを服従させた古の英雄ラザフォードのようだわ」
カサンドラは表面上 はにこやかな笑顔で喋りながら私に近付いてくる。だが私はむしろその笑顔に恐怖 を感じて思わず後ずさった。だがすぐ後ろに閉まった扉があって背中が当たってしまう。
カサンドラは容赦なく距離を詰めてくる。
「知ってる? あの試合を見ていた観衆の中から、あなたの事をラザフォードの再来だいう声が上がっているのよ。ラザフォードは時の王に仕えた騎士だけど、同時に王弟 でもあったの。つまりはれっきとしたエレシエル王家の一員なのよ」
「……!」
カサンドラの笑みが増々深くなる。比例して私の冷や汗の量も増えていく。
「ねえ、おかしくない? この国の女王でエレシエル王家の直系である私ではなくて、よりによってロマリオンの皇女であるあなたがラザフォードの再来だなんて、冗談にしても笑えないわ。そう思うでしょう?」
喋る度にカサンドラから発散される空気が不穏な物になっていく。やはりこの女はセオラングの件で私に嫉妬していたようだ。自分も成し遂げていない偉業を私に達成された事は、この女にとっては我慢ならない屈辱だと容易に想像できる。
「何とか言いなさいよ。口を縫い付けられでもしてるの? いい気になっていられるのも――」
「――へ、陛下、その辺りで。とりあえずご用件を伝えるべきかと」
徐々に感情が昂ってヒステリックになりかけるカサンドラを見兼ねたブロルが、咳払いしながら用件を促す。
側近からの仲裁で我に返ったらしいカサンドラは、忌々しそうに舌打ちすると私から離れて席に戻った。私は圧力から解放されてホッと息を吐いた。
そんな私を見てカサンドラは一転して笑みの形に口を歪める。それは先程までの作り笑いではなく本心からの笑みのようだったが、何とも悪意や嗜虐心に満ちた底意地の悪い笑みであった。
「勘違いしないで欲しいのだけど、あなたが【マスター】ランクに昇格して嬉しいと思っているのは私の本心よ。何故ならこれでようやく……私が手ずから あなたを処刑 してあげる事が出来るようになったのだから」
「……!?」
私は目を剥いた。今この女は何と言った? 手ずから? つまりそれは……
「喜びなさい。あなたの次の相手はこの私 よ。私と戦うのが目標だったのでしょう? 夢が叶ったわね」
「……!」
カサンドラが、次の相手? つまり……この女と直接戦うという事か。正直、この展開は予想していなかった。
確かに当初はそれが目標であった。そして私の手でこの女を殺せればと思っていた。だが……あのガントレット戦を見せられて以降その目標は現実的ではないと悟り、何とかしてここから脱出する方法を探るという方向にシフトしたのだ。
それがまさか今になって直接対決が実現しようとは……
「陛下……。このような下賤な魔女の血で陛下の剣を汚さずとも、この私にお命じ頂ければ……」
ブロルが苦虫を噛み潰したような表情で忠言する。余りこの試合に積極的ではないようだ。といってもそれはカサンドラの身を案じている訳ではない。この女が私に負けるとは微塵も思っていない様子だ。
ただ言葉通り私如き の処刑に、敬愛する女王が直接手を汚す行為を厭うているだけだ。だがカサンドラはかぶりを振った。
「もう何度も言ったでしょう。これは決定事項よ。エレシエル王国の王女がロマリオン帝国の皇女を直接打ち倒して処刑する。これ以上最高のパフォーマンスは無いわ。観衆は悪しき帝国が我が国によって滅ぼされる瞬間を見る事が出来るのよ。きっと後世に語り継がれる試合になるに違いないわ」
その光景を夢想してか、カサンドラが恍惚とした表情で天井を見上げる。確かにこの女は強い。正式な剣闘士ではないが、間違いなく【マスター】ランクと同格の強さと見ていいだろう。
だが曲がりなりにも私と一対一で戦うというのに、既に勝ちが確定したかのように夢想する姿に、私も生来の矜持と反発心が頭をもたげる。
あまり私を見くびるなよ、カサンドラ。私だっていつまでも以前のままじゃない。あの『虫籠蝶々』だってクリアしたのだ。そうやって私を見下して油断していれば、足元を掬われるのはお前の方だ!
「…………」
私は内心を口には出さず、代わりに拳を固く握りしめてカサンドラを睨み据える。するとその目線に気付いたカサンドラが不快気に鼻を鳴らす。
「ふん……一丁前にプライドだけはあるみたいね。私には解ってるのよ。ルーベンスはわざとあなたを殺さなかったわね? 大方その方が面白いとでも思ったんでしょう。彼の考えそうな事だわ」
「……!」
私が温情 で昇格を果たした事を見抜かれている。
「そんなあなたが私に勝てると本気で思ってるの? 私は男達と違って容赦しない。あなた達ロマリオンが戦争を仕掛けてこなければ、私の両親もお兄様達もアルも……誰も死なずに済んだ。楽には殺さないわ。私の今まで受けた怒りと悲しみ、憎しみを全て味わわせてやる。自分の方からもう殺してくれと懇願させてあげるわ」
「く……!」
混じり気の無い憎悪に当てられて、私は怯みそうになる身体と心を必死に支える。すると後ろに控えるブロルが、これ以上カサンドラに話をさせるのは良くないと判断したのか呼び鈴を鳴らす。部屋の外で待機している衛兵が静かに扉を開ける。
「おほん! そういう訳で次の週は陛下との試合となる。精々準備をしておくがいい。無駄だとは思うがな」
ブロルはそう告げると、衛兵に合図して私の退室を促す。衛兵に連れられて私はようやく支配人室を後にする事ができた。退室していく私の背中に、カサンドラの半ば殺気に彩られた視線がいつまでも突き刺されているのを感じた。
他の八武衆か、或いはレベル5の魔物か。ルーベンスが全力で掛かってきていたらと思うと、他の八武衆相手でもまず勝ち目は薄い。そして彼のように気紛れで私に勝ちを譲ってくれる者ばかりではないだろう。
そしてレベル5の魔物もカサンドラが斃したフォルゴーンや、先日ガストンが斃していたオークジェネラルを思い返すと、はっきり言って私に勝てる相手か甚だ自信が無かった。
最早一刻の猶予もない。何とかして脱出する手段を模索しなければ、遠からず私は
カスパール兄様も一度レリーフを置いたきり接触がない。まあスルストとの揉め事の一件から私に対する監視が強まってしまったので、それで容易に接触が出来なくなったのかも知れないが。
そんな事を考えている内にブロルの支配人室の前まで到着した。私を呼びに来て先導していた衛兵が扉をノックして用件を告げる。するとすぐに中から応えがあったらしく、衛兵が促してきたのでそのまま入室した。
「……っ!?」
そして大きく目を瞠った。支配人室にはこの部屋の主にして闘技場の支配人であるブロル以外に
「……こうして直接会うのは、私の試合の後以来ね。まずは【マスター】ランクへの昇格、おめでとうと言わせてもらうわ」
その女……エレシエル王国の女王カサンドラは、そう言って席を立ち上がった。
「カ、カサンドラ……!」
「この間の『虫籠蝶々』……中々の見世物だったわね。観衆の評判も上々だったわ。しかも、魔物を服従させたんですってね? 素晴らしい偉業ね。まるで遥かな昔、我が国の聖獣となるユニコーンを服従させた古の英雄ラザフォードのようだわ」
カサンドラは
カサンドラは容赦なく距離を詰めてくる。
「知ってる? あの試合を見ていた観衆の中から、あなたの事をラザフォードの再来だいう声が上がっているのよ。ラザフォードは時の王に仕えた騎士だけど、同時に
「……!」
カサンドラの笑みが増々深くなる。比例して私の冷や汗の量も増えていく。
「ねえ、おかしくない? この国の女王でエレシエル王家の直系である私ではなくて、よりによってロマリオンの皇女であるあなたがラザフォードの再来だなんて、冗談にしても笑えないわ。そう思うでしょう?」
喋る度にカサンドラから発散される空気が不穏な物になっていく。やはりこの女はセオラングの件で私に嫉妬していたようだ。自分も成し遂げていない偉業を私に達成された事は、この女にとっては我慢ならない屈辱だと容易に想像できる。
「何とか言いなさいよ。口を縫い付けられでもしてるの? いい気になっていられるのも――」
「――へ、陛下、その辺りで。とりあえずご用件を伝えるべきかと」
徐々に感情が昂ってヒステリックになりかけるカサンドラを見兼ねたブロルが、咳払いしながら用件を促す。
側近からの仲裁で我に返ったらしいカサンドラは、忌々しそうに舌打ちすると私から離れて席に戻った。私は圧力から解放されてホッと息を吐いた。
そんな私を見てカサンドラは一転して笑みの形に口を歪める。それは先程までの作り笑いではなく本心からの笑みのようだったが、何とも悪意や嗜虐心に満ちた底意地の悪い笑みであった。
「勘違いしないで欲しいのだけど、あなたが【マスター】ランクに昇格して嬉しいと思っているのは私の本心よ。何故ならこれでようやく……私が
「……!?」
私は目を剥いた。今この女は何と言った? 手ずから? つまりそれは……
「喜びなさい。あなたの次の相手は
「……!」
カサンドラが、次の相手? つまり……この女と直接戦うという事か。正直、この展開は予想していなかった。
確かに当初はそれが目標であった。そして私の手でこの女を殺せればと思っていた。だが……あのガントレット戦を見せられて以降その目標は現実的ではないと悟り、何とかしてここから脱出する方法を探るという方向にシフトしたのだ。
それがまさか今になって直接対決が実現しようとは……
「陛下……。このような下賤な魔女の血で陛下の剣を汚さずとも、この私にお命じ頂ければ……」
ブロルが苦虫を噛み潰したような表情で忠言する。余りこの試合に積極的ではないようだ。といってもそれはカサンドラの身を案じている訳ではない。この女が私に負けるとは微塵も思っていない様子だ。
ただ言葉通り私
「もう何度も言ったでしょう。これは決定事項よ。エレシエル王国の王女がロマリオン帝国の皇女を直接打ち倒して処刑する。これ以上最高のパフォーマンスは無いわ。観衆は悪しき帝国が我が国によって滅ぼされる瞬間を見る事が出来るのよ。きっと後世に語り継がれる試合になるに違いないわ」
その光景を夢想してか、カサンドラが恍惚とした表情で天井を見上げる。確かにこの女は強い。正式な剣闘士ではないが、間違いなく【マスター】ランクと同格の強さと見ていいだろう。
だが曲がりなりにも私と一対一で戦うというのに、既に勝ちが確定したかのように夢想する姿に、私も生来の矜持と反発心が頭をもたげる。
あまり私を見くびるなよ、カサンドラ。私だっていつまでも以前のままじゃない。あの『虫籠蝶々』だってクリアしたのだ。そうやって私を見下して油断していれば、足元を掬われるのはお前の方だ!
「…………」
私は内心を口には出さず、代わりに拳を固く握りしめてカサンドラを睨み据える。するとその目線に気付いたカサンドラが不快気に鼻を鳴らす。
「ふん……一丁前にプライドだけはあるみたいね。私には解ってるのよ。ルーベンスはわざとあなたを殺さなかったわね? 大方その方が面白いとでも思ったんでしょう。彼の考えそうな事だわ」
「……!」
私が
「そんなあなたが私に勝てると本気で思ってるの? 私は男達と違って容赦しない。あなた達ロマリオンが戦争を仕掛けてこなければ、私の両親もお兄様達もアルも……誰も死なずに済んだ。楽には殺さないわ。私の今まで受けた怒りと悲しみ、憎しみを全て味わわせてやる。自分の方からもう殺してくれと懇願させてあげるわ」
「く……!」
混じり気の無い憎悪に当てられて、私は怯みそうになる身体と心を必死に支える。すると後ろに控えるブロルが、これ以上カサンドラに話をさせるのは良くないと判断したのか呼び鈴を鳴らす。部屋の外で待機している衛兵が静かに扉を開ける。
「おほん! そういう訳で次の週は陛下との試合となる。精々準備をしておくがいい。無駄だとは思うがな」
ブロルはそう告げると、衛兵に合図して私の退室を促す。衛兵に連れられて私はようやく支配人室を後にする事ができた。退室していく私の背中に、カサンドラの半ば殺気に彩られた視線がいつまでも突き刺されているのを感じた。